人情は猫を懐かせる・1
俺は今までで、最大のピンチに直面していた。って言っちまうと、ものすごくヤバい状況みたいに聞こえるが。まあ、ものすごくヤバいんだが。
「うおおおおおっ」
下り坂というのもあって、瞬間最大時速みたいなものを出せている気がする。
背負った荷物がえらい煩いが、そういうのは後だ。とにかく俺が生き残る。命あっての物種だ。なんだ、やたら身に沁みる言葉だな。慣用句や諺を考えた奴ってのは、相当なキレ者だったに違いない。最初に誰が言ったかで著作権とか主張されたら、ちょっと困るか。気安く使えない上に、あんまり広まらないような気もするぞ。
「ソースケ、前見て走れ!」
「わーってるよ!!」
「頑張ってください。必死に走るご主人様は、輝いてますっ」
「うん。やっぱお前、いっぺん黙れ?」
ボリスの丸太みたいな腕に抱えられたクラークは、どこからどう見てもお荷物だ。反対側の腕に本物の「荷物」が抱えられているから、余計にそう思う。魔法を使わせるっていう手もあったが、それは相手にもよる。
却下したのは俺だ。そして現在進行形で、後悔している!
ギエエエエエエエェッ
「なあ、ボリス」
「なんだ」
「アイツ、ものすげー怒ってねえ?」
「魔物の区別はつかんが、最初に襲ってきたガーゴイルかもしれんな」
「じゃあ、ボリスを置いていけばいいですね。ご主人様、事が済むまで休憩できますよ」
「大却下」
「えー」
俺の心理を代弁してくれたことは礼を言う。俺の、心の中で。
それでも、仲間を見捨てるのはできない。ボリスは素性も分からない俺たちに、同行を申し出てくれた最初の…………って、あれ? そういえば、ちゃんと契約したか。覚えがないぞ。
ズボッ
漫画的な効果音の後、俺たちは鬱蒼とした森から飛び出していた。
やっとマンフレート山脈を抜けたのだ。長かった。野宿何回くらいか覚えていないが、野生の肉はちょっと臭い。香辛料を持ってきていて正解だった。御者スキルは当分使うこともなさそうだが、料理スキルは格段に上がったと思う。
それにしても、風呂に入りたい。川で水浴び程度じゃ満足できない。
(ついでに美人のねーちゃんが「湯加減どうですか~?」って)
想像で顔が緩みかけ、ついでに足がもつれかけた。危ない。
ほぼ同時に森を抜けたボリスは、荷物を全部投げ捨てるや否や攻撃体勢だ。クラークは潰れたまま、なかなか起き上がってこない。これだからナヨ竹の優男は困る。性格はともかく、魔術師としての能力はかなり高い。魔導生物のガーゴイルと戦うなら、こいつほど適任はいないというのに。
「ソースケ!」
「へ?」
ふっと世界が薄暗くなった。
おいおい、まだ日は高いはずだろ。それとも天気が急変したか。もう荷馬車はないから、自分たちで雨宿りできる場所を確保しなきゃならない。面倒だが、荷物も自分たちもずぶ濡れっていうのは避けたいところだ。
ギエエエエエッ
俺のすぐ目の前で、ガーゴイルが吼えた。
喉の奥で何かが揺らめく。赤い。相当ヤバいってのは理解しても、体が言うことを聞かない。棒立ちになる俺を抱え、ボリスが転がった。
直後、後方でガーゴイルがブレスを吐く。俺のいた場所は真っ黒コゲだ。
「何をしている、逃げろと言っただろう!」
「あ、や、悪い」
なんだこれは。
俺って、死ぬのか。ゲームじゃないってのは最初から理解していたつもりだった。こういうのは通常「すぐ帰れない」って相場が決まっているから、割り切って長期旅行を楽しむつもりだった。その大前提として、俺は絶対に死なない。
だって、そうだろ。
(俺はこの世界で、勇者みたいなもんだろ?)
ガチガチと歯が鳴っている。
盗賊に襲われた時ですら、こんなに怖いと思わなかった。あれか、剣よりも魔法のが強いっていう単純明快な論理か。それでいくと肉弾戦士ボリスよりも超一流魔術師クラークのが強いってことになっちまう。
「クラーク!!」
「お任せください。風精による守護結界を張ります」
「サンキュー! じゃなくて、ガーゴイルをやっつけんのが先だっ」
「ご主人様の安全が最優先です」
「喧嘩している場合か!」
ごもっとも。
そういや、ボリスはこんなおっかねえのとサシ勝負をしたのか。とんでもない奴だが、仲間としては頼もしい。さっきも動けない俺を、ガーゴイルのブレスから守ってくれた。
(俺、ここで死んだらゲームオーバーか? 現実に戻れるんなら、それはそれで)
よくない。
震える足を無理矢理立たせた。
完全に腰も引けちまっているが、そんなこと気にしていられない。クラークが高速で何か呟き、目の前に魔方陣が展開された。ボリスはガーゴイルとガチンコ勝負を始めてしまった。
あれ、俺の出番はなくね? 大人しく守られてろフラグか。
「男の子なのにぃ、かっこわるーい」
「うるせっ」
きゃはは、と甲高い笑い声がした。
反射的に言い返そうとして、そのまま俺は固まった。現状でそんな呑気なことをやっている場合じゃないと分かっているんだが、目の前に女の子がいる。体にぴったりフィットした服といい、ミニスカートとの絶対領域といい、くりっと大きな瞳といい、どこからどう見ても女の子だ。
「色々足りない」
「やだぁ、そんなに見つめないで~」
体をくねらすな、ツルペタロリ娘が。
ついでにクセのありそうな淡いピンク髪をツインテールにしている。ギャルゲのヒロインにしては、微妙にズレている気がしなくもない。ロリータ趣味の兄さんたちには人気があるだろう。濃褐色の肌には意外と、ピンク色が似合う。
「って、違う」
「はにゃ?」
「早くガーゴイルを何とか、…………ガーゴイルって属性なんだっけ」
「土ぃ」
「ってことは風属性が効くな。浮遊石の効力が切れてなきゃいいんだが……」
「何に使うのん?」
クラークが渡してくれたのは、手のひらで余るサイズの石だった。浮遊石は、文字通りに浮遊する石と違う。適した場所に設置することで、触れたものを軽くする効果があるのだ。
俺は荷物の中をゴソゴソやって、その石を見つけた。
「あった!」
「お~」
刻まれた文字がぽおっと光っている。なんだか光り方が弱まっている気がするので、他の荷物からも浮遊石を取り出した。全部で5つある。これなら何とかなる、気がする。
「ボリス」
「なんだ!?」
「ちょっとどいてろ、そぉいっ」
投げる、投げる投げる投げる。
後から冷静になって考えれば、一発ずつ狙いを定めて投げた方が効果的だった。しかし俺に「余裕」の二文字を求めてはいけない。誰だって命は惜しい。死にたくない。
「風精よ!」
クラークの声で、俺はやっとガーゴイルの状態を確認する。
浮遊石が空中で五芒星を描いていた。この世界でも魔方陣に五芒星を使うことがあるらしい。光が青というよりも緑に近いのは、風属性だからか。魔法の知識が全くないので、クラークが何をやっているのかさっぱり分からない。
「粉砕しろ」
――ァッ
光の塊が視界を塗りつぶし、断末魔の声らしきものが微かに聞こえた。
それがガーゴイルのものだったか、魔法による効果音だったのか。もちろん、無学な俺にはさっぱりだ。
「っていうか、適当に投げたはずのもんが五芒星って。俺、すごくね?」
「いや、全く当たっていなかった」
「素晴らしい援護攻撃でした、ご主人様」
ノーコンを褒められても、全然嬉しくねえよ。
「それにしても、キレイさっぱり消えたな。今回も一匹だったのか?」
「ああ」
俺に頷いたボリスが、視線を横にずらした。
んで、また俺に戻る。なんだ、何かあったっけか。ああ、そうだ。忘れていた。改めて隣を見てみて、やっと思い出した。きょとんと不思議そうに、それでいて居るのが当たり前みたいな存在感を醸し出しているロリッ娘。
「そういや、ボリス」
「ちょっと無視なのー?!」
「はいはい、順番な」
断っておくが、俺はナイスバディ派だ。
ついでに将来性のあるタイプも悪くないと思っているが、そっちが絶望的な場合は範疇外になる。贅沢かもしれないが、男のロマンっていうのはそういうもんだ。
そして彼女は、いわゆる少数派に含まれる。
「どうした、ソースケ」
「ありがとうな」
仁王像が首を傾げている。
全身可動式のフィギュアが発売されたとかされなかったとかいう噂を聞いたが、表情まではどうしようもないだろう。こんな仁王像見たことない。
「お前には、何度も助けられた。って、偉そうな口利けるくらい偉くもねえけど」
「…………」
「きちんと、そういうの言ってなかったなと思って。はは、なんだか照れ」
「だめです、ご主人様あぁーっ」
「ごふっ」
何故か、クラークがタックルしてきた。
「て、てめ…………腹ン中のもんをリバースしかけたぞ」
「いくら異性のいない道中だからって、自棄になってはいけません。そこまで追い詰められているのでしたら、私が問答無用で身も心も女になべし」
「フッ、またつまらないものを叩いてしまったにゃ」
そのハリセン、どっから出した。そして、お前はいつまでいる気なんだロリ娘。
一仕事終えた清々しさの演出らしく、出てもいない汗を拭いている。どこから見ても幼児体型、哀しいくらいに幼児体型。えぐれていないだけマシだが、身長が幼児でない時点で絶望的だろう。
誇らしげに反らした胸には、何一つ乗らない。
「……ボリス」
「何だ?」
「うわああぁん、ご主人様ぁーっ」
復活が早いな。ロリ娘め、きちんとトドメを刺しておきゃあいいのに。
「あのさ、これからもよろしくな?」
「ああ」
「それだけ言いたかったんだ。色々邪魔が入ったけど」
「気にするな」
ちゃんと伝わった、とボリスは笑った。俺もつられて顔が崩れる。
背後でクラークが大崩壊しているが、それは聞かなかったことにしよう。相手をすると図に乗るタイプなのは嫌っていうくらいに理解している。それとも魔術師の家系は、性格が不具合を起こしやすい血筋なんだろうか。