その1 現代科学仮想遊戯研究部
全ての同胞に告げる。私は君達に失望した。
魔法使いとしての誇りを失い、日常という怠惰に身を任せ退化していく君達を憐れに思う。
忘れてしまったかその血に刻まれし繁栄と喜びを。置いてきたかその根源と力を。
ならば私が全てを与えよう。
集え私の箱庭に。『メイジオンライン』へ。
*
蝉の声。グラウンドから響く甲高いノックの音と掛け声。そして部屋に響くエアコンとパソコンの低い駆動音。
それをかき消すかのようにがなり立てるマウスクリックの不規則なリズム、キーボードを叩く音。
ここ現代科学仮想遊戯研究部では、夏休みだと言うのに狭い部屋に篭りながら複数の男女がそれぞれディスプレイと向き合っている。
画面に映るのは巨大なモンスターと対峙する三人のキャラクター。彼らは手に剣や銃や杖を持ち異形の怪物と交戦している。
そのモンスターの肌は濁った緑色に染まり、口からは鋭く尖った牙がはみ出ている。筋骨隆々としながらも飽食によって腹が流線型に突き出た体型をしており、腰には大きな毛皮が巻かれそれを支えるベルトは人間の頭蓋骨が繋がれて出来ている。
頭にはその顔からかもし出されている知性とは対照的に煌びやかな装飾が施された黄金色の冠が頂き、怪鳥から毟り取ったのかと思うくらいに大きな羽が二本、角のように彩られている。
手にはこれまた特大な棍棒が握られていて、振り下ろされる度に衝撃波が地面を伝わる。
俺はそれを緊急回避動作で避けると、隙を見せ無防備になった頭部へと斬撃を与える。
「っしゃ! HP半分切ったよ! もうちょい!」
俺の隣に座る少女が興奮気味に叫ぶ。その声に同調するように、画面の三人のキャラクターとパソコンに向かう三人の動きがさらに加速する。
俺たち現仮研はただいま部活動の真っ最中。現代科学仮想遊戯研究部の活動、それはすなわちネットゲームを遊戯して研究する事である。青空の下で運動部を率いている教師が見たら「不健全極まりない」と鼻息を荒くしながら乗り込んできそうだが、これはこれで歴とした学校公認の部活動なのである。
俺がマウスカーソルをターゲットに合わせてキーボードのファンクションキーを押すと、ショートカット登録されていたスキルが発動し、キャラクターが剣を大きく振りかぶって斬り掛かる。繰り出された強打は目に見えて確実なダメージを与え、たまらずモンスターはノックバックして膝をつく。その隙を狙い仲間たちは一斉に攻撃を仕掛ける。
画面に「オークキング」と表示されているモンスターの傍らに浮かぶゲージが減少し青色から黄色く染まる。半分以上黒く染まっている部分が俺たちの攻撃で削ったダメージ、黄色の部分がオークキングの残りHPだ。
この工程を数度繰り返したのち黄色だったゲージは赤に色を変え、やがて全てが黒に染められた瞬間、怪物は大きな音を立てながら仰向けに倒れた。それと同時に俺の操るキャラクターの頭上には派手な花火が打ち上げられ、続いて討伐貢献度一位を示すこれまた豪勢なファンファーレエフェクトが表示された。
「ちぇー、また京司がトップダメージかあ」
少女、大鈴 柚子香が大きく伸びをしながら不満を漏らした。俺はディスプレイ横に置いておいたペットボトルを一口ごくりと飲みながら、キャラクターのバックパックに自動的に詰め込まれたドロップアイテムを眺める。ボトルキャップを閉めてペットボトルを置きながら彼女へ視線を移すと、じとーっとした視線と目が合う。俺はふふんと鼻を鳴らして息巻く。
「これでボス討伐戦競争、俺のジャスト二百勝、柚子香は百勝。ダブルスコア達成! ゲームといえど負けるのは嫌だからな。競り負けないためのレベルアップは欠かしてないからこその結果さ」
俺の言葉に柚子香は、まともにしていればそこそこ見れたその整った顔を歪ませて不満気に口を尖らせる。
もっとも、それはアイテムを入手出来なかった事に対してのものではない。協力プレイをしている以上は獲得したアイテムは公平に分配する取り決めになっている。それはゲームシステムがサポートして自動的に行ってくれるし、もし特別に必要としている者がいれば譲ったりなどは俺たちの間では日常的な光景だ。
詰まるところこれは単なる俺と柚子香の間だけの競争というだけの話である。俺も大概負けず嫌いな部分があるが、柚子香はそれに輪をかけて負けず嫌いなのだという事は高校二年になった今でも小学生の頃から変わっていない。俺がテストで九十点を取れば彼女は九十五点を取ってきたし、二十五メートルプールを泳ぎきれるようになった時には彼女も泳げるようになるまで練習に付き合わされたりした。
俺が入学直後すぐに現仮研に入った時も、「京司にゲームでだって負けないんだから」と息巻いて後を追うように入部してきた。もっともゲームに関して彼女はあまり向いていないのか、先の通り俺が勝ち越しのまま二年目の夏を迎えた。
「むー、悔しいなー。マウスとキーボードってやっぱ苦手……」
「ちっちっち、モノのせいにするのはよくないな柚子香」
その様子を見守っていたもう一人の少女。部長である宮原 薫先パイは肩まで伸びる薄茶色かかった髪を揺らしながら、整った桃色の唇からくすくすと笑いをこぼして言った。
「なあに、次は勝てば良い、それだけの事だろう柚子香クン」
艶を感じさせるその声から発せられたその台詞に柚子香は頷いて応える。
「ええもちろんです、次は負けませんからっ」
柚子香は背中まで伸びる髪を暑そうにかき上げると傍らのペットボトルを掴み取った。
「あ、ちょ、それ俺のジュース」
「敗者に施しくらいくれてやったっていいでしょー」
そう言って柚子香はごくごくと喉を鳴らして美味しそうに俺のジュースを飲む。まだ一口しか飲んでいなかったそれはみるみるうちに減っていき、総容量の半分ほど飲み干したところでその口元から離れた。ごちそう様と言いながらキャップを回して元の位置に置かれた時には、オークキングのHPバーのようにすっからかんになっていた。あと一口、二口あるかどうかというところだ。
「あーあー……ひっでえ、まだちょっとしか飲んでなかったのに」
「大変美味でした」
にこやかにそう告げると柚子香はその栗色の瞳を輝かせ、再び画面に向かってマウスを握る。
「さーて、もう一周いかない? 私今日まだ一回も京司に勝ててないし」
その発言に薫先パイも頷き、俺の返事を待つように二人から視線が集まる。しかし俺はバツの悪そうな顔になりながら応えた。
「あーっと、悪いんだけど……俺、今日はもう帰らないと」
柚子香は『えー』という罵声にも似た声を上げて視線を再びじとりとしたものに変える。部長はといえば、にこりと微笑を浮かべるとなるほどと言ったように肩をすくめた。
「そうか。今日はキミの誕生日だったな、京司クン」
照れくささを感じながら俺は頭を掻く。しかしその気恥ずかしさは、部長が俺の誕生日を覚えていてくれたということや、今日で十七歳にもなるというのに誕生日にうきうきとしてしまっているとかそういう意味を含んでいるわけではない。もちろん本心では少し嬉しいし、鞄に詰まっている柚子香から貰ったプレゼントの中身も楽しみではある。
だがしかし俺にはそれ以上に今日この日をずっと心待ちにしていたとある理由があった。
「誕生日おめでとう。そしてVRMMOデビュー、おめでとう」
「ありがとうございます先パイ」
十七歳の誕生日、それはVRMMOへ接続する事が法的に許されるようになる日だ。つまり俺は本日解禁予定のゲームをやるためにそろそろ帰宅したかったのである。まったく困ったくらいに生粋のゲーマーだな自分はと思ってしまう気持ちが妙に照れくさかったというわけだ。
「もう十六時か。今日の活動はここまでにするとしよう、二人とも」
薫先パイはそう言うとマウスを操作してキャラクターをログアウトさせ、パソコンの電源を落とした。俺と柚子香もそれに続くように従う。そわそわする心を落ち着かせながら帰り支度を始める俺に柚子香が声をかけてくる。
「京司もとうとうバーチャルゲームデビューかあ。私はあと三ヵ月待たないとだよ」
「それだけ時間があればもう柚子香に追いつかれることはないな」
「さあてそれはどうかしらね~」
ふふんと笑みを浮かべる柚子香を尻目に、俺は鞄を手に取って部室のドアを開く。廊下のむわっとした空気が頬を撫でて汗が吹き出てきそうになる。
「バーチャル酔いには重々気をつけたまえ、京司クン」
「大丈夫ですよ。すぐに慣れて、先パイのやってるゲームにも顔を出しますから」
その台詞に笑みを浮かべて見送る先パイと柚子香に背を向けて俺は廊下を駆け出した。