宝石箱いっぱいの輝く日々を
ほぅっ……と吐息が零れ落ちた。
可憐な桜色の唇から落とされた吐息は、陶酔するように熱を帯びて甘い。
「綺麗……」
うっとりとした呟きを漏らし、少女は頬を染める。
ピンセットで慎重に摘まんだ石を光に翳せば、繊細なカットを施されたそれはキラキラと輝いた。いそいそとルーペを手にし、食い入るようにそれを観察する少女の瞳は正に釘付け。
「ああ……!なんて美しいのかしら!!この透明度、繊細にして力強い輝き……!光に祝福されたかのようなディスパーションも素晴らしいわっ……!」
紅い瞳はそれこそ宝石のように輝いていた。
なお、ディスパーションとは広がりや散らばりのこと。ダイヤモンド内部で光が反射を繰り返し、プリズム効果で生み出される虹色の輝きのことである。
「はい、そこまでー!」
そんな緩い言葉と共に、パンッと両手を打ち鳴らす音が響いた。
顔のすぐ近くで打ち鳴らされたそれ、いわゆる猫だましをされた少女は……ムッとした表情で目の前の相手を睨み上げた。
「ちょっとオスカー!それやめてって言ってるじゃない」
「それを言うならこっちだし。宝石に夢中になるとリアは周りが見えなくなるんだから。その癖、いい加減直してよ」
抗議には溜息と反論が返され、壁の時計を示された。
つられて視線を向ければ…………記憶にあるよりもかなり時間が進んでいた。
「あっ……」
「いつまで待っても来ないから、迎えに来たんだよ」
すっかり忘れていた時間に、肩を縮めて「ごめんなさい」と小さく謝る。
「いいよ。それより食事もまだだろ?なんか食べよっか」
「そういえばお腹すいた」
指摘されてはじめて空腹を思い出した。お腹を押え、それから手早く宝石と道具類を片付けると工房を後にした。
緩く波打つピンクブロンドの長い髪、可憐な顔立ちに鮮やかな紅玉のような大きな瞳が一際目を惹く美少女。
リヒテンシュタイン伯爵家の長女であるミルフェリアは大の宝石好きだった。
自領が優れた鉱山を保有する宝石の産地ということもあり、身分環境共に恵まれた彼女は一層宝石にのめり込んだ。
アクセサリーとして身に着けるだけに留まらず、工房に入り浸っては職人の加工を見学し、いまでは自身でデザインや鑑定まで行うほど。
そしてミルフェリアを“リア”と呼ぶオスカーは、侯爵家の次男坊で彼女の幼馴染。親同士の事業の関係もあり、家ぐるみの付き合いだ。
「お待たせ」
「いつもすみません、オスカー兄さん」
小さく頭を下げる少年に、いいってとばかりに手を振ったオスカーは彼の向かいのソファへと腰を下ろした。ミルフェリアもその隣へと座る。
ちなみに“兄さん”と呼んだ少年はオスカーの弟ではない。
「姉さんはいい加減にしてくださいね?」
ジトッ……とした目を向けてくる弟に、ミルフェリアは気まずそうに視線を逸らし唇を尖らす。
「ちょっと夢中になっちゃって……」
「いつものことですよね?」
「それは…………」
「姉さんの“ちょっと”がちょっとで済むためしは殆どないです。約束があるときは控えてください」
完全なる弟の正論にうっ……と言葉が詰まる。
言い返したい、言い返したいが……どう考えても分が悪い。
「俺もリアンに一票。でもまぁ、リアだし」
「姉さんですしね。言っても無駄なのはわかってるんですけど」
「どういう意味よっ!」
軽く手を上げつつ紅茶を飲むオスカーと、溜息を吐きつつ頭を振るリアンに抗議する。
揃って二人から呆れを含んだ目を向けられた。
「どうもうこうもそのままだろ。リアが宝石にぞっこんなのは昔からだし。俺ら相手の時はまだいいけど、マズい相手との約束の時は気をつけろよ?」
「それは本気でお願いします」
「ううっ……気をつけます。今日も遅れてごめんなさい」
お昼ご飯を食べるのも忘れていたので、ケーキやタルトに目を奪われながらもサンドイッチにまず手を伸ばした。
はむはむと食べ進めながらも、瞳は並べられた菓子類のチェックに余念がない。
なにせ宝石の次ぐらいにミルフェリアは甘いものが好きだ。
隣国から取り寄せた、まるで宝石のような見た目の砂糖菓子は絶対に食べるとして……白桃のショートケーキとマスカットのタルト。
果たしてどちらを食べるべきか?!真剣に悩む。
散々悩んだ末に、ショートケーキにも未練を残しつつタルトを選んだ。
メイドが取り分けてくれた瑞々しく華やかなタルトを前にうっとりと瞳を細める。
そんな幼馴染を見ながらオスカーはショートケーキの皿を寄せた。
「一口食べる?」
「食べる!!」
さすがオスカー!と機嫌よくフォークをふわふわ生地へと沈め、やや大きめの一口を口へと運んだ。
んん~、と思わず表情が緩む美味しさだった。
「そう言えば……パスカル様が婚約されたそうだよ」
オスカーの言葉にフォークを持つ手が止まる。
「お相手はどなたです?」
「デボラ公爵令嬢だって」
脳裏に華美なドレス姿の令嬢を思い出し、ふぅんとすぐに興味を失った。
「お似合いじゃない」
鼻で笑いながらの言葉に、話題を振ったオスカーと相手を問いかけたリアンも確かに……という表情で苦笑いだ。
「リアらしいなぁ。侯爵夫人の座にも全く興味なしかぁ」
「あったら縁談を断ったりなんてしないわよ。大体、あの男なんて言ったと思う?!「君は大好きな宝石で着飾って、私の隣で微笑んでいてくれればいい」よ?私はあんたのアクセサリーじゃないってのよ!!」
速攻でお断りした。
パスカルは美男子だし、侯爵家の跡取りでもあるが欠片も躊躇はなかった。
本当なら顔合わせ自体も断りたかったぐらいだ。
ちなみに公爵令嬢のデボラも周囲を引き立て役と思っている同タイプ。
「似た者同士でお似合いだ」と笑う姉弟の、可愛らしい顔に似合わない黒い笑みはそっくりだった。
そんなよく似た姉弟を見つつ、オスカーは「本当、見かけと中身が一致しないなぁ」と心の声を飲み込んだ。なにせ口にしたら十倍に文句が返ってくるのは経験済み。
見掛けは文句なしの美少女。
だけど儚げで可憐な容姿とは裏腹に、ミルフェリアは意外と意地っ張りだし気が強い。特に宝石のこととなるとかなり頑固だ。
弟のリアンも非常に可愛らしい容姿だが……社交界で見せる天使のような笑顔の一方、クールで強かな一面がある。
血統書付きの仔猫みたいだな、と密かに思っているのは内緒だ。
脳内でオスカーが兎と猫を思い浮かべていると、カップをソーサーへ戻したリアンが腕を組んで姉を見つめた。
「パスカル様のことはともかく……姉さんもそろそろお相手を見つける年齢でしょう?」
弟の指摘にミルフェリアは分かりやすく表情を歪めた。
またしても耳に痛い正論だった。
現に友人たちは挙って婚活に励んでいる。……が、正直ミルフェリアは恋だの結婚だのにあまり興味が持てないでいた。
最後の一粒のマスカットにプスッとフォークを突き差し、名残惜しむように味わってから思わず愚痴る。
「あ~あ、私が男性だったら働いて身を立てる道もあったのに」
「その場合は姉さんがこの家を継ぐ立場です」
「くっ……!理屈っぽい男はモテないわよ。リアン」
「僕は愛する婚約者が居るのでご心配なく。彼女以外にモテる必要はありません」
口喧嘩では圧倒的に弟が優勢なのはいつものことだ。
ぐぬぬ……と悔しがりながらも、本気で性別を憂わずにはいられない。
「この国は遅れてるのよ……」
つい愚痴が口をつく。
別に女性が働くことを禁じられているわけではないが、いまだ女性が目立つのをよく思わない風潮は強い。近隣国に比べれば、圧倒的に働く女性の地位は低かった。
現実問題、この国でミルフェリアが宝石の職人やデザイナーとして名をあげるのは難しいだろう。
幸い家族や自領の人たちは理解があり、好きにさせてくれている点では恵まれているが……。
「あーあ……」
宝石に向き合っていた時とはまるで違う、重く憂鬱な息を吐き出した。
両手をガラス窓に貼り付け、チラシに釘付けになる。ガラスの向こう側で店員がギョッとしているのもお構いなしだ。
「これは……!」
買い物を切り上げたミルフェリアは急いで家へと帰った。
「お帰りなさい。早かったです……」
「それよりこれっ!これ見てっ!!」
父の執務室へ直行すると、弟の言葉を遮るようにチラシを突き出す。
それを見た父とリアンは一瞬「あー……」と言いたげに顔を見合わせた。やはり知っていたようだ。
「私、これに出たいです」
真っすぐに瞳を見てそう告げた。
チラシは「ジュエリーデザインコンテスト」の広告だった。
年齢・資格は問わず参加可能で“特別な日の装い”をテーマにデザインしたジュエリーを競うというもの。
主催はこの国の宝石商会だが、優勝作品は後日王家に献上されるという。
困り顔の父に座りなさいと声をかけられ、三人はソファへと移る。
「ミルフェリア。私はお前の才能を高く評価している。だが周囲は違う。参加すれば嫌な目に合うかもしれないぞ?」
「わかってます。性別に関しては明記がありませんが……初めから女性の参加を視野に入れていないことも。それでも…………試してみたいです」
女だからという理由で初めから諦めたくはなかった。
膝の上でぎゅっと手を握り、ミルフェリアは頭を下げた。
「お願いします。一度だけ、機会をください。この国で私が通用するかどうか……」
顔をあげた彼女の瞳は潤んでいた。紅玉のような瞳に宿るのは……懇願、期待、希望と不安……そして抑えきれない宝石への情熱。
恋にも似た眼差しでミルフェリアは必死に頼む。
「そうしたら……ちゃんと将来について考えるわ。結婚についても、真面目に考えます」
深い覚悟の滲んだそれに、結局は娘に甘い父は「わかった。好きにしなさい」と許可をした。
次の日から、ミルフェリアは己の全てを宝石へとつぎ込んだ。
まずは迅速に参加の申し込みをし、どんなデザインにしようか、宝石はなにを使うか、朝から晩まで宝石のことを考える日々。
のめり込むあまり寝食も忘れがち、なんなら先日は思考に没頭しすぎてお風呂で溺れかけた……。
とびっきり美しく透明度が高い鮮やかな紅玉。
それを目にした瞬間、脳裏に落雷のようにイメージが閃いた。目を見開き「木炭と紙をちょうだい!早く!」と思わず叫ぶ。使用人から受け取るなり、一心不乱に書きなぐった。
震えながら息を吐く。
美しい紅玉、それを取り巻くダイヤモンド。
声もなくスケッチを見つめる。
描いたデザインはこの国ではあまりみない斬新なものだった。
万人に受け入れられるかはわからない……だけど脳裏に浮かんだ鮮烈なイメージを拭い去ることはもはや出来なかった。
これが作りたい……!
焦がれる程に、そう強く思った。
貴金属の選定とデザインが決まっても、鋳造、設計、研磨や仕上げなど工程は山ほどある。ミルフェリアは毎日のように工房に通っては、職人に指示を出し、時には自ら手も出した。
その日は、顔を合わすなりオスカーに手を取られ工房から連れ出された。唇を一文字に引き結んだオスカーと、わけもわからず手を引かれるミルフェリアを職人たちが温かく見送る。
「ちょっとオスカー、どこ行くのよ?!」
ずんずんと屋敷の方まで進んだオスカーは、庭の木の前で手を離した。上着を脱いで敷くと、そこへミルフェリアを座らせる。彼自身も隣に座った。
「寝て」
「は?」
珍しく威圧感を醸し出す彼の言葉にキョトンと瞬く。
「は?じゃないし。今すぐ寝て」
そう言ったオスカーは伸ばした手でミルフェリアの瞳の下を親指で撫ぜた。
「隈、隠しきれてないよ。寝不足で顔色も悪い。工房に籠ってばっかで、どうせ碌に太陽も浴びてないだろ?三十分でも一時間でもいいから寝て。お願いだから」
指摘に慌てて目元を押えた。
眉を下げた表情で切実に心配をされ、しゅんと小さく肩を竦める。
「ごめんなさい。あと……ありがとう」
上目遣いで窺えば、いい子とばかりに頭を撫でられた。そのままそっと引き寄せられ、オスカーの肩に頭を預ける体勢になる。
子ども扱いされているようで少しむくれながらも、疲れが溜まっていたのは事実で……ポカポカと温かい木漏れ日と体温に瞼が蕩ける。下がってくるそれを留める術もなく、ミルフェリアは安らかな眠りへと落ちていった。
すぅすぅと穏やかな寝息を漏らす無防備な寝顔。華奢な体躯は完全にオスカーに体重を預ける様に傾いている。
……ちょっと警戒心なさすぎじゃないか?
いや、寝ろって言ったの俺だけどさ……。
そんなことを思いつつ、オスカーは吐息がかかる程に近い顔からそっと視線を逸らした。何をするでもなく明後日の方向を見つめていると、やってくる姿が目に入った。
「…………」
二人を見かけた使用人からでも聞いたのだろうか?ブランケットを手にやってきたリアンは数秒無言で二人の姿を見下ろす。
「どした?」
「もういっそ付き合え」
ぽそりと答え、姉の膝へとブランケットをかけながらリアンが呟く。
ミルフェリアが完全に熟睡しているのを確認し、仔猫のような水色の瞳が真っすぐにオスカーを見た。
「なんで告白しないんですか?姉さんわりとモテますよ?」
率直な言葉にオスカーは困った様に笑って「知ってるよ」と答えた。
莫大な財と影響力を持つ伯爵家の娘で、可憐な容姿となればモテない筈がない。
そんでもってオスカーの気持ちは身内にわりと筒抜けだ。気づいてないのは当の本人ぐらい。
「協力だってしてるのに……」
腰に手を当てたリアンの言葉通り、彼は社交の場でことさら明るく「兄さん」と呼びかけることで、周囲に関係を誤認させている。二人が婚約者だと勘違いしている者も居るだろう。
そんな見た目と裏腹な策士を見上げつつ、オスカーはポリポリと頬を掻いた。
「そうは言っても……リアは宝石にしか興味ないからなぁ……」
綺麗なもの、可愛いもの、甘いものが大好きで、典型的な“女の子”なミルフェリアだが……色恋にはとんと興味を示したことがない。
おまけに鈍いときたものだ……。
「それに……」
歯切れ悪くオスカーはちらりとミルフェリアを見た。愛しい相手を見る甘い瞳で寝顔を眺め、気持ちを切り替えるように一度瞼が閉ざされる。顔を上げた彼は、打って変わって硬い表情で告げた。
「俺……しばらく外国に行くことになるかも」
「へ?」
驚いた猫のような表情に小さく笑い「まだ決定じゃないけど……」と言葉を続けた。
「第三王子殿下からさ、ヴラスカの外交に関わってみないか?って話があって」
「……殿下から」
ヴラスカはこの国よりよほど大きく発展している大国だ。そんな大国との外交を王族直々に打診されるなど大抜擢といえる。
そのことに感嘆しつつ、リアンの声のトーンが僅かに下がった。
「行ったら……数年は戻らないんですか?」
「三年から五年くらいかな?」
「…………」
「そうは言っても、報告だのなんだので年に数回は帰国できそうなんだけど。だからさ、俺もいま婚約とか結婚とか、あんま考えらる状況じゃないんだよね」
それから指を一本唇の前に立てて「リアにはまだ内緒ね」と釘を刺す。
「まだ最終的な結論も出してないし、リアもいまは余裕ないから。ジュエリーデザインコンテストが終わったら話をするよ」
「……わかりました」
歓喜に胸が震える。身体も、声も……。
「できたっ……」
震える声で呟き、魅入られたように宝石の輝きを見つめた。
ついに完成したネックレスとイヤリングは、あの日ミルフェリアの脳内に浮かんだ鮮烈なイメージ通りだった。眩い程の輝きと、洗練された美しさ。
感涙に自然と涙が滲む。
だけど唇を噛みしめ、ぐっとそれを堪えた。
「泣くのはいまじゃないわ」
手袋を嵌めた指でそっと中央の紅玉を撫でる。曇りない輝きがそこにはあった。
そして運命の日が訪れた。
お気に入りの宝石箱を開き、小さな雫型の紅玉のペンダントを取り出す。ぎゅっと握りしめ、両腕を後ろに回して留め具を止めた。
「よしっ!」
気合を入れるようにあえて声を出し、立ち上がる。
いざ、決戦だ。
些か幸先が悪そうな曇天を見上げ、馬車に乗り込む。辿り着いた会場は、悪天候にも関わらず賑わっていた。
「よぉ!」
声をかけてきたオスカーが、ミルフェリアの服装に不思議そうに首を傾げる。
「ドレスじゃないんだな」
その言葉にギクリとしつつ、胸を張る。
華やかなドレス姿の女性が多い中、ミルフェリアの服装はクラシカルな雰囲気のワンピースドレスだった。
臙脂と黒を基調としたワンピースは、たっぷりのフリルがあしらわれ気品と華やかさには事欠かない。だがしっかりと首元まで覆わており、宝飾品はブローチだけ。
「今日は私や私が身に着ける宝石を見てもらう場じゃないもの」
ツンと顎を上げてそう返した。
動揺が表に出てないか内心ではドキドキだ。
幸いオスカーは特に気にならなかったらしく、彼と離れて出場者用ブースへと向かう。予想通りというべきか女性の姿は一人もなかった。
参加者は……一、二……全部で八人か。
横目で人数を数えていると品の良い青年と目が合った。女性の出場者に驚いているのか、やたらとこちらを見てくる。彼が近づいてこようとしたとき、司会者の声が響いた。
「それでは出場者の方々、お入りください!」
拍手に迎えられ移動する。
やがて入場すると「女の子……?」「あの子も出場者?」とざわざわとした声が聞こえた。つい俯きそうになるのを堪え、顎を引いて胸を張る。
全員の入場が終わり、今度は審査員たちが紹介される。
その間、ミルフェリアは参列者たちの宝石に釘付けだった。社交の場に出る度、恒例の宝石チェックに余念がない。もはやガン見。
途中、呆れ顔でこちらを見る家族やオスカーの姿もチラリと視界を掠めた。
「………………随分と可愛らしいお嬢さんも居るものだ」
皮肉気な声に意識が宝石から戻る。
いままで長々となにやら演説をしていた老人の視線が向いていた。眼光鋭く、鷲鼻で厳ついご老人は審査員の一人。有名な宝石店『シュトラール』の設立者で、現在は鑑定士としても業界では名が知れ渡っている人物だった。
「これはお遊びの場ではないが…………まぁいいだろう。少しぐらい場に華やぎがあっても構わんか。お嬢さん、精々楽しまれるといい」
笑いが漏れる。
面と向かって“女子どものお遊び”と揶揄され、ミルフェリアの頬がカァァと熱を持つ。屈辱と羞恥に睨みつけたいのを必死に耐えた。
「お爺様……」
困惑するような、咎めるような声が響いた。
「祖父が申し訳ありません」
そう謝罪してきたのは先程の青年だった。
え?と怒りも忘れる勢いで青年と老人を見比べる。
「えっと……貴方は……?」
「失礼。『シュトラール』の次期跡取りのリチャードと申します」
……血縁者?!……似てないっ!!
驚愕にあんぐりと開けてしまいそうな口をなんとか堪えた。
パッと見は貴族にさえ見える品のいい青年と、子どもが泣き出しそうなご面相の老人の共通点がまるで見当たらない。
どんな遺伝子マジック起きたんですか?と聞きたくなるような仕上がりの違いだ。
わたわたしながら自己紹介をし返すと、リチャードはにっこりと笑った。
「貴女がお噂のリヒテンシュタインの宝石姫ですね」
「宝石姫っ?!」
なにそれ、初耳!?
別人だと否定したいが、家名まで上げられては否定も出来ない。
しかも噂のって何……?!と引き攣った笑みを張り付けることしか出来なかった。
色々と混乱を引きずりながらもコンテストが始まった。
「さて、これより参加者の方たちに順番に作品を披露して頂きます。その後、こちらの審査員の方たちに作品を評価して頂き、もっとも札の上がった方が優勝者となります」
まず一人目の作品が披露された。
様々な宝石が使われたお花畑のようなネックレスにほぅと吐息を漏らす。一歩間違えばゴテゴテとしそうなのに、色彩とデザインが上手く調和していてとても勉強になった。
四番目はリチャードだった。
「……すごい」
そこかしこから感嘆と驚愕の声が漏れた。
大粒のエメラルドを幾つもあしらったそれは、値段を想像するのが恐ろしい程の存在感があった。石の品質は恐らく最高級。デザインも伝統に法ったそれだった。
間近で張り付いて眺めたい衝動を堪え、それでもよく見ようと自然に爪先立ちになってしまう。
ネックレスの説明をするリチャードの口調は滑らかで淀みなく、彼や祖父の表情には余裕と自信が滲んでいた。
「ではお次は六番、ミルフェリア様。作品の披露とご説明を」
緊張を沈める様に瞳を一度閉じ、深呼吸をして一歩踏み出す。
震える指で覆いを捲ると……騒めきが広がった。
紅玉とダイヤモンドを使ったネックレスは、クジャクの羽を思わせる複雑なデザイン。一方イヤリングはシンプルに紅玉の美しさを際立てている。
会場の空気が揺れる。
驚愕を孕んだそれは……だけど決してネガティブなそれではなく、人々の反応に勇気を貰って唇を開いた。
出場者全員の説明が終わり、間近で作品を品評した審査員たちが席へと戻る。
「ではお一人ずつ気になった作品について評価を。まずはヘガティ氏から……」
「私からでも構わないかね?」
司会者が左端に座った審査員を指名しようとした時、リチャードの祖父が片手を上げて遮った。威厳のある、否定を許さない声だった。
司会者が困惑しながらも頷くなり、指を組んだリチャードの祖父がよく通る声で口を開いた。
「身内だからと贔屓する気は全くないが、優勝作品は歴然だ。四番のエメラルドネックレスとイヤリングは石の質や大きさ、デザインといい正に王家に献上するのになんら不足はない。一番の作品も技量としては高かった。様々な宝石を調和させるデザインは称賛に価すると言えよう。一方、六番の作品は…………。斬新と奇抜の意味を取り違えておるようだ。あれを王家の献上品に選ぶ者がいれば気がしれない」
それは……明らかに牽制だった。
はじめに指名された審査員はもっとも長くミルフェリアの作品の前で足を止めていた。わざわざ順番を遮って悪しざまな酷評が続く。
「まぁ……まだお若いお嬢さんの作品としては才能に光るモノはあるだろう」
最後にそんな言葉を付け足したのは、今さらになって相手が国で名高い伯爵家の娘だと思いだしたのかもしれない。
ぎゅっと爪が食い込む程に拳を握って怒りを抑える。
やがて審査員たちの評が終わり、上げられた札は全て四番の札だった。
「優勝者は四番のリチャード氏です!!皆さま、盛大な拍手を!」
先の微妙な空気を払拭するように、司会者が声を張り上げた。
拍手が鳴り響き、ミルフェリアも手を打ち鳴らす。
リチャードのエメラルドは素晴らしかった。彼の祖父の言葉が無くてもきっと優勝は彼だったし、それ自体は納得出来た。
だけど酷い茶番劇に仕立てられた結果に、強張った笑みを張り付けるのが精一杯だった。
「ミルフェリア様」
優勝トロフィーを手に、リチャードが歩み寄って来た。
「おめでとうございます。とても素敵なエメラルドネックレスでした」
まだ頬が微かに引き攣ったが、それでも心からの言葉を贈る。
「あの品質と大きさのエメラルドをあれだけ揃えられるなんて流石は『シュトラール』ですね。誤魔化しが効かないエメラルドカットだからこそ、その品質が一層際立ちます。まるで澄んだ湖面や深い森のような落ち着いた静けさと存在感。本当にうっとりするぐらい美しい作品でした」
その輝きを思い出し、語っている内に心がすっと澄んでいく。
ああ、やっぱり宝石は最高ね。
宝石の魅力を語る程に、笑みまで浮かぶミルフェリアは筋金入りの宝石マニアだ。いつの間にか怒りも忘れ、ニコニコと宝石について語り出せばリチャードの頬が薄っすらと染まった。
何故ならミルフェリアは美少女だ。
とびっきり可憐な美少女が、宝石のような瞳をキラキラさせて大好きなモノを語るとびっきりの笑顔を浮かべている。つまりは可愛い。
だがそんな本人は、会場の男性陣の視線を集めている自覚などまるでない。
そんなちょっと(?)鈍いミルフェリアの手をリチャードが掬い上げた。
ようやく宝石語りを止め、キョトリと取られた手を見つめるミルフェリアの前でリチャードが腰を落す。
「出会ってばかりでこのような申し出をするのは恐縮ですが……ミルフェリア様、どうか私と婚約してはくださいませんか?」
「…………は?」
零れ落ちそうな程に瞳を見開く。
「貴女の愛らしさと、宝石への情熱に心を奪われました。私の恋情はもとより、私たちの縁は我が『シュトラール』にもリヒテンシュタイン伯爵家にとっても悪い話ではないと思います。両家が手を結べば、この国の宝石産業は一層の発展を遂げるでしょう」
「え、ちょっと待ってください。あの……」
「おおっ!!それはいい考えだ。リチャードとミルフェリア嬢は実にお似合いだ!」
突然の申し出に戸惑っていると、さっきまで散々ディスっていた祖父までも「お似合い」だとか抜かしてきやがった。
確実に伯爵家の地位と財力に掌返したわね……と思いつつ手を引っこ抜く。守るように胸の前で右手を押えるミルフェリアをリチャードの翠眼が見つめた。
「私は貴女の才能も買っています。先の作品も素晴らしかった。ミルフェリア様は嫁がれたあとはどうなさるおつもりなのです?婚家でその才能を捨ててしまうおつもりですか?私を選んでくだされば……貴女は好きなだけその才能を活かすことが出来る。最高級の宝石、技術、設備。一生、宝石と生きていくことが出来ますよ」
「…………っ」
『一生、宝石と生きていく』
陳腐な口説き文句よりもずっと甘く魅力的な言葉だった。
揺れる瞳ではくりと喉を鳴らすミルフェリア本人を置き去りに、周囲がわぁと盛り上がる。
「いやぁ、めでたいことだ!」
既に結婚が決定したようにリチャードの祖父が両手を広げる。
「まぁ!なら先程のような装飾品が『シュトラール』で売り出されるのね!私、欲しいわっ!」
真っ先に歓声をあげ、パスカルの腕に絡みついたのはデボラだった。
彼女の言葉に参列者の貴婦人や令嬢たちも口々に勝手な声をあげている。
「新しいネックレスが欲しかったの」
「わたしはブレスレットが……」
皺だらけのリチャードの祖父の手がミルフェリアの肩を叩いた。冗談のように大きなサファイヤのリングがその手に主張している。
「ミルフェリア嬢の才能は素晴らしい」
それが、決定打だった。
動揺も困惑も波が引くように引いていく。
薄く唇に笑みを浮かべ、胸元をきゅっと握って口を開いた。
「お断りします」
瞬間、周囲の音が消えた。
次いで驚きが広がっていく。
それを感じながら、ミルフェリアはリチャードの瞳を見つめはっきりと再度告げた。
「お申し出、ありがとうございます。ですが……婚約のお話はお断りさせて頂きます」
「なぜ……?」
呆然とした表情のリチャードへとにっこりと笑みを向ける。
「私、今回のコンテストに賭けてたんです。自分の才能と可能性を。……結果は惨敗でした。優勝どころか、一票の票さえ得られなかった」
「それはっ…………!ですが『シュトラール』の看板されあればきっとっ……!」
その一票さえ得られなかった原因が自分の祖父にあるとわかっているのだろう。狼狽えるリチャードが必死に言い募る。
「だからです」
それを静かに、だけどはっきりとミルフェリアは遮った。
凪いだ静かなビジョンブラッドでリチャードを、彼の祖父を、人々をゆっくりと見渡す。
「掲げられた看板のための作品を作る気はありません。貴方が褒めて下さった才能を、私は貴方の元ではいかせない」
認められないのは我慢できる。
だってそれは相手の好みで、そして自身の未熟さの問題だ。
だけど……同じものを、掲げる看板によって良し悪しの判断を変えるなら、それはそのもの自体を見ていないのと同じこと。
そんな人たちのための宝石なんて作りたくもない。
大好きで、大切な宝石たちだからこそ、その輝きを最大限引き出したいと思うし、煌めきを心から愛でてくれる人に身に着けてもらいたい。
「バ、バカバカしいっ!」
血管を浮かべてリチャードの祖父が叫んだ。
「なにをくだらないことを……!所詮は道理のわからぬ小娘の戯言だ!」
「ええ、青臭い小娘の自覚はございます」
「!?」
怒鳴りつけても怯むどころか、淡々と言葉を返す姿は神経を逆なでしたようだった。
「愚か者め」「後悔するぞ!」と次々と捲し立てられる罵詈雑言。
どうやら形だけでも伯爵家の娘に取り繕うのは止めたようだ。
唾を飛ばしながら、皺くちゃの指が突きつけられる。
「女の分際で大きな口を叩きおって!家の権力にでも縋って、己が偉くなった気でもいるのか?!大体、リヒテンシュタインとて近頃はクズ石まで取り扱って気がしれん!!名門の名も落ちたものだ」
「お爺様っ!!」
ついには伯爵家自体をも貶す祖父の腕を、リチャードが悲鳴に似た声をあげて掴む。
「ミルフェリア様、これは……」
リチャードがなんとか取り繕うとするが、ミルフェリアは赤い瞳に怒りを宿して一歩踏み出す。自身のことならばともかく、宝石と実家への侮辱は看破できなかった。
「傷や曇りがあれど宝石は宝石。その美しさを愛でてくださる方々の元へお届けすることのなにがいけませんの?」
「詭弁に過ぎん」
「詭弁?ご自身は偽物を身に着けていらっしゃるのに?」
「……なんだと?」
訝し気な老人の指輪を指した。
本当なら言う気のなかったことだ。だけどそれを口にする。
「そのサファイア、偽物ですよ」
沈黙が落ちた。
やがてクツクツと笑い声が漏れた。
「何を言うかと思えば。批判されたからとでたらめを言うか」
「でたらめではありません」
「これは間違いなく本物だっ!」
「いいえ。それはマーレの刻印に相応しくありませんわ」
「……っ少し見せてください」
あくまでも冷静なミルフェリアの様子に焦ったのだろう、リチャードがルーぺを手に指輪をじっくりと検分する。やがてその瞳が大きく揺れた。
「……まさかっ!」
「貸せっ!」
彼の祖父がルーペを奪い取る。
「そんなバカなっ……!」
会場中がざわざわと騒めいた。
そんな周囲には構わず、ミルフェリアは胸元を握って背を伸ばした。
「私は素晴らしい宝石ではないかもしれません。ですが自分の心を押し殺してまで価値を上げたいとは思いません。たとえちっぽけなクズ石のままでもいい、ありのままの私の輝きを愛してくれる人に嫁ぎます」
言い切り、退出の礼をする。
「ああ、それと……傷を内包した石も、イミテーションの宝石も私は美しいと思います。けれど我がリヒテンシュタインは偽物を本物と偽ることは致しませんわ」
最後にそれだけ言い捨てると、その場を去った。振り向くことはしなかった。
会場を出たミルフェリアは馬車止めのある出口へは向かわなかった。
「馬車はいらないわ。歩いて帰る」
「ですがお嬢様……」
「少し一人になりたいの」
従僕から傘を受け取り、そのまま足早に扉をくぐる。
空はどんよりと濁り、どしゃ降りの雨が降りしきっていた。
構わず傘を開き歩き出す。びしゃびしゃと跳ねる雨水がたちまち足元を濡らす。
「待てよリアっ!!」
雨音だけの世界に声が響いた。
グイッと肩を引かれる。雨の中を駆けてきたオスカーの足元は、びしょ濡れだった。肩に傘を引っかけたまま、はぁはぁと荒い息を零すオスカーの姿を見た途端に鼻の奥がツンと痛んだ。それを誤魔化すように傘を強く握ってそっぽを向く。
「なんで来たのよ。……こんな雨の中」
「放っておけるわけないだろ。女の子が一人で、しかもこんな雨の中。ティムだってオロオロしてたぞ」
心配する言葉と、困らせたであろう使用人の名にバツが悪くなって黙る。
だけど素直に謝ることも出来なくて……固く唇を結んだまま歩き出した。少し後をオスカーが黙ってついてくる。
あまりの雨に、通りに人影はほとんどない。
昼とは思えない暗い空、無人の廃墟のような通り、雨音だけが響く世界。傘では防ぎきれない雨が、少しずつ服を濡らし体温を奪っていく。
「……良かったのか?」
どれくらい無言で歩いただろう?それなりな時間が経った頃、ぽつりとオスカーが問いかけた。
身を守るようにぎゅっと傘の柄を握りしめる。
「何が?」
「………色々」
押し殺したオスカーの言葉に小さく笑う。
リチャードの婚約の申し出を断ったこと、宝石会の重鎮に啖呵を切ったこと、あの場にいた貴婦人たちを少なからず敵にまわしたこと……。
確かに色々だな、とそう思った。
「あの場で黙ってられるほど、大人しい性格じゃないのは知ってるでしょ?」
「それは知ってるけど」
そこまで即答されるのもどうなんだろう。
ちょっとムッとしつつ、手慰みのように傘をクルクルと回す。
「……わかってたわ。優勝できる可能性は、ほとんどないことも」
なんでもないことのように語りたいのに、声は無残に震えていた。
「……リア」
オスカーの声を振り切るように歩幅を大きくする。
ブーツの中まで染み込んだ水が酷く冷たい。
「リア!泣いてるのか?」
後ろから伸ばされた手に肩を引かれる。顔を逸らすように傘で隠した。頬へと伸ばされたオスカーの手から逃れるように首を振る。雨で濡れた髪が張り付いて鬱陶しい。
「なぁ、リ……」
「泣いてなんかないっ!!!」
なおも気遣わしげに呼びかけられ、ミルフェリアは叫んだ。
「泣いたりなんてしない……、どうして私が泣かなきゃいけないの?だってちっとも悔しくなんてないもの。私はっ……!精一杯全力を尽くした。自分に出来る全てをつぎ込んで挑んだっ。だからっ、ちゃんと満足してるっ…………!」
鮮やかな瞳から零れる、大粒の雫。
ボロボロ、ボロボロと宝石のような涙を零しながら、それでも強がるミルフェリアに痛そうに表情を歪めたのはオスカーの方だった。
頬に伸ばされた手を涙の雫が濡らす。
「これは雨だもの……涙なんかじゃない」
「バッカ」
ぎゅっと強く抱きしめられた。
オスカーの手から離れた傘が水たまりだらけの道路に転がる。
「誰よりも真剣で全力だったから、だからこそ悔しいんだろうがっ!本気じゃない奴はそんな風に泣けない」
「……っ!!?」
その言葉に、張りつめていた何かが決壊した。
オスカーの胸元を強く握りしめ、顔を埋めるようにしてミルフェリアは声をあげる。慟哭する空に呼応するように泣きじゃくった。
泣いて、泣いて、全力で泣きじゃくって…………余韻のようにしゃくりあげながら胸に顔を埋めていた。
…………どうしよう。顔、あげらんない。
涙が止まった代わりに、ものすごい羞恥が込み上げていた。
あれだけ強がっての大泣き。しかも鼻の頭も目も真っ赤だろう自覚がある。
絶対にひどい顔だ……。
宥めるようにゆっくりと髪を撫でてくれる手が、有難いと同時に居たたまれなかった。
「……落ち着いた?」
「…………うん」
先程までと様子が変わったことに気づいたのだろう。穏やかな問いかけに小さく頷く。ほっと息を漏らす気配がすぐ頭上で伝わった。
「ごめん……。でも、後悔してないのは本心よ」
「ほんとに?」
あまりにも力ないその声に、顔を隠していたことも忘れミルフェリアは顔をあげた。
そこにあったのは…………眉を下げた情けないオスカーの顔だった。
「オスカー?」
「婚約を断ったことも?」
意外な問いかけにパチリと瞬く。
「あの爺さんは殴りたいほどムカつくけど、孫の方はまともそうだったじゃん。あいつと結婚すればリアは宝石と生きていける」
「生きていくわよ」
「へ?」
「あの人と結婚しなくたって、私はこれからもずっと宝石と生きていくわ。宝石を愛でるのは仕事じゃなくても出来るもの」
思いっきり泣いたいまとなっては、何故あんなにも心が揺らいだのかわからないぐらいだった。
確かにリチャードと結婚すれば、宝石の仕事に携わっていける。
だけど宝石を愛でることも、デザインすることだって仕事じゃなくたって出来るのだ。そもそも“女だから”という理由で個人では駄目だというのなら、わざわざ他所の名を借りずとも実家の看板を使えばいい。
「真っすぐに、ひたむきに」
何度も口にしてきたその言葉を、呪文のように口ずさむ。
それは幼い頃からの口癖だった。
「宝石の加工で重要なのは、その石が持つ潜在的な美しさを最大限引き出すこと。だからこそ曇りない目で真っすぐに、ひたむきに向き合うことが大切なの。リチャード様と結婚すれば、望むだけ宝石と関わって生きられるかもしれない。でも……自分の心に嘘をついて作った作品を、私はきっと愛せない。純粋に宝石を好きなままではいられなくなるかもしれない」
不思議な程に穏やかな気持ちで、瞳を閉じてぎゅっと胸元を握りしめた。
「私は……宝石を愛したままでいたい。ずっとずっと、宝石に焦がれて生きていくわ!」
そしてミルフェリアは鮮やかに笑った。
花開くようなその笑みに、ほんの一瞬オスカーは息を飲んだ。
その笑みに見惚れ……ふっと息を吐くと脱力したように頭を掻く。
「真っすぐに、ひたむきに…………か」
呟き、手にした傘を押し付けるとその場に片膝をついた。
「ちょっ!!オスカー、なにしてるのっ?!雨っ、びしょ濡れっ!!」
突然の奇行に目を見開き慌てるミルフェリアをオスカーは静かに見上げる。
穏やかな笑みを消した表情が端整な顔立ちを引き立てていた。
「俺と結婚して欲しい」
「?!」
普段の彼と違う姿に小さく跳ねた心臓が、続いた静かな言葉に大暴れする。まっ白な頭で「え?いまなんて??」と目を白黒させるミルフェリアは絶賛大混乱中だ。
そんな彼女を他所に、どしゃ降りの雨に降られたままのオスカーは真摯な眼差しで告白を続ける。
「幼馴染としてじゃなく、俺は一人の女の子としてリアが好きだよ。ずっと好きだった。リアが俺を男として意識してないのは……まぁ、なんとなくわかってるけど。でも、少しでも可能性があるなら考えてみてほしい」
「は?え?ちょ……?」
「あと俺、半年後にヴラスカに行くことになった」
「はぁ?!なにそれ?!!」
「第三王子殿下から外交官にって抜擢されたんだ。ずっと迷ってたけど、やっと返事をした。もしリアが俺の求婚を受けてくれるなら、一緒に来て欲しい」
「待って待って待って!お願いちょっと待ってっ!いきなり情報量が多いっ!!」
たまらず叫んだ。
両手を前に突き出し、全力のタイムアピール。
「……オスカーが私を……好き……?しかもずっと……?」
好き、と言葉に出した途端、ぼふんと顔が熱を持った。
わたわたと大混乱する姿を見ながら、オスカーは立ち上がった。なんせこの様子ではすぐに返事はもらえそうもない。そして当然、全身ずぶ濡れだ。
「な、なんで突然……」
「リアが恰好良かったから。俺もいい加減に覚悟を決めて「真っすぐに、ひたむきに」向き合ってみようと思ってさ」
「……ほ、本当に好き、なの…………?」
「そっからか」
しどろもどろに上目遣いで見上げてくる激ニブな幼馴染に、オスカーはがっくりと肩を落とす。若干恨めし気な瞳になるのも仕方がないだろう。
「言っとくけど、気づいてないのリアぐらいだから」
「嘘っ?!」
「本当」
いつの間にか、雨音が酷く遠かった。
混乱する頭と、早鐘を打つ鼓動。
「私……私、は…………」
真っすぐに自分を見つめるオスカーの瞳。
また一つ、心臓が大きく跳ねた。ときめきとは違う、焦りと恐怖。
心臓を直に掴まれたような焦燥感の正体は……。
ミルフェリアにとって何よりも衝撃的だったのは、オスカーの告白よりも……彼が自分の側から居なくなるかもしれないその事実だった。
ずっと無意識に隣に居てくれるような気がしていた。
だけど違う……。
彼には彼の、自分には自分の未来がある。そんな当たり前の事実を突きつけられた。
「オスカーが居ないのは、いや」
だから……自然と口から漏れたのはただその本心だった。
「これって……好きってことなの?」
「それ、俺に聞くの?」
呆れ顔で笑う幼馴染にミルフェリアは唇を尖らす。
「だって、そんなこといままで考えたことないもの」
「まぁ、確かに急だったし、返事はゆっくり考えてみて」
「なによそれ?本当に好きなわけっ?!」
笑いながらあっさりと言うオスカーについ噛みつく。
恋愛ってもっとこう、ハラハラドキドキして、情熱的で余裕がないものなんじゃないの?
そう憤るミルフェリアは完全に恋愛音痴な自分のことは棚上げだった。
「好きだよ。何年好きだったと思ってんの?あと、脈なしでもなさそうなのがかなり嬉しい」
「……っ」
ストレートな言葉に、真っ赤になって顔を隠すように俯いた。
「ん?」
オスカーの視線の先でなにかが煌めいた。俯いたミルフェリアのうなじから覗くチェーンと、ハート形の小さなプレート。
「これって……」
ひょい、と指をチェーンに引っかければ……露わになったのはやはり見覚えのあるペンダントだった。小ぶりな紅玉が雨にキラリと光る。
そしてその途端、「ひょああぁ!」とよくわからない悲鳴を上げながら、ミルフェリアは全力でペンダントトップを両手で押さえた。顔が真っ赤だ。
その様子にぱちくりと瞬く。
「それ、俺が昔あげたやつだよな?すっげぇ小さいころ」
「ち、違うのっ!これは……初めてプレゼントされた宝石でっ、思い入れのあるお気に入りだから!お守りって言うか、そのあの……。別に深い意味があるわけじゃっ……」
「…………もしかして、それつけるためにその服装にした?」
「……~~っっ!!!」
唇をふるふると震わせながら、真っ赤な顔で俯くその姿が答えだった。
幼い頃に貰った、小さな紅玉のペンダント。
コンテストの場に相応しい他のどんな華やかなジュエリーよりも、お守り代わりのそれを身に着けたかった。だからこそわざわざ首元まで覆われたワンピースドレスを選んだのだ。
なのに本人に見つかるなんて……!
そう涙目で震えるミルフェリアはオスカーにぎゅっと抱きしめられた。彼は心の底から嬉しそうな表情をしている。
「わりと脈ありだったり?」
「し、知らないっ」
照れ隠しに背けようとした頬が大きな手に包まれた。彼の反対の手が小さな紅玉を摘まみ上げる。
「普通に綺麗だなって思うけど、特に宝石に興味とかないし。でも……これは一目見て綺麗だって思ったんだ。真っ赤で、キラキラして、まるでリアの瞳みたいだって。いつだってリアの瞳は俺にとってなによりも綺麗な宝石だった」
『これ、リアにあげる!』
温かな笑顔は、子どもの頃そういってプレゼントを差し出してくれた笑顔のまま。
最高の賛辞に、ぎゅっと照れも忘れて抱き着いた。
そのまま雨の中でしばらく抱き合い……顔を見合わせどちらともなく笑う。
「ぷっ、ずぶ濡れでなにやってんだろうな?俺ら」
「もう傘が意味ないわね」
無性に可笑しくなって、お腹を抱えて笑い合う。笑って、笑って……気づけば二人は手を繋いで駆け出していた。上がったテンションのままに、子どものように雨の中を走りまわった。
雨を受け入れるように天を見上げて両手を広げ、水たまりを飛び越え、またときには飛び込み、傘を打つ雨音のメロディーに耳を澄ませながら家路につく。
「わぁ!……きれい」
やがて雨雲が晴れ、あんなにも激しかった雨が唐突に止んだ。
暗かった街を光が包む。差し込む日の光は、水たまりに、ガラスに反射して周囲を美しく彩る。澄み渡る青い空の下で輝く世界。
全てが洗い流され、生まれ変わったようなその変化に二人は暫し足を止めて見惚れた。
「…………で?」
そしていま……二人は青筋を浮かべたリアンの前で縮こまっていた。
「こっちがやきもきしながら待ってたら、二人してドロドロのビショビショでご帰還ですか?あんたらは雨にはしゃぐ子犬か」
「「ごめんなさい」」
腕組みをしたリアンに神妙に頭を下げる。ぐぅの音も出ない。
全身ずぶ濡れの上に、泥だらけの酷い状態。二人は唖然とした顔のリアンに出迎えられ、そしてすぐさま別々に風呂へと突っ込まれた。
そして現在に至る。
縮こまっていると、温かな紅茶が運ばれてきた。
ふわりと香るブランデーの香り、いつもはしない香りだ。
そっと口にすれば、じんわりと体の中から温まる感覚。なんだかんだで優しい弟の気づかいに、心までふわりと温かくなる。
「ごめんね?心配してくれてありがとう、リアン。でも私は平気よ」
「…………みたいですね」
猫のような瞳がじっと真意を探るように注がれる。やがて納得したように彼の肩が下りた。
「ところでお父様たちは?」
「まだ会場です。かなりの大騒ぎでしたし、帰りは遅いかと」
「大騒ぎって……もしかしてリアの発言で?」
「ええ」
オスカーの問いかけに頷いたリアンは中々悪い顔をしている。ざまぁとでも書いてありそうな表情だ。
「なにせ『シュトラール』の設立者で、名のある鑑定士が偽物をつかまされていたわけですから」
「マジで偽物なんだ?大物の鑑定士なのに?」
「あのサファイア、かなりの一級品だもの」
目を丸くするオスカーに、ミルフェリアがチョコレートを摘まみながらさらっと答えれば「へ?」と疑問が深まる。
「偽物なんだろ?えっとイミテーション?」
「サファイア自体は本物よ」
「あの指輪にはマーレの刻印がありました。カエサル鉱山で採れた最高品質のサファイアを、アスールの職人が仕上げた宝飾品のみに許される刻印です。逆に言えば、その条件が揃わなければ全てマーレとしては偽物なわけです」
「つまり……本物のサファイアだけど、カエサル産じゃない?」
「そういうこと」
「そもそも、熟練の鑑定士でさえ産地の特定は困難です。肉眼で見抜く姉さんの眼力の方が可笑しいんですよ」
「あー……。ガン見してたもんなぁ」
やはりガン見は気づかれていたようだ。
呆れた視線は気のせいじゃなかった……。
「それに最初に鑑定したときは本物だったようなので」
「え?」
二人して驚いた顔を向ければ、先の騒ぎを思い出したのかリアンは肩を竦めた。
「本物を鑑定させた後で、マーレの職人見習いと組んでた秘書がすり替えたようです。姉さんが偽物と見破ったうえ、彼らもあの場で認める反応をしてしまいましたしね。さらに慌てた秘書が血相を変えて逃げ出そうとして、全部露見しました。会場は大騒ぎですよ。自分の宝石は本物か?!って参列客たちも騒ぎ出すし……」
「…………」
騒ぎを想像し、元凶でもあるミルフェリアはそっと視線を逃した。
とんでもないことをしてしまったかもしれない……。
「本来は僕も残るべきなんでしょうけど……父さんたちも姉さんが心配だったみたいで先に帰らせてくれたんです。けど家に着いてもとっくに帰ってるはずの姉さんは居ないし。ティムは半泣きです」
「「本当にすみませんでした!」」
恨めし気に見られ、再び揃って頭を下げる。
「それで?はしゃぎまわるほど元気いっぱいな理由は?」
「全部吐き出してすっきりした」
あっけらかんとした言葉に、納得した様子の弟にさらに爆弾を放り投げる。
「あとオスカーに求婚された」
「はっ?!そっちを先に言えっ!」
目を丸くして立ち上がった弟を、マジマジと見つめる。珍しく口調も崩れたリアンはオスカーに詳細を詰めよっている。
その姿は意外な事実に驚いているというよりも…………。
「ねぇ、もしかして……オスカーの気持ち気づいてた?」
「気づかないの姉さんぐらいですからね?周囲はみんな「とっととくっつけよ」って思ってました」
「「…………」」
すごく複雑な気持ちで黙り込んだ。
「でもじゃあ……姉さんもヴラスカに行ってしまうんですね」
「ねぇ、ちょっとなんでリアンが知ってるの?!私、今日初めて聞いたのにっ!あとまだ返事はしてないから!!!」
「これ以上の相手も居ないじゃないですか。不束な姉ですが、宜しくお願いします」
「リアン?!」
「聞いてよ、リアン。ヴラスカは女王制だし、先進的だからあっちで宝石に携わる手もあるんじゃん?って話に出したらさ、食いつく、食いつく。求婚よりよっぽど前のめりで食いついてくんの。ひどくね?」
「諦めて下さい、姉さんなので」
「まぁ、リアだし……」
「どういう意味よっ?!」
もはや大騒ぎの会場のことなどどうでもよくなり、話が弾んだ。
雨が木々の葉を叩く音を聞きながら、ミルフェリアは手を動かしていた。網目の数を数えながら、編み棒を操る。
ゆっくりと緩やかになっていく雨音。
やがて窓から差し込んだ光に、眩しさに瞳を細めながら顔をあげる。
手にした編み物をテーブルへと置き、立ち上がろうとすればオスカーが手を貸してくれた。そのまま二人で窓辺へと向かう。
空を見上げれば……思わず感嘆の声が漏れた。
「見て、虹よっ!」
レースのカーテンを開き、外を眺める。
雨上がりの蒼い空には、大きな虹のアーチがかかっていた。
ふっ……と息を零す音が聞こえた。思い出し笑いをしているオスカーに首を傾げれば、彼は懐かしそうに虹を指さした。
「昔、「虹のふもとには宝物が埋まってるのよっ!」って俺の手を引いて走り出したことがあったなって。危うく迷子になりかけたっけ」
「……結局、見つける前に消えちゃったのよね」
「もうあの時みたいに駆けださないでよ?」
優しく笑いながら覗き込んでくるオスカーに、ミルフェリアも微笑み返す。
「行かないわ。だって……宝物はもうここにあるもの」
そう言ってそっとお腹へと手を当てた。
ソファへ戻ると、すぐさま肩にストールを掛けられ、ノンカフェインのお茶を淹れてくれる。
「理想の旦那様ね。でもちょっと過保護過ぎない?」
「この前も転びかけたのは誰だっけ?俺の宝物は、ちっとも宝石箱の中で大人しくはしててくれないから」
「はぁ~い、ごめんなさい」
そこは素直に謝りながら、編み掛けの靴下に手を伸ばす。
「男の子かしら?女の子かしら?」
「どっちでも」
締まりのない表情のまま、オスカーは愛おしそうにお腹を撫でる。元気な振動に顔を見合わせて笑った。
こつりと額を合わせ、問いかける。
「ね、幸せ?」
「もちろん」
「私もよ」
ちゅっ、と可愛らしい音を立てて唇が重なる。
降り注ぐ温かな陽光に、首元で小さな赤い石がキラリと光った。
(蛇足)
ヴラスカでミルフェリアの宝石は大ヒットします。
コンテストの作品は一目惚れしたヴラスカの王女様がお買い上げ。国同士の会合の場で麗しの王女様がそれを身につけたことで一気に注目を浴びます。ミルフェリアの国では入手困難になってから悔しがる貴婦人多数。あのコンテストへの批判が再燃したり、女性の社会進出が推進される切っ掛けとなったり……。
……という展開もあったのですが、長くなりすぎてはしょりました。
【お知らせ】
以前投稿させて頂いた【『真実の愛』とやらで婚約破棄されたので、推しと契約結婚して幸せばぁばライフを満喫しますわ!】が電子書籍化進行中です!
詳細はまた後日、活動報告等でお知らせさせて頂きます。




