その10 美しき世界
「えーと……さっきはその、ごめんナユラさん」
「何が」
俺は前方をすたすたと足早に進んでいくナユラの背に謝罪を述べる。本日何度目かのドスの効いた彼女のその返答に俺は少しだけ恐怖を感じながら言葉を搾り出す。
「俺の見当違いの発言でなんか大変な事になっちゃって」
「……別にいいわよ。いつかは言わないとって思ってた事だし」
急に足を止めた彼女はこちらに振り向くとなんとも微妙な表情を浮かべていた。
「好意を向けられるのは悪い事じゃないけれど、こちらから何かをお返し出来るわけではないし、行き過ぎた干渉もちょっと、ね」
溜息混じりに漏らしたその言葉には困惑が色濃く見て取れた。
「いつもあんな感じなのか?」
俺の質問にナユラはふうと息を吐く。
「なんでか、周囲にああいったおせっかい焼きが多いのよね。まあ、ベスティみたいにあそこまで強烈なのはそんなに居ないけれど、ある種の尊敬というか憧れというか、そんなつもりはないのだけど注目を集めちゃってるのが原因なんでしょうね」
「注目?」
俺はそう言いながら先ほどのベスティの発言を思い返す。派閥を率いる指導者だのトッププレイヤーだのそんな事を言っていた気がする。
「ナユラさんって実は廃人?」
俺の一言にナユラはじろりとした視線を飛ばす。廃人とは一種のネットゲームのスラングで、ハイプレイヤーのハイという部分が廃人の廃にかかっている言葉だ。俺は一瞬地雷を踏んだかと焦るが、ナユラはすぐに眉をハの字に下ろして淡々として言う。
「そんなつもりはなかったんだけどね。このゲームが好きで、暇を見てはログインしてたらいつの間にかこんな強さになってたわ。それを廃人と罵られるなら甘んじて受けるけれど、そもそも廃人って言葉はあまり好きじゃないわ」
彼女の表情には悲しみが加わり、そして視線が地へと落ちていく。
「ただそれが好きで、ただそれだけをやっていたくてずっと続けていたら廃人なの? この綺麗な世界をたくさん見て歩きたい、ただそれだけの事だったのに……」
俺の軽い気持ちから出た発言が、彼女の顔を曇らせてしまった。その事実に申し訳なさを感じた俺は体を九十度直角に曲げて勢いよく頭を下げた。
「ご、ごめん!」
俺の突然の大声にナユラはびくんと肩を大きく跳ねる。
「確かに廃人って、あまり良い言葉のチョイスじゃなかった。本当にごめん!」
「い、いいわよ別に。言われ慣れてるし……もっと悪意を込められた意味でもね」
強がっているようにも聞こえる声色でナユラは手を振りながら言った。俺は申し訳なさで一杯になりながら天を仰ぐと、数羽の鳥が遠くの空を羽ばたいているのが目に映った。太陽の眩しさと透き通るような青空を見つめながら俺は彼女へと呟く。
「ナユラさんは、純粋にこの世界が大好きなんだな」
「それは、まあ……人生の半分以上このゲームの世界を見てきてるから、愛着くらいは湧くわよ」
少し気恥ずかしそうに彼女はそう応える。そしてそれを振り払うようにくるりと向きを変えると前方を指差した。
「ほ、ほら、もうすぐ船着場に着くわよ」
彼女が示した先を見ると、大きな建物がそびえていた。崖の淵に鎮座するその建造物からは大きな桟橋が宙へと伸びていて、その先には大きな船が浮かんでいる。もちろん、文字通りの意味で空中にだ。
「飛行船?」
「ええ。あれに乗れば目的地はすぐよ」
飛行船、そういうのもあるのか、とファンタジー世界に改めて感激した俺は思わず足早になって入り口へと向かう。そんな俺にくすりと笑いをこぼしながらナユラも続いた。
中に入るとたくさんの人でごった返していた。桟橋がいくつも伸びていて、それぞれに行き先が表示されている。どうやらここから様々な土地へ移動が可能なようだった。
俺がきょろきょろとデパートではしゃぐ子どものように見物していると、ナユラがいつの間にやら乗船券を買ってきてくれたらしく、俺達は目的の船へと足を運ぶ。どうやらすぐに出発の時間だったようで、乗り込んでしばらくもしないうちに飛行船はゆっくりと大空へと漕ぎ出していく。甲板の淵に手をかけながら俺は大地を見下ろしてみる。
「すっげえ……すげえ!」
目の前に広がる世界に俺は再びの感動に包まれる。広がる平野を走る魔物の群れ、生い茂る森から飛び立つ虹色の羽を持つ鳥達、青々とした海を我が物顔で泳ぐ巨大な水棲竜、中世を彷彿とさせる城や町並み。リアルでは決してお目にかかれない光景に俺は思わず息を漏らして見入った。そんな俺の様子に、ナユラは笑顔を見せながら隣に立つ。
「いい景色でしょ。私、飛行船から見渡す景色がこの世界で一番好きなの」
「ああ。その気持ちはすごくよくわかるよ。こんなの見たら、誰だってきっとそうさ」
俺は三度、ほうと息を吐いて地上を見渡した。ナユラは俺と並んだまま同じようにして景色を楽しみながら、ぽつりと呟きを漏らす。
「なんか、こんな風に誰かと純粋にこの世界を楽しむなんて、久しぶりかもしれない」
「そうなのか? こんな感動的な世界なのに」
「みんな、ユウノが持っている今の気持ち、最初の頃の気持ちを忘れちゃってるのかもしれないね。私も含めて……」
そう言ってナユラは目を細めると、腕組みした手を船べりに乗せて顎を預けた。感傷的なその言葉に俺は思わず否定を口にする。
「そんな事ないさ。ナユラさんはこの世界が大好きだってさっき言ってたじゃないか。こんな綺麗な景色が見られる場所を他にもいくつも知ってるんだろ?」
「ま、まあね。伊達に歴が長いわけじゃないし……」
ふうとナユラは息をついた。ぼやくようにして彼女は続ける。
「長い時間を過ごしてきたせいで、色んなしがらみが出来ちゃって、それに少し疲れちゃってるのかもしれない、のかな。期待されるのは嫌じゃないけど、期待されていく分、こんな風に景色を楽しむ余裕なんかはどんどん減ってしまってた……」
暗い顔を浮かべてナユラは地上へと目を伏せた。どうやら落ち込んでしまっているらしいが、慰めようにもいい言葉が思いつかない。俺は頬をぽりぽりと掻きながら、ふと頭にぱっと思い浮かんだ頼み事を彼女にお願いしてみる事にした。
「じゃあさ。他にも連れてってくれよ。こんな感動できる場所にさ」
え? とナユラは俺に振り向いてきょとんとした顔を浮かべる。
「俺がこの世界を楽しむのを見てれば、昔のナユラさんの気持ちをもっと思い出せるかもしれないだろ? 俺は新しい感動に出会えて嬉しいし、ナユラさんは気持ちのリセットが出来る。お互いにとってきっと有益じゃないかな」
「ユウノ……」
ナユラは目を細めて俺を見つめた。なんだか気恥ずかしさが沸いてきた俺は誤魔化すようにして明るい声を上げながら歯を出して笑みを作る。
「っと、その為にも魔力の実クエスト、だっけ。さっさとクリアしないとな。よろしく頼むよ、ナユラさん」
俺は照れくささと、逸る気持ちを抑えられずにそわそわしながら船の進む先へと目線を送る。そんな俺に、ナユラはつんと拗ねたような、尖った声を俺に向けた。
「ナユラ」
「え?」
「ナユラでいいわ、ユウノ。私は呼び捨てしてるのに、こっちだけ『さん』付けされるとなんだかくすぐったいわ。それに、ほら、あれよ」
「あれ?」
「『俺はナユラさんの友人』でしょ?」
ナユラはイジワルそうな笑みを浮かべてそう言った。よくわからないが、どうやら少しは俺の事を信用してくれる気になったらしい。
「わかったよ、ナユラ。改めてよろしくな」
俺は笑顔を返して、バーチャル世界初の友達にそう告げた。