おいでませ、異世界・3
出立の準備はちょっと手間取った。
なにしろ、クラークの方に旅支度の知識が一つもないのだ。そんなわけで、事前準備はきっちりするタイプの俺が色々な指示をすることになった。
「結構な荷物になるな。分かってたが」
「ご主人様、信じています」
「クラーク、こういう時だけ持ち上げるのヤメロ。それより、魔法で何とかならねえのか? 重さをなくすとか、四次元ポケットにしまいこむとか」
「できなくはありませんが」
「できるのかよ」
さすが一流魔術師。
エヴァから聞いたのだが、クラークは一族の中でも先祖返りと呼ばれるくらいには強い魔力の持ち主だそうだ。幼い頃は加減ができなくて、城の一つや二つ吹っ飛ばしたこともあるっていう伝説……は眉唾だが。
異世界から人間を呼び寄せる魔法が、とんでもなくすげえってことは理解できる。お手軽に、ぽんぽん呼ばれても困るしな。
とりあえず長期保存が利く食糧、思いつく限りのサバイバルグッズ、先立つものはコレしかない潤沢な資金と、長旅に適したと思われる標準装備。他にも色々と召使たちが集めてきたんだが、俺の眼鏡にかなうものはなかった。
野宿はしたくないが、山越えという難関がある。
「えー、なんたら山脈」
「マンフレート山脈ですね。名もなき大陸の中央に位置し、東西南北の国を分ける国境にもなっています。必然的に関所もいくつか設けてあり、人々の行き交う街道もある程度は整備されている、はずです」
「肝心なところが曖昧だぞ」
「カントの外に出たことはありませんでしたから」
ハルトリーゲル皇国で最も栄えているといわれる都が、カントだ。皇帝の住む城があるから、いわゆる首都というやつだろう。クラークの一族以外にも、貴族たちが多く住んでいる。
とにかく自然の少ない街だ。
俺の住んでいた所も大概に緑が少ない方だったが、街路樹くらいはあった。公園には木がたくさん植えてあったし、花壇もある。高層ビルやら何やらで土地開発が一定以上進むと、自然を呼び戻したくなる反動でも生まれるのだろうか。
カントの街は色彩が派手だ。
ぎっちりと隙間なく並べられた箱サイズの建物の前には、カラフルなテントの店が人を呼び込んでいる。三階建てくらいありそうな建物の窓やら、どこからか織物をぶら下げる風習があるらしく、風になびく様はつい目を引かれる。
季節がそうなのか、気候は比較的涼しめだ。
(その割に、着込んでる奴が少ない。慣れてんのか?)
隙間風が入り込んできて、俺はマントの下で震えた。
必要物資は揃えてもらったので、実際に外の空気を味わってみようと思ったらこれだ。腰には一般的な剣を帯びてみたが、重さよりも寒さが厳しい。それと人目が多すぎる。
「よし、出立は明朝にするか」
「えっ」
「なんで驚くんだよ」
「そんな夜も明けないうちから出るなんて、まるで窃盗のようです。ついでに何か金品を奪っていきましょう」
「ねーよ。お前の家だろーが!」
クラークは、ちょっと変わっている。
貴族の坊ちゃまだというのもあるだろう。一言で世間知らずと括ってしまうには、大事な部分がズレている。そう、常識という名の基本的認識が。
「やっぱ、もう一人欲しい」
「ご主人様は、私一人では満足できない体ということで」
「一度黙れ。とりあえず黙れ。いいと言うまで、その口を開くな。でないと、塞ぐだけでは済まさねえからな!」
「え。塞ぐだなんて、そんな情熱て」
「ブッ飛ばすぞテメエ!!」
ぴたりと止まった。
それからおそるおそる顔を窺うクラークに、俺は首を振る。今の台詞は俺じゃない。もうすぐカントの街を出るにしても、こんな目立つ真似はしない。なにせ、こんな変人でも有名人らしいのだ。
かたや、レベル1の無名冒険者ソースケ・キタガワ。
(勝負にならなさすぎる……っ)
情けなくても、これが現実だ。
ゲーム序盤で凄腕魔術師の下僕を手に入れて、がっぽり資金ゲット、所持アイテムもそこそこ潤沢に揃えられる、のはチート以外の何物でもない。十分すぎるお膳立てだ。
「だから、戻ろう。とりあえず戻ろう」
「あの、ご主人様」
変なのに巻き込まれて、いや現時点で十分すぎるほど巻き込まれているか。とりあえず、これ以上の不運は御免こうむりたい。
「ご主人様」
「黙ってろって言っただろ、馬鹿従者」
「ほお?」
明らかに至近距離で、こちらへ向けられた声は渾身のスルーだ。
「俺、腹減っちゃったしさ。さっさと帰って、なんか食おうぜ」
「ですが、ご主人様」
強引に背を向けさせたのに振り向こうとするクラークの顔を戻しつつ、背をぐいぐい押した。こいつ、細っこいくせになかなか動かせない。まるで足が地面に縫い付けられているようだ。ひょっとすると、こっそり魔法を使っている可能性もなくはない。
「おい、クラーク」
「おい、少年」
声が被った。俺の人生が、終わった。