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54 数独

 日の出と共に起床すると、見慣れない部屋に一瞬戸惑う。

 ああ、そう言えばここは、ネガロ・ルッコとかいう研究者の施設だった。

 ごろりと転がり横を向いて、起き上がろうか逡巡する。

 兄さんに買っていただいたベッドは、とても寝心地が良い。

 意を決して立ち上がり、水属性魔術で布を濡らして顔を拭いた。

 私は朝が弱い。でも、兄さんの前ではしゃんとしていたい。

 顔を拭き終えたら、眠気がこびりついていた顔もきりりとした気がした。次は着替えて、髪を梳かさなければ。

 今日は、いつもより念入りに。兄さんの授業があるからだ。


 5人で朝食を取る。

 今朝の私の席は、兄さんの向かい側。兄さんの隣の席の争奪戦は脳筋女・・・に敗れたが、ここはここで兄さんを良く観察できて中々良い席だと気付けた。

「美味しいです、兄さん」

 私がそう言うと、兄さんは「ありがとう」と眩しい微笑みを見せてくださった。その朗らかなお顔を石の版に切り取って、お部屋に飾って一日中愛でていたい。

 それにしても、兄さんのお料理はとても美味しい。

 兄さんは“しょうゆ”や“みそ”など、手作りの調味料をお使いになって、様々なものを創作なさる。いつか私に、出汁だ旨味だと得意気に語ってくださった兄さんの姿、今思い出しても悶えるほど愛らしい。兄さん自身はその味にまだまだ納得のいかないご様子だが、私にとってみれば兄さんのお料理はこれ以上ないご馳走だ。

 朝食の後は、いよいよ兄さんと二人きりの授業。

 姿勢が悪くなるといけないので、朝食は控えめにしておくことにする。


「じゃあ、初回の授業を始めます」

「はい。よろしくお願い致します」

 二階カンファレンスルームにて、授業が開始された。

 広い空間に兄さんと二人きりなので、少し緊張してしまう。

「今日からの授業では、科学――中でも、自然科学について取り扱って行こうと思う」

「はい」

 兄さんは、今日から一日おきの午前中、私に“科学”を教えてくださる。

 科学――兄さんが、魔術で何でも作り出せる、その根本の知識。

 それを、私に、教えてくださる。

 これがどういうことか。

 この世を支配することすら不可能ではない、その大いなる力を、この、私に、無条件で、与えてくださるのだ。

 つまるところ――それだけ、兄さんは私を信用してくださっているのだということ。

 こんなに嬉しいことはない。

「まず、科学の定義についてだけど……これがとても難しい。自然で起きる様々な現象を解明する学問だと言っても、理論だ原理だ法則だと言い出せば、何だか言葉遊びのようにしかならないんだ。自然現象の事実がどうあるかなんて、実は誰にも分からないからね。だから、これだけ覚えて欲しい。“科学とは限りなく事実的な仮説”だということ。できるだけ事実に近いように、綻びのないように仮説を立てて、解き明かして行く学問だと知っておいて」

「…………なるほど」

 兄さんは、私のためにかなり噛み砕いて解説してくださっている。それが、優しい言葉遣いで伝わってくる。

 しかし、私が兄さんに比べどうしようもない馬鹿であるが故に、その配慮さえ無駄にしてしまいそうだ。

 “科学とは限りなく事実的な仮説”――せめてこの言葉だけでも、心に刻み、今夜考えることにする。

「分からないことがあったら、適宜質問してね。それじゃあ最初は“物質”の説明からして行くよ」

「……はい」

 ……メモが、忙しくなりそうである。


 ――兄さんの授業を終え、美味しい昼食を取り、午後。

 頭の中は、授業の内容で一杯だ。

 私には難し過ぎるのではという懸念は、懸念のまま終わった。

 理解しきれなかったのは、冒頭の兄さんのお言葉のみ。授業が本格的に開始してからは、兄さんの更に噛み砕いた分かり易い説明で、馬鹿な私でも十分に理解できる内容であった。

 そして、今になって思うこと。

 ――科学は、とても面白い。

 特に“物質の三態”なんて、私の目からぽろりと鱗が落ちた。

 固体、液体、気体……たしかに、水は冷えれば固まり、熱せば蒸気となる。日常で当たり前に受け入れていた現象でも、その仕組みは全くもって理解できていなかった。それが今後の兄さんとの授業で明らかになって行くと思うと、鳥肌が立つ。

 また、万物は原子という小さな粒によって構成されており、その粒の種類はなんと百を超すのだという。俄かには信じられない話だが、兄さんが言うのだから正しいのだろう。

 授業の終わりに、兄さんに一枚の紙をいただいた。

 それは“周期表”と呼ばれるものらしく、記号が書かれており、それぞれ1番から20番まで番号が振られていた。

 これらは全て、原子の種類らしい。

 今まで火・水・風・土の4種類だと思っていたものが、一気に20種類に増えてしまった。

 1番から順に、スイソ、ヘリウム、リチウム……と読める。

 これからの授業ごとに、この周期表に必要な情報を埋めて行くのだと兄さんは言った。

 今日の授業では原子について知ったので、ここに書かれているのはまだ原子の名前だけということか。

 次回は、原子の構造などについてと仰っていたが、一体どんな授業なのだろう。

 とても、楽しみである。


 夕方になり、私は外に出た。

 この施設にはそこそこ広い庭があり、ここに来た時から魔術の練習をするならここと決めていた。

「さて……」

 ため息混じりに、取り掛かる。

 アブレシブジェット魔術の練習だ。

 兄さん曰く、「研磨剤を混入させ噴射する」らしいのだが、今まで上手くいった試しがない。

 工程としては、研磨剤を生成しながら、噴射する水に混ぜ込みつつ、ウォータージェット魔術を構成、維持しなければならない――これは、玉乗りしながらダンスを踊りつつ逆立ちしてご飯を食べながら口笛を吹くようなものだと思う。

 これ程に器用な人間が、兄さん以外にいるのだろうか。恐らく、いないだろう。

 言ってしまえば、私では到底無理なのだ。

 ……しかし、私は試行錯誤を続ける。

 兄さんは、私に期待してくださっている。ならば、私が「無理だ」と主張し努力を怠る道理はない。

 目を瞑り、極限まで集中する。

 前方に突き出した両手の中心に、針の穴程のウォータージェット噴射口を構成。水魔術をぎゅっと押し込み、一点集中で貫くイメージ。

 噴き出した水が、土を穿つ。

 ここまでは、単なるウォータージェット魔術。

 私は噴出の状態を維持しながら、研磨剤の生成に取り掛かった。

 私が現状生成できる研磨剤となりそうなものは、土や砂。中でも石の粉末のようなものが良いと兄さんは仰っていた。

 確固たる研磨剤のイメージがないことが失敗の要因であると、自分でも分かっている。しかし、こればかりは解決のしようがない。

 もしかすると、兄さんの授業の中で科学を学んで行くうちに、研磨剤についても難なく作れる日が来るかもしれない。そうなれば、アブレシブジェット魔術も夢ではないと思う。

「……あ、ぅ」

 研磨剤を生成しようとしたところで、噴出口のイメージが崩れ、同時に水の加圧も緩み、魔術は崩壊してしまう。

 いつも、研磨剤の生成までたどり着けない。

 しかし、私は諦めない。

 いつの日か、進歩を信じて。


 夕食をいただき、入浴をすませると、私の勉強の時間だ。

 特に、今日からは科学を学び始めたので、勉強量が増加する。

 先ずは、兄さんに託された私自身の研究――絶対防御について。

 まだ全くと言っていいほど科学を学べていないので、アイデアは殆ど浮かばないのが現状だ。

 兄さんもゆっくりでいいと仰っていたため、この研究については科学の知識が身につき始めてから考えるのが良いだろう。

 しかし、絶対防御――そんなことが可能なのだろうか。

 科学とは限りなく事実的な仮説。

 兄さんの言葉を思い出す。

 今日教えてくださった物質のことなども、仮説に過ぎないということだろう。

 では、それとは逆に、仮説から考えることもできるということか。

 つまり私は、絶対防御という仮説を組み立て、その通りに綻びのないように知識を敷き詰めれば良いのだろう。

 即ち、この研究もまた科学。

 ということは、魔術すら科学なのだろうか。

 ……とてもややこしい。

 次は、科学の復習をしよう。

 と言っても、四六時中考えていたので、殆どやることはない。

 取り敢えず、周期表を暗記しておくことにする。

 就寝支度は既に整えているので、ベッドに潜り込み、周期表を見易い位置に持った。

「1番、スイソ。1番、スイソ。1番、スイソ……」

 完璧に暗記してきたら、兄さんは褒めてくださるだろうか。

 頭を撫でて欲しいなどと、贅沢は言わない。ただ、兄さんの役に立てればそれでいい。

 私の持つ全てを、兄さんの為に。

 ……ちょこっとだけ、お母様の為にも。

 この2人の役に立とうなど、志は高過ぎると言ってもいい。

 そのためにも、私は人一倍努力しなければならない。

 辛いなどとは思わない。

 それが私の望みであり、幸せなのだから。



―――



「――っしょ!」

 あたしは目が開いたその瞬間に、ベッドから飛び起きる。

 こうすれば、どうやっても二度寝することはできないし、目も覚めやすい。

「おーし」

 ドアを開け、階段を下って一階に。冷たい水で顔を洗うと、本格的に目が覚めた。

 ここの施設に来てからも、あたしの生活習慣はハンターだった頃とあまり変わらない。諜報活動とハンター活動が、研究活動と抜刀術の修行に変わっただけだ。

 玄関から外に出て、ストレッチを始める。

 陽の光がぽかぽかと暖かく、体もだんだん温まってきた。

 頃合を見て、あたしは走り出す。

 街中をぐるりと……一周して。

 …………二周して。

 ………………三周くらいすれば、今朝は十分だろう。

 ちゃちゃっと風呂に入って、朝メシだ。

 ソラのメシは、とんでもなく美味い。あたしが昔からろくなもんを食っていなかったせいだろうか。まあとにかく、毎日のメシが楽しみだ。

 風呂で汗を流していると、自然と色んなことを考える。

 最近は、抜刀術のことや、身体強化のこと……ソラのことが多いか。

 そう言えば、次の次のカンファレンスは、あたしの発表だった。

 まあ、今日がソラとの研究の初日だし、まだ心配することじゃない、と、思いたい。

 ……しかし、旅先でこんなに良い生活ができるとは思っていなかった。

 こうして自然に入っているこの風呂も、貴族様御用達の逸品じゃあないか。メシはソラのお陰で旅の間も超美味いし、部屋は広いし、家具も買ってくれたし。もう、文句のつけようがない。

 こうなったら、ソラの役に立つためにも、死に物狂いで身体強化の魔術を完成させよう。もしあたしが身体強化できたら、ソラはきっと褒めてくれる。もしかすると……頭を撫でられたり……抱っきしめられたり……ば、場合によっては……ッ!

 ……。

 …………。

 ………………風呂、出るか。


 大満足の朝メシの後、あたしは鬼丸を腰に引っさげて二階の実験ホールに向かった。

 実験ホールは屋内だというのに、動き回っても余りある程に広々とした空間が広がっている。室内だからか風の音もなく、異様に静かで、落ち着ける空間だ。

 あたしはここに初めて来た時から、修行をするならここだと狙いをつけていた。

「――ふーっ」

 一つ息を吐いて、両の手をぶらりと下げ、自然体をつくり出す。

 ソラが考案した(と思う)この鬼丸を用いた奇襲戦術、その真髄は“一撃必殺の太刀を如何様にして浴びせるか”である。

 初見であたしの左腰にぶら下かっているこの木の棒を剣だと思う者は少ないだろう。ならば、相手の虚を衝くは常道。

 あたしの思う理想は、完全な自然体から究極の速さで繰り出す必殺の一撃。

 構えなど不要。

 予備動作は極限まで削る。

 如何に相手に悟られず、如何に素早く抜き、如何に鋭く斬り込むか。

 この三つだけだ。

 全ては、初手で決まる。

「よっ」

 まるで石ころを池にでも投げ込むかのような気の抜けた掛け声と共に、あたしは鬼丸を抜いた。

 微かに「ひゅん」と風を切る音が聞こえ、耳に心地良い。

 威力は申し分ない。目の前に敵がいれば、真っ二つだっただろう。

 ……でも、こりゃ失敗だ。

「…………うーん」

 あたしは鬼丸を納刀しながら考える。

 なかなか素早く抜けたけれど、ちょっとだけ予備動作が多かった気がしたのだ。

 左手で鞘を引きながらやると抜きやすいのでそうしているのだが、あまりその動作を意識すると上体がぶれて予備動作を増やしてしまっているのかもしれない。

 よし、次はその辺を意識しつつ、立ち姿勢から八方へ、座り姿勢から八方へ抜く練習だ。正面だけやっても仕方ないからな。

 とりあえず昼メシまで、練習あるのみ!

 ……何かあたし、抜刀術にハマりつつあるかも?


「さて、システィ。準備はいいかい?」

「……おう。いよいよ、だな」

 昼メシ後、あたしはソラと一緒に二階のカンファレンスルームに居た。

 二人っきりだ。

 ……もう一度言う。 二 人 っ き り だ。

「うん。いよいよ、僕たちの研究が始まるよ」

「…………お、おう」

 思えば、ソラとこうして二人っきりになるのはいつ以来だろうか。

 かなり昔のような気がしないでもない。

 少なくとも、旅に出る前以来だ。

 普段はなんてことないのだが、こうして二人で向かい合って座っているとまるで恋人同士みたいで、変に緊張してしまう。

 せっかくの二人きりのチャンス、緊張している場合ではないのに「おう」としか返事できない自分が嫌になる。かと言って口を開けばがさつだし、作法とか何一つ知らないし、目つき悪いし、腕っ節は強いし、ちょっぴりがに股だし、おおよそ女らしくないあたしが……っと、駄目だ駄目だ。こういうことは、風呂で考えよう。今はソラとの時間だ。

「で、早速だけど、実験をしようと思う」

「いきなりかよ?」

「うん。カンファでの発表も近いしね。パパッと実験しちゃって、今後の課題を見つけよう」

 ソラはえらい軽く言っているが、研究とはこんな適当な感じのものなのだろうか。あたしは今の今まで魔術の研究なんて経験は微塵もなかったから、相場が全然わからない。

 ただまあ、ソラに言われた通りのことをしっかりこなせばいいというのは明らかだから、あたしの心配なんて大して関係のないことだろう。

「オッケー。そんで、何の実験をするんだ?」

「とりあえず今日は、僕の考えていた仮説について実験してみて、システィの身体強化魔術の研究のいしずえとなるような結果が得られればなと思ってる」

「なるほどなァ……」

 いしずえって何だろう……?

 まあいいや。

「じゃあ、僕の仮説を話して行くよ。次のカンファで共同研究として発表してもらいたい内容でもあるから、ぜひぜひメモを」

「おう、任せとけ!」

 ソラとあたしの共同研究――なんと良い響きだろう。

 今のあたしは、言うなれば、ソラのパートナー。あの生意気な妹の鼻を明かしてやった気分だ。

「まず、『体内魔力=体内魔粒子+実現力』だと定義していたけれど、これはほんの側面でしかないと僕は思ってる。実際は、魔力は実現力の他にも様々な力を持っている筈なんだ。例えば、システィが火属性魔術しか使えないというように、人によって固有の性質があるだろうし、もしかすると魔力に適応力のようなものがあって、それが影響して個人差が作り出されているのかもしれない。つまるところ、魔術の個人差には実現力以外のファクターが存在している、というのが僕の仮説だね」

「ふむふむ。おし、ちょっと待ってくれ。ぜんぜん追いつけねェ」

「…………ご、ごめん」

 すまねぇ、ソラ。

 こりゃ……長くなりそうだ。


 ――結局。

 あの後、ソラに二時間近く懇切丁寧に説明してもらって、あたしはやっとのことで理解できた。

 ソラはすっかり疲れてしまった様子で「今日は実験はなしにして講義にしよう」と色々教えてくれた。ソラとしてもあたしの理解力の無さは想定の範囲内だったらしく、根気よく付き合ってくれた。「システィは最低限のことだけ理解して、実験に専念してくれればそれでいいよ」とソラは言ってくれたが、それだとあの妹に負けたようで悔しい。ソラの話に食らいついていけるように、とにかく勉強だ。

 詳しいことは後でメモを見直すとして……理解できたのは、魔力の働きには色々と個人差があって、その原因を詳しく調べることが身体強化の魔術に繋がるかも、ということ。ここで疑問に思うのは、魔力の働きについて。あたしはそもそも魔力についての知識が全くない。そこからソラに教えてもらわないとだめなのだろう。

 せめて、馬鹿らしく、次のソラとの話し合いですべき質問くらいはまとめておこう。

 晩メシ後の、眠たい眼をこすりながら、あたしは机に向かい、疑問を箇条書きする。

 暗中模索。

 今はまだ、全然ソラの役に立ててないけど。

 いつか、こんな自分でも、ソラの為に何かが出来ると信じて。



―――



「うーん……」

 自室で、ソラは机に向かって唸っていた。

 机の上には何枚もの紙があり、事細かに様々な内容が記述されている。

「こりゃ……難しい」

 何がそんなに難しいのか。

 それもそのはず、ソラは今まで誰かに何かを教えるという経験が少なかったにも関わらず、いきなり手のかかる生徒が二人もできてしまったのだから、悩まないわけがない。

 リーシェには、初等中等レベルの理科の授業。システィには、極限まで噛み砕いた魔力のお話だ。

 特に理科の授業は、ソラの記憶が曖昧なために苦戦していた。しかしソラは「いい加減なことは教えられない」と必死に頭を捻って授業内容を考えている。

「ふぅ~……こんなところか」

 ソラは椅子にもたれかかって、大きく伸びをする。

 朝食後、午前中をフルに使いやっとの思いで授業内容をまとめ終えた。

 ソラは一日刻みで二人の授業をしているので、授業のない日はこうして時間を見つけて授業を一から考えて予めまとめているのだ。

「よーし。ちょっぴり忙しいけど、良い発見があったぞ」

 そう呟いて、自室を出るソラ。そろそろ昼食の時間のため、準備をしなければならない。

 授業準備は少々煩わしい作業だと本人も思っているが、基礎を見つめ直す良い機会でもある。今回ソラは、リーシェの授業を考えている時にあることを閃いたのであった。


 昼食を終え、またもソラの自室。

 早速、ソラは午前中に発見したことの実験に取り掛かっていた。

「――オッケーオッケー! やっぱりな」

 実験の際は普段よりテンション高めである。

 この男、一体何の実験をしているかというと――意外、それは“電気”。

 スタンガン魔術で散々お世話になっている電気。

 この電気を発生させる魔術を、更に掘り下げていたのだ。

 何故そうするに至ったのか。それは、リーシェ用の理科の授業で取り扱う予定の“電子”についてまとめていたことが発端であった。

 そもそも電流とは、電子の移動である。

 ソラは、森のログハウスでスタンガン魔術を開発した際、そのことについてすっぽりと頭から抜け落ちていた。

 よって、ほわほわとしたイメージの中でスタンガンを繰り出していたため、細かい電圧・電流の調節ができずにいたのだ。

 しかし、今回。特別に“電子”を意識して電気魔術を試してみた結果――。

「驚く程すんなり出来るようになった……」

 細かい電圧・電流の調節が瞬時にして可能となった。

 まるで川の流れを塞き止めていた障害物がまるっと取り除かれたように、知識と魔術が綺麗に繋がったのだ。

「実現力というものが益々分からなくなったな……もしかすると、魔術を使う時の意識が実現力発揮のポイントなのかも」

 顎に手を当てて、ぶつぶつと呟くソラ。

 一頻り考えた後、「あっ」と言って指をぱちりと鳴らした。

「スマホ!」

 ソラは鞄に駆け寄って、その奥底から電源が入らずどうしようもなかったスマホを取り出す。

「いけるかな……? 確か、急速充電が5VボルトAアンペアだったっけ……? あーっ、思い出せん……」

 日本にいた頃の、朧げな記憶を蘇らせる。

 そして、スマホを机の上に置くと、覚悟を決めた。

「…………ままよ!」

 ソラのスマホはワイヤレス給電対応のため、周囲に規格通りの磁束を発生させれば、充電が開始される筈である。

 ソラが手をかざしてイメージすると、スマホの直ぐ近くで、どんどんと磁束が形成されて行った。

 ソラが電子を意識できている今、ソラの実現力はフル稼働で絶大な効果を発揮し、あやふやな磁束のイメージであっても、ソラの脳内をオートでサルベージして、最大限理想に近い磁束へと形作っている。

 実現力が強く、知識量が多いということが、如何に恐ろしいことか。最早、意識次第では不可能はないと言えるかもしれない。

「……ん、んー?」

 勿論目には見えないため、磁束を発生させることができているか分からないソラ。

 電磁誘導が起き、充電が始まるまで、集中して魔術を持続させる。

 2秒、3秒と経ち、5秒が経とうとした時。

「き、きたっ!」

 スマホの画面中央に、馴染みのアルファベットが浮かんだ。

 ――見事、成功であった。


「……うわー……懐かしい」

 ソラは数十分ほどスマホを充電した後、懐かしのハイテクを心ゆくまで味わっていた。

 写真のフォルダを見ると、そこには両親や妹、友人や研究室の先輩後輩の姿があり、背景の実家や大学、コンクリートビル、夜のネオン、自動車、テレビなど、全てが懐かしい思いであった。

「あっ、これも懐かしいなぁ……」

 ソラはよく遊んでいた将棋のアプリを開いて、分かってはいたのだが、落胆する。

 対戦相手を探す――という機能は、使えない。

 勿論、インターネットなど繋がるわけがない。

 カメラや簡単なゲームアプリなどのインターネットを用いないものの機能は生きているのだが、役に立ちそうなものはカメラくらいのものであった。

 ソラは味気のないCOM相手に将棋を指す。

 2局ほど虐めたところで満足し、アプリを閉じた。

「他には……お」

 何か面白そうなアプリはなかったか――そう思いフォルダを漁るソラの目に飛び込んできたものは、升目に数字という分かり易いアイコンをした、何とも愚直な名前のお馴染みのアイツ、その名も『数独アプリ』。

「よく電車でやったなぁーこれ!」

 ソラはまたもや懐かしい気分になり、数独アプリを開いた。

 全150問と無料アプリの割にかなりボリューミーな内容で、暇な時に電車で解いていたソラ。続きの72問目を選択すると、数独の画面に切り替わった。

「ここでしょ……んで、ここでしょ……うーん、ここは……」

 パッと目についた箇所を埋めて、次を考える。

 すると、「ここ、ここ」と呟きながらスマホをつついているソラのもとに、突如一人の来客が現れた。

 いきなり開いたドアに驚いて振り返ったソラ。そこには、全身防備の仮面少女、ミトの姿があった。

「あっ、ミトちゃんか。やあ、いらっしゃい」

 ソラはスマホを机の上に置いて、ミトを歓迎する。

「…………」

 ミトは無言のままソラに歩み寄ると、ソラを一瞥した後、机の上のスマホに興味を示した。

「……これ、なに?」

 スマホを指さして、そう言ったミト。

 普段喋らないうえ、急に喋り出したため、ソラはびっくりして暫し固まってしまった。

「あ、ああ、これは数独って言って……数字のゲームだよ」

 気を持ち直してそう答えたソラは、ミトは数独について尋ねたのではなくスマートフォンそのものについて尋ねたということに気がついていない。

 ミトはソラの返事を聞くと、スマホの画面を覗き込んだ。

 10秒……20秒……。

 じーっと、画面を覗き込んだまま、動かない。

「ミトちゃん、数字は知ってる?」

 ソラは、きっとアラビア数字が分からないのだろうと思い、そう言った。

 こちらの世界でも、アラビア数字に似た十進記数法の数字が存在する。よってミトがこちらの世界の数字を知っていれば、アラビア数字を教えることは簡単だ。

 ミトはソラの質問に、こくりと頷いた。

「……でも、よくしらない」

 よく知らないと言うのは、数字を読めるだけで計算方法については知らないということか――とソラは想像する。

「大丈夫だよ。えーっと……それじゃあね、これが“1”で――」

 ソラは紙を用意して、こちらの世界の数字と、アラビア数字を照らし合わせながら書いていった。

 ミトは、興味深げにそれを見ている。

 ――――これが、運命の出会いであった。


「…………」

 ソラは絶句していた。

 つい先ほど、アラビア数字を教えたばかりの少女が、四則演算の問題をすらすらと解いているからだ。

 元より四則演算を知っていたのかとも疑ったが、それにしてはアラビア数字を使いこなしすぎている。

 たった一回。

 たった一回だけアラビア数字を教えただけなのだ。

 にも関わらず、いや、もし元より算数を知っていたとしても。

 その計算スピードは、尋常ではなかった。

「……できた」

 ソラの出題した10問を瞬時に解き終えると、くるりとソラの方を向いて、そう告げるミト。

 ソラは直感した。

 ――この子は、天才かもしれない。

「ミトちゃん……これ、やってみる?」

 試しに、数独を与えてみることにしたソラ。

 ミトはスマホの画面を見ると、こくりと頷いた。この部屋に来てから、ずっと興味があったみたいだ。

 ソラがスマホを差し出すと、ミトはおそるおそる両手で受け取り、画面を見据えた。

 5秒後、どうすればいいの、といった感じでソラに視線を送るミト。

「あ、それは、画面をタッチして……ああ!」

 ソラはスマホの使い方を教えようと思ったところで、ミトの様相に気が付いた。

 ミトは厚手の手袋をしているので、スマホの画面を触って操作することができない。

「ごめんね。それじゃあ……こうしよう」

 慌てて案を出すソラ。

 紙を広げると、そこに9×9のマス目を作り、アプリの72問に書かれている通りの数字を入れていった。

 何故、1問目から始めないのか。それは、ソラのミトに対する期待の表れである。

 ソラは紙に書き写し終えると、ミトを椅子に座らせた。

 ……少し、座高が足りない。

「これは数独って言って、この3×3マスの中の数字、それと、縦の列、横の列の数字は被っちゃいけないってルールだ。分かるかい?」

 自分でも少し言葉足らずだと思うレベルの説明をするソラ。

 ミトはそれだけで理解できたようで、こくりと頷いた。

 座高の合わない椅子から、両手を机に乗り上げて体を支えながら数独とにらめっこをするミト。

 一分ほどそうしていると――突如、ミトの左手が動いた。

 どうやら、マス目の欄外に数字を書き連ねているようである。

 ソラは、一体何をしているんだろう、と疑問を持った後。

「…………っ」

 すぐに、察しがついた。

 ――“場合の数”だ。

 ミトという少女は、初見の数字で、初見の数独で、誰に言われるでもなく、場合の数という発想に至ったのだ。

 紛れもない――天才。

 ソラは戦慄を覚え、何故だか笑みが止まらなかった。

 ソラがそんなことを考えている間に、ミトはソラでさえ苦戦する数独をわずか5分足らずで解いてしまった。

「……おもしろい」

 解き終えて、一言。ミトがそう漏らした。

 振り返り、催促するように上目遣いに見つめる仮面の奥の瞳は、好奇心に赤く輝いているような、そんな錯覚を受けたソラ。

「…………よし、ミトちゃん。君に、数学を教えるよ」

 才能は、開花させるべきである。

 ソラは決意し、紙に数字を書き連ねていった――。


 小数点、分数、単位、図形、一次方程式などなど……。

 午後、夕食までに持てる時間を最大限使って、ソラはミトの数学教育に勤しんだ。

 とは言っても、ソラが最低限のことを教えるだけで、ミトは勝手に理解し、勝手に発想し、勝手に飛躍して行った。

 今は、ソラに少しヒントをもらっただけで、一次方程式のグラフを書くという発想に至ったようである。

 この少女、このまま数学を教え続けたら、一体どこまで成長して行くのだろうか――と、ソラは空恐ろしくなった。

 そこへ、コンコンコンとノックの音が響く。

「――兄さん、いらっしゃいますか?」

 リーシェが、夕食の時間帯になっても降りて来ないソラを迎えに来たようだ。

「ああ、ごめん。今行くから、食堂で待ってて」

「かしこまりました」

 ドアを開けないあたり、兄の作業を邪魔すまいというリーシェの気遣いを感じるソラ。

「ミトちゃん。そろそろ、晩ご飯だよ。下に行こう?」

 机に齧り付いてグラフを書いていたミトを、現世に呼び戻す。

 ミトは丁度切りの良いところだったらしく、意外とすんなり鉛筆を手放した。

 そして、くるりと回転してソラの方を向き、

「……ソラ。ありがと」

 とだけ告げて、椅子から降り、部屋を去って行った。

「うん。どういたしまして」

 去り行くミトの小さな背中に、そう告げる。

 ソラは、そんなミトの姿を、何だか愛らしく感じた。


「――そ、ソラ君。それは……っ?」

 夕食時、ソラの左側に座ったネガロは、ソラの持つスマートフォンを見て、そう漏らした。

「これはスマートフォンと言って……えーっと……」

 勿論、説明に困ってしまうソラ。写真を撮ろうと思い持ってきたのだが、安易な考えであったか。

 ソラの話を興味深げに聞いているのはネガロだけではなく、リーシェとシスティもそうであった。やはり、こちらの世界ではスマートフォンは行き過ぎた技術のようである。

「上手く話せませんが……いずれ」

 ソラとしても、リーシェとシスティの2人は勿論のこと、ネガロにも隠す理由は特にないので、頃合を見て話そうと思い、そう言った。

 ネガロは「いやあ、興味が尽きないね」と、ソラのいずれという言葉にご機嫌の様子である。

 そこで、ぽつりと。

「……すうどく」

 ミトが喋った。

 全員がぎょっとした顔でミトを見る。

 それもそのはず、今まで数回あった食事の団欒で、ミトが喋ったのは最初の一回だけであったからだ。

「すうどく……?」

 疑問の声を上げるネガロ。

「数独って言うのは、これに入ってる機能で、数字のゲームみたいなものです。さっき一緒に遊んでいたので……そのことを言ってるんだよね、ミトちゃん?」

 ソラがフォローを入れると、ミトはこくりと頷いた。

 ネガロは「えっ!?」という顔をして、固まった。

「……すうどく、おもしろい」

 ミトはソラの方を見て、ネガロの方を見て、そう言った。

 ネガロは更に「ええっ!?」という顔をして、混乱した。

 ミトが自発的に他人の部屋に行き、一緒にゲームをして、そのうえ「おもしろい」などと言う……それは、ネガロに天地がひっくり返ったのではと思わせるほどに驚愕の事態であった。

「ネガロさん……どうしました?」

 ソラが、ネガロのおかしな様子を見て、そう尋ねる。

「あ、ああ。すまない……少し、気分が優れなくてな。部屋に戻るよ」

 ネガロはそう嘘をつき、そそくさと食堂を後にした。


 自分の研究室に篭もり、いつもの椅子に腰掛けて、腕を組み思い悩むネガロ。

 彼女は感じた。

 ミトは、ソラに懐きつつある――ということを。

 しかしながら、ネガロはそれを素直に良しとはできなかった。

 そうできない懸念があった。

「ソラ君は、悪い人ではないが……」

 ミトのことを考えると、どうしても不安が勝ってしまう。

 あの頃のことを、思い出す。

 ――それは、ネガロが元居たエルフの村を出ることになった原因。

 ――ミトが、あまり喋らなくなった、原因。

「……もう暫く、様子を見よう」

 自分には、どうすることもできない。

 せめて、ミトがこれ以上傷つかないように――そう思うネガロの目は、悲しさに濡れていた。



―――



「――カーナ様。彼を、消しましょう」

「いい加減、監視が辛くなったと言うのかい?」

「いえ、そんなことは。しかし、芽は早いうちに摘み取るべきです」

「そんなことをしてごらん。同胞に消されるよ、アガロス」

「……ですが」

「そうだね。彼が魔人であることは、確定だ。それは同意しよう」

「ならば……っ」

「しかしながら、君は一つ勘違いをしている」

「……どういうことでしょうか」

「魔人と言うのはね、三大天使様たちの遊戯でしかないのだよ」

「そ、それは」

「君のように真面目な姿勢も大変良い。だが、それでは三大天使様たちが満足しないのさ」

「しかし、三つの至宝を守らねば……!」

「それさえ、遊戯なのだよ。あと少しで、セラ様がお目覚めになられる。はは、面白くなってきそうじゃないか。君は、それまで彼を監視だ。あわよくば育成してくれたって良い」

「……カーナ様は、それで良いのですか」

「楯突くなあ、アガロス――ソロネ様に報告しておこう」

「っ……ただ、これだけは申しておきます」

「何だ」

「恐らく……至宝の一つは、既に彼の手中に。もう一つの至宝にも、近づきつつあります」

「はっはっは! 面白いじゃあないか」

「カーナ様! これが、どういう事態か……!」

「確かに、ここ一千年程、二つ以上の至宝に触れた者はいない。でも、それがどうしたと言うんだ? 彼が我々に勝てるとでも?」

「危機を未然に防ぐということです!」

「だから、何度言えば分かるんだ。そうすれば、同胞が黙ってはいない。今、我々九天使は千年ぶりの盛り上がりをみせているのだ。最早、祭りと言っても良い。アガロス、君は、祭りを潰すおつもりか?」

「…………分かりました。しかし、いずれ、後悔する時が来ましょう」

「是非、来て欲しいものだな……」


 一人は、地面を蹴り。

 一人は、忽然と。その場から姿を消した。


 お読みいただき、ありがとうございます。


 徐々にストーリーが動き出してきました。


 次回は、一年後です。



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