62 新たな旅立ち・特訓開始
早朝、研究施設はバタバタと慌ただしかった。
「兄さん、調理道具はどうしましょうか」
「鍋と食器をいくつか貰って行こう」
荷造りである。
馬車に積める量でなければならないため、選別に選別を重ねている最中だった。
「…………これ」
「いやぁ……それはどうだろう、ミトちゃん」
ミトは椅子と机を指差して呟いた。それは初めて数独をした時に座った、ソラの椅子と机だった。
ソラは「流石に持って行けない」と、申し訳なさそうな顔をするしかなかった。
ミトは「じゃあ……」と言って、ソラのタオルケットを抱きかかえた。ソラは何が「じゃあ」なのか分からなかったが、それで椅子と机を我慢してくれるならと、黙認した。
「兄さん……」
すると、ソラの背後からリーシェが恐る恐るといった風に声をかけた。
「その、私の…………あの、荷物なのですが……」
「ん? リーシェの荷物がどうし……」
ソラはその背後に置かれた巨大なカバンを目にし、絶句した。
「……どう詰め込んでも、これ以上小さくならず……」
「……行きより増えてない?」
「お洋服、ですとか……色々、その、買ってしまいまして……」
「まあ……このくらいなら、なんとか」
「お恥ずかしい限りです……」
ここに来た時の2倍ほどの荷物の量となったリーシェは、パンパンに膨れ上がったカバンの横で恥ずかしそうに俯いた。それはおそらく、物が増えたということもあるだろうが、行きの際はカバンへの収納をメイドに任せていたため、自分でやらざるを得なかった今回は、どうにも上手く収納できなかったのだろう。
「おう、ソラ! こっちは終わったぜ!」
一方のシスティは、とうに荷造りを終え、馬車の準備をしていた。
システィの荷物は、リュックサック一つ分ほどのものだった。逆に女子としてそれはどうなのだろうと、リーシェはひとり思う。
「よし。それじゃあ、行こうか」
ソラの一声で、全員が施設の外へ出た。
玄関の扉を施錠する。
ふと、もの悲しさが訪れた。
「忘れ物はないよね?」
最終チェックをすると、全員が大丈夫だと頷いた。
「……」
暫しの、沈黙。
約2年間を過ごした場所に、みな思い思いの別れを告げる。
「お世話になりました」
ソラはそう呟いて、一礼した。
それから、ゆっくり顔を上げると、すうっと大きく息を吸って、ふうーっと息を吐きながら、施設に背を向けた。
帰還の旅が始まった。
「では、これより講義を始めます」
揺れる馬車の中。
ソラはミトに向き合うと、淡々とした声でそう言った。
ミトは両膝に手を置いて、おとなしく聞いている。
「まず、魔術の仕組みについて。これを説明しようと思う」
ソラは内心、ワクワクしていた。
魔術に対して何ら固定観念を抱いていない真っ白なミトに、ソラ式の魔術を教えること。これは、初の試みである。
一体どの様になるのか――実験好きの血が疼くのだ。
「この世界には、“魔粒子”という目に見えない小さな粒がふわふわと漂っている。そしてその粒は、僕らの体の中にもあるんだ」
講義内容は、昨夜のうちに考えていた。
「魔術とは、その魔粒子が変化して起こる現象のことで、火であったり水であったり、様々なものを作り出すことができる」
ミトは小刻みに頷きながら傾聴している。
「でも、それは魔粒子単体だけでは不可能なんだ。魔粒子に加えて、“実現力”と呼ばれる僕ら魔術師のパワーが必要になってくる」
なるべく分かりやすいよう、理解しやすいように噛み砕いて、説明を続ける。
「体の中の魔粒子と、僕らの実現力。これが合わさったものを“体内魔力”と呼ぶ。この体内魔力が、体外の魔粒子と反応した結果、魔術が実現する。これが、魔術発動までの流れだ。ここまでOK?」
「……おっけい」
「では次に、魔術の形質はどうやって作られるかというところを話すよ」
ミトはこの時、12歳の子供とは思えない程の理解力を発揮していた。
とは言え、「なんとなく」理解していた。
何故なら、ミトはここ2年間で数学をひたすら独学し、のめり込んでいたため、すべての思考の基準が数学的になっていたのだ。
魔粒子と実現力が合わさったものを体内魔力と呼ぶことは、A+B=Cであると簡潔に理解し、何でもかんでも数式とそれに準ずる記号に置き換えてしまう。これはもはやミトの性格と言えた。
「魔術の形質、これは簡単な話で、僕らの頭の中のイメージが実現力によって構築され、魔粒子に添加されることで、その形が決まるんだ。イメージがおかしかったり、実現力が弱かったり、体内の魔粒子が足りなかったりすれば、魔術の形は崩れると覚えておいて」
ソラの説明を受けるたび、ミトの中に新たな知識が備わっていく。それは、ミトが魔術を“数学的理解”する為に必要不可欠な知識であり、理解しきるにはまだ不十分なようだった。
「次は、魔粒子の性質について……」
ソラの講義は、日が暮れ、野営場所に到着するまで続いた――。
りんりんと虫の鳴く声が聞こえる林。
ミトは馬車の中に敷かれた布団にもぐり込み、天井を見上げた。
「……」
ソラから得た知識を反芻する。
すると、何故だか今までにないもどかしさを感じる。
魔粒子はこうで、実現力はこうで、だから魔術はこうで……と、それぞれの要素の性質を考えたとき、“何か”に気が付きそうなのだ。
「……」
しかし、それが何なのか分からなかった。
今日一日、ソラから受けた膨大な量の知識、その全てを記憶し、理解することはできている。
だが、「そこから先がありそうだ」という気持ちに反して、その先を形作ることができずにいるのだ。
「…………ふぁ」
あくびをひとつ。
ミトはもやもやとしながらも、眠気に負けて目を閉じた。
早朝。
「……っ」
ミトは黙々と鉛筆を走らせていた。
「……おお」
ソラはちらりと覗き込み、感嘆の声をあげる。
そこには、おそらく魔術に関するであろう数式がびっしりと書き連ねられていた。
記号はすべてミトのオリジナルなので、詳しい内容まではよく分からなかったが、それでも分かることがひとつあった。それは、試行錯誤である。
ミトは昨日ソラに与えられた知識、言わば「公式」を利用して、その先を模索しているのだ。
その先、とは――式の融合、そして、新たな式の形成だった。
数式を書いては消し、書いては消し……新しい記号を持ってきたかと思えば、黒く塗りつぶし……。
「…………」
つーんと唇を尖らせるミト。彼女が行き詰まった時の癖である。
「ミトちゃん、ごはんにしよっか」
そのタイミングを見計らって、ソラは声をかけた。ミトは渋々といった感じで馬車からおり、膝に座らせろと催促した。
「今日は僕が御者をするから、システィは馬車の中で休憩。ミトちゃんの魔術の先生は、リーシェにお願いするよ」
ソラはミトを膝の上に乗せながら、今日の配置を確認した。
「はい。お任せ下さい、兄さん」
「おう。なんならよ……い、一緒に御者台乗ってもいいぜ? 二頭立てだしな」
馬車は行きと違って二頭立てに進化していた。
「ちょっと、駄目よ。貴方、ただでさえ居眠り運転の常習犯なのだから」
システィがしれっと抜け駆けをしようとすると、リーシェは慌てて止めに入った。ソラに対するいつもの猫なで声とは打って変わって、刃物のように鋭い声だった。
「……ちぇ、分かったよ。まぁ確かに夜番でねみィーしな」
ジト目で見つめるリーシェと、そっぽを向いて「はは」と空笑うシスティ。この構図はかれこれ2年以上変わらない。
「うん。それじゃ、いただきます」
いつも通りの清々しい朝にソラの号令が響くと、みな同様に「いただきます」と口にして、食事を始めた。
朝食はサンドイッチであった。
行きの時と比べ、今回はレトルトパウチや缶詰などの保存食が少ない。ソラは旅の中で少しずつストックを増やして行くつもりのようだ。
「……」
ミトは足をぷらぷらとさせて、落ち着かない様子である。
「んぐっ!」
ミトのかかとがソラのすねにぶち当たり、激痛がはしった。
「あ……」
沈黙。
「あ、じゃないでしょオオオ」
「あひゃ、ご、ごめんなひゃっ」
ソラのぐりぐり攻撃が炸裂し、ミトは涙目で謝った。
「……」
「……」
イチャイチャしやがって――リーシェとシスティは羨ましそうな目で見るよりなかった。
「それでは、これより実技を始めます」
凛とした表情でリーシェが言った。ミトは熱心に聞いている。
「これは魔術を扱う際の感覚を理解するための授業です。なので、ミト、貴方にはこれから魔術を使ってもらいます」
すると、リーシェは走行中にも関わらず、馬車のバックドアを開け放った。
「水は知っていますね、ミト」
「……」
こくりと頷く。
水分子はH2Oであるということを、ミトは既に勉強していた。
「確固たるイメージを……そして、強く発散する感覚です。この時のポイントは、魔術の発動箇所を具体的に思い浮かべることよ」
リーシェは後方へ向かって、指をピンと立てて水属性下級魔術《玉水》を発現させた。
指先にピンポン球ほどの大きさの水がふわりと漂う。
「慣れれば、こんなこともできるわ」
そう言うと、水の玉をどんどんと大きくして、ついにはバスケットボールほどの大きさにしてしまう。そして、「ぽいっ」とバックドアから外へ捨てた。大きな水の玉は崩れ、びしゃりと過ぎ去る地面を濡らした。
「さあ、やってご覧なさい」
リーシェはやわらかに腕を組むと、ミトに促す。
バックドアから入り込んだ風がリーシェの長い髪とローブの裾をはためかせ、非常に格好が良かった。
「……っ」
ミトは静々と歩み出ると、右手の人差し指を空中へ向け、念じ始める。
ぷくっ――と、ビー玉ほどの大きさの水が、ミトの指先から浮かび上がった。
「……!!」
驚きと、喜びと、感動と、様々な感情がはじけ、そして同時に水の玉もはじけ飛んだ。
「……!」
くるっとリーシェの方を向き、「できてた?」と反応をうかがう。
「兄さんの講義を受けたのだから、当然です。集中を切らさず続けなさい」
リーシェ先生は厳しかった。
ミトは下唇を少しだけ突き出して、もう一度魔術に挑む。
こうして、厳しい特訓が始まった。
「……兄さん。ミトですが……」
昼食後。
リーシェはソラに対し、言いづらそうに切り出した。
ミトは、満腹で眠くなったのか、馬車の中ですうすうと寝息を立てて横になっている。
「魔力量が少ない?」
「! お気づきだったのですか」
リーシェは特訓の中で、ミトの魔力量の少なさを感じ取っていた。
今、ミトが寝ている理由も、満腹ということもあるだろうが、魔力切れが主な原因であった。
「魔力量の解決策についてはまだ思いついてない。ただ今は、ミトにできる限りで最高効率の魔術を教えることが最善だと思うよ」
「なるほど……そう、ですね。兄さんの仰る通りです」
リーシェはソラの言葉を受けると、静かな気合と共に頷いた。
一週間でミトを一人前に育て上げてみせると宣言したソラ――そのうちの貴重な一日を、リーシェが担当すること。それはつまり、それだけの信頼があるということ。そして先程のソラの言葉を加味すれば、「最高効率の魔術を教えることが出来るだけの実力をリーシェは既に備えている」ということ。
「午後も私にお任せ下さいっ」
リーシェは早口でそう言うと、くるっと後ろを向いた。
顔のニヤつきを抑えきれなかったのだ。
「うん。よろしくお願いします」
ソラはそんなリーシェを微笑ましく思い、目を細めながら丁寧に返事をした。
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