おいでませ、異世界・8
マンフレート山脈はいくつもの山が連なって出来た、いわゆる自然の壁だ。
山の一つずつに名前がつけられているらしいが、マンフレート西峰や東峰といった呼び方が一般的だという。遠目からだとゴツゴツして見える山肌も、入り口は鬱蒼とした森から始まる。薄暗い密林地帯を進むうちに坂道があり、下り坂もあり、とうとう街道も外れてしまったりと、旅の初心者がやらかしそうなミスを犯した。
その結果が、これだ。
「馬車と有り金、ついでに身ぐるみ脱いで、置いていけ」
命が惜しかったら、という常套文句だ。
「ボリス、どうするよ?」
「温情をかける必要もありません。一網打尽にしましょう」
「いや、こういうのってさ。どっか、その辺にアジトがあったりするだろ。こいつらはこの街道担当で、今ぶちのめしても仕方ねーのかなって」
ざっと見て、盗賊は6人。
隠れている奴がいるにしろ、ボリスとクラークの敵じゃない。ゲームの世界で考えるなら、一人残らずHP0にする。皆殺しだ。
(俺は、やりたくない)
たとえ自分が手にかけるんじゃなくても、殺し合いは嫌だ。
ボリスは甘い考えだと笑うだろうか。クラークは心の中で憐れんで、表面上は同意を示すかもしれない。俺の予想が当たっているなら、盗賊を生かしても殺しても同じだ。他の盗賊たちが別の人間を襲う。
「どうする、ソースケ」
俺よりもはるかに強い二人が、俺の決断を待ってくれているのが嬉しかった。
「この間も言ったけど、急ぐ旅でもないんだよな」
「まあ、そうですね」
「どちらかと言えば、もう少し仲間が欲しい。たとえば、可愛い女の子とか」
「おい、そこのガキ! こっちが何もしねえからって、呑気に構えてんじゃねえぞ」
痺れを切らした盗賊の一人が、恫喝っぽい台詞を吐く。
クラークの握った杖が、ボリスの肉体が、奴らの行動を慎重にさせている。交渉の余地はありそうだが、上手くいく保証もない。最善の手は、盗賊団をまとめて騎士団かどこかに付き出すことだ。
そこで処刑されようと、何されようと知ったことか。
罪を裁くのは、その役目を負った人間たちがやればいい。ボリスやクラークにそんなものを背負わせたくはない。そう考える俺は、やっぱり甘い。
(どうする)
悩めば悩むほど、焦れてくる。
相手は既に抜刀し、ボリスとクラークもすぐさま戦いに転じられる態勢だ。今まで野獣相手とはいえ、何度か戦闘を重ねてきた成果ともいえる。
「ああ、くそ! 誰でもいいから、こいつらどっかやってくれっ」
「はいな~」
ゴオオオオオオオォッ
突風が、吹き抜けた。
木々が密集する山の中とは思えない凄い風だ。吹き飛ばされないように足を踏ん張る中、木の葉と一緒に盗賊たちが飛んでいくのが見えた。
人間って空、飛べるんだな。
「うぎゃあああああっ」
品位の欠片もない悲鳴がどんどん遠ざかり、次第に風も弱まった。
俺たちは何が起きたのかも分からないまま立ち尽くす。文字通りに盗賊たちがどこかへ行ってくれたのはとりあえず幸い、とだけいっておこうか。
今のは、とクラークが呟いた。
「風の魔法ですね」
「それくらい、俺にも分かる」
「凄まじい風だったな」
「ああ、人間が飛んでったぞ」
恨めしげな視線は無視して、俺はきょろきょろと周囲を見回した。こういう時のお約束として、さっき聞こえてきた声の主が登場しそうなものだ。しかも、若い女とみた。
否応なしに俺の期待は高まる。
そして。
「街道って名ぁつけるんならよ、馬車が通れるくらいの広さは最低限維持すんのが常識だろ。そうだろ?」
「はい、もちろんです。ご主人様」
「ぼーぼーじゃねえか!」
「枝払いをする姿も素敵です、ご主人様」
「お前もやれ!」
「そうしたいのは山々ですが、馬を連れていく人間がいなくなりますので」
「ソースケ。騒ぐと、余計に体力を消耗するぞ」
「うぐ」
ボリス一人に任せられず、俺は御者台を下りていた。
鍛錬以外で鞘から抜くことのなかった剣を、ぶんぶん振り回して枝を払う。素振りをやっていると思えば、我慢できなくもない。ちなみにクラークが御者を担当しているのは当人が言った理由もあるが、威力が強すぎて辺り一帯を吹っ飛ばしかねないからだ。
地道な手作業という選択もあるのに、魔術師が魔法を使わないのは主義に反するとか何とか言いやがる。くだらない押し問答で日が暮れかけ、今は野宿できそうな場所を探している最中だ。
あの声の主は、とうとう現れなかった。
「くっそう、潤いがー」
「ソースケの下心を見抜かれたのではないか?」
「声だけで、美女と判断するのは早計だと思います。もしかすると、年端もいかない少女かもしれません」
「あんな物凄い風を起こせるんだぞ。少女であるわけが、ない!」
「魔術師の中には外見を好みに合わせて変更する者もいます」
「ならば、ナイスバディの美女に変更していただく」
「目が据わっているぞ」
「申し訳ありません、ご主人様。そこまで女に飢えているとは知らず…………お役に立てない不忠者と、どうぞ罵ってください」
「ふちゅーものー」
「心がこもっていませんっ。もう一度!」
クラークは変人な上に、マゾだ。