その9 魔力の実
「創った、って。このゲームを? そのテンなんとかってヤツが一人で?」
「ええ。彼はこの世界を創り上げると全世界の魔法使い達に宣言したの。力が欲しい者は私の箱庭、メイジオンラインへ集えとね」
ナユラは淡々と、半ばどうでもいいといった感じの声になりながら言う。
「このゲームが全世界の魔法使い達を驚かせ虜にした大きな理由の一つが、この世界でレベルアップすると現実の自身の魔力もアップするという事だったの。本来なら厳しい修行を積まないと得ることの出来ないはずの魔力が、この仮想世界で修練するだけで身に付く。魔法の力を失いかけていた魔法使い達にとっては僥倖と言ってもいいくらいだった」
そこまで言うと、ナユラは神妙な表情を浮かべた。
「でも、それも全てはテンペスタが自分に並ぶ魔法使いを創り上げるため。つまりメイジオンラインはテンペスタをゲームマスターとする壮大な育成ゲームなのよ。自分と全力で戦えるだけの力を蓄えさせるためのね。だから、本来魔法使いじゃない貴方がこのゲームを続けても良い事は何もないかもしれないわ」
「君もそれに乗った口なのか?」
まさか、とナユラは笑いながら俺に微笑を投げる。
「このゲームが開始された時、私はまだ生まれて間もなかったのよ。自分の意思でどうこう出来るような歳じゃないでしょう?」
確かにそれはそうだと納得していると彼女は照れくさそうな表情を浮かべた。
「でもまあ……六歳になった時から親の勧めというか口車に乗ってしまったというか、その頃からこのゲームはやっているのだけれど」
「六歳!?」
八歳からネットゲームをやっているようなエリート廃人は俺くらいだろうと思っていたが、上には上が居たらしい。六歳と言えば小学生になったばかりくらいの歳だ。
「でも、Synapseは十七歳からじゃないと使えないんじゃないか?」
「あれは一般のゲームに接続する時に使うものでしょう? メイジオンラインに接続するのはパソコンさえ近くにあればあとは魔力を使ってダイブするだけよ」
ここ数ヶ月、膨大な量のテキストを読み頭に叩き込んでSynapseの適正試験を切り抜け、お年玉を貯め続けてようやく買ったハードが必要ないだなんて羨ましいやら悲しいやらで俺は少し頭痛を覚える。頭を抱えた俺をナユラは首を傾げながら見つめた。
「話を戻すけれど、貴方がこのゲームにログイン出来たのにはいくつかの仮説が考えられるわ。私が一番正しいだろうと思ってる説は、外部からの物理的あるいは間接的な魔力供給によるログインチェックの通過ね」
「魔力供給?」
「このゲーム、メイジオンラインが魔法使い専用と言ったのにはいくつか理由があるの」
ナユラは手を伸ばして人差し指を立てる。そして中指、薬指と続く。
「一つ、ログインする為には一定量の魔力を保有している必要がある事。二つ、ゲーム内部でのレベルは現実世界での自身の魔力と連動している事。三つ、ゲーム内でスペルを使用するにはレベルアップによって上昇するステータス上の魔法力、SPを消費する事。大まかに言うとこんなところね。魔法使い専用ゲームだという理由としては一つ目のログイン制限が一番大きな理由なのだけれど」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
俺は無い頭を少しだけ稼動して考えると彼女の解説に口を挟む。
「俺が自分で知らないだけで、本当は魔法使いだっていう可能性もあるんじゃないか?」
「その可能性も無くはないけれど」
ナユラはカップを再び口に運ぶと熱を冷ますように息を吹きかけてからそれを置く。
「魔法使いの家系にはいくつか厳守しないといけない決まりがあるわ。その一つとして魔法使いの家で六歳を迎えた子どもには、自身が魔法使いの血筋である事を話した上でとある儀式を行わないといけない事になっているの」
「儀式って?」
俺の言葉に彼女は苦々しい顔をして目を伏せる。
「体内魔力栓の開放。外部から魔力を送って半ば無理やりに栓をこじ開けるの。これがもーのすごく痛くてね……。例えるなら麻酔なしで歯を全部抜き取られるような……」
「う、うへえ……そんな事しないといけないのか」
想像しただけで背筋が寒くなってきた俺は思わず肩を縮める。
「大抵の魔法使い達はその体験を一生忘れないと言われているわ。かくいう私もあの時以上の痛みを味わった事はまだないし」
ナユラは当時を思い出してしまったのか俺に釣られるように身震いし、両肩を抱いて少しだけ青ざめた色を見せるがすぐに元のすまし顔に戻る。
「つまり、それをやった記憶も、魔法使いだと話された事もない俺は」
「イコール、魔法使いではない、と思われるってわけね」
結論を述べたナユラは満足げに笑みを浮かべた。
「だから可能性としては、貴方が何らかの外的要因で魔力を注入された状態になっていて、その時にたまたまメイジオンラインのログインサーバーにアクセスしてしまった、というのが一番有り得ると思うわ」
「外的要因……ねえ? 全く覚えはないんだけど」
俺が首を捻って考えていると、ナユラも似たような仕草で首を傾げる。
「魔力を持ったものに軽く手が触れたとか、魔力痕の残った場所に居たとかでも魔力が移る事はあるから、原因まではわからないわね。それはともかくとして……」
ナユラは再び目を伏せるとゆっくりとした口調で言った。
「魔力は多分、一時的に移っているだけだからしばらくすると消えてしまうと思う。そうすればもうこのゲームにログインする事も出来ないわ」
「え?」
その言葉に俺は後頭部を殴られたような感覚に襲われる。
ログインが、出来ない。この面白そうなゲームの世界に二度と。俺は思わず立ち上がりそうになりながら誰にするわけでもなく抗議の声を上げる。
「そ、それは困る! 俺はもうこのメイジオンラインを遊ぶと決めたんだ」
突然大声を上げた俺にナユラはすくみ上がって驚きを顔に表す。
「困る、って言ってもしょうがないじゃない。貴方には魔力がないんだから。それに、魔力がない人がこのゲームを続けるのは危険よ。魔法防御力も現実の魔力が関係してくるから耐性がない貴方にはダイレクトでその威力が襲い掛かってくるし、下手をすれば本当の体にも悪影響が及ぶ可能性だってあるのよ」
「で、でも……」
「それに、メイジオンラインじゃなくてもVRMMOはいくらでもあるでしょう?」
諭すような彼女の言葉に俺は俯くと、この世界に降り立った時の事を思い出す。
まるで現実の世界と変わらない、いやそれ以上に輝いて見える世界が目の前に広がっていくあの感覚。マウスとキーボードなんかじゃなく自分の体全てで感じる空気、感触、躍動感、そしてリアルに再現された痛みからくる緊張感。ディスプレイ越しなんかじゃない『本物のゲーム世界』にすっかり俺は虜にされてしまっていた。
「俺、この世界に降り立ったとき、すごい感動したんだ。こんな美しい世界がこの世にはあるんだって本当に驚いた。別のゲームに行っても同じような景色は見られるかもしれない。でもこのメイジオンラインに初めてダイブしたあの時に感じた想いを、ここで発散させないときっと一生心残りになってしまうと思うんだ」
恰好いい事を言っているつもりになっているが、簡単に言えば俺は純粋にこのゲームで遊びたいだけだ。人生初のバーチャルリアリティワールド、その世界で思う存分戦い、生きて、暮らしてみたい。ただそれだけの欲求が俺を突き動かしていた。
「なあ、なんとかならないのか? さっきの話じゃ、俺以外にも魔法使いじゃなくてもこのゲームにダイブしてきたヤツはいたんだろう?」
ナユラは俺の懇願するような問いに唸ると口元に手を当てて考え込む。
「リアルで魔力を安定供給してもらえる環境があるなら、またログインする事は可能だけれど……。でもどこで魔力に触れたかはわからないのよね?」
俺は再度頭を捻って記憶を搾り出そうとしてみるが、やはりそれらしい心当たりはまるで思い浮かばない。そもそも今まで生きてきて、リアル世界で魔法使いだの魔力だなんてファンタジーな事を意識してみた事すらなかったのだから無理もない話だ。
「思いつかないな……他に方法はないのか?」
「ゲーム内でレベルを上げるとそれに連動してリアル魔力も上がるけど、元々魔力がない場合はどうなるかはわからないわね……。それにレベルアップにはそれなりの時間が必要になるし」
うーんと首を傾けてナユラは目を閉じる。そしてその整った眉をひくつかせる事十数秒、何かを思い出したように声を上げる。
「そうだ。魔力の実クエストなら……」
「魔力の実? どういうクエストなんだ、それ」
俺は思わずテーブルに乗り出して彼女の顔に思い切り近づいて問いただす。
「ちょ、ちょっと、近いっ」
「あ、ご、ごめん」
ナユラの手が俺の前頭部を追い返すように押し出した。思わず荒くなってしまった鼻息が彼女の髪を揺らし、その奥に見える頬が若干紅に染まっているのを見て慌てて俺は体を引っ込める。つい興奮して身を乗り出してしまった事を反省しながら改めて問う。
「魔力の実ってのはなんなんだ?」
「その名の通り、魔力の底上げをしてくれる果実よ。といっても上げてくれるのは微量で、レベルアップよりも効率が悪いっていう理由であまり人気のないクエストなんだけれど」
「それ! それやってみる!」
それさえあれば魔力を身につけてこのメイジオンラインの世界で遊び続ける事が出来るかもしれない。さらにその実の効果でリアル世界の俺も魔法を使う事が出来たりなんかしてと淡い期待を抱いた俺はつい大声を上げてしまう。もちろんリアルに魔法使いが居るだなんて妄想みたいな話には未だに半信半疑な部分もあるけれど。
しかし、もしかしたら。
半世紀前にはまさに未来への想像図でしかなかったバーチャルリアリティワールドを実際に体験してしまった俺は、その「もしかしたら」という夢物語を信じてみたいという気持ちになっていた。仮にもし今までの話がナユラの作り話だったとしても構わない。この世にはまだまだ自分の知らない事や世界がたくさんある、そう思ってみるのはまったくもって悪くない気分だった。
むしろ、最高だ。
「そのクエストをやるにはどこに行けばいいんだ? 何か必要なアイテムとか――」
高揚感に満ちて早速クエストを受けに行こうと詳しく話を聞こうとしていたその時だった。ふいに俺の背後から野太い声がかかる。
「おいお前」
俺とナユラが揃ってそちらへ視線を送ると、そこには一人の男が立っていてこちらを見下ろしていた。腕を組み体をやや仰け反って構えた姿勢から繰り出されるその視線は、決して俺が椅子に座って低い位置にいるからではなく、明らかに顎をくいと伸ばして見下しの色を見せる。その目はまるで汚物でも見るかのように濁っていて若干の不快感を覚える。
男は俺が怪訝な表情浮かべたのを見るとゆっくりと口を開いた。
「お前、見ない顔だな。階級はいくつだ。レベルは」
『階級?』
俺の発した返答はパーティトークのままになっていたため相手には届いていなかったらしく、ナユラが代わりに口を挟む。
「ベスティ。彼、ユウノは私の友人よ、派閥に入ってくれたばかりなの。今レクチャーしているところだから、ダンジョン攻略関係の用事があるなら後で聞くわ」
派閥。そんなものに入った覚えはない。しかし俺が着ているのは確かにメイジアカデミーとやらの制服で、傍から見ればこの派閥の所属だと思われてもなんら不思議ではないい。むしろ制服を着ているのに派閥員ではない事のほうが不審がられるかもしれない。それは先の森でのナユラとの一件から想像がついた。
どうやら彼女は俺を庇ってくれているらしいが、その返答にベスティと呼ばれた顔長の男はどうにも納得がいかないようだった。
「ナユラさん、そのような雑務は下位の者にさせておけばよろしいでしょう。貴女様には大事な活動があります。こんな冴えない男の相手をする必要はないはずだ。それに失礼だが、貴女にはもっと高貴な友人関係が相応しい」
そして男はさらりとした金髪を揺らしながら再び俺を見下ろす。視線がいちいちねちっこく、絡むようなその眼差しに段々と嫌気がさしてくる。そもそも何故俺はこいつに冴えないヤツだなんて言われないとならないのだろうかとふつふつと何かが煮えたぎってくる。
「私は、私がしたいようにするだけよ。ゲームの遊び方も友達との付き合いもね。ゲーム攻略への協力に力は惜しまないけど、それを強制されるつもりはないわ」
ごもっともな意見だと賞賛を送りたい気持ちになる。ざまあみろと心の中で顔長馬ヅラ男に言葉を投げると、それが聞こえたのかと思うくらいにギロリと鋭い視線を向けられた。
「おい貴様」
お前、から貴様、へのランクアップ。いやよく考えるとランクダウンだろうかと思っていると男はニンジンみたいに真っ赤にした顔を近づけてくる。
「ナユラさんはお前が思っているよりも大変重要な人物なのだ。我等がメイジアカデミー派閥を率いるトッププレイヤーの一員であり、次期指導者だという呼び声も高い。貴様ごときが話すなど、ましてやティータイムを共にするなど言語道断なのだ! そもそも! 貴様はナユラさんの一体なんなのだ!」
馬顔でそう捲くし立てるとふんすと鼻息を荒くして威圧するように睨み付けてくる。
「えーっと……俺はナユラさんの、友人、かな?」
俺がまいったなと思いながら頭を掻いて周りを見回すと、こちらに集中していたであろう周囲の視線が一斉に波を引くようにそれぞれのテーブルへと落ちる。しかし顔は背けていても野次馬達は聞き耳を立て続けてちらちらとこちらの様子を伺っているようだった。
中には「また始まったぞ」だとか「よくやるよね」などという会話が微かに聞こえてくる。
当のナユラはといえばバツの悪そうな顔を浮かべて、どうしたものかと呆れているようだった。様子から見るに、どうやらこれが初めての出来事ではないらしい。
『ごめんなさい、気にしないで。この人、悪気があるわけじゃないの』
彼女はパーティトークでそう呟くと立ち上がって馬顔男へと向き合う。
「ベスティ、さっきも言ったようにユウノは私の友人よ。失礼な発言は控えて欲しいわ。急な用事がないのなら今日はお引取り願えるかしら」
「しかしですね、ナユラさん。貴女は我々の次期指導者としてもっと我々を引っ張っていって頂かなくては。私を始めとしたアカデミーの学生達も皆協力は惜しみません。会議を途中で抜けてこんな男とお茶を飲むなどしなくても、もし相談事などがあるのであれば我々がいつでも受けましょう。ですから――」
駄目だこりゃ。この馬ヅラ、どうしてここまでナユラに執拗に絡んでくるのだろうか。そもそもなんで初対面の俺はこいつにこんな敵対視されないといけないのか全くわからない。確かにこんな美人系アバターの女の子と一緒に居たら羨ましがられるのもわかる気がするけれどと考えていた俺はもしかしてと一つの考えに至り、男の顔を見上げる。
「なんだ貴様、何をじろじろとこちらを見て――」
「あのさ。ごめん、もしかして俺に妬いてんの?」
一瞬周囲の空気ごとラグが発生したかのように食堂の時が止まった。
『バカ……』と呆れたようなパーティトークが耳に届いたと思うと、馬顔男の顔が怒りに包まれた。
「貴様、立て。決闘を申し込む」
「はい?」
俺の苦笑いが含まれた返事に男は顔をさらに赤く染め、般若のように口元をゆがめながら腰元のロッドに手をかける。
「貴様が思っているような事は何一つないが、貴様の発言は俺とナユラさんの仲、引いてはメイジアカデミー派閥上層部への侮辱と受け取った。立たぬならこちらから行くぞ!」
ちょっと待って欲しい。何故そうなるのか。俺が混乱する頭をどうにか整理しようとしているとナユラが二人の間に立ち入る。そして強い口調で諭すように男へ話し始めた。
「やめなさいベスティ。いくら同じ派閥員同士でも同意なしの私闘は犯罪コードが立つわ。そもそもお互いに何もメリットがないでしょう?」
「だがしかしですねナユラさん! このような男が貴女様の周りをうろついているという事が私は許せぬのです! 何故わかって頂けないのか!」
ナユラは少しだけ困惑した表情を見せる。しかしすぐに眉を上げ、何かを決したように強い視線を男へと向けた。
「ベスティ、貴方の気持ちはありがたいわ。ゲーム攻略の際も派閥の為によく力を尽くしてくれていると思う」
「わかって頂けましたかナユラさ――」
「でも」
一呼吸の間に食堂中の視線が集まる。
「これ以上の個人的な干渉は貴方からは受け入れられないわ。ごめんなさい」
「な!」
その言葉を受け、ベスティは愕然とした表情を浮かべてふらふらと後ずさる。
「わ、私は、そんな、つもりでは……私はあくまでも、派閥の事を慮って……」
そしてその場でへなへなと腰を砕けてへたり込んでいく。見てて少し可哀想になってきたと思っていると、周囲の好奇な視線に気づいたナユラが俺の手を掴んだ。
「行きましょうユウノ」
「へ。え?」
「魔力の実クエスト。手伝ってあげる」
「いや、でも、いいのか?」
俺の言う「いいのか?」というのは、手伝ってくれるという事に対する遠慮ではなく、食堂の床にぺったりと座り込んで放心してしまったベスティの事だ。しかし彼女はそれを一瞥する事もなく出口へ向かって足早に歩き出してしまった。俺は哀れな馬顔男に片手で合掌すると慌てて引っ張られながら付いていく。
辺りからは「とうとう振られたぞ」や「あれが本命か?」という声が聞こえてきた気がしたが、聞こえない振りをして俺とナユラは逃げるように外へと飛び出た。
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