その5 ナユラという少女
森の中を獣道を作りながら歩いてくる男。その体はどす黒い赤を帯びたボロボロのマントに包まれ、手には小ぶりの斧が握られている。手足は細く長く、下腹がぽっこりと膨らんだその姿は手斧と相まって小鬼の一種に見える。
男が得物を軽く振り下ろすとその目の前にあった太い木の枝が鋭利に刈り取られて地面に転がる。
その見た目から序盤向けの雑魚モンスター、森の住人ゴブリンだろうかという俺の予想は、続いて木陰から現れたもう一人によってすぐさま否定された。
「おい、先行しすぎだ。今回の任務は斥候であってキルポイント稼ぎではないんだぞ」
諭すような静かな口調で喋りながらもう一人男が現れる。手斧の男を追うように長い棒で草を掻き分けて歩くやや長身の男。その棒の長さは約2m、先端には宝石のようなものがついていて鈍い光を放っている。
ゲームをかじったことがある者ならばすぐにピンとくるであろうその棒の正体はどうやら魔法使い用の杖だ。
杖持ち男の見た目はどう見ても普通の人間、つまりプレイヤーだと見受けられた。すなわち先に現れた小鬼のような男は多分亜人族系統のプレイヤーなのだろう。
「オイオイ、もしかしてまだ根に持ってんのか? さっき殺ったヤツ、俺の斧だけで倒しちまったからナー。マ、お前がトロトロ詠唱してるのがワリぃんだよ」
「そうはいうがな。お前もたまには魔法だけで戦ってみたらどうかね。魔法使いらしく」
「いやいや魔法なんかよりも斧はイイぞォ? さくっと相手のアバターの四肢が削り取れるあの瞬間がタマらねえんだ。大体、お前サンがサポートに徹してるんだから俺は好きにヤラせてもらうゼ」
二人の男は物騒な内容を談笑しながらゆっくりとこちらへと近づいてくる。どうやら俺にとっては背筋の寒くなるような会話をしているらしい。
つまり彼らはモンスターではなく一般のプレイヤーであるが、俺を『攻撃対象』と見ているようだった。
アークオンラインは種族間の争いも前提のゲームであるし、プレイヤー狩りを行うことを目的にしているプレイヤーはネットゲームには付き物だ。とはいえゲーム開始早々にいきなりの対人戦は完全に想定外な俺は戸惑いながら後ずさる。
その様子を見た小鬼男はしゃりしゃりと手斧を弄びながら笑みを浮かべた。
「おっとイキナリ逃げ腰か? マア少しは楽しませてくれよ。アカデミーの坊チャン」
得物を構えた姿勢を崩さずに間合いを計りながらゆっくりと、だが確実に距離を縮めて近づいてくる。俺は静止させようと思わず両手を突き出して口から言葉が漏れる。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺――」
――始めたばかりだから見逃してくれ――そんな言葉が俺の脳裏を巡る。しかし瞬時にその言葉をぐっとこらえて飲み込む。
命乞いなんて真似、例えゲームの中だとしてもしたくはないという負けず嫌い特有のちっぽけなプライドが俺の発言を止めた。ここでそんな失態を見せれば、俺の分身――ユウノ――の人生にいきなりのケチがついてしまう。
真正面から戦って負けるのならば本望、それこそがオンラインゲームの醍醐味だ。
そう思い直した俺は静かに呼吸をしながら、背中に輝くツルギの柄を握る。シャリンと鋭い声で鳴いたその刀身は俺の想いを汲み取ったかのように眩しく見える。その研ぎ澄まされた切っ先を二人組みに向けると小鬼男はヒュゥと口を鳴らした。
「ヘエ。見たことない剣だな。是非お願いだから早々に死んで、ソイツをペナルティドロップしてくれよ。俺が有効活用してやるからサァ!」
言うや否や手斧を振り被って男が突進してくる。俺よりも小柄に見えるその体を背中から丸めてアゴが地面に擦りそうなくらい屈んだ器用な姿勢で距離を縮めてくる。俺はその突撃に合わせて思い切り剣を振り下ろす――が、小鬼男は読んでいたとばかりに軌道を直角に変えてそれを避ける。
そして隙を見せた俺の横腹を手斧で切り裂きながら横切っていく。一瞬『熱い』という感覚が襲い掛かってきて、俺の視界に表示されているHPバーがガクンと二割ほど減少する。痛みは一瞬で消えて雲散するが、斬られた瞬間に感じた嫌な感触はすぐには引かず体にじんわりと残っていた。正直何度も体験したい感覚ではない。
「ヒェッヘヘ、ファーストアタックゲットぉ~。アイテムルート権は俺が頂いたゼェ~」
小鬼男は俺を挟んで向こう側にいる仲間にそう告げた。長身の男は意にも介さずといった表情を浮かべながら杖を構えて何やらぶつぶつと唱えている。
きっとあれは何かしらの攻撃魔法を詠唱しているに違いない。そう咄嗟に判断した俺は後ろにいる小鬼を無視し、長身の杖男へと向かって走り出す。基本的に前衛アタッカーよりも後衛の魔法職のほうが打たれ弱い設定のほうが多いし、呪文詠唱中に攻撃を喰らえばキャストキャンセルさせることができるのではないかと踏んだ。
しかしその考えを見透かしたように、あと1mという距離まで詰め寄った瞬間に杖の先端から火球が飛び出した。俺は首を思い切り捻って体ごと無理やり転がり間一髪回避する。放たれた火球は一秒前まで俺が居た空間を飛び越えてから弾けるようにして爆散した。
「アッチ! アチチ! このヤロ気をつけろ!」
小鬼は手足をばたつかせてマントに付いた火の粉を払う。惜しい、どうせなら同士討ちしてくれたら助かったのにと思っていると再び杖男は距離を取って詠唱を始めた。
不味い、さっきは咄嗟になんとか避ける事ができたが、そう何度もかわし続ける自信はない。攻撃は最大の防御。そう考えた俺は素早く起き上がると剣を横薙ぎの構えで振り被り再度攻撃を試みる。
今度こそ詠唱は間に合うまいと杖男に一撃お見舞いしてやるつもりだったが、その斬撃は横から割り込んできた小鬼男の手斧によりパリィされる。なるほど大したコンビネーションだと思わず感心してしまう。
「そろそろおっチネや、なァ!」
手斧を握りなおした小鬼男の一閃が降りかかる。剣を弾かれた反動で避け切れなかった俺の体に衝撃が走り、一瞬息が止まって軽い脳震盪のような感覚が襲い掛かってくる。
「あがッ……はッ……!」
たまらず転がり腹を押さえるが、血はもちろん出ていないし内蔵が顔を出していたりはしなかった。だが『斬られた』という感触は生々しく俺の体に広がっていき得も知れぬ不快感に包まれる。視界の端に表示されたライフゲージに目をやると残りHPは一割あるかどうかの目盛りしか残っておらず、そのバーは血のように真っ赤に染まっていた。
アイテム欄を開いて回復アイテムを取り出そうとするが、指が震えて上手く動いてくれない。脳波が作り出した仮想の体は痛覚への影響により正しく機能を果たそうとしてくれなかった。
「悪いがここまでだ。ファイアボール!」
杖男の声が耳に届くが、俺の体には力が全く入らず起き上がってくれない。健闘はしたつもりだがどうやらここまでらしい。今回は俺の負けだがいつか必ずリベンジしてやるから待ってろ、と捨て台詞の一つも吐いてやりたいが口すらも上手く動かない。
HP残り1でも元気に剣を振り回したり走り回ることができるのはやはりゲームキャラクターだけらしい。といっても俺も今はゲームキャラクターなんだけどなあとどうでもいいことを考えながら俺は火球が我が身を焦がすのを待っていた。
「……あれ?」
しかしさらに数秒経っても俺の体は火に包まれることはなく、時間経過の影響により少しずつ体から斬撃の不快感と重さが消えていく。どうしたことかとゆっくりと顔を上げた俺の視界に人影が飛び込んでくる。
その正体は小鬼男でも杖男でもなく、一人の少女。
彼女はこちらを見下ろし、俺の右頬にそっと触れ小さく何かを呟いた。するとほのかな光が俺の体を包み、その様子を確認した少女はゆっくりとした口調で語りかけてきた。
「大丈夫? もうちょっと寝てて。今片付けるから」
彼女はその長い金髪をなびかせて二人組に向き直ると、手に握った短めのロッドを構える。白いブラウスに水色の薄手のチュニックを身にまといスカートをひらつかせ、凛々しく、そして勇ましく立っていた。俺の目に映るその姿は、まるで戦いの女神でも降臨したのだろうかと錯覚してしまうくらいに神々しく美しかった。
「ンダよテメえはよぉー!」
小鬼男が手斧を構えて少女へ襲いかかる。危ない、と立ち上がり飛び出そうとした俺は見えない壁に鼻をぶつけて尻餅をつく。よく見れば俺の周囲を薄い膜の半球が覆っていて、まるで保護するかのように淡い光を放っていた。先ほど彼女が呟いていたのはこのシールドを張っていたのだろうか。
「ホゲえええ!」
一瞬目を離した隙に、小鬼男は大きな爆発と共に悲鳴を上げて吹き飛び地面に転がっていた。彼の頭上に表示されていたHPバーが瞬時に全て黒に染まり、握られていた手斧が手から滑り落ちて光りと共に消滅すると同時にその体はぴくりとも動かなくなった。少女はそれを確認すると杖男へと向きを変える。杖男はあっけに取られた顔を浮かべて少女を見据え、そして一瞬はっとした表情になるとゆっくりと後ずさりを始める。
「よく見れば……アカデミーの廃人殿か、これは分が悪い」
「逃げたければどうぞ。無理には追わないわ」
「そいつはありがたい。今日はあくまでも斥候任務でね。死闘を演じたい訳じゃあない」
杖男は冷静な口調でそう語り、俺の方をちらりと見てから一言「命拾いしたな」と言い残して森の中へと姿を消した。どうやらアンタもな、と心の中で毒づきながら俺は立ち上がって少女へと声をかける。シールドは効果時間が切れたのか、いつの間にか消え去っていた。
「あ、ありがとう。助かったよ」
転がっていた小鬼男のアバターが光に包まれて消え去るのを見ていた彼女はこちらに向き直り笑顔を浮かべる。
「いえいえ。同じ派閥メンバーを助けるのは魔法使いとして当然だから。っと、とりあえずは回復しないとね」
そう言った少女が短く詠唱を唱え始めると俺の体を緑色の光が包んだ。HPバーが徐々に回復を始めていくのから見てどうやら回復魔法の類だろう。助けてもらった上に回復までしてもらってしまうなんて、ありがたいと思う気持ちと共に女の子に助けてもらうだなんてと情けない気分もふつふつと湧き上がってくる。
もちろんネットゲームで性別なんてあってないようなものであるのは重々承知しているが、そこはいわゆる一つの気分的問題だった。女の子に助けてもらってしまうだなんてと思ってしまうくらい俺の思考はバーチャル世界にのめり込んでいたし、それに加えて目の前の少女は現実世界ではあまり拝む事が出来ないくらい可憐な顔立ちをしていたからだ。
細身のその体はとても華奢で手足はすらりと伸びていて、長い金髪はさらさらと風に揺れて美しく輝いている。このくらい完成度の高いキャラクリエイトは一体何時間かければ作り上げることができるのだろうかと考えたが、そもそもまだアークオンラインのキャラクリエイト画面を見た事がなく判断のしようがないのに気づいて俺は思考を打ち切った。
「はいこれでよし、回復完了よ」
「ありがとう、何から何まで」
「いえいえ困ったときはお互い様よ。でもね――」
「え? あいたっ」
少女は突然俺の頭にこつんとげんこつを落とした。ダメージを食らったわけではないようでHPゲージは少しも減少していなかったが、微かな痛覚に俺は声を漏らした。
「あなた。どうしてソロで、しかもあんな風に魔法を一切使わずに剣だけでなんて無謀な戦い方をしていたの?」
「え? いやその――」
「杖とかロッドは? スペルブックとか持ってるでしょう?」
「えーと、持ってないけど……」
先ほど手持ちのアイテムを確認した際、その手の類のものはなかったことを思い返す。そもそも何故魔法を使わなかったのかと言われても、魔法スキルなんて一つも持ち合わせてはいなかったのだから仕方がない。しかし少女は俺の回答に不満な点があったのか、目を見開いてから大きな溜息をついた。
「はあ……キミ、見たことない顔だけどその服を着てるってことはメイジアカデミーの所属でしょ。あのね、どうやら初心者みたいだから教えておくけれど」
「は、はあ」
メイジアカデミーとは一体何の事だろうと思ったが、初心者である事に変わりはないので静かに彼女の口上を待つことにする。
「魔法具を持たないでバトルフィールドを一人でうろうろしてるなんて危険もいいところ。魔法使いに有るまじき行為よ。私たち魔法使い同士の戦いは基本的に遠・中距離からのスペルアタック。さっきの奴らみたいにパーティで行動しているならともかくソロで剣だけだなんて恰好の的。無謀すぎるわ。チュートリアルでも言ってたでしょ?」
先ほどまで優しそうな顔をしていたと思ったのに、今はまるで母親が子どもを叱り付ける時みたいにつんとした表情に取って代わっている。俺はその威圧感に気圧され口ごもりながら弁明する。
「いや、チュートリアルなかったし……そもそも杖なんか持ってなかったし……」
「え? そんなはずは……初期装備のロッドくらいあったでしょう?」
俺はかぶりを振って否定し、腰を回転させると背負ったままの剣を少女へと向ける。
「俺の初期装備、武器はこれだけだよ」
「これ? 初めて見る剣ね。名前は?」
「えーと、確かツルギ、ってだけ。それ以外は特に説明文もついてなかったかな」
少女は不思議そうな顔をして首を傾げる。その仕草で髪が揺れてさらりと肩からこぼれ、絹の糸のように滑らかな軌道を描く。俺がそれに見とれていると彼女は静かに口を開いた。
「ふーん……まあいいわ。とにかく生半可な人がシギルウォーでソロなんて無茶よ」
「シギルウォーって?」
「今、貴方も参加しているこのバトルフィールドでの派閥間争いの事よ。って、そのくらいは知ってて派閥に入ったんでしょう?」
いや全く話がわからない。そもそも派閥とやらに入った記憶もないし、そんな争いに参加した覚えもない。だがなんとなくわかった事は、どうやら現在ゲーム運営陣によるバトルイベントか何かが開催されているらしい。つまり小鬼男と杖男はそのせいで俺に襲い掛かってきたのだろう。ベータテスト初日からいきなり対人戦闘イベントとは、アークオンラインはなかなかに好戦的なゲームらしい。
「とりあえず――」
彼女は一言そう呟くと、自身の胸元をダブルタップしてメニューを開き何やら操作を始める。指先で数度空中をなぞるその姿を見守っていると俺の耳にポンとシステム音が響き、それに続いて俺の目の前にブラウザが浮かび上がった。
『ナユラ さんからパーティの招待が来ています。 YES/NO』
俺はちらりと目の前の少女を見てからYESを選びタップする。すると視界の左下に彼女の名前――ナユラ――と言う単語とHPゲージと思われる青いバー現れた。傍らにはさらにレベルの表示と『メイジアカデミー所属』との一文が書かれている。パーティメンバーの情報が簡易的に羅列されるというゲームではよくある表示方法だった。
「えーと……ナユラ、さん」
「戦闘時間は残り十五分もないけど、丸腰のまま放っておいて死なれるのは寝覚めが悪いから。私と臨時パーティを組みましょう」
「あ、なるほど。そいつは助かるよ」
確かに一人よりは二人のほうがゲームは効率的に活動できるし、先ほど俺を襲ってきた二人組のコンビネーションに惨敗を期した苦い経験から彼女の申し出をありがたく受け入れる事にした。
「よろしくナユラさん。あ、自己紹介がまだだったな。俺はえっと……名前なんだっけ」
「え? ふふ、おかしな人。自分の名前でしょう?」
そう言って彼女は視線を視界の端へと向ける。
「えっと、ユウノさんね。短い時間だけどよろしくお願いします。レベルはいくつくらい……え?」
俺の名前を読み上げながら握手を求めてきたナユラは一瞬驚いたような顔をして声を漏らした。その様子を見た俺はどうしたのだろうと思いながらも差し出された手を握り返そうと手を伸ばす。しかし――――
「あいだッ! いだだだだだ!」
差し出したはずの右手から突然軋むような痛みが走る。そして痛みに気を取られていた一瞬の間に俺の右手は捻られながら後ろに回され、背後にいつの間にか移動していたナユラによってがっちりと固定された。
「ちょ! ナユラ、さん! いきなり何を……」
「下手に抵抗しないほうがいいわ。派閥上位者権限の拘束スキル、無理に解こうとしても絶対に抜ける事は不可能だから」
先ほど俺を叱りつけてきた時以上に厳しい口調で彼女はそう言った。
肩から右手首まで筋張るようなこの痛みの原因はどうやら関節を決められているせいのようだった。しかし何故だ、意味がわからない。どうして彼女はいきなりこんな事をしてくるのか。俺は痛みのせいなのか拘束スキルとやらのせいなのかはわからないが全く動けないまま彼女を問いただす。
「い、一体急にどうしたってんだよ。助けてくれたり突然攻撃してきたりわけがわから、いだだだだだだだだだだ! やめ、やめてくれえ!」
「質問はこちらがします。まず一つ目」
俺が黙ったのを確認すると、一拍の間を置いて少女は続けた。
「貴方、何者?」