その11 ロスト 前編
しばらくの空中旅行を楽しんだ俺達は、船が目的地に着くと再び歩き出した。降り立ったのはログナレイクの街に比べると数段規模の小さい町、下手をすれば村と言ってもいいくらいの町だった。
門をくぐって外へ出るとすぐに鬱蒼とした森が広がっていて、ナユラは真っ直ぐそちらへと向かって歩みを進める。俺もそれに続くと彼女は口を開く。
「ここから少し歩くと一本の大樹があるの。そこに魔力の実が生るんだけど……」
「だけど?」
「いつ実が落ちるかは完全にランダムなのよ」
「ひたすら待つしかないってわけか。根気がいるな」
「レベルアップの為に魔物を狩ったりするほうが普通の人にとってはよっぽど効率がいいから、このクエストって人気がないのよね。まあ、おかげで競争相手がいないから今のユウノにとってはラッキーかもしれないわね。っと、言い忘れてたんだけど……」
「うん?」
「辿り着くまでの間、絶対に死なないようにして」
「そりゃあ死ぬのは嫌だけど、何か理由があるのか?」
こくりと頷いたナユラは俺に念を押すように告げる。
「メイジオンラインでは、死ぬとデスペナルティがあるのだけど、リアルの魔力を一部失ってしまうの」
「つまり……」
「少量の魔力しかないユウノは、デスペナを食らったら下手をすると魔力が尽きてこの世界から追い出されてしまうかもしれないってこと。この世界では、それを『ロスト』と呼んでいるの。だから絶対に死ぬのは避けて」
「そいつはヘビーだな……」
観光気分だった俺は気を引き締め直すと、モンスターが居ないかどうか辺りをきょろきょろと見回した。そんな俺の様子にナユラは笑いをこぼす。
「あははっ。まあ大丈夫よ。この辺りは低レベルのモンスターしか出ないし、そうそう死ぬことはないわ」
「そ、そっか。ちょっと安心した」
そのまま雑談しながら歩く事十数分経っただろうか。中心に大きな樹がそびえたつ開けた広場に出た。見上げるために首を最大まで仰がないといけないほど成長したまさしく大樹と呼ぶに相応しいその樹は、風に揺られて静かに佇みながら葉を鳴らしていた。目を凝らしてみるが、魔力の実がどこに生っているのかはよくわからない。
「どこに実が生ってるんだ?」
「魔力の実は一瞬で実り、地面に落ちると同じくらいの早さで腐って消えてしまうの。だからただボーっと待ってるわけにはいかないから、注意して上空に気を配っててね」
「確かに手間のかかるクエストみたいだな……」
俺は平手で影を作りながら上空を見上げる。空には太陽が眩しく輝いていて、リアルとの時差ボケが起きそうになってくる。胸元をダブルタップして時計を表示させてみると、リアルの時刻は深夜二時を回ったところだった。首を仰いだまま俺はナユラに告げる。
「えーと、時間大丈夫か? ここまで連れて来てもらえればあとは俺一人でなんとかなるだろうし、ログアウトしても大丈夫だけど」
「ここまで来たら最後まで付き合ってあげるわよ。ついでで余分に実が拾えればラッキーだしね。意外と美味しいのよ、魔力の実って」
「ははっ。ここでならいくら食べても太らないしな」
「え? 何? もう一回言ってくれる?」
「な、なんでもない! さーって、実はどこかな~っと」
何気なく漏らした発言にじろりとした視線を向けてきたナユラに俺は慌てて背を向けながら必死に実を探すポーズを取る。割と失言だったらしいと反省しながら俺は首を大きく傾けて、真上の枝葉に目を配る。余りにも樹が大きすぎる為、いつの間にか実が落ちてきていてもなかなか気づけなさそうだなと思っていると後ろからナユラが声をかけてくる。
「ねえ。さっきの話だけど」
「え?」
見上げ続けながら俺は間の抜けた返事を送る。少しの間を置いてからナユラは続けた。
「色んな場所に連れて行って欲しいって話……考えてあげてもいいんだけど」
お互い上空を仰ぎながらの為その表情はわからないが、先ほど船で上げていたのと似たような少し尖みを含んだ声でナユラは言った。
「本当か? それは嬉しいな。初日で現地ガイドを雇えるなんて最高にツイてる」
「ふーん、それじゃ、日当費はしっかりもらいますからね」
俺の冗談に彼女もまた同じように冗談を返してきた。うん、やっぱりネットゲームはこういう交流が楽しいよなと俺はなんだか嬉しさが込み上げてくる。
そのまま首に疲労感を与え続ける事十数分。実際に疲れが感じられるわけではないが、そろそろ視線を地面に平行にしないと平衡感覚がおかしくなってきそうになってきた頃だった。
「あ! ユウノ! あっち!」
ナユラの声に振り向いた俺は彼女が指差す方向へと目を配る。大樹の枝が小さく光り、その輝きが凝縮したかと思うと緑色の葉の隙間から赤い色が浮かび上がってくる。
「もしかしてあれか?」
「そう! 行きましょう!」
その掛け声に合わせて二人は揃って落下予測地点へと向けて駆け出した。実が高速で育っていくのを見つめていると、徐々に大きくなっていく果実に同調するように俺の期待も膨らんでいく。あれを食べれば、この世界で遊び続ける事ができる。喜びを感じた俺は今か今かとその時を待ち続けていた。その時だった。
「きゃあっ!」
俺の耳元を何かが風を切りながら過ぎ去り、続いてナユラの痛みを伴うような叫び声が響く。慌てて彼女へと目を移すと、紫色の矢のようなものが彼女の二の腕に食い込んでいるのが見えた。ナユラは腕を押さえながらその場で地面に膝をつく。
「ナユラっ!」
駆け寄った俺にナユラは「大丈夫」と呟き、腰元からロッドを取り出すと矢の飛んできた方角へと視線を配る。後方からがさがさと草木を揺らす音が鳴ったのに気づいた俺は彼女と同じ方向へと向き直った。そこには見たことのある二人の男が立っていて、彼らはこちらにゆっくりと近づいてくる。
「ヒェッヘヘ。ファーストアタックゲットォ~」
聞き覚えのあるしゃがれ声を携えた、ゴブリンみたいに小柄な男が手斧を取り出しながら笑いをこぼす。その後方には同じく見覚えのある長い杖を持った長身の男が立っていて、涼しげなすまし顔を浮かべていた。
「お前ら……! さっきの……!」
俺は背中のツルギの柄に手をかけ彼らに睨みを飛ばす。俺がこの世界に来てから出会ったプレイヤーの数はそう多くない為よく覚えている。彼らは先ほど俺をプレイヤーキルしようとしてナユラに返り討ちにされた二人組みだった。何故こいつらがこんなところにいるのかと思っていると、小柄な男が口を下品に歪ませて喋りだす。
「どォだい、ダンジョン深層部で見つけたポイゾナスアローの魔法の効果はよォ。毒とマヒを同時付与できる優れモンなんだゼェこいつァよォ~」
奴の癖なのか、手斧をしゃりしゃりと鳴らして弄びながら男は続ける。
「連発できねェし詠唱がメンドクセェからよォ~、隙を狙うのが手間だったゼェ~。デスペナルティの恨みを晴らしたいから必死にガマンしてやったンだゼェ。感謝しろよォ、なァ? アカデミーのクソどもォ」
ナユラは状態異常効果の為か苦しそうな顔を浮かべて、奴らにただ視線だけを送る。
「なんであんたら、こんな所に……」
俺の疑問に小柄男はヒェヒヒと笑いながら応える。
「俺ァ、トモダチ想いだからよォ。困ってるトモダチにはつい手伝ってやりたくなるンだよ。ほれ、オマエも出て来いよ」
小柄男が草陰に向けてそう告げると、奥からさらにもう一人男が現れる。金髪を揺らし、その縦長な顔に怒りが混じった半笑いを浮かべ俺達に送りながら二人組みに近づく。その男の顔にも、俺とナユラは見覚えがあった。
「ベス……ティ……?」
ナユラは動かし辛そうに口を開き、彼の名前を呼んだ。三人目の男は彼女の言った通り、先ほどアカデミーで俺につっかかり、ナユラに袖にされたベスティという男だった。彼はナユラに視線を向けられるとそれを避けるようにしながらロッドを強く握り締めてぼそぼそと言葉を紡ぐ。
「ナユラさん……貴女がいけないんだ。貴女が振り向いてくれないから……私に恥をかかせるからっ……そんな男といるから!」
言葉尻を荒げたベスティは地団駄を繰り返すと、今度は俺に向けて殺意の篭っていそうな睨みを飛ばして手を広げ、目を細めながら言う。
「彼、ダバンは私のリアル友人でね。たまにこうしてお願いするんですよ。邪魔な奴を消してくれってね」
ダバンと呼ばれた小柄男はベスティの腰を軽く叩いて応えた。
「ヒェッヘヘヘ、そういうことだよ。コイツがエサを用意して、俺サマが食らう。ドロップアイテムは山分けって寸法さァ。それに、そこの女には個人的な恨みもあったしなァ」
彼らの発言に俺はプレイヤーキルを連想してベスティに問いかける。
「あんた、こんな事をして、あんたの大好きな派閥に迷惑がかかるんじゃないのか。例え一度プレイヤーキルをしてそのちっぽけな逆恨みを晴らしたところで、最悪あんたが派閥を追い出されるんじゃないか?」
俺の質問にベスティは笑いを噛み殺しながら肩を震わせる。
「いらぬ心配をどうもありがとう泥棒ネズミ。確かにナユラさんを失うのはアカデミーにとっては痛手だが、私になびかないナユラさんなんて、どうなったって構わないんだよ」
笑いが少しずつ大きくなりながらベスティは続けた。
「それに、私は派閥を追い出される事なんてない。何故なら、お前らは二度とこの世界に戻ってこれないからだ! げへ! げへっはっは!」
ついに大声で笑い始めたベスティは大きく仰け反って大口を開いた。ふとナユラを見た俺は彼女の顔が青ざめていくのに気づく。
「ベスティ……貴方、まさか……」
「そうだよ、そのまさかさナユラさん」
ナユラの発言に待っていたと言わんばかりにベスティはサイドパックから大量の石を取り出すとこちらに見せ付けるように突き出した。ぽろぽろと手からこぼれるくらいに数の多いそれを握り締めると彼は言った。
「蘇生石……在庫をありったけ持ってきて差し上げましたよ。貴女は何回死ねば、この世界からロストしてくれるんでしょうかね、くふ、クハハ!」
「リスキル……!」
ナユラが苦々しく呟いた。メイジオンラインについては全く詳しくはない俺でも、彼女の言ったその言葉の意味くらいは知っている。リスキルとは、倒した相手が復活したところを再び倒す行為の事だ。大抵のゲームではこの言葉が使われる場合というのは相手をいたぶるシーンに多い。復活してすぐは無防備な状況に置かれている事がほとんどで、リスキルされる側は一方的不利な状態で相手から攻撃されるからだ。
つまり今の状況で言えば、彼らはナユラをあの蘇生石とかいうアイテムが尽きるまでリスキルし続ける腹づもりなのだ。そして彼女にデスペナを与え続ける。
その魔力が尽きるまで――――彼女がこの世界から追放されるまで。
「お前ら……!」
俺は船の上でナユラと交わした会話を思い出しながら、怒りが込み上げてくるのを感じる。
奴らはナユラから、この世界を奪おうとしている。その行為に俺は無性に腹が立ってたまらなかった。彼女が想う、この美しい世界に対する気持ちに共感を覚え始めていた俺は、彼女を守りたいと思った。
ツルギを抜き取り構えた俺はベスティを睨みつける。余裕の笑みを浮かべたままのベスティは半笑いの混じる口調で語る。
「おいおい、あんまり怖い顔しないでくれたまえよ。そもそも、貴様は私に攻撃出来ないんだよ? 同じ派閥なんだからねえ。お前らをなぶり殺すのは他派閥のダバン達さ。私は蘇生係りという大事な役目があるからねえ。まあ別に攻撃してきてくれてもいいがね。犯罪コードが立ってくれれば私も気兼ねなく、思いっきり貴様を攻撃出来るからなあ!」
その言葉に俺は更に頭に血が上っていくのを感じる。自分の手を汚さず、システムの裏を突いて汚い手段を嬉々として行う彼らに軽蔑の心が生まれる。それに何より、この世界をきっと誰よりも愛しているナユラからそれを奪い取ろうとしているのが許せなかった。
こんな奴らに、絶対に屈したくない。
「ユウ、ノ……」
ナユラが苦しげにうめき声を漏らした。ダバンの放った魔法は彼女を侵し、その体の自由を奪い続けている。俺はナユラを庇うようにして男達の前に立ちはだかった。
「駄目……ユウノ、私は、いいから……逃げて……」
「嫌だね」
「ユウノっ……!」
ナユラの悲痛の篭った願いを聞き届けずに、俺は大きく息を吐き出すとツルギを大きく振りかぶった。そして手斧を構え直すダバンに向けて挑発を送る。
「おい、ゴブリンみたいなお前。奇遇だな。俺も大概、友達想いなんだ」
「ヒェヘヘ! そうかい! じゃあ仲良くとっととロストしちまいなァ!」
ダバンは叫びながら、先刻見せたように背を丸めた体勢を取ってこちらへと駆け出す。
「さっきオレらに手も足も出なかったのォ、忘れたかよォ!」