正しい勇者の名乗り方・6
「柄をしっかり握って」
「あ、あんた……」
「重心を常に意識して、剣は己の一部だと考えるのです。腕の延長線に敵がいます。動きが見えているのですから、反撃するのは難しいことではありません」
退治依頼を説明した時のように淡々と、それでいて感情のこもった声だ。俺の背後に立ち、一斉に斬りかかろうとしたオークたちを相手にしている。
剣戟の音が倍に増えた。
「やればできるのですね」
「こいつらが! 弱いからっ、だろ」
渾身の力で蹴飛ばし、転がったオークを上から突き刺す。引き抜いた勢いに左手を重ね、斧を振り上げたオークは横払いにした。そいつも蹴っ飛ばして、大きく息を吐く。
まだ終わっちゃいない。
魔法生物相手でも引けを取らなかった面子が、手こずっている。
「クラークの奴、風属性の魔術使ってんのか。燃やし尽くしてやればラクなの、に」
そういや、討伐の証拠が必要だって話していた。
火属性で燃やすと、跡形も残らない。加減すればいい話だが、オーガが森の外へ出てこないからだろう。そこで火を使えば、あっという間に燃え広がる。近隣の村にとって、森は大事な資源と食料の宝庫だ。なるべく森に被害が残らないようにしたい、と作戦会議中に話していたのを覚えていたんだろう。
「ちっ」
クラークは人の話を聞かないくせに、妙なところで素直だ。
「どこへ行くのですか?!」
「決まってんだろ、オーガをやっつけるんだよ」
「無謀です。あなたの実力では、近づくことすら」
「あーあー、煩ぇ女だな!! 仲間が戦ってんのに、安全な所で傍観できるかっ」
「せめて傷を治してからにしてください。満身創痍ではないですか!」
振り払った腕はすぐさま掴まれる。
そこはちょうどオークに斬られた部分だが、おそらくは夢中で気付いていない。指がわずかに食い込んで、痛いとか痛くないとかいう段階を越えている。いいから早く放せ。
「舐めときゃ消える」
「そういうわけにはいきません!!」
「てめえは俺の女か?! 俺に触るな、離せっ」
「あ」
助けてくれたのは感謝している。
頼んでもいないのに、丁寧な指導をしてくれた。おかげで自力でオーク二体を倒せた。そのことについては感謝している。だが、イライラする。
俺は、こんなに短気な男だったろうか。
「クラーク! ぐあっ」
「ちょ……っ。ソースケってば、何やってんの。バカなの?」
勢いで突っ込んでいって、思いっきりオーガに殴り飛ばされた。
うわー、格好悪ぃ。すげえ痛え。ビバ、水平飛行初体験。って、なんだこれ。いきなり真っ赤な血を吐いたぞ。森へ吹っ飛ばされたから、何かにぶつかった拍子にどこかを壊したかもしれない。血の色が鮮やかすぎて、呆然とする。
完全に動きの止まった俺をボリスが拾い上げ、リタが何かを投擲した。
苦悶の声が上がる。
オーガが大きくひるんだ隙に、クラークも駆け寄ってきた。
「ご主人様!」
眼鏡のズレた間抜け面が、泣きそうに歪んでいる。あのお気楽娘のリタまでが青ざめていて、まるで俺が重傷を負ったみたいじゃねえか。確かにめちゃめちゃ痛くて、熱くて、どうにかなりそうだ。
「だ、だいじょぶだ……。クラーク、火を使え」
「ですが」
「俺が、許ず。ざっざと終わらせ、ろ」
「承知しました」
証人はいる。
黒燕の女が見ている前で、オーガを倒してやれ。そうすれば、認めざるを得ない。俺たちは報酬をもらって、旅を再開する。オルタンシア共和国を南西に、それから二つの国を越えていけば目的地であるシクリア王国だ。
そこから竜についての情報を集め、見つけ出し、倒す。
「ごほ…………っあー、骨が折れでんな」
「呑気に言ってる場合?! あ、寝ちゃダメだよ。寝たら死ぬから!!」
「ごごは、極寒の地が」
咽喉がおかしい。声が濁っている。
ひゅーひゅー、と聞こえるのは俺の体だった。今気づいた。
「どいてください、私が治します!」
「ざわんな、ぼっどけ」
「できるわけがないでしょうっ。私にも騎士の誇りというものがあります」
「…………あ?」
あんた、兵士団の人だろうが。
ぼんやりと女を見上げれば、こっちも泣きそうな顔だ。クラークはともかく、出会って二日目の女に心配されるか普通。これは何かのフラグだとしか思えない。よし分かった、全力でへし折ろう。
そんなことを考えているとも知らず、女は意識を集中させる。
クラークと同じように呪文を詠唱しているようだが、その言葉が全く理解できない。今まで普通に意思の疎通ができていただけに、ちょっと驚いた。
彼女が、微笑む。
見惚れていたと思いたくなくて、目を逸らせば照れていると誤解されそうで、俺はただ無心で視線を固定した。呪文は「音」には違いないが、やはり意味が分からない。唄のようにも聞こえるから、詩みたいなものだろうか。
光が体を包んで、何かが早送りにされている感覚も――。
「……っつ」
やばい、と気付いた俺は咄嗟に女を突き飛ばした。
「きゃ?!」
「何なに? どうしちゃったの」
「がはっ、ごほ…………ぐえっほ」
戸惑う声が聞こえるが、それどころじゃない。
熱が溜まっている腹を力いっぱい殴った。当然ながら、おえっとなる。吐瀉物には血が混ざっていないのを確認できたが、四つん這いになって地面をかきむしった。何が起きているかって、そんなのは俺が一番聞きたい。
血が暴れている。破裂しそうだ。
(くっそ、だから放っておけって言ったんだ!)
ぐるぐる回る視界は、瞑目して遮断。余計に眩暈が強くなった気もするが、この際気にしていられるか。考えるんだ、何が起きているかを。こんな所で、治癒魔法を使われたくらいで死ぬか、普通。アンデッドか、俺は。
もう一度、腹を殴った。
「くか……っは」
「ご主人様!? これは一体、何事ですか」
やっとクラークが来た。
遅いぞ、てめえ。何してやがった。
「申し訳ありません。加減を間違えて、捻じれた空間を元へ戻す作業に手間取りました」
「っは」
さすがは凄腕魔術師。とんでもないデカさだったとはいえ、オーガ相手に桁違いの魔力を使ってしまったらしい。芸の細かい魔術も使えるくせに、手加減できないとはそういう意味だったかと今更理解する。
「加減を、間違えた?」
少しずつ血が落ち着いてきた。よしよし、俺は人間だ。誰が何と言おうと人間だ。
汚れた口を拭い、巻きつけた布を外した手で汗を払った。ふぅ、ふぅと息を繰り返す。気功術でも学んでおけばよかった。しかし、うろ覚えの呼吸法でも効果はある。徐々に体がいつもの状態になっていき、やっと一息つける。
思わず地面に座ったまま、大きなため息を吐く。
ああ、酷い目に遭った。
「ご主人様、大丈夫ですか?」
「もう落ち着いた。んで、クラーク」
「はい?」
「てめえ、最初から知ってただろ」
目を逸らしやがった。
「こういうことは先に言え、馬鹿」
「愛の鞭!」
せめて悲鳴くらい、普通に言ってくれ。
接近しすぎた顔には拳をめり込ませると、なんだか嬉しそうに倒れていく。クラークの奴に、そっちのケもあるとは知らなかった。うむ、今後は気を付けねばなるまい。
「あの、ごめんなさい。私」
「あんたは悪くない。だからもう、俺個人に関わるな」
「…………っ」
「うっわぁ、ザックリいきましたよ」
「半端な情けは為にならん」
リタとボリスは、すっかり傍観者になっている。こういう時に下手な首を突っ込むといい結果が出ない、と分かっているのだ。彼女にも、それくらいの勘の良さがあればいい。
いわゆる空気を読め、だ。
「で、どーゆーことなの?」
「簡単に言うと」
「ふむふむ」
「治癒魔法が暴走した」
「そ、そんな!」
「だからあんたは悪くない、って言っただろ。問題は俺。理由は言えない」
「それでは納得いきません」
「してくれなくていいよ。俺にとっちゃ、どうでもいいことだ」
「あらら、格好つけちゃって。激しくのたうってたくせにぃ」
むふふんと笑うリタを睨みつけ、もう一度ため息。
自然治癒能力が高すぎるのも考えものだ。自分で治そうとしている所へ、外部から強い力が加わった。相乗効果で血圧が上がったか、骨が過剰発達しようとしたか、その辺は分からない。知りたくもない。俺は普通の人間だし、これからもそうありたいと思っている。そもそもこういう過剰治癒って有りなのかを、神様(仮)に聞いてみたいところだ。
善意から治癒をかけてくれたことには感謝するが。
(それをここで言ったら、また好感度上がりそうな気がする)
立ち上がった拍子にフラついて、すかさずリタが支えてくれた。
「珍しいな」
「この場だと、あちししかいないっしょ」
「……助かる」
「にゃは」
ぼそぼそと小声で言葉を交わす。
ボリスだと身長差がありすぎて吊り下げ状態になるし、クラークの場合はちょっと想像したくない事態になりそうで怖い。
実は騎士でした、な女を見やる。
「オーガは倒したぞ」
「はい、この目で見届けました。黒燕兵士団の名において、報酬をお渡しします。砦の兵士から、お受け取りください」
「へーい」
「ダジャレ?」
「違ぇ」
脳内辞書のヲタク師匠の欄に、無駄スキル「親父ギャグ」も追加。
頼りない足取りながらも、ゆっくり歩き出した俺にボリスが続く。クラークもしょんぼりしながら、後を追いかけてきた。安心しろ、そんな顔をしても気遣ってやらん。
「完全に寄りかかってもいーのに」
「お前、女だろ。一応」
「わーあ、嬉しいなあ。勇者サマ、やっさしーい」
「棒読みすんな。照れてんのか」
「きゃは、バレちゃった!」
「きもい……」
「にゃんだとーっ」
軽口を叩き合いながら、砦を目指す。
入り口を見張っている兵士が気付く頃には、俺も一人で歩いていた。おそらくボリスとクラークは気付いていたに違いない。俺たちより後方、かなり離れた距離を保ちながら歩いてくる人影に。
その眼差しが、とある決意を秘めていたことに――。