表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/8

花火

ブログにてパスワードつきで公開していた、電子書籍版「撞着する積木」特典SS(3/3)です。

 

 

 

 夜空に大輪の花が咲く。

 花火大会の最初を飾る一発に、展望台のあちこちから歓声が上がった。

 少し遅れて夜風をぬってきた重低音が、腹の底を震わせる。


「三キロ、てところか」

「三キロぐらいですね」


 朗の囁きに、傍らの志紀が即座に応答してくれた。満ち足りた心地で志紀を見やった朗の耳に、背後からとんでもない声が飛び込んでくる。


「今の音、何? 打ち上げ失敗?」

「どんっ、っていったよね。事故だったらヤバいんじゃない?」


 思わず眉間に皺を寄せる朗に、志紀が苦笑を向けた。その滑らかな頬が、二発目の花火に鮮やかに照らされる。

 続いて、三発目、四発目。こうなると、打ち上げの音は全く気にならなくなり、暴発だの大惨事だの騒いでいた後ろのカップルも、キャッキャキャッキャと無邪気にはしゃいでいる。


「光と音の速度については、義務教育期間に習うはずだろう」


 憮然と呟く朗の横で、志紀がくすりと笑った。


「雷が光ってから三秒以内に音が聞こえたら、すぐに家に入れ、って、子供の頃に親によく言われました」

「一キロ以内、か。賢明な親御さんだな」


 志紀の口元が柔らかくほころぶのを見て、朗は静かに息を呑んだ。口の中に溢れてきた唾を、音がせぬようそっと嚥下する。


 


 結局、行きの車の中では、二人はまともな会話を交わすことができなかった。

 確かに、他の女と見間違えられては、さしもの志紀とて傷つくだろう。逆に、彼女が他の男と朗を見間違えたら、と考えると、志紀の怒りは朗にも充分に理解できた。

 もしもそんなことが起きようものなら……、二度と間違えたりしないよう、しっかり彼女に思い知らせてやらねばならないだろう。花火も夕食もあとまわしにして、どこか邪魔の入らないところで、僅かな指の動きにすら朗の存在を感じられるように、じっくりと、身体の隅々にまで教え込むのだ。


 


 ごくりと喉を鳴らしてから、朗はちらりと右を窺った。

 カリウムだろうか、紫色の光が、志紀の白い頬を淡く浮かび上がらせている。次はナトリウムか。つい炎色反応に意識を向けようとしてしまうのは、湧き上がる欲望を誤魔化そうとしての措置だろう、と、朗は自己分析した。

 黒い浴衣からすうっと伸びるうなじ。結い上げられた髪の先が、まるで朗を誘うかのように、白い肌を背景にゆらゆらと揺れている。後れ毛も艶めかしい襟足に唇を這わせれば、一体どんな声が漏れるのか。そのまま耳へと攻め込み、身八ツ口から手を差し入れ、柔い双丘を思う存分に弄べば、彼女はどんな声で啼くだろうか。


『放してください!』


 車中での志紀の声が耳元に甦り、朗は思わずこぶしを握り締めた。


 ――銅、カルシウム。ストロンチウム……いや、リチウム、か。


 花火を凝視してゆっくりと深呼吸を繰り返すものの、ひとところに集まった熱は、なかなか散ってくれそうにない。

 と、誰かに押されでもしたのか、志紀が朗のほうへ倒れこんできた。

 咄嗟に受け止めれば、志紀を背後からホールドするような体勢になった。なってしまった。


「すみません」

「人が増えてきたからな。仕方がない」


 仕方がない。おのれに言い聞かせるように、朗は口の中で繰り返す。


「あ、あの、もう大丈夫ですから」

「そうか」

「えと、だから、その、手を……」

「このほうが、余分な場所を取らなくてすむ。公共の利益に適っている」


 志紀は、何か言いたそうに朗を見上げていたが、辺りがまた明るくなったのを見て、再び花火会場を振り返った。


「ホウ素か」

「……バリウムじゃないですか?」


 打てば響くような受け答え。

 朗はそっと口角を上げた。

 暗闇をいいことに、慎重に両腕に力を込め、じわりじわりと志紀を引き寄せる。そのまま艶やかな髪に口づけを落とそうとした、まさにその瞬間、険を含んだ囁き声が、朗の耳を貫いた。


「こんなところで、変なことしないでくださいよ?」


 苦渋の唸り声一つ、朗は身を起こした。

 ここは、大人しく引き下がっておいたほうがいいだろう。ホテルに連れ込むことさえできれば、あとは朗のターンだ。三面六臂もかくやのわざで、またたく間に彼女をベッドに組み敷いてみせよう。


 ――問題は、志紀がそこへ行くことを承諾してくれるか、だ。


 朗は、半ば絶望的な心地で空を仰いだ。

 ナトリウムの黄色い光が、漆黒のキャンバスに花びらを散らした。

 

 

 

    〈 了 〉


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
 
web拍手 by FC2
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ