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誇るべき王

作者: 綾羅

 青年は、地に膝をついて震える男の首筋に、手にした剣の切っ先をつきつけた。

 「こっ…降参だっ……!!頼む、兵を引け…命だけは…ッ!!」

 必死に手を合わせて蹲り、助命を請う男を見下ろして、彼は小さく吐息を漏らした。

 こんな腰抜けに、この国は支配されていたのか。

 今更、アンシャンという名の小国の新たな王として父の信念を受け継いで反乱を起こし、わざわざメディア王朝に宣戦布告して真っ当な勝負を挑んだことが馬鹿らしくなった。

 もっとも、アンシャンでは王族であっても民と大して生活は変わらなかった。民と共に畑を耕しながら、民と共に生きた。

 キュロス自身も幼い頃は平民の子供たちと身分の差など全く感じずに遊んでいたのだ。父であるキュロス一世も、一度も咎めることはしなかった。

 それでも、メディアの高圧的な支配には、寛大な父であれど激怒した。だから、卑怯な真似はせず、正面から独立運動を起こしたのだ。

 「只今より、ペルシャの地は我らの領有するもの!!この戦、我らの勝利、即ちメディアの終焉をもって終戦を迎えることをここに宣言する!!」

 剣を天に掲げ、声高らかに勝どきをあげる男たちを、微かな笑みをたたえて見回す。皆、それぞれの意思で自分に協力してくれた、顔馴染みの同志たちだった。

 「キュロス!!我らの王になってくれ!!」

 「そうだキュロス!!貴方こそ、我らの王だ!!貴方になら、どこまでも着いていく!!」

 「キュロス!!キュロス!!」

 彼は苦笑しながら同志たちを眺めた。

 本来俺は、だいぶ前から正当な継承権をもつ一国の王だったんだけどな。

 彼は目を伏せ、ふっと息を漏らして、いきなり顔を上げた。その表情にはもう、欠片の笑みも残っていない。

 「俺に着いて来られる奴は、着いてこい」

 男たちの雄叫びが、勝利の空気を震わせた。




 「王子様!!カンビュセス王子様はいずこー!!」

 「カンビュセス様!!いらっしゃいませんか!!」

 従者が走り去るのを物陰に隠れてやり過ごしながら、つと舌打ちする。


 王子様王子様と騒ぎ立ててばかりで、私のことが何も見えていない臣下が一体何人いるか知れたものではない。もううんざりだ。


 カンビュセスはそっと中庭に抜け出した。



 「それで、また飛び出して来たのですか?そのようにおいたばかりしていては、立派な王になれませんよ?……まぁ、そういう破天荒なところは、王様にそっくりだけれど」

 「母上!!」

 皇后殿まで走ってきたカンビュセスは、従者に追われていることを皇后に話しながら尚もいらいらと足踏みをした。

 「はいはい、もうお戻りなさい。もうすぐ剣のお稽古が始まる刻ではないのですか?」

 「私はまだ参ったばかりです!!母上は私がお嫌いなのですか!!」

 「まさか、そんな筈はないでしょう。ですが、王様は王宮の中を散策なさる傍ら、毎日皇后殿にいらっしゃるのですよ?もうそろそろ午前のお仕事を終えられて散策をお始めになる刻だけれど、それでも宜しくて?」

 「そのようににっこり微笑んで茶目っ気たっぷりにおっしゃるあたり、母上が楽しんでいらっしゃるようにしか見えないのですが、私の気のせいでしょうか」

皇后は一瞬きょとんとしたもののすぐにまた白い歯を見せて、

 「ええ、気のせいですとも。さ、もうお行きなさい。剣術の先生がお待ちかねですよ」



 「王よ、お次はどちらに参りましょう」

 「皇后殿に行く」

 「かしこまりました。…ああ、王よ、カンビュセス王子様があちらに走っていらっしゃいます。従者は一体何処へ…?」

 「大方また一人で抜け出してきたのだろう」

 にこりともせずにそう言うと、キュロスは今しがた息子が飛び出して来たばかりの皇后殿に足を向けた。




 「最近、特に人使いが荒いと思わないか」

 「全くだ。何故リディアを討ったばかりなのに、その足で新バビロニア討伐へ向かうなどと言い出すんだ。おかげで将軍たちも布陣や隊列配置を組み直すのにてんてこ舞いだそうじゃないか」

 「だいたい、兵を休ませずしてどう戦おうというのだ」

 「今に大量に兵を失って敗走するぞ」

 「つくづく迷惑な話だ」

 宮殿の方を見ながらぶつぶつ言っているのは、下層の民の中からキュロスが行政の才能を見極めて高官として採用した臣下たちだった。


 まただ。

 やっぱり父上は、臣下からも嫌われている。

 あんな、臣下のことを大事にしない王は、嫌われるんだ。

 私は絶対に父上のような王にはならない。

 どの兵にも文句を言わせないような戦をしてやる。

 どの最下層の民にも苦労をさせないような政治をしてやる。


 カンビュセスはじろりと宮殿を一瞥すると、中庭に向かって駆け出した。




 「王よ、そろそろお休みになられませんと」

 アケメネス朝建国時から同志として傍で彼を支えてきた長官が流石に見兼ねてキュロスに声をかけたのは、23刻をとっくに回った頃だった。

 「……長官、まだいたのか」

 「……お気付きではなかったのですか……」

 びっくりまなこで顔を上げたキュロスを見て、長官は覚えず嘆息を漏らした。

 キュロスは再び机に視線を落として言った。

 「俺のことは良い。長官は帰って休め。俺にとってはここが家だ。常に家で趣味にいそしんでいるのとそう変わらん」


 「ですが、私には王のお仕事をお助けする使命があります。王より先に休ませていただく訳には参りません」

 「別に仕事だとは思っていない。俺は好きでやっているんだ。お前がそんなに言うのなら……では命令だ。長官、帰って休め」

 「あ……」

 長官も、こう言われては反論しようがない。

 「ご、ご命令には従いますが……王もお早めにお休みください。お体に障ります」 長官がどうにか返した言葉も、筆を動かし続けるキュロスの耳にはもう届いていなかった。


 「地方の痩せた土地の民にとっては、今の税率では生活が脅かされるな…。では幾らなら……」

 俺が子供だったころ、どれくらい豊作なら税を納めても皆が腹いっぱい食えただろう。

 自室で一人手元の小さな灯火を頼りに、キュロスは政策を書いた粗末な板切れと睨めっこしながら筆を動かし続けた。


 「…………」

 長官の右に控えている政務官、今日も一日中嫌そうな顔をしていたな。

 左端にいる若い将軍も。

 「……何を今更」

 前からずっと、じゃないか。

 臣下に幾ら嫌われても、民の為に倹約すると決めたのは自分だ。

 だから…倹約令を出したときから…分かってたことだから……。

 ああ、今日は駄目だ。

 握った拳がわなわなと震えた。

 「王がこんなに弱くてどうするんだよ……?民の為に良い政治をするのが、俺の仕事じゃねぇか……」

 別に、臣下に嫌われてたって困らないだろう……?

 幾ら抑えようとしても、一人になるとこの感情だけはどうにもコントロール出来なかった。

 

 ただ、良い国にしようと必死に考え抜いた政策を、一番近くで働いてくれている筈の臣下たちに理解してもらえないのが、どうしようもなく悔しかった。

 全ての命令を、それぞれのことを良く考えた上で出していることに気付いてもらえないのが、……悲しかった。


 大国の王は、王としてあまりに優しすぎた。


 何を女々しいことを考えているんだ、俺は。

 王に私情は必要ないだろう。

 彼は再び筆を取って、もう10年以上使っているぼろぼろの机に向かった。



 「お、王子様!!何処で何をしていらっしゃったのですか!!」

 「何でもない。ちょっと野暮用」

 「はぁ……もう何年も前から申し上げておりますが、私が侍女長様からお叱りを受けることになるのです!!お願い致します、何もおっしゃらずに何処かへお行きになるのはお止め下さい」

 「そう言えば」

 「はい?」

 「なんで侍女じゃなくて従者の、しかも男のお前が、侍女長に叱られるんだ?」

 「侍女の一部と従者は、カンビュセス様のお世話係という点で仕事が類似しているので、管轄が侍女長様になっているのです」

 カンビュセスとあまり年の変わらない従者は、ぶるりと身震いして付け加えた。

 「鬼のように恐ろしいのですよ、侍女長様の雷は」

 「ふーん……」

 「カンビュセス様はご存知ないですからそのように平気なお顔がお出来になるのですよ!!……ですが、本当にもうお止め下さいね?神がお手元へお召しになったお母上様も、きっとお心を痛めておいでですよ」

 「……ん」

 「きっとですよ?」

 「わかったわかった」

 従者はようやく笑顔を見せて、おやつを用意して参りますので暫しお待ち下さい、と言って一礼し、踵を返しかけた。


 「伝令!!伝令ーッ!!」

 突然の大音声にびくりと肩を震わせ、カンビュセスと従者は観音開きの扉を見つめた。

 「何事だ」

 「使者がお目通りを願っております」

 「構わん。通せ」

 走り込んできた使者は泥まみれで、身体中にまだ新しい擦り傷や切り傷があった。

 「申し訳ございません……王子様……ッ!!」

 「一体何があったというのだ」

 「お父上様が……キュロス二世大王様が、カスピ海東方の遊牧民、マッサゲタイ人の討伐中に…………お亡くなりになりました……」

 「……え……?」




 「我らの偉大なる王に、敬礼!!」

 大将軍の号令で丈夫たちの右手が額の前に掲げられ、棺の蓋が閉められる。

 別に泣きはしなかった。泣きそうにすらならなかった。

 偏に、この形ばかりの儀式が早く終わらないだろうかとだけ考えた。

 皆に嫌われた王。

 だが、王である故に、臣下たちはいくら嫌っていたとしても沈鬱な面持ちで葬式にのぞまねばならない。


 「なさることは破天荒そのものだったが、尊敬していた。もし私が死んで生まれ変わったら、もう一度貴方に仕えたい」

 若い将軍が小さく呟くのを聞き、長官が俯いて肩を震わせるのが見えた。


 嘘だ。

 その言葉も感情も、全部嘘だ。

 父は、死んで臣下に悔やまれるような王ではなかった。

 臣下たちが何度父の陰口を言っているのを聞いたか知れたものではない。

 そんな暴君の為に流す涙がどこにある。

 あの若い将軍も、いつだって父のことを何の感情もこもらない目で見ていたじゃないか。


 ようやく儀式が終わった途端、カンビュセスは周りの人を押し退けてさっさと自室に帰った。


 実の父じゃないか。


 誰かが諭すように言った気がしたが、欠片も心に響かなかった。

 

 実の父だから何だというのだろう。

 悔やんで欲しかったら、もっと息子や臣下に尊敬されるような生き方をすべきだったのだ。

 そうすれば、皮肉を投げつけられることもなかっただろう。

 父上、全ては貴方自身の責任だ。


 「何で私は……こんな奴の息子なんだ……ッ!!」

 机に拳を激しく打ち付ける。込み上げる怒りを押し殺そうと、彼は一人で必死に抗い続けた。




 「王よ、ヌビア遠征の布陣の件ですが…」

 「うう……ちょっと待ってくれ…………」

 思い返せば3年前、初陣でエジプトをおとすという大きな手柄をたてて帰ったときも、少しの休みもとれないまま行政についての書類を片付けるのに追われたものだった。

 もう王座について9年目になるが、この忙しさには少しも慣れることがない。

 「正直、これからも遠征を続けるのはどうかと思うのだが……」

 「柄にもないご冗談を…。さ、西側の陣形はどう致しましょう」






 「総員、抜刀!!」

 「進めぇぇぇッ!!」

 わっ、という雄叫びと共に兵団同士がぶつかり、激しい火花を散らす。


 「勝負だ、カンビュセス二世」

 見ると、相手方の総大将が一騎討ちを求めてすぐ傍までやってきている。

 彼はゆっくりと腰の剣を抜いた。



 「どういうことだ!?神官が王弟を…!?」

 「国民もかなりの割合で支持している模様です!!このままでは王宮の信用が失われ、国の存続も揺らぎかねません!!大将軍閣下、ご指示を!!」

 「ええい、王にまだ伝令はいっていないのか!!」



 「王様!!」

 「痴れ者が!!王同士の一騎討ちを邪魔立てするとは!!」

 「し、しかし!!恐れながら申し上げます!!ガウマータなる神官が、突然キュロス前王の弟君、即ち正式な王位継承者であると発表し、それを信じた民草が大挙して王宮に押し寄せ、大変な騒ぎになっているとのこと!!すぐにもお戻り下さい!!このままでは、カンビュセス様の王座が危ぶまれます!!」

 「どのようにして戻れと言うのだ!!我が身可愛さに今この戦いを放棄する訳にはいかぬ!!長官を至急ペルセポリスに戻し、一先ず民草の暴動が収まるよう対応させよ!!」

 その時、黙って聞いていた相手方の総大将が口を開いた。

 「己が国へ帰るがいい、ペルシアの王よ」

 「貴様、それはどういう意味だ!!」

 「待て、そう熱くなるな。我ら、互いが一国の主。本国の情勢が安定せずして、どうして戦など出来ようか。俺は貴国の暴動に乗じて勝ちをさらうような真似はしない。それはこちらの信念に反するのでな。それ故、勝負はまたの機会に。……全軍、引け!!引けぇぇい!!」

 カンビュセスはただ目を見開いたまま、言葉を返すことも出来ない。

 彼は馬を駆り、カンビュセスに背中を向けたまま静かに言った。

 「父君を誇るが良いぞ。我が王道は貴公の父君の逸話を人伝に聞き、感服させられた故生まれたものだ。かのキュロス二世大王のご子息と渡り合う好機に巡り会えたことは、俺にとってこの上なき誉れだ」

 「き、貴公!!それは…」

 カンビュセスの言葉が彼を振り向かせることはなかった。




 「キュロス大王様のご子息といっても、大したことはなかったな。あの暴君、まだ牢に繋がれているのか?」

 「もうとっくにペルセポリスから追放されたらしいぞ」

 「一体何処へ流れて行ったんだか」

 「さあな。知るだけ無駄だろう」




 私は何故、こんな所にいる……?


 悪しき神官に王座を奪われて、都から追放された。

 都以外に身寄りがあるわけもなく、着の身着のままで放浪した。

 その果てにこの大草原に辿り着いた。


 ここは、最後の戦に挑んだ地。

 あの敵方の総大将の誠意に応えることは叶わなかった。

 ……素晴らしき王道を貫いて見せた、かの王の言葉を、この場所で聞いた。

 「……父上が」

 散々嫌って、数限りなく罵倒した。

 最期の別れの日には声に出して罵った。

 私は何故こんな奴の息子なのか。

 確かにそう言った。



 そして、王位を継いで、父の政策を片っ端から改革した。


 臣下に対する過剰な倹約令を解除した。

 税率を以前の数値に戻した。

 臣下たちが文句や陰口を言うことはなくなった。

 

 だが、民草は。

 思えば、何処の地を視察しても、痩せ細った孤児がいた。その度に側近に食べ物を与えるよう命じた。

 …その場逃れをした。


 私の政策は、臣下たちには良い顔をし、民草の貧富の差を広げて飢饉による死者を増やしたに過ぎなかった。

 

 父は、身近な臣下たちに嫌われても、皆が幸せを得られる政策をした。

 王位を失脚し、ふらりと通りかかった先々で、崩御から既に10年近く経つにも関わらず、未だに轟く父の名を聞いた。

 彼らは口々に言った。

 あんなに素晴らしい王はいない。

 しばしば使者づてに私たちの要望を聞き、いち早く政策に反映してくれた。

 民草の様子を、本当に良く見ていらっしゃった。

 キュロス大王様は、私たちの誇りだ、と。




 知っている。

 今更悔やんでも、もう遅い。

 「私は……」

 尊敬すべき父を持った。

 今までその事実から、その幸せから目を背けて生きてきた。


 夕暮れの草原で、カンビュセスは一人瞼を震わせる。

 頬を水滴が伝っていく。


 父は、誇るべき王。

 自分は、愚かな王。



 静かに胸に手をあてる。


 悔やみ続ける人生を、父は良しとするだろうか。



 私は……俺は、父に認めていただくことに、この命を費やそう。

 いつか俺が貴方の元に行ったとき、思い切り叱って、思い切り抱き締めていただけるなら、俺はそれ以上何も望むまい。

 だから、父上。



 跪いたまま涙するカンビュセスの背後に、彼に良く似た青年の背中が微かに映った。




 「それ、倉に運んでおいてくれるか?」

 「わかった。右の奥の棚に置いておけば良いか?」

 「ああ、頼むよ」

 籠を担いで駆け出した若者は、人当たりが良いうえに働き者だと集落中で評判だ。


 集落の人々には隠さざるを得ない過去を持つものの、立派に自立し、自らの手で生計をたてている。



 王都のあの神官は、暗殺されて王座につくことはなかったと、風の噂で聞いた。それも、今の彼にはもう関わりのない話だ。



 畑に戻って再び鍬を振り始める。遠くから青年を呼ぶ声がした。

 「おーい!!昼飯にするぞ!!」

 「おう!!今行く!!」

 鍬を置いて汗を拭った青年の笑顔が、まばゆい夏の日差しの中にはじけた。



世界史の授業でアケメネス朝ペルシャのキュロス二世とカンビュセス二世が出てきたとき、

「これはキャラ立ってる!!」

と思って書きましたww

楽しんでいただけたら嬉しいです。


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