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優しさのバトン

作者: メリオ
掲載日:2026/10/28


誰かから受け取った優しさを、あなたは覚えていますか。


ほんの小さな親切が、何十年経っても心から消えないことがあります。そして、あのとき伝えられなかった感謝の気持ちが、人生の中で大切な意味を持ち続けることもあります。


これは、幼い頃に出会ったひとりの人の優しさを、長い年月が過ぎた今も忘れずにいる、ある人の実体験です。


過去に受け取った優しさは、どこへ向かうのでしょうか。


直接お礼を伝えられなくても、その思いを未来へつなぐことはできる。


ひとつの優しさが、また次の優しさを生み出していく。


そんな、人と人とのつながりを描いた物語です。



――四十年経っても、忘れられない優しさ――


小学一年生の、ある日のことでした。


その日は、朝の天気予報では雨が降るなんて言っていませんでした。


ところが、学校が終わる頃には、空はすっかり機嫌を損ねていました。大粒の雨が容赦なく降り注ぎ、ランドセルを背負った私は、頭の先から足元までずぶ濡れになりながら、家へ向かって歩いていました。


家までは、もう少しでした。


その途中に、小さな工場がありました。


私がその工場の前を通りかかったとき、ひとりのおじさんが中から出てきました。


雨に打たれ、ずぶ濡れになっている小さな子どもを見て、放っておけなかったのでしょう。


おじさんは、大きなこうもり傘を私に差し出してくれました。


それは、小学一年生の私には、あまりにも大きく、重たい傘でした。


正直に言えば、あのときの私は、そんなことを考えていました。


家はもうすぐなのに。

こんなに大きな傘、いらないのに。


「家はもうすぐですし、大丈夫です」


私はそう言って、傘を断ろうとしました。


けれど、おじさんは笑顔で言いました。


「いいから持って行きなさい」


その声には、迷いも、見返りを求めるような響きもありませんでした。


ただ、目の前で困っている子どもを、雨に濡れたまま帰らせたくなかったのだと思います。


私は、その傘を受け取りました。


大きな傘に守られながら、私は無事に家へ帰ることができました。


そして、今でも忘れられない光景があります。


傘を私に渡したおじさんは、自分はずぶ濡れになりながら、工場へと走って戻っていきました。


その背中を、私は今でも覚えています。


家に帰ってから、母にその日の出来事を話しました。


すると母は言いました。


「明日、学校へ行くときに返して、お礼もちゃんと言ってきなさい」


翌朝、私は傘を持って工場まで出かけました。


けれど、いざ工場の前に立つと、足が止まってしまいました。


私は人見知りで、恥ずかしがり屋でした。


工場の中へ入って、おじさんに声をかける。


たったそれだけのことが、どうしてもできませんでした。


結局、私は入口にそっと傘を置き、そのまま帰ってしまいました。


「ありがとうございました」


そのひと言を、私は言えませんでした。


それから、何年もの月日が流れました。


やがて私は引っ越しをして、あの工場のある場所から離れて暮らすようになりました。


時が流れ、あの工場も今ではもうなくなってしまいました。


大人になってから、ふと、あの日のことを思い出すことがありました。


どうして、あのとき、ちゃんとお礼を言わなかったのだろう。


傘は、ちゃんとおじさんの手元に戻ったのだろうか。


そんなことが、心の片隅にずっと引っかかっていました。


もう、あの場所へ行っても、おじさんに会うことはできません。


おじさんが誰だったのか、今どこで暮らしているのか、知るすべもありません。


あの日の傘が、ちゃんとおじさんのもとへ戻っていたのかさえ、分からないのです。


そして、何よりも。


私は、あのおじさんに、もう一度会ってお礼を言うことができません。


四十年という時間は、あまりにも長いものでした。


けれど、不思議なことに、あの日のことは消えませんでした。


雨の中で差し出された、大きなこうもり傘。


笑顔で「いいから持って行きなさい」と言ってくれた声。


そして、自分はずぶ濡れになりながら、工場へ走って戻っていく背中。


顔も、声も、いつかは記憶の中で薄れていくのかもしれません。


それでも、あの背中だけは、今もはっきりと心に残っています。


私は、あのおじさんに、きちんとお礼を伝えられませんでした。


その後悔は、今でも消えていません。


だからなのかもしれません。


困っている人を見かけると、できるだけ手を貸したいと思うようになりました。


誰かに親切にして、良い人だと思われたいわけではありません。


感謝されたいわけでも、褒められたいわけでもありません。


ただ、目の前で困っている人がいたら、自分にできることをしたい。


あの日、おじさんが私にしてくれたように。


誰かに優しくするたびに、私は少しだけ、あの日のおじさんに近づけているような気がします。


あのとき言えなかった「ありがとう」を、別の誰かに手渡しているような気がするのです。


もしかしたら、おじさんは、あの日のことなんて覚えていないかもしれません。


雨の日に、たまたま通りかかった子どもに傘を貸した。


ただ、それだけのことだったのかもしれません。


でも、私にとっては違いました。


あの日の小さな親切は、四十年経った今も、私の中に生き続けています。


おじさん。


あのときは、ありがとうを言えなくて、ごめんなさい。


傘を貸してくれて、ありがとうございました。


あなたが私にくれたものは、雨をしのぐための傘だけではありませんでした。


人に優しくすることの意味を、言葉ではなく、あなた自身の姿で教えてくれました。


あの日、ずぶ濡れになりながら工場へ戻っていったあなたの背中を、私は今でも覚えています。


もし、どこかで元気に暮らしているのなら。


どうか、あの日のあなたの優しさが、あなた自身にも返ってきていますように。


そして、もし、いつかまた誰かが雨の中で困っていたら。


今度は私が、傘を差し出せる人でありたいと思います。


四十年経っても、まだ伝えられない「ありがとう」があります。


けれど、その「ありがとう」を胸に、これからも誰かに優しくしていこうと思います。


あの日、おじさんから受け取った優しさを、今度は私が誰かに手渡していく。


それが、あの日のあなたに、私ができる小さな恩返しだから。

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