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喧嘩

ブログにてパスワードつきで公開していた、電子書籍版「撞着する積木」特典SS(2/3)です。

 

 

 

「すまなかった」


 不穏な空気に耐えかねたのだろう、朗がとうとう路肩に車を停めた。志紀のほうに身体ごと向き直って、本日三度目の謝罪の言葉を、一音ずつ噛みしめるように吐き出す。

 夕闇に沈む郊外の幹線道路、朗の車のすぐ脇を、轟音をたてながらダンプカーが走り抜けていった。


「もういいです」


 騒音が遠ざかるのを待って、志紀は少し唇を尖らせながら返答した。すまない、悪い、許してくれ。薄っぺらい言葉ばかりを積み重ねられても、虚しさがつのるばかりだ。


「私が悪かった」

「だから、もういいですって言ってるじゃないですか」


 言葉を返せば返すほど、いらいらがつのっていく。朗を一顧だにしないまま、志紀は溜め息をついた。


 


 花火大会を見に行こう、と言われて、大張り切りで浴衣を着て、待ち合わせの駅前の車寄せで待つこと十五分、見慣れた赤い車が自分を通り過ぎて、別の女性の前に停まった時の、あの絶望感は、筆舌に尽くしがたい。


「まさか、浴衣を着ているなんて思ってもいなかったんだよ」


 確かに、件の女性は、志紀と同じぐらいの背格好だったし、服装もいつもの志紀と同様なカジュアルスタイルだった。

 駅前の往来の中、運転しながら待ち合わせ相手の姿を確認する、ということが容易ではないことぐらいは、志紀にも想像がつく。そう頭では理解できても、胸の奥は、未だにじくじくと疼いている。


 


 花火会場の周辺は、地獄の混雑具合で知られている。朗が車を出したのは、少し離れた山から花火を鑑賞するためだった。花火ビュースポットとして知られる展望台の近くにはコーヒーの美味いカフェがあると聞いて、志紀はとても楽しみにしていたのだ。

 黒地に淡い桜が舞う浴衣は、母が若い頃に一度二度袖を通しただけという、新品同様の美しいものだった。着付け方法をネットで探し、プリントアウトしたものと首っ引きで帯の結び方を覚え、志紀は今日という日に臨んだ。以前話の流れで「私のどこが良かったんですか?」と問う機会を得た時、躊躇いもなく「ものの考え方が」と言い切った朗も、もしかしたらこの浴衣姿なら褒めてくれるかもしれない、と思って。

 ……そんな甘いシチュエーションなど、今や夢のまた夢となってしまったわけだが。


「遠目で見て、いつもの立ち姿に一番近い人物を、君だと思い込んでしまった。浴衣姿は本当に予想外だったんだ……」

「分かってます」


 分かっているが、納得はできない、したくない。


「志紀……」


 朗が志紀の右手を取った。慌てて手を引こうとする間もなく、左手も掴まれる。

 志紀の頬が、カッと熱くなった。怒りのあまり。


「放してください!」


 お互いにじゃれ合っている時に、強引に出られるのは嫌いじゃなかった。でも、こんな、人が怒っている時にまで、力でねじ伏せようなんて、あまりにも横暴すぎる……!

 やめて、と必死に身体をよじる志紀の耳に、酷く擦れた声が飛び込んできた。


「違う」


 何が違うというのか。目に精一杯力を込めて志紀は朗を見上げた。

 予想もしていなかった穏やかな眼差しが、真っ直ぐに志紀を見つめていた。

 掴まれていた両手が、離される。


「やっと、私のほうを向いてくれたな」


 静かな声に、志紀は小さく息を呑んだ。

 朗は、そっと面を伏せると、もう一度、ゆっくりと、「悪かった」と謝った。


「……先生……」

 先生のしたことは、これほどまで責められるべきことなのだろうか。ふと、志紀は思った。私は、こんな表情を先生にさせたかったのだろうか、とも。


 


 答えは、否、だ。


 


 志紀は大きく息を吸い込んだ。

 とはいえ、あの胸の痛みを無かったことにするのには、少々抵抗があった。仲直りに一つぐらい条件をつけてもバチは当たらないよね、と自分に言い訳をして、志紀は頭の中で台詞をシミュレートする。


 

 ――もういいですよ、私も少し意地を張りすぎました、でもショックだったんですよ、(たぶん、ここでもう一度謝ってこられるはず)じゃあ、正直に答えてほしいんですけど……


『この浴衣、どう思います?』


 ――これでは、質問が抽象的すぎるか。


『浴衣、可愛いでしょ?』


 ――いやいや、ちょっとそれは、どう返事されても恥ずかしすぎる。


『似合ってます?』


 ――これぐらいが無難かもしれない。


 


 余計な事を考えているうちに、志紀の胸はどんどん鼓動を早めていった。どう言おう、いつ言おう、そうぐるぐると悩んでいる間も、朗は神妙な顔で、訥訥と弁解を吐き出している。


「……浴衣姿が、パターンマッチングの候補に入っていなかった。だから、探せなかった。だいたい、他の女と君を見間違えたりするもんか」


 僅かに視線を逸らせた朗の頬が、少し赤みを帯びているような気がして、志紀の体温が一気に上がった。

 どうしよう、このまま抱きついちゃってもいいだろうか、と、考えた次の瞬間、朗がダメ押しとばかりに自身の発言をまとめた。簡潔に。非常に簡潔に。


「……そう、見間違えたんじゃない、見えていなかったんだ」


 


 


 ……どうやら、仲直りにはもう少し時間がかかりそうである。

 

 

 

    〈 了 〉


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