おいでませ、異世界・4
ボリスは機嫌が悪かった。
なんといっても、理不尽極まりないことで就職がパアになったからだ。ハルトリーゲル皇国は比較的人種差別のない国だと聞いている。身分や家柄よりも、実力優先させるというのは嘘だったのだ。
門番は褐色の肌を見た途端、冷ややかな目つきになった。
『去れ』
とうとう門は開くことなく、ボリスはカントの街に戻るハメになる。子供ではないから、世の中の理屈くらい分かる。駄目なものは駄目だ。落胆と失望を抱え、立ち寄った露天で再びそれは起きた。
「俺に売れないとはどういうことだ!」
「他を当たってくんな、と言っただけさ。そんなに怒るこたぁないだろ」
「金はある。足りないのなら」
「そういう問題じゃない。あんたもさ、分かってんだろう?」
「貴様!」
「ひぃっ」
哀しかった。
体は怒りに震えていたが、ひたすらに哀しかった。色の違いだけで、生きる価値すらも区分けされてしまうのか。あの兵士も、この露天商も、人として間違っているのは彼らの方ではないのか。
「だ、旦那がた! 出てくんなっ」
ボリスは故郷において標準的な体躯だったが、ここでは頭一つ抜きん出ている。顔もそれほど柔軟には出来てない。すっかり怯えてしまった露天商が用心棒を呼び出したとしても、それは仕方のないことだったのかもしれない。
しかし、ボリスは深い失望を感じた。
「この程度か」
皇国の近衛騎士団は、大陸でも屈指の強さを誇ると聞いていた。
だから己の強さを試してみたくて、ボリスは城の門を叩こうとしたのだ。そんな彼にとって、露天商の雇った用心棒たちは村の子供たちよりも弱く見えた。手足も細いし、何よりも立ち姿からしてなっていない。
「鍛錬不足だな。それでは相手を制する前に、己が身を傷つけるぞ」
「んだと!?」
「ブッ飛ばすぞテメエ!!」
「やれやれ」
挑発したつもりはないのだが。
こうなっては仕方あるまい。用心棒たちは完全にボリスを敵と認めてしまっている。あっという間に人の波が引いて、男たちを中心にぽっかりと穴が空いた。露天商はといえば、さっさと店じまいの最中だ。巻き込まれたくないのだろう。
もういい。
ボリスはこの地を離れようと思った。既に帰るべき地はないが、行くあてのない道行も悪くはない。生きていこうと思えば、なんとかなるものだ。
(ん?)
向こうで、何やら視線を感じた。
好奇や期待に満ちた野次馬たちと違い、真っ直ぐに据えてくる。誘われるがままに足を進めれば、強引に前へ歩かせようとする少年が見えた。二人は知り合いらしい。
「ご主人様」
「黙ってろって言っただろ、馬鹿従者」
ぱっと見た感じとは真逆の主従関係に、口の端が上がった。
「ご主人様、呼ばれてますよ」
「あーあー聞こえない。なーんにも聞こえない!」
「だ、そうです」
お前な、そういう言い方をしたら結果的に煽っちまうって分かってんのか。分かってねえんだろうな、絶対に。あー不幸だ、不運だ、最悪だ。
人生を呪っても、状況は何も変わらない。
諦めた俺が後ろを振り返って、そのまま目と口を真ん丸にした。
「う、後ろ!!」
「む」
「無視してんじゃ、ねえっ」
思わず目を瞑ってしまった。
だが、ゲームでよく聞く効果音がしない。おそるおそる目を開ければ、大男が片手一本で剣を受け止めていた。ぱっと見で分からないが、ガントレットを装備していたらしい。ガラの悪い男が顔を真っ赤にして踏ん張っているが、全く斬れない。
これをCMにしたら、通販でバカ売れする。きっと大儲けだ。
(じゃなくて)
「どうしましょう、ご主人様」
「どうもこうも、お前の所為だろうが」
「申し訳ありません。ご主人様がもう一人や二人くらい、旅の供が欲しいと言っておられましたので、ついうっかり」
「うっかりで済むかー! 人様をじろじろ見ちゃいかんって教わらなかったのか。教わらなかったんだろうな、この金持ち坊ちゃんめっ」
「惜しい、半分正解です。正解は貴族ですよ、ご主人様」
「激しくどうでもいいわ!!」
俺が忙しくツッコミを入れまくっている間に、背後でのイザコザは終わったらしい。そもそも大男が原因だろうから、自分で後始末するのはごく当然のことだ。
「おい」
「戻って来たし!」
「さっきのは本当か?」
「ええ、本当です。ね、ご主人様」
にっこりと微笑むクラーク。ニッコリと凄む俺。
頷いてやるかボケと内心で毒吐いたが、大男にどんな感じで伝わったか。無言で見下ろす長身と、見ている方が寒くなりそうな露出の多い衣装の時点で、カタギじゃない。褐色の肌を木目調に直してやれば、立派な仁王像の出来上がりだ。
「そうか」
阿吽像でも、こんな笑顔はない。
腰を抜かすのだけはかろうじて耐えたが、顔はみっともないほど引き攣っていたに違いない。大男は少しだけ、寂しそうに目を細めた。
(あ……)
どこぞで読んだタイトルも覚えていない「一人ぼっちの怪獣」が脳裏に浮かぶ。
幼かった俺は、その本が大好きだった。何度も読み返しては泣いて、本を返しにいく親にすがって頼んだっけ。今もファンタジー物が好きなのは、あの本がきっかけかもしれない。
「俺は北川聡介。あんたは?」
「ボリス」
「私はクラーク、と申します。ソースケ様の忠実な僕です」
どこがだ。
いい加減にツッコミ疲れてきて、俺はため息を吐くだけに留めた。ものすごく偶発的ななりゆきだが、剣士(あるいは拳士)が仲間に入ったと考えればいい。
歩きで数年かかる長旅だ。
強力な助っ人の参入を素直に喜んでおこう。
「そういえば、旅支度をしているのだったな」
「なんで知ってんだ!?」
驚く俺に、ボリスは事も無げに言った。
「出立は、と言っていただろう」
「聞いてたのかよ」
「ご主人様の言葉は、意識せずとも心へ染み入るものなのですね」
「そんな魔力ねーよ」
「では、私が魅了の付加効果を」
「やるな。絶対やるな。いいか、一度でもやらかしたら二度と口利いてやんねえからな」
「ご主人様はお優しい方ですから、そのような酷いことはなさいません」
「今すぐ、その湧いた頭と目を医者に診てもらえ!!」
「それはそうと」
俺の呼吸が正常に戻るのを待って、ボリスが話を戻してくれる。
なんてイイヤツなんだ。見た目はかなり恐いが。
「行き先くらいは聞いておきたい」
「護衛の賃金に関しましては、言い値で構いませんよ」
「そうか。それは助かる」
「シクリアっつー国なんだけどさ。ボリス、行ったことあるか?」
「お前たち、大陸を縦断するつもりか? 随分と勇気があるんだな」
この世界に車や飛行機があれば、移動はずっと楽だったろう。
「色々あって時間はたっぷりあるんだ。ゆっくり行くさ」
「そうではない。南は人種差別の強い国が多いんだ。特にソースケ、お前のような髪は奴隷扱いされても仕方がないぞ」
「…………クラーク……」
「私はご主人様の外見は、とても素敵だと思います」
「そういう問題じゃねえだろっ」
「大丈夫ですよ、いざとなれば魔法で何とかします。途中でバレなければ、そのまま行けるはずです」
「さらっと不安になるようなことを足すな、頼むから」
「お願いされてしまいました」
嬉しそうに頬を染めるな、頼むから。
がっくりと肩を落とす俺に生温かい視線が刺さった。初対面の奴にまで同情されて、竜退治に行く必要があるのか。いいや、ない。いっそ、逃げ出してしまおうかとも考えたが、相手はクラークだ。魔法で居場所を突き止め、追いかけてきそうな気がする。
(逃げられない……)
どうせ追いかけてくれるなら、可愛い女の子が良かった。
百歩譲って、ヤンデレ属性でも構わない。