その12 ロスト 後編
「さっきオレらに手も足も出なかったのォ、忘れたかよォ!」
手斧を揺らしながら地面を擦らして、刃先に触れた草を鋭利に刈り取りながら突進を仕掛けてくる。相変わらず魔法を使わずに刃で切り裂きたいらしく、真っ向からの馬鹿正直な突撃だ。どうやらよほど自身の足に自信があるのだろう。俺は先刻、ダバンと対峙した時の事を思い返す。闇雲に剣を繰り出しても、奴にはきっと避けられてしまう。
――それならば。
あっという間に距離を詰めてきたダバンに向けて、俺は振りかぶったツルギを思い切り振り下ろす。
「ヒェッハ! 学習しねェなァオマエ! また横腹掻っ捌いてやるよォ!」
ダバンはあざ笑うようにして雄叫びを上げながら、ツルギの切っ先がかすめる直前で直角にステップして回避行動を取る。そしてそのまま再び前方に強く地面を蹴り上げ、俺の横腹めがけて鋭利な手斧を添える。俺は叫んだ。
「あんたもなっ!」
「ヒェッ!?」
俺は待っていたと思いながら腰を思い切り捻り、腕がこれ以上曲がらないというくらい限界まで振り切った。自身の体から見て後方へ向けてツルギの軌道を『予定通り』に半月の形に描く。本来ならば目標も無くただ空を斬るはずだったその斬撃は、直角に器用なステップを行えるダバンに向かって襲い掛かった。
「ギェッハァ!」
ダバンはその一閃をまともに食らい、叫び声を上げながら大きく吹っ飛んだ。俺は確かな手ごたえを感じ、転がる奴を見据えた。
「あんた、せっかくいい動きできるのに、ワンパターンじゃもったいないぜ」
俺は初戦でダバンから受けた攻撃の事を思い出していた。奴は俺が真っ直ぐに振り下ろした剣撃をいとも簡単に避け、直角に曲がりながら俺の横腹を斬りつけて行った。単純にただ真っ直ぐに斬り下ろすだけでは、再度同じ結果を招くだけだろう。ならば逆に、それを利用してやろうと俺は考えた。
奴がステップし、攻撃を繰り出すその瞬間。そこだけにただ狙いを絞ったのだ。また同じ攻撃が来るかどうかは確実ではなかったが、一度倒した相手に対しては少なからず慢心が生まれるはずであり、そこに油断が生じると踏んだ。
そして何より、俺をその分の悪い賭けに駆り立てた理由はしっかりとあった。
俺がツルギを何も無い真横の空間へと振り抜くかどうかという直前、奴は最初のステップと共にこう言ったのだ。「横腹を掻っ捌いてやる」と。その為俺は躊躇無くツルギの軌道を奴の動くであろう移動先へと向ける事が出来た。
しかしこれはあくまでも不意打ちであり、対人戦な以上はそう何度も通じるはずもない。更に言えば、レベル制であるメイジオンラインにおいて俺の能力は格上であるダバンから見て数段劣る。その為、渾身の奇襲は奴への決定打とはなり得なかった。
「てッめえェ……この……やりやがったなァ!」
ゆったりと起き上がったダバンはふらふらと後ずさりながら距離を取る。そして手斧を収めると代わりに小さな杖を取り出した。不味い、遠距離からの攻撃では魔法が使えない俺にとっては断然不利になる。
「オイ! ディーシュ! ボーっと見てねェでテメェも手伝えッての!」
ディーシュと呼ばれた長身の男は肩をすくめると杖を掲げて詠唱を開始する。それに合わせてダバンも杖先を俺に向けながらぶつぶつと呟き出した。
慌てて距離を詰めようとする俺に、すぐさまダバンの放った雷が襲う。
「シビレっちまいなァ!」
俺はとっさにツルギを雷に向けて突き出す。こいつ、『ツルギ』なら奴らの魔法だって吸収してしまえるはずだと思ったからだ。しかし――
「ぐっ! ぐあああああっ!」
その願いも虚しく、ツルギを伝って俺の体に激しく電流が走った。目の端に映るヒットポイントバーが少量減少し、指先まで痺れが起こる。
「な、なんで……おい、ツルギ、どうなってんだよ」
だが俺の問いかけに応える声はなく、ツルギはただ静かにその刀身を光らせているだけだった。ナユラが言っていた推測通りなら、この程度のダメージしか食らわない魔法なら簡単に吸収してしまえるはずだった。しかし奴の魔法は消える事なく俺に襲い掛かった。
「ちょッとそこで待ッてやがれ。そろそろ女の痺れが取れちまう頃合だからよォ」
ダバンはそう言い放ち、マヒで動けないナユラに向けて杖をかざす。
「まずは一発目ッ、デスペナ食らッちまいナァ!」
そして俺に向けた電撃よりも遥かに巨大な光りの渦を練り上げ、ナユラへと放出する。いくら高レベルの彼女と言えど、無防備な状態であれを食らってしまえばただでは済まないかもしれない。俺はナユラを庇うために立ちはだかろうとするが、マヒ効果のせいか体が思い通りに動かない。そして雷撃は光の帯を紡ぎながらナユラへと襲い掛かっていく。
「やめろぉおおおおお!」
「ヒャハア! ヒャッ!?」
俺の叫びとダバンの歓喜の声が響いたその時だった。ナユラの目の前に地面から石壁がせり上がり、その攻撃を防いだ。石は焼け焦げて真っ黒な炭のようになりながら崩れ落ちたが、その向こう側にいたナユラには傷一つついていなかった。俺がほっと胸を撫で下ろすと、ダバンは抗議の声を弾けさせて地団駄を踏む。
「てめッ! ディーシュ! ナニしてンだよ! 邪魔すンな!」
「すまんな。ストーンウォールで取り囲んでやろうとしたところにたまたまお前の魔法が飛んできたのだ」
「チッ! 今度は失敗すンじゃねーぞ!」
ディーシュは非難の言葉にひらひらと手を振ると再び詠唱を始めた。どうやら、奴らのコンビネーションの乱れのおかげで運良く助かったらしい。しかし、きっと次は無い。
「やめろ……! この卑怯者……!」
俺はツルギを地面に突き立てて何とか立ち上がろうとするが、そうはさせまいとダバンが再度俺に標的を変える。そしてナユラに放ったのと同じ、凄まじい光を放つ電撃を俺に向けて放とうと構える。
「オイお前よォ。チョロチョロ目ざわりだからよォ、先に死んどけや、なァ!」
光が濃縮されていき、放電の音が耳をつんざく。さすがにあの魔法を浴びせられたら、一発で俺のHPは空になってしまうだろう。俺はなんとかして回避しようと試みるが先の痺れはまだ回復する気配がなく、俺の体を自由にさせない。
「食らいやがれェェェェ!」
空気が振るえ、ダバンの杖先から光が刃のように走る。真っ直ぐに俺に狙いを定めた雷撃は轟音を響かせながら近づき、徐々に視界を覆っていく。
「くっ!」
動かない体を必死に揺らすが、未だに痺れの取れない俺は成す術もなく光に包まれた。眩しさから目を瞑ると、爆音が俺の体を叩きながら駆けていく。そのまま数秒が過ぎ、辺りが静かになり目の眩みが薄れていく。そっと瞼を開いた俺は自身のHPバーを確認する。
「あれ……?」
だが不思議な事に、俺のHPバーは先ほど確認した時から全く減少してはいなかった。それに、あのでかい雷をまともに食らったはずなのに、体に痛みが走る事もなかった。
しかし――その謎はすぐに解決した。
「ナユラっ!」
眩んだ目が回復した俺の視界に飛び込んできたのは、ぼろぼろになったナユラの姿だった。きっと彼女は俺の前に飛び出し、ダバンの放った攻撃から俺を庇ったのだ。俺は横たわるナユラに駆け寄り、その体を起こす。
「ユ……ノ、逃げてってば……レベル1の貴方が、勝てるわけないんだか……ら」
必死に懇願する彼女のHPバーは徐々に減少していく。そしてそのままゲージは止まる事なく、黄色から赤、そして全てが黒に染まっていく。
「ごめ、んね……色んなとこに、連れてくって、言ったの……に……」
彼女はそう言い残し、強がるようにしてにこりと笑みを作った。
そして、ゲームシステムは無常にもナユラのHPバー横に『死亡』の文字を刻んだ。彼女の体から力が抜けていき、首が垂れる。
「ナユラァッ!」
俺は声を上げた。上げるしか出来なかった。彼女の言う通り、俺はただの初心者プレイヤーだ。対人慣れした複数のプレイヤーを相手に、始めから敵う道理などないのだ。
俺は物言わなくなったナユラを抱えながら、俯いた。
「ホイ~、デスペナいっちょー。次いこかァ~。ベスティ!」
ダバンは再び詠唱を開始し、ナユラに向けて狙いをつける。そしてベスティは俺達にゆっくりと近づいてきて、手の中で蘇生石をころころと弄びながら小さく笑いをこぼす。
「オラ、その汚ねえ手をどけろよ。ナユラさんを生き返らせてやるからさあ。ま、すぐに死んじゃうんだけどね! ひゃは! ひゃははは! はははは!」
俺はその言葉に怒りを覚えながらも、自分の無力さに打ちひしがれて動けずにいた。そんな俺の様子にベスティは堪え切れんとばかりに笑い続けた。そして足でぐりぐりと俺の頭を踏みつけ、次第に蹴りを放ち始める。俺は抵抗する事すらなくそれを受け入れ、ただナユラを抱きしめ続ける。せめて、彼女だけは守りたい。この両手で。例えしてもしなくても結果が変わらないとしても彼女を庇うのを俺はやめたくなかった。
ベスティは高らかな声を上げながら俺を蹴り続けた。
「ひゃはは、おらおら、早くしろって言ってんだろ~。ジャマなんだよどいてろ、おらお――あいたっ! なんだぁ?」
ふと。何かがぶつかるような鈍い音が響いたと思うとベスティの笑い声が止まった。そして俺の目の前に音の主であろう真っ赤な果実が転がってくる。淡い光りを放つそれは上空から降ってきた魔力の実だった。俺とナユラがここに来た理由である果実だった。
――――こんなものの為に、俺なんかを庇った為にナユラはここで終わってしまうのか。
俺の心は申し訳なさで一杯になる。彼女ほどこの世界を愛している者はいない、そう思えるくらいにこの世界が好きなナユラがもうここへ来ることが出来なくなってしまう。俺がもうこの世界に来れないのとは、きっとわけが違う。
俺はただ、彼女の世界を守りたい。そんな衝動が体の奥から湧き上がる。
「……い……」
「あ?」
俺はナユラを地面にそっと寝かせると、足元に転がっていた魔力の実に手を伸ばして拾い上げ、勢いよく噛り付く。藁にもすがるような想いで、ほんのわずかでもいいから自分の力に出来ればと果実を食らう。しゃりと口の中で実が弾け、俺の体を淡い光が覆っていく。
「お前らに、ナユラからこの世界を奪わせたりさせない!」
俺はツルギを強く握り締め、切っ先に怒りを込めてベスティへと差し向ける。その気迫さにか、奴は情けなく『ひぃッ!』と小さなわめき声を上げてあとずさった。それに合わせて俺は地面を強く踏みしめてゆっくりと立ち上がる。
『――そうだな、ガキ』
その時、手元から聞き覚えのある生意気な声が響いた。
『美しいお嬢さんを助けるのは騎士の務めってヤツだしなァ!』
数時間ぶりに聞いたその口調に俺は思わず安堵を感じ、悔しいがとても頼り強く思った。その気持ちを悟られないようにして、ツルギに向けて非難を浴びせて誤魔化す。
「お前今まで何してたんだよ。アイテムならアイテムらしく持ち主の役に立ってくれよ」
ツルギはそのおどけた口調を変える事無く、からからと俺の手元で笑った。
『俺ぁ持ち主の魔力がないと覚醒できねェんだよ。お前サンの魔力が尽きかけてたから、ココロ優しい俺サマはスリープモードに入ってやってたんだよ。ありがたく思えよ』
「持ち主の魔力?」
『前に言っただろ、代償があるって。俺サマは持ち主の魔力を糧にして生きてるんだよ』
そういえば、そんな事を言っていた気がする。
『勘違いすんじゃねーぞ。お前サンが消えちまうと俺サマもまたデータの海ん中だから手伝ってやるだけだからな。さっさと寝起きの朝食を食わせやがれやガキ!』
「へっ。そうかよ。ありがとさん」
――――魔力の実。使用者の魔力を少量増加させてくれるアイテム。これのおかげで俺は少しばかりの魔力をこの身に得た。そしてツルギは俺から魔力を吸い取り、再び目を覚ましたというわけだ。これなら、何とか出来るかもしれない。ナユラを救えるかもしれない。俺はツルギを構え直して敵を睨みつける。
「ダッ、ダバンっ! 早くこのガキも殺しちまえ!」
「チッ! うっとおしいンだよォ! おめェもさっさとくたばれヤ!」
ベスティの叫び声に、ダバンは雷撃の標的をナユラから俺に変更して放った。ナユラのHPを一撃で大半奪い取ったその光の塊に向けて、俺はツルギを勢いよく振り下ろす。
「おおおおおおおおおおおおおおおッ!」
目の前で熱と光が轟きながら弾け、刀身とぶつかり続ける。熱が肌を焼き付けてくるのを感じ、その眩さに再び目が潰れそうになりながら俺はツルギと一体化して立ち向かう。激しい輝きは徐々に収まり、ツルギへと食われ吸い込まれて消えていく。そしてその全てを吸収し終わると、ツルギの刀身に電流が走り始める。
「なッ! ンナッ!」
ダバンは驚きの声を上げながらも、再び詠唱を開始する。
『ガキィ! カウンターだッ! ビリッビリにしてやろうぜえ!』
慌てて詠唱を始めたダバン。俺はその隙を見逃さず、ツルギに促されながら一気に距離を詰めると無防備な奴の体に向けて、思い切り力一杯の一撃を浴びせる。インパクトの瞬間、刀身から青白い電撃が鳴り響いてダバンの体を襲った。
「アギャギャギャギャアガアアアアアア!」
斬撃が体を抜けていき、ツルギを振り切った後もダバンを電撃が覆い、そしてしばらくの間を空けてようやく放電した。
「ア……ガ……ガガ……ディーシュ……か、回復……を」
うめき声を上げるしか出来なくなったダバンは手足をもがいて助けを求める。俺は先ほどから後方で成り行きを見守っていたディーシュと呼ばれている長身の男に向けて剣を向ける。せっかく何とかなりそうになってきたのに、回復されては勝ち目がない。先にあちらを倒すべきかと考えていると、ディーシュは短く詠唱し、小さな光がダバンに向けて飛んでいく。
「あ、ありがてェ……助かッ……!」
ダバンが礼を口にしようとしたその直後だった。
「グガアアア!? な、何しやがるンだッ! ディーシュゥゥ!」
ディーシュから放たれた光がダバンに当たると、奴の体が茨の蔦で絡み取られた。必死に体を動かして抵抗を試みるが、暴れれば暴れるほど蔦は絡みその体を拘束していく。この魔法は、確か見覚えがある――いや、むしろ俺も食らった事があるものだった。
「保安執行用の拘束魔法……!? ……だっけ?」
俺が驚きの声に疑問符をつけ足していると、ディーシュはゆっくりとこちらへ近づいてくる。気がつけば、いつの間にやらベスティにも同様の拘束が成されていて地面に転がっていた。俺はツルギを構えたままディーシュの言葉を待つ。そして彼は静かに口を開いた。
「すまんかったな。許可が下りるまで時間がかかってしまった」
「許可?」
「拘束魔法の一時的使用の許可だ。私は保安執行部ではないのでね」
俺の質問にディーシュは丁寧な口調で応えると、続いて俺に向かって緑色の光を放った。一瞬警戒したが、その光は俺に当たる前に弾けると霧状になって俺の体を包んだ。HPバーがみるみるうちに回復していき体がリフレッシュされていくのを感じる。
続いてナユラに向けても同様の光が放たれ、数秒の後に彼女はゆっくりと起き上がる。俺は安堵の息を漏らして彼女に駆け寄った。
「ナユラ!」
彼女は俺の顔を見ると、一瞬だけ泣き出しそうな目をしてから小さく文句を垂れた。
「バカ……逃げろって言ったのに。なんであんな無茶したのよ。ツルギが起きてくれなかったらどうなってたか……」
「ごめん……って、なんでわかったんだ?」
ツルギが再度覚醒した事や、現状について既に把握しているナユラに疑問を感じて俺は問う。ナユラは少し頬を赤くして応えた。
「……別に本当に死んでるわけじゃないから、戦闘不能状態になって体が動かなくてもキャラクターアバターの感覚は痛覚とかの不快感以外は全部ちゃんと残ってるのよ。それに聴力とか、感触……とかも」
ああ、そうだった、と俺はVRMMOの仕様を思い出す。ゲームによっても違うらしいが、プレイヤーが死亡すると幽霊アバターになったり、セーブポイントに戻されたりするし、もちろん彼女の言うように、その場でキャラクターが死亡ポーズを取るだけのゲームも多い。
つまり、死亡後であってもその後の状況についてはナユラは全て知っているというわけだ。目だけは閉じていたから、視界まではどうなっていたのかはわからないが。
……そして俺はそこまで考えが至って、ようやく彼女の染まる頬の意味に辿り着く。
雷撃によって倒れた彼女を、俺は庇った。その体を思い切り抱きしめながら、だ。
「ご、ごめん! ただ、その、ナユラを守ろうと思って抱きしめただけで、やましい気持ちとかじゃなくてっ!」
「……知ってる。別に怒ってないし……」
慌てて弁解をする俺にナユラはぷいと顔を背けた。その口調は怒っていないと言いつつも尖がっていた。やはり怒っているのかもしれない。俺が黙っていると、その空気を打破するかのようにしてナユラは立ち上がり、強い口調でディーシュへと話しかけた。
「……どういうことか、説明してくれるんでしょうね」
彼は肩をすくめるとやれやれと言いたげな表情を浮かべる。
「全く、これだから現行犯拘束は考え直して頂きたいと進言したのに……ハイン様も人使いの荒い。私に尻拭いをさせる気満々なのだから……」
そして肩をほぐすように首を回転させると、俺とナユラに向けて頭を下げた。
「すまなかった。私はロードテンペスタ派閥所属のディーシュという者だ。ロードテンペスタ代表のレッドラ=ハイン様の命により、派閥員ダバンのプレイヤー狩り疑惑の裏付けを行っていたのだ」
「えーと、つまり……?」
俺は呆けた声を漏らす。
「今回たまたま君達が被害者だった、というわけだ。すまなかったな廃人ナユラ殿」
ディーシュは余り悪びれた様子も見せずに淡々とそう告げた。その態度に俺はカッと頭に血が上り、彼に詰め寄った。
「たまたまだって? こっちはおかげで偉い目にあったんだぞ」
ディーシュの顔を見上げて抗議する俺に、彼は意にも介さずといった態度で返す。
「結果的に助かったのだからよかったではないか。そもそも、他派閥である君らを助ける義理など私には持ち合わせが無い。ハイン様の指示でなければ見捨ててもよかったのだぞ。弱者は淘汰される、リアルでもこの世界でも、それは摂理というものだ。力無き魔法使いは滅ぼされ、真の強者だけがテンペスタの意思を継げるのだから」
「てっめ……!」
「ユウノっ」
握りこぶしをそのスカした顔にお見舞いしてやろうかと構えた俺をナユラが制止した。彼女は俺の手にその手を添えると、俺とディーシュの間に割って入った。
「今回は、お礼をさせて頂きます、ディーシュさん。ありがとう」
「ナユラっ! こんな奴に礼なんか!」
文句をたれ続ける俺を遮ってナユラは続けた。
「でもロードテンペスタの代表は、何故私達を助ける指示を出したの? あのままトドメを刺させておけば、メイジアカデミーの戦力の一部を削ぐ事が出来たのに。目的は何?」
彼女の質問に、ディーシュは一拍の間を置くと応えた。
「……ハイン様の指示だ。真意までは知らぬ。私としては、命令がなければ君らがロストした後に行動を開始するつもりだった。君の言うとおりにね」
ディーシュはそう言うと、地面に転がったまま茨の蔦に締め付けられ続けているダバンに杖を向ける。彼の詠唱と共に杖先が光り出し、線が形作られていき光の輪が現れた。
「オ、オイ、ディーシュ! 俺をどこに送るつもりだッ! オイ! やめっ――」
ダバンは更に暴れ始めて声を荒げた。ディーシュはその言葉に耳を貸さずに、眉一つ動かさないでそのまま杖を振り下ろす。その動きに合わせて、光の輪がダバンの体を包み込み四散させていく。そして光が弾けた後、ダバンの姿はどこにもなかった。
「彼、ダバンの処罰はこちらで下す。まあ、よくて派閥追放か最悪『ロスト』させてこの世界からの追放だろうがな。この世界で他人を強制ロストさせる行為は大罪だ。例えその対象が敵対派閥であってもな。リアルでいうところの殺人と同義なのだから」
「まあ……そうでしょうね」
ナユラはディーシュの言葉に神妙な顔で俯いた。そして後方に向けてちらりと横目を送る。その視線の先には、ベスティの姿があった。
「……あのさ。こっちもその、ロスト? とかいうのをされかけたけど、アンタ達もダバンって男に同じ事をするつもりなのか?」
俺は足元に散らばっている蘇生石を拾い上げて弄びながら、ディーシュに向けて棘を含んだ声を向ける。
「まあ、大別的に言えばそうなるな。もっとも、執行魔法に寄る処置なのでもっとスマートに行われるだろうが」
ディーシュはそう言うと杖を掲げ、その先端から溢れた光に包まれていく。
「そちらの男はアカデミー側で好きにするといい。目的は達成されたので私はこれで失礼する、それでは。『リターン』、『ウルティライ』!」
そして彼の姿はその光が弾けた後、既にこの場から消え去っていた。確かウルティライというのは、先刻ナユラが言っていたこの世界で一番栄えているという街の名前だ。恐らく帰還スペルか何かを使ったのだろう。俺は大きく一息ついてナユラの顔を見た。
「よかったのか? あいつあのまま帰して。文句の一つも言ってやればよかったのに」
ナユラは同じく息をつくと腰に両手を当てた。
「彼の言い分はもっともだもの。油断してた私が悪いってだけ。結局は助けてもらっちゃったんだから、感謝はすれども文句を言うのはお門違いよ。……内心ではちょっと腹が立つのもウソではないけど」
そう言うとナユラは振り向いて歩き出した。この場に残された、もう一人の男の元へとゆっくりと近づいていく。
「ひっ……!」
男――ベスティは、ダバンと同じようにディーシュの放った拘束魔法によってその身を地面に横たわらせていた。歩み寄るナユラから逃げ出そうとベスティは体をよじる。しかし拘束魔法の効果なのか、その場から動くことも出来ずにただただもがき続ける。
「わ、悪かったナユラさんっ! お、俺はあそこまでするつもりはなかったんだっ、本当だ! そう、アイツ、ダバンが悪ノリしてさっ。本当だよっ、だから――」
「ベスティ」
ナユラから静かに語りかけられたベスティはぐっと押し黙り、彼女をそっと見上げた。その表情には怯えが浮かび、何かに対して恐怖を感じているらしい。
「頼む! この通りだから! 見逃してくれよお! 上には報告しないでくれ――ください! お願いします! ロストだけは嫌だっ! お願いしますっ!」
その言葉に、ナユラの手が強く握られるのを俺は見た。泣き喚いて許しを乞おうとするベスティを黙って見下ろしていた彼女はそっと口を開く。
「ベスティ……派閥保安官として貴方を連行します。……後のことは執行部に任せます」
その通達にベスティはがっくりとうなだれ、地面に顔を伏せた。
「ナユラ……さん……っ。ううっ……」
泣き崩れたベスティを見つめながら、ナユラはロッドを操り光の輪を作り出した。この光景を後ろから見守っている俺には、彼女の表情は見て取れない。しかし、きっと悲しげな表情を浮かべているんだろうとは、思った。
「転送執行。ネーム・ベスティ、ログナレイク」
彼女が静かに呟くと、光の輪はゆっくりとベスティの体をくぐり、その体を転移させていく。その様子を見送っていたナユラは、彼が消える瞬間に囁くようにして言った。
「ベスティ……私が貴方に出来る事は、貴方が心を入れ替えて、せめて少しでも処罰が軽くなるよう祈る……それだけです」
光に包まれながら、最後にベスティは彼女の名を呟いていた。懇願するように、過ちを後悔するようなそんな響きだと俺には届いた。
光が弾けて消えると辺りには俺とナユラだけが残された。俺は彼女へと歩み寄り、なんと声をかけようかと悩んでいるとナユラは振り向いて泣き笑いのような笑顔を見せた。
「ごめんね、色々迷惑かけちゃって。ほんと、手伝ってあげるつもりがユウノをロストさせそうになっちゃうなんて、笑い話にもならないよね」
乾いた笑いをこぼしながら彼女は俺の横を通り過ぎ、風に葉を鳴らし続けている大樹を見上げた。いつの間にか、ゲーム内の太陽は沈みかけ、その葉は赤く染まり始めていた。
「魔力の実、手に入ってよかった。これでお手伝いはおしまい、だね。今日は本当にごめんなさい」
ナユラは何度目かの謝罪を口にすると俯いて、間を置くとこぼすように言った。
「やっぱり、廃人って損な役回りだね。自分では普通にしてるつもりなのに、知らないうちに誰かの恨みや、妬みとかを買っちゃう。何が、私、いけなかったんだろうなあ……」
その声には、涙が混じっているような気がした。ナユラは小さく息を吐くと俺に背を向けたまま、無理に出しているような明るい声を上げた。
「きっと、私といるとユウノにまたこんな迷惑をかけちゃう。だから、さっきの――この世界を案内するって話、やっぱりやめるね。貴方にはこんなくだらない派閥争いやしがらみなんかに関わらないで、この世界を楽しんで欲しいもの」
「ナユラ……」
何と声をかけていいのか戸惑っている俺に気遣うような口調で彼女は続けた。
「私ね、この世界で見る夕焼けが大好き。真っ赤な空が、夢のような世界を彩っていく素敵な時間。こんな風景を、貴方にも見つけてもらいたいから。だから、もう私とは……」
それは彼女なりの俺への気遣いなのだろう。自分のせいで俺からこの世界を奪い取ってしまうところだった、そんな風に自分を責めて、申し訳なくて、自分から突き放そうとしている。そんなナユラの思いやりに俺はふと思い返す。
ただ、彼女の世界を守りたい。先ほど強く願った自身の願いを反芻すると思わず笑いがこぼれそうになる。彼女ほどこの世界を愛しているプレイヤーはやはり他にはいない。そう思えた。
「ログナレイク、だっけ。あの街で一番目立つところって、どこだ?」
「え?」
俺の唐突な質問に、ナユラは振り向いて答えた。
「そう、ね。街の中心にある大きな噴水広場かしら。四方に道が伸びているから、街の交通拠点にもなっているし――」
「じゃ、明日……いや、もう今日か。十九時にそこで待ち合わせだ。まずはログナレイクの観光案内をお願いしたいな。せっかくのバーチャルリアリティなんだし、ウマイ食い物とかの店とかも知りたいな」
「ユウ……ノ」
今にも涙をこぼしそうな顔になるナユラに、俺は笑顔を向けた。
「俺達はトモダチだろ。友達はちょっとくらい迷惑かけてナンボってもんさ」
「……ほんと、バカね。ユウノは……」
俺の言葉に一筋の涙を流して、ナユラは笑顔を浮かべた。俺はその女神のような微笑みに思わず頬が熱くなりそうになる。それは彼女のアバターを初めて見た時に生じた感情とは少しだけ違うような、そんな気がした。
そうして、俺のVRMMOの初デビューは無事に終了した。