おいでませ、異世界・1
俺は運が悪い。
一応名乗っておこう。北川聡介、青春真っ盛りの19歳で浪人生。自慢じゃないが、見事に二年目へ突入した。おめでとう俺、くそったれ俺。
「あー、目に沁みる」
空は快晴。
って、これ日本語合ってるか? 間違ってても別にいいや、誰も聞いてないし。道端で涙溢しつつ、それでのの字書いてもネズミの絵を描いてても、きっと声をかけてくれない。そんな奇特な人間がいたとしても、俺の方から願い下げだ。同情するなら、合格させてくれ。
腹が立つくらいに、青空だ。
そういや、どっかの本で読んだことがある。どこまでも広い海や、空を眺めていると、自分がどんだけちっぽけな存在かを思い知らされる。ついでに抱えてた悩みも小さく感じられて、精神的ストレスも解消されたような心地になれる(つまり錯覚)。
「見事なまでに、欺瞞だ」
苦々しく呟いた。
俺は最高潮に不機嫌だった。
別に、涙がこぼれそうだから空を仰いでいたわけじゃない。ストレス解消や悩み解決のために、眺めていたかったわけでもない。
ただ、そうしていたかっただけだ。
「お、わっ?!」
今のちょっとだけ、英語っぽくなかったか。格好良かったよな俺。
「どうでもいいわあああああぁっ」
セルフツッコミをかましながら、俺は落下する。
おかしい、こんな所にマンホールがあっただろうか。しかも蓋が閉められていなかったとか、どんだけ不幸なんだ。おみくじを引いたら、確実に大凶を引くレベルだ。勘弁してくれ。
「いや、待てよ?」
腕組み、足を組み、ついでに首を傾げる。
余裕っぽいが余裕はない。絶賛落下なう、だ。しかしながら、マンホールとは、ここまで深く作られているものだろうか。大抵は地下水路とか下水とか、とにかく地面の下に作られた地下何メートル程度の深さだったはずだ。
ケータイを引っ張り出す。
「しまった、落下した時点で見ておくんだった」
失敗しっぱい。
頼む、誰かツッコミをくれ。今、願い事がかなうならツッコミ担当が欲しいです神様。って、そんなことを考えている場合じゃない。落ち着け、俺。
「とりあえず現状把握だな。ええと、暗い! 当たり前か。それにしても、どれくらいの速度で落ちてんのかなー、終点で人間の体留めらんねえとかいうオチは、本気で嫌だぞ」
本気と書いて、マジと読む。
「…………。うん、むなしいな」
世界に一人ぼっち、とはこんな感覚をいうのだろう。意味もなく泣きたくなる。どうせ泣いたって誰も見てやしないし、もしも声をかけてくれる人がいるなら――。
「あ、本当に男だ」
「どわあああああああぁ!!」
俺は飛び起きた。
寝ている間に大事なモンを見られても平気でいられる奴がいたら、そいつに言ってやりたい。日本人の慎みというのは、とっても大事なんだぞ。羞恥心ってのは大事なんだぞ。
「ん?」
「おはようございます、ご主人様」
おお、なかなか礼儀正しいじゃねえか。
襟足の長い赤髪がちょっと眼鏡にかかって、その眼鏡がややずり落ちて、控えめな造りの鼻に乗っている。それだけじゃなく、全体的に控えめな顔をしているっていうのが第一印象だった。ずるずると長いローブを着て、まるで魔術師のコスプレだ。
とりあえず一番重要なことを聞いてみた。
「お前、男か?」
「少なくとも女に間違えられたことはありませんが」
「まあ、そうだな。俺も男に見える」
「ご主人様も、立派な男でいらっしゃいますね。見事でした」
「そっちの感想はいい!」
ちらりと視線を向けられて、反射的に隠してしまう男心。
尊敬の念が含まれていても全然嬉しくない。できれば、美女に見られたかった。あるいは、そういう関係になった彼女になら――。
「いや、違うだろ」
いかんな、本能が全力で現実逃避しようとしている。
ぐるりと見回してみて、何かの舞台セットらしいというのは分かった。現代日本では木造建築が主だが、外国では石造りなのが多い。そう、テレビでこんな感じの場所を取材していた。
激しく嫌な予感がする。
「ここは、どこなんだ?」
まさか俺が、こんな台詞を吐くことになるとは。
「神殿です」
「見りゃ分かる」
「お祀りしている神のことを問われているのでしたら、美と豊穣の女神さまでしょうか。ここで召喚魔法を使うと、美しくて豊かな方が来てくださるといいます。まあ、確かに豊かといえば……」
「だから、そっちに話を持っていくな!!」
自信がないとは言わんが。
繰り返す。男に頬を染めてまで褒められても、全然嬉しくない。むしろ、たった今浮かんだ疑問のどれから投げつけてやればいいのか悩んでいる。
空を見上げたって、ちっぽけな悩みだとは思えないレベルのやつだ。
「お前の名は?」
「ああ、申し遅れました。私はケビン・マイク=ドワロン・カート・アルバータといいます。さすがに全部呼んでいただくのは面倒ですので、クラークと」
「どっから出てきた」
「ご主人様がおいでになられる前からですが」
「ちが…………もういい。俺は北川聡介、な。ご主人様とかいうガラじゃねえし」
まあ、好きに呼んでくれ。
ひらひらと手を振る俺を不思議そうに見やったクラークは、首を傾げた後に言った。
「分かりました、ご主人様」
「だーかーらー!」
「ですが、この国では己が使えるべき主を自らの魔力を結集して、異界より召喚するのが定めとなっております。つまり、ソースケ様が私にとってのご主人様なのです。……美女の方が良かったです」
「最後の一言が余計だ。んでもって、激しく同意だ」
俺だって女の方が良かった。
野郎に「ご主人様」と呼ばれるくらいなら、可愛くてスタイル抜群の美女にそう呼ばれた方が数倍嬉しい。いきなり異界に呼ばれたことを嘆く暇もないだろう。
いや、待て。
「異界だあ?」
「はい」
「つまりは何ですか。俺は元いた世界ではなく、別次元の世界とやらに強制移動させられたと、そういうことですか。しかも犯人は貴様だ!」
「その通りです、ご主人様。ご理解が早くて、助かります」
「ちっとも嬉しくねーよっ」
怒りに任せて、下を叩いた。
どうやら異世界トリップにありがちな派手な登場はなくて、きちんと整えられたベッドに寝かせてもらえたらしい。もう少し目覚めるのが遅かったら、知らない男に襲われていたかもしれないと思うとゾッとしない。
「派手に天井をぶち抜いて落下してこられましたので、頭がどうにかなっているのかと危惧しておりましたが。杞憂だったようで安心しました。さすがの石頭ですね、ご主人様」
「誰か、俺の頬をつねってく……いだだだっ」
「加減はいかがでしょう?」
「風呂の温度を聞くような気軽さで聞くな。痛い! 離せっ」
「かしこまりました」
つねられたのと同じくらい唐突に手が離れ、じんじんと痛みだけが残った。
要するに、これは夢じゃない。どこから夢だったのかは分からないが、俺はとんでもない世界に来てしまったということだけは理解した。
しかも、下僕つきで。