56 運命は勇者に微笑む
「みないで……!」
か細い声。それは痛々しい叫びであり、弱々しい拒絶であった。
「――わ、分かった!」
ソラは目を伏せて、ミトを視界に入れないようにする。トーマスたちがミトを誘拐した理由、ミトの仮面の下を見て逃げ出した理由、その二つを一先ず忘れ、ミトの意思を優先したのだ。
ミトは落ちている仮面によたよたと近付いて、拾い上げる。そして仮面を装着すると、ソラの懐に飛び込んだ。
「……何か、された?」
抱きとめながら、そう質問するソラ。すると、お腹にぐりぐりという感触を得た。ミトが首を横に振ったためである。
「…………もう、安心だよ」
ソラはその震える小さな体をふわりと抱きしめ、ターバンとフードで二重に包まれた頭をそっと撫でてやることしかできなかった。
「――ということがありました」
ネガロの研究室にて、ソラとネガロは二人きりであった。
ソラがミト誘拐事件の顛末について話すと、ネガロは腕を組んで悩むように俯いた。
「……ソラ君。いつかいつかと考えていたが、君にはもう話そうと思う」
「それは……?」
「……私とミトの、過去の話だ」
ネガロの言葉に、ソラは覚悟した。
ミトに何らかの秘密があることは明らかであったが、一年という長い時間を共にいても、終には明かされなかった。それが今、明かされるかもしれないのである。
「私は小さなエルフ族の村に生まれた。昔から研究者気質で、あれは何だこれは何だと質問しては両親を困らせていたらしい。まあ、平和な毎日を過ごしていたよ……ミトが産まれるまではな」
表情が険しくなるネガロ。なるべくならば、思い出したくないことなのかもしれない。
「ミトは……ある身体的特徴を持って誕生したのだ。両親はそれを隠すため、ミトを家に閉じ込めて育てた。それは6年間続いた……仕方がなかった。私だって、どうすればいいのか、分からなかった」
身体的特徴――あえて言及しないのは、ミトを尊重してだろうか。
「……ある日、村で噂になった。あの家では呪われた子供を育てていると、“悪魔の生まれ変わり”を育てているとな。ミトは呪われてもいないし、悪魔なんかではない。それは私も両親も分かっていた。分かっていた筈だ。だが……1年も経てば、母も父もおかしくなった」
組んだ腕を解き、ソラに語りかける。
「あいつらは、ミトが本当に悪魔の生まれ変わりだと信じるようになった。村の連中と一緒になって虐げた! ……許せなかった。血の繋がった我が子なのに! 保身を優先したのだ! 下衆め……ッ!」
溜まっていたものが、罵倒となって飛び散った。ソラは身動ぎもせず聞いている。
「……私はミトを連れて家を、そして村を出た。ミトに外の世界を見せてやりたかった。しかし……まるで牢獄の様だった7年間は、彼女に取り返しのつかない傷を負わせていた。対人恐怖と言うべきか……きっとあの村人達の、そして両親の“目”が忘れられなかったのだろう。私が外に連れ出したとて、ミトは必ず自分の世界に閉じこもる。言葉を発さず、泣きも笑いもせず、家から一歩も出ず、毎日を無為に過ごすんだ。何故かって、それしか生き方を知らないのだから」
ぎりりと奥歯を噛み締めるネガロ。その感情は、憤怒。
「……恐怖だ。ミトに植えつけられた恐怖がそうさせている。ミトは怖いんだ。また虐げられるのが、悪魔と罵られるのが怖いのだ。私は、誓った。あの村人達を決して許さないと。殺すとまでは言わん……だが、相応の復讐を成す。そのために、私はエクン王国直属の研究者となったのだ」
言葉の上では分からなかったが、ここまで思いつめるには余程のことをされたのだろうと予想できる。恐らく、村人達は「悪魔の生まれ変わりならば何をしても許される」と考えていたのだろう。悪人を見つければ集団で叩くというのは、地球も何処も同じなのかもしれない……ソラはそこまで考えて、苛立ちを感じ、思考を停止した。
「ここに来てからは、また平和な日々が過ごせたよ。特に君が来てからは、ミトにとって素晴らしい1年だったと思う。だからと言うべきか……いや、言い訳か。私は油断していた。また、ミトを守ってやれなかった」
「……いえ、発端は僕ら3人が目立つようなことをしてしまったからです」
「いや、私もミトの存在を国に隠していたからな…………すまない、話が逸れたようだ」
ネガロは前傾であった姿勢を起こし、仕切り直す。
「――ミトは君のことを憎からず思っている。あのミトがだ。君が特別に人を惹きつける魅力的な何かを持っているのか……とにかく、何がどうなったか分からんが、ミトは君を気に入っている。だからこそ……ミトは君に嫌われることを恐れている。かつての親のようにな」
――ミトの叫び、その理由。ソラはネガロの言葉を聞いて、全てを察した。
「……僕、ミトちゃんの所に行ってきます」
ネガロはソラの目を一瞥すると、フッと微笑み、
「ミトを、よろしく頼む」
こう言って、頭を下げた。
深い、姉の愛であった。
「ミトちゃん」
ソラの自室、そのベッドの上にミトは座っていた。とは言っても足は地面に届かず、座っていると言うよりはちょこんと乗っているといった風だ。
ミトはソラに気付くと、仮面越しにその姿を一瞥し、ずりずりと横にずれた。隣に座れという意味である。
ソラはミトの横に腰掛けると、体を斜めにしてミトと向き合った。ミトはいつもと雰囲気の違うソラに気がつき、落ち着かない様子だ。
「……?」
首を傾げながら、下からソラを覗き込むミト。
ソラは意を決し、語りかける。
「ミトちゃん……」
なんと言えば良いのか、分からない。
とにかくミトを安心させたいという一心で、言葉を紡ぐ。
「……僕は、君を嫌いになったりしない。何があったって、天地がひっくり返ったって、そんなことは有り得ないと誓うよ。だから……僕に、素顔を、見せてくれないか?」
ミトはソラの言葉を聞いて、体を強張らせた。
頭の中を駆け巡る懸念――見られていたのか、姉が教えたのか、ついに秘密がバレてしまった。ソラはこう言うが、全貌を見せれば嫌われてしまうかもしれないという恐れは、拭えない。どうしようもない恐怖が、ミトを苛む。
「……っ……っ」
呼吸が乱れ、逃げ出そうとする足も動かない。
ソラは、そんなミトをぎゅっと抱きしめた。
「……大丈夫。大丈夫だから」
厚着の上からでも感じられるように、力強く。
暫くそうしていると、ミトの呼吸は嘘のように穏やかになる。この一年で育まれた、信頼の証であった。
ソラはミトが落ち着いたことを確認すると、ゆっくりと体を離し、仮面の奥の赤い瞳を見つめて、再び語り出す。
「……呪いが、何だ。悪魔の生まれ変わりが何だ。暴論に過ぎる。科学的根拠を提示しろと言いたい。……ミトちゃん。君は、呪われてもいなければ、悪魔でもない。僕が保証する」
地球においても、ミトのような子供が、果ては大人までも、多種多様な迫害を受ける地域が少なからずある。彼らはその未知の対象を殺したりセックスしたりすることで己が救われると、本当に信じて事に及んでいるのだ。そこには根拠も何も存在せず、ただの噂に縋る一種の信仰しかない。国、人種、環境、人格……その原因は数え切れない。
「……僕を信じて、その仮面を取って欲しい」
嘘偽りのない、真っ直ぐな視線。
ミトは今まで、姉以外の人物にここまで真摯に向き合われたことはなかった。むしろ、ここまで熱心なアプローチは姉でさえなかったかもしれない。ミトは知らぬ間に、心の奥底にまでソラの侵入を許してしまっていた。
しかし、そうであっても、恐怖の壁を破ることは難しかった。
詰めは、“勇気”。これに尽きるのだ。
「…………っ」
確かに、素顔を見せたいという気持ちもある。
ソラと、今以上に、親密な関係になりたいのなら。いつか素顔を見せなければならない。ミトはそう思っていたと同時に、やはり現状を壊したくはなかった。11年という短いようで長い年月を歩んで来たミトの人生、彼女は今を絶頂期と認識していたのだ。
だからこそ、今一歩及ばない。
仮面に手がかかると、俄に震え出す。
恐怖の震えではない。
勇気の震えである。
「っっっ……!」
震える手に無理矢理力を込めて、仮面を持ち上げようとしたが、震えて上手く動かない。
「っ……ぁ」
そっと、ソラの手が添えられた。
その震えを包み込むように、仮面の両端を持つ手を補助する。
震えは、収まった。
そのまま、ゆっくり、ゆっくりと、仮面は持ち上げられた。
ターバンとフードを巻き込んで、ミトの頭上に持ち上げられ、後ろにぽとりと落っこちる。
――さらりと、短く切り揃えられた白銀の髪の毛がなびいた。燃えるように赤い瞳は涙で潤み、陶器のように艶やかで白い肌は、ソラの比較的色白の肌と比べてもはっきりと分かる程に真っ白であった。
アルビノ――――現代地球人は、それをそう呼ぶだろう。
ソラはミトの素顔を見て、にっこりと笑った。
「イメージ通りの、可愛い顔だ。髪も白く輝いて素敵だ。赤い瞳は神秘的で美しい。ミト、君は悪魔なんかじゃない」
「っ…………ぅわああああん!!」
ミトの人形のように整った顔が、くしゃりと涙に歪んだ。ソラの胸に顔をうずめて、しゃくりあげて泣いた。生まれて初めて、安堵で涙した瞬間だった。
「先天性白皮症――ミトの肌が白いのは、アルビノって言うんだ。何ら変なことではない、十分有り得る遺伝子疾患だよ。呪いなんて、悪魔なんて、とんでもない」
ソラはミトを抱きしめ、小さな頭を撫でながら囁く。
「ある、びの……?」
ミトは自身が白い理由を聞いて、もっと詳しく知りたいと思うと同時に、ソラの見解をすんなりと信じている自分に驚いた。
今まで呪いだ悪魔だと散々言われ虐げられて生きてきた中で、自身でさえ自分はもしかしたら悪魔なのかもしれないと考えていたというのに。この上なく幸福なこのひと時で、なんとも呆気なく、すっかり解毒されてしまった。
「そう。メラニン色素が欠乏しているだけさ。虐げられる必要なんて、これっぽっちもないんだ」
「……っ」
ソラの一言一言が、途方もなく嬉しいミト。
ソラに保証されることで、今までの苦悩の全てが救われるような、そんな気がしていた。
「……さて。それじゃあ、その可愛い素顔を皆に見せに行こうか」
唐突な提案。
ミトは「えっ!?」という風にがばりと顔を上げると、ぶんぶんと首を横に振った。
「大丈夫! 僕に任せておけ!」
ソラはミトを抱いたまま立ち上がると、ミトはお姫様抱っこのようにすっぽりと懐に収まってしまった。
そのまま部屋を出て、向かうは隣、リーシェの部屋。お次はシスティの部屋だろう。
ミトはソラの胸をぽこぽこと叩いて抵抗していたが、ソラの優しげで少し意地悪な微笑みを見て、その手を止めた。
――ミトはふと感じる。ソラに任せて、このまま行ってしまえば、今までになかった世界が見れる気がして、心が踊るのだ。それは、今までにない感覚。世界が自分に味方するような、不思議な暖かさ。
「リーシェ、いるかい? ちょっと見て欲しいことがある」
ソラは、少々荒療治ではあるが、ミトに自信をつけるためにはこれが良い方法だと考えた。
「はい、兄さん。只今参ります――」
リーシェがドアを開けるまでの数秒、ミトの心臓はのべつ幕なしに早鐘を打ち、呼吸を乱す。
不思議と、その胸中に不安はなかった。
「――兄さんが仰るのなら、そうなのでしょう。アルビノ……イデンシの欠損、でしたか。まだ教わっていない分野ですね。科学は奥が深いです……それにしても、透き通った肌だわ」
「――よく分かんねーけど、ソラが言うんなら間違いねぇな。別に白いだけだろ? 暑苦しいからよ、脱いどけ脱いどけ。そっちの方が仮面より全然マシな面してるぜ」
……めでたし、めでたし。
お読みいただき、ありがとうございます。
ゲロ忙しかったので更新が遅れました、申し訳ないです。
ミトの素顔が明らかに。可愛い。
次回は、トーマスの末路とかそのへんです。
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