おいでませ、異世界・7
ハルトリゲールの王都カントを出てから20日余りが経過した。
俺の目下の悩みはコレだ。
「潤いが、ない……っ」
「ご主人様、なんでしたら私が代わりに」
「身も心も生まれた時から女じゃねーと意味がないっ」
街道沿いに点々とある村や街を経由し、野宿にもすっかり慣れた。いつものテンションが戻って来たらしいクラークと、ひじょーにくだらない漫才を続ける日々だ。
(まー、簡単に仲間が増えるとは思っちゃいないけどよ)
気分はさながら、魔王退治に行く勇者だ。
最初に魔法使いならぬ、魔術師を仲間にできたのも定番っぽい。それからボリスが参入し、ちょっとずつ剣の稽古も始めた。というのも、基本的にクラークは後方支援に徹してしまうからだ。それは俺の役目だと言っても、聞く耳を持たない。
結局、ボリスにほとんどお任せ状態になってしまう。
「ドラゴンと、熊や狼は比べらんねえよなあ」
「それについてだが」
「ボリス、どうした?」
荷台から声がかかり、俺は軽く首を捻った。
すっかり御者にも慣れて、これくらいの余裕は出てきた。さすがに凸凹の多い悪路ともなれば、技術力が必要になってくるが。馬が動けなくなるようなぬかるみや、踏むとヤバそうなもんが埋まってる道には出会っていない。
「お前たち、本当に竜を殺すつもりか」
「もちろんです」
「俺の本音は『どっちでもいい』かな。その竜が悪い奴なら、倒す。そうじゃねえんなら、別の方法を探す。異世界から人間を呼んでまで竜退治しようって考えるんだから、それなりの理由はあるんだろ」
「ええ、まあ……」
「クラーク、主人に隠し事をするのは臣下として良いこととは思えんぞ」
「分かっています」
言えないことがあるから、俺の意思を尊重する。
そんなトコだろう。クラークの姉エヴァの口振りからしても、一族の悲願っていうほどでもなさそうだ。そもそも異世界から来た人間でないと竜を見つけられない、という条件の方が気になっている。
それはつまり、大昔にも異世界人が召喚された証拠にならないか。
「もし、他に召喚された奴がいるんなら…………可愛い子希望」
「お前は本当にそればかりだな」
「潤いは大事だぞ? 何が悲しくて、野郎三人で延々と旅を続けなきゃならんっ」
俺はル○ン三世か。
いや、その法則でいくとナイスバディの妖艶美女がパーティーに加わる可能性だってあるわけだ。それはいい。少しくらいなら利用されてもいい。
「ふへへ」
「クラーク。臣下として止めなくていいのか、アレは」
「ご主人様の妄想……いえ、思考を妨げるのは本意ではありませんので」
「まあ、そうだな」
荷台の中でそんな会話がされているとは知る由もなく、俺は幸せな想像の中に浸っていたのだった。
が、不運属性(もはやそうとしか思えない)は忘れた頃に発動する。
「ソースケ!」
「うおっ、いきなり出てくんなよ。びっくりしただろうが」
ボリスの巨躯が隣に出現し、つい手綱の扱いを間違えそうになった。かろうじて『いつも通り』をキープし、安堵の息を吐く。
そこへ反対側から眩い光の文字が現れた。魔方陣だ。
「ご主人様、そのままでお願いします」
「お、おおおなんかヤバそうな雰囲気だなっ」
「ガーゴイルだ」
「へー、ガーゴイ…………はあぁ!?」
「来ますっ」
「一体だけだな。大きさは、なんとかなるか」
クラークの緊迫した声とは対照的に、ボリスは相変わらずだ。
聴覚が思いっきり後方へ集中させていた俺は、その様子を見られなくて余計に怖い。見ていたら見ていたで怖い。要するに怖い。
「そ、そのままで、そのままでえええっ」
馬車は手持ちにするには多すぎる荷物を運ぶために、クラークが家から借りてきたものだ。いつか返さなければならないのかもしれないが、それよりも何よりも馬車がどうにかなった日には俺も無事ではすまないということで。
「め、明鏡止水。火もまた熱し……」
「落ち着いてください、ご主人様。この命にかけて、絶対に傷つけさせません」
「おう! 今だけはものすごく心強いぜ、クラーク」
「だけってなんですか、酷い」
「細けえことは気にすんなっ。んで、ボリスは?」
「ああ、彼は上に居ますよ」
「上!?」
思わず振り仰ぎそうになって、慌てて前を向いた。
この騒ぎの中、二頭の馬は走ることに集中している。おそらくはクラークが発動させた魔法が効いているんだろう。そうじゃなかったら、ガーゴイルの魔力にアテられている。
(って、どっかのRPGに出てた気がするっ)
今はボリスを信じるしかなかった。
「つーか、なんでガーゴイル!」
「術者が近くにいると考えるべきでしょう。あれは元々石の像に魔力が宿った魔導生物です。勝手に動き出すとは考えにくい」
「まさか、俺たちの妨害か?」
「考えられなくもないですね。なるべく竜についての話題は避けてきたつもりでしたが」
竜に関係する追っ手、あるいは同じ目的を持った競争相手。
カントはかなり北方に位置していたため、俺たちはやっと山脈を目前に据えたばかりだ。つまり、ハルトリゲール皇国から出ていない。普通に考えるなら、貴族であるクラークが乗った馬車を襲ったりはしないはずだ。
ギケエエエエエェェッ
空から響き渡る奇声に、ぞわっと悪寒が走った。
無意識に手綱を引き絞ってしまい、馬たちが歩みを緩めてしまう。かなりの距離を疾走していたから、そろそろ休ませる頃合だ。
俺が馬車を止めると、ボリスが後から走ってきた。
「すまん、仕留めるに至らなかった」
「今は追い払っただけでも十分だと思います。おそらく、様子見でしょう」
「ガーゴイルで偵察とか、どんだけだよ! って、悪かったな。ボリス、一人で戦わせちまって」
「気にするな、その為に雇われたんだ」
爽やかに笑うボリスに、ちょっと惚れそうだ。人間として。
「ご主人様」
「あ?」
「私も頑張りました」
「そーだな」
「頑張りました」
「お疲れ?」
「が、ん、ば、り、ま、し、た」
「うおおお、それ以上近づくな。近づいたら、殴る!」
「褒めてやればいいんじゃないのか?」
止めるでもなく傍観していたボリスの一言に、俺は少しだけ考えた。
「いや、図に乗るだろ」
「そうか」
そうして馬たちを休息させる間、荷台からはメソメソと啜り泣く声が聞こえてきたのだが。当然、俺たちは完全無視を貫いたのだった。