・ふたり
・ふたり
夕暮れの街並みの中を、俺たちは歩いた。今は制服のローブじゃない、お互いに私服だった。
ミトラスは素っ気ない無地のシャツと、カーキ色のズボン。
俺は薄手の赤いトレーナーに普通のジーンズ。二人で目的地もなく、ただ歩く。
途中で差し掛かった市場には色々な魔物がごった返していた。
上半身が女性で四肢が鳥の魔物、ハーピーの親子がカルガモの行進みたいに歩いていく光景は、なんとも微笑ましかったし、巨大なトカゲ、リザードマンが鮮魚の解体ショーを始めるのも面白かった。
「この日が終わらずに済んで良かった」
不意にミトラスが安堵のため息を吐いた。疲れた声は紛れもない本心だろう。
魔物たちに向ける目は、これまで見たことがないほどに、優しいものだった。
「羨ましいな」
「え?」
振り替えるミトラスを手招きして、そっと市場を離れる。そのまま歩いていくと、今度は公園に出た。
時間も遅いせいか誰もいない。公園のすぐ隣には川が流れ、その上に橋が架かっている。
「分かるかと思うけどさ、俺ってそんなに、良いとこの育ちじゃないんだ」
「サチウス……」
橋の欄干にもたれ掛かってミトラスを見る。察しは付いていたって顔だった。
俺は、この世界に来る前のことを思い出した。
「はっきり言って淋しい人間だったよ。ろくに友達もいない、一人遊びにどっぷり浸かっては、毎日をやり過ごしてた」
帰ったらゲームして、ネットして、エロ本読んで、寝る。そこに飯と風呂はあるが、会話はない。
「同じ年頃の子たちってのはさ、性格が良くても悪くても、自分が幸せになることは、考えられる奴ばっかりだった」
一度背を伸ばしてから、もう一度橋に寄り掛かる。正面にいるミトラスは真面目にも棒立ちしたままだ。もう少し楽にしてくれたら良いのに。
「俺はダメでさ、明日に対して何にもできない、死んでるようなものだった」
「それを、どうして今、僕に」
ミトラスは目を逸らさずに、じっと、俺の言葉を聞いてくれている。
「お前に浚われて俺はこの一月、本当に楽しかった。代わりにはならないけど、知っておいて欲しかったんだよ。お前が呼んだ相手を」
夕日が落ちて、辺りが急速に暗くなっていく。
そよ風が吹いて、少しだけ肌寒い。
「……帰ったほうが、本当は良いんだろうけど、俺は帰りたくない」
「それじゃあ結局、どうするんです!」
胸の前に両手を持ち上げて、焦れたミトラスが声を荒げた。俺の気持ちは決まってるけど、それを決めるために、お前を呼んだんじゃないか。
「どうするって言われてもな。なあ、お前はどうして欲しいんだよ? ミトラス」
「僕は……できることならば、サチコさんに、もっと一緒にいて欲しいです」
想像よりもずっと真っ直ぐな答えだった。
素直に嬉しいし、気持ちがいい。
「告白みたいなこと言って。それならなんで俺に帰っていいなんて言うんだよ」
「それは、家に帰れないのは寂しいことだからです。私は、もう昔の家には戻れないから、あなたにそんなことしたくない。だからあんなことを言って、あなたを脅したことも、申し訳ないと思っています」
俺はそんなことを思っていないのに、こいつはこいつなりに、俺の立場で考えたんだな。また思いつめた顔して、本当に、可愛いやつ。
「でもさ、お前がその気なら、俺はいつでも帰れるんだろ?」
家に帰ったって、そこにお前がいないと寂しいじゃないか。言わせるつもりなのか。
「それは、そうですけど……ここにいてもらっても、僕からはお礼も、お詫びも、どうしたらいいか」
「なんだ。じゃあ一つだけ、お願いを聞いて欲しい」
急に強い風が吹いて、木々をざわめかせる。
不思議だ。自分の気持ちが澄んでいくのが分かる。
俯いたミトラスが、目線だけをこちらに向ける。
「お願いですか?」
「ダメ?」
「そんなことないです。できることなら、なんだってしてあげたい」
上から目線がちょっとムカつく。でもこれが本当に本音であって欲しい。
「よし。それじゃ、俺がいいって言うまでじっとしてろよ」
「はい、えっ」
近づいて、腰を落として、腕を広げて、抱え込む。緑色の髪からは、いい匂いがした。
「え、サチコさん! え、ちょっと!」
「じっとしてろってば」
俺は大して色気がないから、せめてものサービスでおっぱいをできるだけ押し付けてやる。
頭と背中を撫でる。ずっと、こうしたかった。
「ずっとこうしてやりたいと、思ってた。嫌か?」
「……ううん」
胸の中で頭を振られるとくすぐったいが、まだまだ離してやらない。
自分の髪が、ミトラスに髪にかかる。
「俺はさ、敢えてお前のことを詮索しなかったけど、辛そうな顔を見てたら、笑ってる顔のほうがいいなって思ったんだ」
「僕は」
喋り難そうなので後ろに回り込んだ。欄干の根本に腰かけて、今度は抱っこするような形になる。
ミトラスも、こちらの動きに合わせて座る。
「僕は、あなたを勝手に呼びつけて、嫌われても仕方ないって思って、でもあなたはそんなに怒らないで、頑張ってくれて、一緒にいて、安心した」
「そっか」
訥々と話すミトラスの頭と撫で、今度は腹を擦る。少しだけ、体の強張りが解れて体重を預けてくる。
すんなりと出て来ない言葉一つ一つがもどかしい。
「なあ」
「なに?」
「俺は一緒にいたいんだよ。だからそろそろ、一緒にいてくれって、言って欲しいんだけど?」
ミトラスの体が震える。その震えが伝わってくる。怖がっているんだろうか。
少しだけ、抱く力を強くする。
頭に頬をくっつける。
「いいの?」
「うん」
「僕と」
震えが治まって、また強張る。彼がいったい何歳なのか、自分よりずっと年上なのかもしれない、でも、ずっと子どもだ。
そう感じた時から、何故だか放っておけない気持ちがしてた。
「サチコには、僕と、もっと一緒に、いてほしい」
自分の胸に、ミトラスの鼓動が伝わって、やっと分かった。俺はこのために、この子のために呼ばれたんだな。
「言ってくれたな」
苦しくないように、だけどできるだけ強く、抱きしめる。
静かに息を吐く音が、すごく近くから聞こえた。
「ありがとう……」
不意に、胸がいっぱいになって。
いけないとは思っていても、滲む視界から零れるものが、彼の髪を濡らすことを止められなかった。
この日、俺の異世界からの帰還が、先送りになることが決定した。
いつまでいるかとか、どこまで付き合うのかとか、そんなことは決めてないけど、今はただ、ミトラスと一緒にいたいと思った。
<了>
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。
最後にもう一話設けました。




