その3 ダイブ トゥ バーチャル
時刻は現在二十時を回った頃だ。
俺は手に汗を握りながら歯を食いしばって必死に視線を動かしながらクリックを命じる。その度にポンとビープ音が鳴り、システムメッセージが表示されては落胆の気持ちがこみ上げてくる。
『サーバーとの接続に失敗しました。』
またかと思いながら俺はページをリロードして再度IDとパスワードを打ち込む命令を脳から下す。数秒の通信時間を経て、今度こそと期待を込める俺の耳に無常にも『ポン』という音が届く。
『サーバーとの接続に失敗しました。』
俺はため息をつきながらタブブラウザに視線を移し、情報交換掲示板のログに目を通す。そこには数々の罵詈雑言が並べ立てられ、運営会社に対する様々な不満や文句がぶちまけられていた。接続できないのはどうやら俺だけではないらしく、多くの難民が掲示板で憂さを晴らすかのように山のようにレスを積み重ねている。
『ログインゲーわろた』
『アークオンライン入れねー! 悪オンライン!』
『負荷テストってレベルじゃねーぞ』
サーバーオープンが十八時。既にそれから二時間以上経過しているが、俺は未だにアークオンラインの世界へと足を踏み入れていなかった。いくらクローズドベータテストと言っても全くゲームが出来ないのでは話にならない。せいぜい公式サイトとログインサーバーに対する負荷テストくらいしか貢献できていないだろう。実際、ここ一時間の間で何度もサーバーがダウンしては接続不可になっていた。
何度もリロードするとたまにバグったようなページが表示されるが、いくらIDとパスワードを入力しても前出の通りエラーメッセージを吐くだけで全くログインすることは叶わない。俺の人生初のVRMMO体験は初日からずっこけてしまいそうだった。
どうしてもこのまま繋がらないようならメッセンジャーで薫先パイと連絡を取り、彼女の遊んでいるVRMMOでも遊んでみようかとも思ったが、それでもやはり俺はアークオンラインを初めてのゲームにしたかった。
VRMMOへの脳波接続、その法的規制の解除される俺の誕生日である今日この日に運命的にも開始されるこのゲームで遊びたかったのだ。
と、言えば聞こえはいいが、どちらかと言えば俺は単にムキになっていた。いや、楽しんでいたとも言えるかもしれない。
安定しないサーバー、乱れ飛ぶ掲示板へのレス、嫌でも脳裏に焼きついて暗記されていくIDとパスワードナンバー。運営開始直後のネットゲームならではの楽しみを俺はそこに見出していた。もちろんこんな経験は初めてではない。全く自慢にもならないが俺は八歳の時からネットゲームをやっている。練り歩いたMMOは両手の指でやっと収まるくらいだ。
そんな俺は高校に入ってすぐ現仮研――現代科学仮想遊戯研究部――の門戸を叩いた。最初に部の紹介を見つけた時はまさかそんな部活が存在するわけがと思ったが、事実その部は存在した。
小学生の頃から家でずっとネットゲームばかりしていた俺はよく親に怒られていた。しかしこの部活に入れば、部活動だという免罪符を得ながらネットゲームをしていられると踏んで即座に入部を申請した。部員は部長である宮原 薫先パイただ一名だったが、彼女は俺の顔をじっと見つめた後、にこやかに微笑んで「許可しよう」と告げた。その後すぐに柚子香が後を追うように入部し、現在では三名で活動している。
話を戻すが、俺はサーバーオープン初日のスタートダッシュは大好きだし、運営のポカによる突発的サーバーダウンなんかもネットゲームの醍醐味だと思っている。
柚子香なんかはすぐに「やめやめ、日を改めましょ」なんて諦めるが、とても勿体ないことだ。この不安定さも含めて『今この時』しか味わえないことだというのに。
だが。だがしかしだ。さすがにそろそろログインさせてくれてもいいんじゃないかな運営さん……もうすぐ俺の心は折れそうです。
「もう一回トイレでも行っとくか……」
俺はベッドから起き上がりヘッドギアを外すと、鞄からペットボトルを取り出し、ほとんど残っていない中身を一気に飲み干すとトイレへと向かった。そういえばさっきのペットボトル、柚子香との間接キスになっちまったなどと余計なことを考えてしまい、排尿が思うようにいかなくなりかけたのは胸に秘めておこうと思う。
特別アイツを意識しているわけではないが、体は勝手に反応しやがってくれる。思春期だからしょうがないことなんだきっと、と誰にするわけでもなく言い訳をしながら心を落ち着ける。
俺は再度ベッドに横たわって目を瞑り、眉間にしわを寄せながらページリロードを何度も念じる作業を再開する。ログインサーバーが再び落ちたのか、エラーメッセージが延々と表示されてしまいIDを打ち込む事すら出来ない。
そして幾度目かの読み込みが終わり、ようやく画面に今までと違うページが表示された。
「お、やっときたか……?」
ここ数時間で初めて見たページだ。背景は真っ黒で、画面中央には大きく「WELCOME」とだけ書かれていて他には何も表示されていない。どうやらここをクリックすればいいらしいと判断した俺は脳波から命令を飛ばす。
その瞬間。体が無重力空間に投げ出されたような浮遊感が俺を包み込む。意識が刹那の間切断され、次に気づいた時には俺は真っ暗な空間に浮かんでいた。横たわっていたはずの体はいつの間にか立ち上がっていて、頭部につけていたはずのヘッドギアもバイザーも見当たらない。
そうか、これがダイブか。
初めての感覚に俺の体――正確には脳波が感覚を再現しているだけだが――は包まれる。
脳波接続による仮想空間へのダイブ中は、簡単に言えば夢を見ているのと似た状態になる。夢の中でいくら体を動かしても現実の体はせいぜい寝返りを打つ程度にしか動かないのと同じように、例えダイブ中に走り回ろうがダンスを踊ろうが現実の体にその動きが反映されることはない。もっともSynapseが脳波を全て読み取ってしまうため、ただ単に睡眠状態に入っている時とは違い現実の体は動かなくなるようになっているのだが。
俺が暗闇にふわふわと浮いたまま言葉にならない感動に興奮していると、目の前の空間に突如炎が現れ徐々に形を成して言葉を紡いだ。
だが、とうとうアークオンラインを、VRMMOをプレイする事が出来るのだと息巻く俺の目に飛び込んできたのは想像とは少し違う文字列だった。
「ウェルカム……メイジ……オンライン?」