おいでませ、異世界・6
「おぉーっ」
今、俺は目が爛々と輝いている。
ボリスはそんな俺に苦笑して、持っていた籠を下ろした。途端にびちびちと跳ねる尾から、水滴がいくつも飛んでいく。きらきらしていて、なんだか感動だ。
一方、やけに静かなのがクラークだ。
「まさか生で丸呑みしろ、とか言いませんよね」
「できるぞ」
「川魚の生は、ちょっと考えた方がいいぜ。うっかり食中りしたら、勿体ない。海の魚も新鮮な奴なら生が一番だが、腸なんかの内臓はきちんと取り除くべし。あとは真水で洗っとけば、問題ねえよ」
「詳しいんだな、ソースケ」
「うんにゃ。こんなん常識、ジョーシキ」
軽い調子で言ってみたものの、俺にもそれなりに切ない事情がある。
最初に受験失敗してから、親からの仕送りはほとんどもらえなくなった。塾の受講料以外は、下宿先の支払いも含めて完全自腹。バイト三昧の日々でも生活はカツカツで、節約するにはまず食費から見直す必要があった。
あとは色々と手当たり次第にバイト経験を積んだおかげで、培ったスキルだ。といっても御者だけはやったことがない。威張れるのは料理くらいなものだ。
包丁はないから、小型ナイフで腹を割く。
「クラーク、塩」
「はい、ご主人様」
「見事な手捌きだ。なかなかやるな」
「ふふん、まーね? 活きのいい魚は塩焼きって相場が決まってんだ。っと、塩加減は俺流でいいよな?」
「濃いめで頼む」
「薄めでお願いします」
「ほいほい」
手際よく串刺しの魚を作り、ボリスを待つ間におこした焚火に向ける。火の当たり加減を確認してから串を地面に差して、あとは焼けるのを待つだけだ。
パチパチと爆ぜる火が、郷愁を誘った。
「次の街まで、どれくらいあるんかな」
「そうだな。日暮れ前に着くのは、難しいだろう」
「飛びますか?」
「却下」
ばっさり斬ると、期待に満ちた顔がしょんぼりする。
良心が疼かなくもないが、クラークに甘い顔をしたら損をする。魔力の仕組みを聞いたところ、分かりやすく例えるなら精神力みたいなものらしい。使えば使うほど疲労し、最終的にはぶっ倒れる。最悪の状況として、死に至ることもあるそうだ。
魔力の回復には特殊な薬草を服用するか、神殿を利用する。時間はかかるが、睡眠中も徐々に回復していく。
「肝心な時に使えなきゃ、意味ねえの」
「ご主人様。私の力を、そこまで頼りにしていただけているなんて……!」
「こんな場所で、死にたかねえしなー」
ぱち、と火が爆ぜる。
幸いにして、まだ日は高い。宣言通りに夜も明けきらない内から、カントの街を出たからだ。弁当は朝食になり、いきなり保存食に手を付ける気にもなれず、どうしたものかと悩んでいる時にボリスが付近にある小川を教えてくれたのだ。
川といえば、魚。
クラークの家で出してもらえる豪華な食事もなかなか悪くなかったが、浪人生だった俺に高級料理は敷居が高すぎた。テーブルマナーが堅苦しくて、料理の味を楽しんでいる余裕がない。そんなわけで、ボリスが川魚釣りに向かったのだ。
「ソースケの故郷は、遠いのか?」
「遠いな。ボリスは?」
「遠い」
「ふぅん。なんで、こんなハルトリーゲルまで来たんだ?」
「お前は何故ハルトリーゲル皇国にいたのだ?」
「…………質問を質問で返すかコノヤロウ」
「ふっ」
お互い様だ、と言われた気がした。
「ご主人様は異世界から来られた尊い方です。この私が召喚しました」
「イセカイ?」
「そーだな。大陸や海とか全部ひっくるめたもんが、大きな水晶玉に入ってると考えろよ。そういう水晶がいくつもあって、その一つが俺のいた世界」
「想像もできんな。本当なのか?」
疑うつもりはないが、と付け加えるボリスに苦笑する。
そういう律儀な性格は嫌いじゃない。クラークの一族にして、召喚魔法は一発限りの奇跡だ。推測するに、異世界人はおそろしく知名度が低い。一族がどうして異世界人を主として仰ぐようになったのかも分からないし、竜を殺さなくてはならない理由もまだ聞いていない。
今更だが、俺はクラークを信じて良かったのだろうか。
「そろそろだと思うんだが、焼けたかな」
「ん?」
「魚。って、待った待った。生煮えは余計ヤバいんだって」
適当な一匹に大口を開けたボリスは、残念そうに魚を見やる。
確かに皮もぱりっと焼けているし、香ばしい匂いが食欲をそそる。どんな名前か知らないが、かなり美味そうだ。俺は使わなかった串を一本、焼いた魚の身に刺してみた。
「ん、いい感じだ。食ってもいいぜ」
「あの、私は」
「クラークはこれ、な」
焚火の中を突っついて、焦げた包みを引っ張り出す。
その辺に生えていた茸や木の実を、大きな葉で包んだものだ。これも焚火用の薪を集めるついでに拾っておいた。俺の勘と知識が間違っていなければ、毒は入っていない。
一応、先に開いて中身を確認した。
「ほいよ、食え」
「え……」
「俺の世界にも生臭…………ええと、魚や動物の肉を食べられない職業の人間がいてさ。精進料理っていうんだが、まあ似たようなもんだ。味噌を入れて焼くと、めちゃめちゃ美味い」
「ソースケ。ミソとは何だ?」
「あー、なんだっけ。大豆っていう豆を煮て、色んなの混ぜた上で発酵させたヤツ。長期保存できる調味料だよ。塗って良し、焼いて良し、汁に溶いても良し」
「ほう」
「今はない物ねだりしても仕方ねえし。塩で我慢しろや」
「いや、十分美味いぞ。俺はこれがいい」
「そっか? んじゃ、俺も食お」
ボリスに倣って、がぶっと豪快にかぶりつく。
口の中いっぱいに広がる旨みと、我ながら絶妙の塩加減がたまらない。思わず夢中で貪っていると、耳に何か小さいのが届いた。
「んあ?」
「…………気付いて、いらっしゃったんですね」
「まーな。俺のだけメニューが違うのをそれっぽい説明で誤魔化してたけど、要するにそういうことなんだろ?」
ふるふると首を振る。
「違う、んです。本当はニオイも駄目で」
「ただの、食わず嫌い?」
クラークが頷く。
そこへ、香ばしい焼き魚が突き出された。もう片方の手で、大きい一匹を頬張りながらだ。
「ボリス……、お前ね」
「さすがにもう匂いは慣れたはずだ。食ってみろ」
強引な理屈で強引なことをする奴だ。
俺が横から貰っていくべきか悩んでいると、クラークがおずおずと手を伸ばした。しっかり握ったのを確認してから、ボリスが手を放す。
長い時間をかけて、ちょっとだけ齧った。
「クラーク」
「はい」
「吐くなよ? 食いもんを粗末にする野郎は、俺が許さん」
結局、クラークはその塩焼きの魚(薄味)を完食した。