前編
※こちらの作品は別名儀で公開しているブログにても重複掲載しております。
登場人物
ニケ……本名不明。アルダの街で相棒のニードとともに万屋を営む二十代半ばの女性。仕事にプライドを持っており、必ず依頼をやり遂げる。金髪碧眼の美人だが、他人にあまり興味がなく、初対面の人間にはクールな印象を与える。
N:33-D……通称ニード。国家が造り出した軍事用ヒトガタ兵器。通常は国の管理下に置かれる存在だが、現在は相棒のニケとともにアルダの街で万屋を営む。2メートル以上ある巨体に、どんな攻撃にも絶うる皮膚を持つ。フルフェイスヘルメットのような顔をしているが、人語を話し、兵器とは思えないほど人間らしい行動をとる。
アルバート・ミツン……ミツンモーターズの社長。殺人予告が届く。
ジュリア・ミツン……ミツン氏の妻。夫とは別居中。
レベッカ・ミツン……ミツン氏の一人娘。母親と広い屋敷で2人暮らし。
ローラン・グスタフ……ミツン氏の秘書。依頼人。
カリヤ・グスタフ……グスタフ氏の妻。
MIGHTY WORKS……ミツン氏の護衛部隊。
「これからが良いところだったのに……。それで、今回の仕事は何なんだい?」
しとしと雨の降る昼下がり。窓のない地下の寂れた部屋で、ニードはテレビ画面の向こうでくねくねとポーズをとっている水着姿の美女から目を放し、ところどころ剥げかけた壁に寄りかかりながら睨むニケに従って、しぶしぶテレビを消した。
「……アルバート・ミツン氏が主催するパーティーに殺人予告が届いた。今回はミツン氏の娘、レベッカ嬢とミツン夫人の護衛が仕事よ」
「アルバート・ミツン? たしか大手自動車メーカーの社長さんだったな。何だって殺人予告が届いたんだ? それに本人じゃなくて、今回はその娘と奥さんの護衛が仕事なのか?」
首を傾げるニードに数枚の写真を手渡し、ニケはニードの隣に腰を降ろした。
「ミツン氏は自分の信頼している人にしか頼らないそうよ。今回も夫人とお嬢さんは初めて会う私達に任せるのに、自分はこの国一番だと言われる護衛部隊、MIGHTY WORKSに任せるそうよ。なんでも、MIGHTY WORKS自体がミツン氏の友人の元国家警察の人間に選んでもらって組織した、優秀な元国家警察らしいわ。以前にも何度か護衛に付けていたそうよ」
「MIGHTY WORKSねえ。たしか5人組の護衛部隊だったな。優秀な奴らばかりだと聞いているが、まさかアルバート・ミツンのための護衛部隊だったとはね。しかし、自分の娘や奥さんは他人任せなのか。きっと自分本位のワンマン社長なんだろうな」
呆れ気味に言うニードを無視して、ニケは写真の人物について説明していく。
「いい? テレビや新聞で見たことがあるとは思うけど、このタレ目で白髪まじりの男性がミツン氏。そしてこっちの赤毛の女性がジュリア・ミツン夫人で、こっちの少女が一人娘のレベッカ・ミツン嬢よ」
「おいおい、奥さんも娘もこの旦那にはもったいないぐらいの美人さんだな。娘は今いくつなんだ?」
「今年17になるそうよ。嬉しそうなところ悪いけど、私の話しを真面目に聞いてもらっていいかしら?」
ニケは夢中でレベッカ・ミツン嬢の写真を見るニードからそれを取り上げ、残りの写真に写る人物について説明した。
「この人の良さそうな人物はミツン氏の秘書、ローラン・グスタフ氏。今回依頼してきた人物よ。それでこっちの細身の女性がカリヤ・グスタフ夫人」
「なるほど。それで、殺人予告ってのはどんな内容だったんだ?」
「ただシンプルに明日のパーティーでミツン氏を殺す、としか書かれていなかったそうよ」
「そりゃあ、怖い怖い」
冗談っぽく怯えてみせるニード。それにはかまわず、ニケは表面にヒビの入った掛け時計に目をやって時間を確認すると「出かけるわ」と立ち上がった。
「おい、どこに行くんだ?」
「これからグスタフ氏と明日の打ち合わせなのよ」
そう言って背中を向けるニケに、少し慌てた様子でニードが言った。
「おいおい。打ち合わせって、まさかそいつと二人きりじゃないだろうな? それなら俺もついて行くぜ」
「よしてくれる? あなたが来たら進む話しも進まなくなる。それと、AV観るなら他所で観て」
その言葉に今度は不満の声をあげるニード。
「ちょっと待てくれよ。ここは俺の家でもあるんだぜ? ここじゃなかったらどこで観ればいいんだよ。それに、こんなナリでも俺は一応男なんだ。欲求不満を解消したってべつにいいだろう!」
当然の主張だ、と言わんばかりのニードに、ニケは深く溜め息を吐いて、ベルトに吊ったホルスターから愛用の32口径の拳銃を取り出した。
「だったら私がいない間に観るか、あなたの部屋に専用のテレビを買って観るかするのね。それができないなら、持っているディスクを全て真っ二つにするから覚悟しなさい」
そう言ってそれをニードの額に向ける。
「ああ、ああ、わかったよ。ニケのいない間に観るよ。だから物騒な物を向けないでくれ」
降参だというように両手を顔の横でひらひらさせる。それを見たニケは拳銃をしまって、ドアノブに手をかけた。
「それじゃあ、私は行くわ。打ち合わせが終わったら帰りに何か夕食になるものを買ってくる」
「はいはい。あ、そうだニケ」
既に半身が外に出ていたニケは、ニードの呼びかけに振り返って「なに?」と首を傾げた。
「ディスク観るのを我慢する代わりに、今夜ニケのベッドで一緒に寝てもいい?」
「ベッドどころか、私の部屋に入ったら蜂の巣にしてやる」
そう静かに言って、派手な音とともにドアは閉められた。
「冷たいなあ、ニケは……」
そう悲しそうに呟いて、ニードは再びテレビをつけた。
ニケは巨大な王国バンディッシュの東の外れにあるスラム街、アルダの街を拠点に活動している万屋だった。
どんな危険な仕事も引き受け、確実に成功させてきたことから、この街内外問わず信用されている腕利きの万屋だ。
今回の仕事はこの国で二番目に栄えている都市、カウディの街に聳えたつ鋭利な三角錐の形をしたビルの主である、ミツンモーターズの社長アルバート・ミツン氏の妻とその娘の護衛だ。
護衛の仕事など、ニケにとってはそう珍しいものでもないが、今回は少しやりづらくなりそうだな、と小さく舌うちをする。
(MIGHTY WORKSか……。彼らはプライドが高くて有名だと聞く。邪魔されないといいのだけれど)
そんな不安を残しつつも、翌日、ニケとニードは黒いピックアップトラックのファルコン・ラインに乗り込んで、パーティー会場である待ち合わせ場所のワールドホテル前まで来ていた。
「なあ、ニケ。今度もっとデカイ車を買おうぜ。いいかげん、荷台で移動するのは嫌だ。ほら、依頼人はミツンモーターズなんだろ? 報酬に特注の車をつくってもらおうぜ」
荷台から荷物を持って飛び降りながら懇願するニードに、ニケはきっぱりと、
「却下」
と切り捨てた。
「あなたが乗れる車なんて、デカすぎて邪魔になるだけ。いいじゃない、荷台なら日光浴ができるわよ」
「雨が降ったら濡れるんだけど。俺はニケの隣りで地図を広げてあーだこーだ言いながらドライブがしたいんだよ」
そんなニードを無視して今回の依頼人である秘書のローラン・グスタフ氏を探していると、ホテルの中から慌ててグスタフ氏が現れた。
「お待たせいたしました。お車は——ああ、ファルコン社のですね。よろしければ我が社の物を差し上げますよ——係の者に運ばせましょう」
そう言って、ニードを見て呆然と突っ立っている従業員の青年に「失礼」と声をかけると、慌てて従業員がやってきた。
「こちらの方のお車をお願いします」
彼に車のキーを渡すと、青年は今だにニードから目を放さず、そのままのろのろと車を運んでいった。
「人をじろじろ見るなんて。失礼な奴だな、アイツ」
真っ黒なその顔のいったいどこにあるのかわからない目で、ニードは青年を睨みつけるのだった。
「今回の警備についてご説明させていただきます」
夫人と令嬢が待つという控え室に案内されながら、二人はグスタフ氏からざっと警備についての説明を受ける。
「会場内には役20人ほどのボディーガードがいるほか、会場の出入り口に二人ずつ、ホテルのありとあらゆる出入り口にも二人ずつ配置し、20人近いボディーガードを常に会場周辺を巡回させております。それと同時にこのホテルはセキュリティも硬く、カメラもいたるところに設置されております。また、社長にはMIGHTY WORKSの方々が常に側で護衛をしてくださっています」
なるほど、と頷くニケ。
「そして今回、お二人にはパーティーが終了し、奥様たちがご自宅に到着するまでの護衛をお願いいたします。あ、こちらが奥様とお嬢様がいらっしゃる控え室になります」
そう言って目の前の扉を開けると、中は控えというにはとても広く、小さめながらも豪華なシャンデリアが天井から下がった、きらびやかな部屋だった。
その中で、まぶしい笑顔を振りまきながら、一人娘のレベッカ・ミツン嬢が姿見の前で着付け係の女性と楽しそうに話しをしている。
彼女の母親であるジュリア・ミツン夫人はというと、ソファに座り青白い顔で俯いており、その隣でグスタフ夫人が心配そうに彼女の手を握っていた。
「奥様、大丈夫ですか!?」
慌てて上司の妻に駆け寄るグスタフ氏。そんな彼に夫人は弱々しい笑みを浮かべて「大丈夫よ」と小さな声で言った。
「ありがとう、グスタフ。それより、わたくしたちの護衛の方は……きゃあ!!」
グスタフ氏の後ろに控えるニケとニードを見るなり、夫人は甲高い声をあげた。
「な、なぜ国の軍事用兵器なんかがここにいるのです!! ま、まさかわたくしを殺しにきたのですか!?」
「落ち着いてください、奥様。こちらが今回護衛をしてくださる万屋の方達です。決して奥様を傷つけるようなことはいたしません」
そう宥めるのだが、夫人はグスタフ夫人の手を硬く握りしめてガタガタと震えている。
「お母様ったら、そんなに怖がることなんてないじゃない」
そう言ったのは一人娘のレベッカ嬢だ。
「軍事用兵器が護衛してくれるなんて、大助かりだわ。それより、軍事用兵器って、服なんか着ちゃったりして、まるで人みたいなのね。私、初めて見たから驚いたわ」
ぶるぶる怯える母親とは打って変わって、レベッカ嬢はニードに興味津々だ。
「そりゃあまあ、ヒトガタだからな」
「まあ、すごい! あなた喋れるのね。ねえ、お名前はなんて言うの? ちょっと身体、触ってみてもいいかしら?」
「えっ? べ、べつにかまわないぞ」
レベッカ嬢にちやほやされて嬉しそうなニードを無視して、ニケはまだ怯えている夫人に声をかける。
「今回、お二人の護衛を務めさせていただきます、ニケと申します。向こうでご令嬢と話しをしていますのが、私の同僚のニードです。見た目はあんなですが、危険な奴ではありません。しかし、夫人がどうしてもと仰るのであれば、彼にはできるだけ夫人の側に近づかないように言っておきますが、いかがなさいますか?」
「そ、そうね。レベッカは随分と気に入ったみたいだから、あの子にでも付けてくださいな」
そう夫人がやっと落ち着きを取り戻したとき、
「いったい何の騒ぎだ? さっきの悲鳴は何だ?」
夫人の夫で、ミツンモーターズの社長であるアルバート・ミツン氏が、おそろいのベレー帽に迷彩服、それに真っ白な仮面を身に着けた不気味な数人の男を従えて、どかどかと部屋に入ってきた。
「あ、あなた。べつにたいしたことではありませんの。少し、驚いただけですわ」
「ふん! 人騒がせな奴だ。おや、なぜここに軍事用兵器がいる? 邪魔だ、さっさと片付けろ!」
その言葉にムッとしたニードが言い返そうと一歩前にでると、それをニケが制し、代わりにミツン氏に丁寧に頭を下げた。
「申し遅れました。私の名前はニケ。そして彼はニードと言って、私達は今回ご夫人とご令嬢の護衛のために参りました」
「女と軍事用兵器か。随分と変わった組み合わせだな。まあ、いい。妻の護衛だろうがなんだろうが、私は興味がない。行くぞ」
そう言って後ろの不気味な集団を連れてさっさと消えてしまった。
「ホント気持ち悪いわ、MIGHTY WORKSって」
そう漏らしたのはレベッカ嬢だ。
「MIGHTY WORKS? あのオッサンの後ろにいた連中がそうなのか?」
ニードがレベッカ嬢に問うと、彼女は「そうよ」と父親達が出て行ったドアを睨みながら頷いた。
「みんなあの気持ち悪い仮面を被って、誰一人何も言わないの。私が話しかけても無視するのよ」
「そりゃあ、愛想がない奴らだな」
「それにね、ちょっと耳貸して。あ、耳ってあるのかしら?」
そう言うレベッカ嬢にニードは屈んで顔を近づけ「ここだよ」と、自分の顔の右側面を指差した。
そんな二人を他所に、ミツン夫人の顔は再び青ざめていた。
「おお、おお、奥様。そのようなお顔をなさらないでください。このグスタフもついております」
グスタフ氏は優しく夫人の手を包み、なんとか元気を出してもらおうと必死の様だ。
そんな夫に、グスタフ夫人がそっと声をかける。
「あなた、そろそろミツン様のところに行かないといけませんわ。奥様のことはわたくしがお支えしますから……」
「そんなこと、お前に言われずともわかっている! ああ、奥様。どうぞお気をたしかに……。それでは万屋さま、奥様のことをよろしくお願いいたします」
そう言い残して、グスタフ氏は部屋を出て行った。
「ああ、俺もタキシード着たかったな……」
午後6時。大勢の招待客がパーティ会場に集まる中、ニケとニードは来客と挨拶を交わすのに忙しいミツン夫妻とその娘の姿を少し離れた場所から見守っていた。
「あきらめなさい、あなたが着られるサイズなんてそうそうあるものじゃないわ。特注でもなければ無理よ」
「まあ、俺は仕方がないとしても、ニケはドレスを借りれば良かったじゃないか」
実はパーティが始まる少し前にレベッカ嬢から「せっかくなのだから私のドレスを貸してあげる! 迷って二着持ってきていたの」と言われたのだが、ニケはきっぱりとその申し出を断っている。
「私は遊びに来ているわけではないわ。仕事をしに来ているのよ」
長い金髪を一つに結い直しながら言うニケの服装は、オリーブグリーンを基調とした細身のつなぎ風の服に、中に黒のタンクトップという姿だ。おまけに拳銃を左右のレッグホルスターに所持しており、もとから年より幾分か若く見られるニケには、少々アンバランスな出で立ちである。
「せっかくの美人が台無しだな。俺はニケのセクシーなドレス姿が見たかったよ」
「ドレスなんて興味ない。いいから、あなたも仕事に集中しなさい」
もったいないな、と肩を竦めつつ、ニードはふと先程レベッカ嬢から聞いた話しを思い出し、ニケに話しかける。
「そういえば、さっきレベッカちゃんから興味深い話しを聞いたんだ」
「興味深い話し?」
「ああ。レベッカちゃんの話しじゃ、奥さんのジュリアには恋人がいるらしい。つまり浮気だな」
「……」
「けれど、それもある意味仕方がないことなんだと。というのも、ミツンのオッサンは男子が生めない奥さんを冷遇しているらしく、顔を見れば『男児も生めない欠陥品が』と罵っていたみたいで、表面上は仲睦まじい夫婦のフリをしているが、その実、もう何年も別居状態なんだとさ」
「……それが?」
「え」
もっと食いつくかと思っていただけに、ニケの寂しい反応にニードはがっかりした。
「それが、て。ほら、このパーティーだってもとは結婚二十周年記念のパーティーなんだろう? それなのに夫婦の仲は冷えきっているわ、旦那は命を狙われているわ、奥さんは浮気しているわで散々じゃないか。もしかして奥さんの浮気相手が殺人予告の犯人なんじゃないか? 旦那を殺せば一緒になれると思っているのさ」
自信満々に話すニードに溜め息を吐いて、ニケは首を左右に振った。
「そんなことどうでもいいわ。私達の仕事は犯人探しじゃない。あくまで夫人と令嬢の護衛よ。二人を無事に家まで届けることだけが目的なのよ」
と、相変わらずクールな答えを返すにニケに、ニードは「はいはい、そうですかー」と不貞腐れるのだった。
そんな時、ニケは遠くから刺すような鋭い視線を感じた。目を向ければ、それはこれから正式な挨拶をしようと、スタンドマイクの置かれた舞台に向かうミツン氏の側にいる、MIGHTY WORKSからのものだった。
ミツン氏の側にいるのはその男一人しかいない。きっと他の奴らはもう少し離れた場所から護衛をしているのであろうが、それにしても氏の一番近くにいる癖に、その男は一向にこちらから顔を背けようとしない。
(まるで、見張られている……?)
何かゾクリとする危険な物を感じたニケは、小声で隣のニードに耳打ちする。
「わからないけど、奴らの様子がおかしい。とにかくできるだけ夫人と令嬢の側から離れないようにしましょう」
そう告げると同時に、舞台に立ったミツン氏と、その後ろに控え目に立つ夫人と令嬢にスポットライトがあたり、会場中の灯りも間接照明のみを残した薄暗いものへと変わった。ニケたちは速やかに舞台袖に移動する。
「みなさん、本日は私と妻の結婚二十周年記念パーティーにおこしいただき、ありがとうございます。思えばこうして妻と仲良く暮らしてこられたのも……」
つくり笑顔で意気揚々と話すミツン氏とは反対に、一歩後ろに控える夫人の横顔はとても悲しそうなものだった。
そんな彼らを舞台袖から見ていたニケは、ふと向かいの袖で見守る秘書のグスタフ氏に気がついた。
「随分、心配そうに見ているわね」
「そりゃあ、そうだろう。自分の上司の命が狙われてるんだからな」
当たり前だろう、と半ば呆れ気味に言うニードに、ニケは「それはどうかしら」と言った。
「さっきも感じたけれど、グスタフ氏が本当に心配しているのはミツン氏ではなく、その夫人の方なんじゃないかしら……」
「なんだ、それ?」
「なんとなくよ。あなた言ってたじゃない、夫人には恋人がいるって。もしかしたらそれは……」
「秘書のローラン・グスタフ、か?」
頷くニケ。それを受けて、ニードは向かい側で心配そうに社長一家を見守るグスタフ氏に目を向けた。
「まあ、ありえない話しではないよな。ん?」
衣擦れの音がして二人が後ろを振り向くと、そこにはグスタフ氏の妻、カリヤ・グスタフ夫人の姿があった。
「どうかしましたか、奥さん」
どこか強張った表情のグスタフ夫人に優しくニードが声をかけるのだが、気が動転しているのか夫人はぱくぱくと口を動かすだけで、何も言わない。
するとその時、
「煙だ!」
舞台の灯りが落ちるとともに、至る所から白い煙がもうもうと上がり始める。
「きゃああ! 何も見えないわ!」
「出口はどこだ? ドアを開けろ! すぐに逃げるんだ!」
突然の事態に慌てふためく招待客。ニケたちもすぐさま拳銃を装備して夫人と令嬢のもとへと駆け寄った。
「お二人ともお怪我はありませんか?」
「え、ええ」
恐怖で座り込む夫人を支えて立たせると、そこに割り込むようにグスタフ夫人がやってくる。
「ジュリア!」
「カリヤ!」
グスタフ夫人の顔を見るなり、ミツン夫人はニケをはねのけ、彼女に抱きついた。
「ああ、ジュリア。急いで、急いで逃げなくてはならないわ」
そう言うなりグスタフ夫人はミツン夫人の背中に手を回し、舞台袖にある非常口を目指して駆け出した。
それを見たニケは怯えるレベッカ嬢を抱き上げるニードに声をかける。
「ニード、あなたは二人のご夫人とご令嬢を頼むわ」
「それはいいが、ニケはどうする?」
「私はグスタフ氏を探す」
その言葉を聞いてニードはニヤリと笑う。
「俺たちの仕事は、二人を無事に家まで送り届けることじゃなかったのか?」
「ええ、そうよ。でも依頼人のグスタフ氏がいなきゃ、報酬は貰えない」
そう言って早く行くように指示すると、ニードは「わかったよ」と頷いて走り去った。
それを確認したニケは向かい側の袖に行こうと、煙で前が見えない中、慎重に足を踏み出す。すると何か大きな塊にぶつかった。
「なに?」
手を触れて確認してみると、生暖かい液体のようなものに触れた。もしかしてこれは——
「アルバート・ミツンの血……!」
ニケがその言葉を口にした瞬間、耳元で誰かにふっと息を吹きかけられる。
「誰だ!」
瞬時に間を開けて振り返るニケ。あいかわらず真っ白な煙の向こうから、突如ぬうっと一つの影が現れると、そこにはあの仮面を被った不気味な男が立っていた。
「正解だよ、万屋くん」
人のものとは違う、機会でつくられた声。それがMIGHTY WORKSの声だった。
「どういうことだ」
徐々に煙が薄れいく中、ニケは目の前のMIGHTY WORKSの男から拳銃をそらさずに静かに問う。
「ミツン氏はお前たちが護衛していたはずだ。それなのになぜ、彼は血を流して倒れている?」
睨む彼女をさも愉快そうに見つめながら、目の前の男はゆっくりと首を右に傾ける。
「さあ、ね。どうしてだろう」
「まさか、お前たちがやったのか」
「それに答えるには、まず私の質問に答えてからにしてくれるかな、万屋くん?」
そう言って、今度はゆっくり首を左に傾けた。
「ジュリア・ミツンはどこ行った?」
まるで地の底から響くような、さっきとは違う恐ろしい声にニケは全身に粟立つものを覚えた。
「さあ、ね。どこかしら」
それでも毅然とした態度で男を睨みつけると、男はぐるりと首を回してから静かに言う。
「それなら仕方がない。部下に彼女の居場所を確認するとしよう」
そう言って背中を向けて去っていく男を、ニケは鋭い声で呼び止める。
「待て! いったい夫人をどうするつもりだ!」
「愚問だな」
男は振り返り、その仮面を少しずらした下から見える唇を歪めて、
「旦那とおそろいにしてやるんだよ。君も同じにされたくなかったら邪魔はしないことだね、万屋くん」
そう言って男は去って行った。
煙が消え、物が散乱する会場には二十人近いボディーガードたちの死体と、血だらけで倒れるアルバート・ミツン、そしてニケだけが取り残された。