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[完結]さよならの陽炎を、追いかけて  作者: 七瀬 澪
第5章「廻る季節」

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55.待ち続けた日々

奏でが消えてから3年以上の月日が流れた。


2027年、8月。


大学二年生。


一人暮らしのアパート。六畳一間の狭い部屋。


世界は何も変わっていない。誰も彼女を知らない。


でも、僕の記憶だけは鮮明なままだ。


しかし、奏が消えてからの高校生活はあまり覚えていない。



目覚めると、耳に飛び込んでくる音がある。


ミンミンミン。


ジリジリジリ。


窓を開ける。熱気が部屋に流れ込んだ。


「……また、来たんだな」


あの季節が。


銀色の髪の少女がいない、三度目の夏が。



講義室。ノートを取る。


食堂で昼食。


図書館で課題。


友人と雑談。適当に笑う。


表面上は、ごく普通の大学生活。


誰も気づかない。僕の中に空洞があることを。


「廻、今夜サークルの飲み会あるけど」


声をかけられる。


「悪い、今日は都合が」


「最近断ってばっかじゃん。忙しいの?」


「まあね」


忙しいわけじゃない。


ただ、他人と騒ぐ気分になれないだけだ。


帰り道、コンビニに寄る。


おにぎりコーナーの前で、手が止まる。


ツナマヨ。


手に取る。


レジで会計を済ませ、公園のベンチで食べた。


味がしない。


いや、味はする。職人のこだわりとか、そういうのはわかる。


でも、何か足りない。


誰かと食べる、ツナマヨじゃない。


一人で食べる、ツナマヨ。


違う。


これじゃない。



結衣とは月に一度、会っている。


彼女は美大に通い、相変わらず絵を描いていた。


駅前のカフェ。窓際の席。


「元気?」


結衣が笑いかけてくる。


「まあまあ」


「嘘。顔色悪いよ」


ずばり言われた。


「ちゃんと食べてる?」


「食べてる」


「寝てる?」


「寝てる」


「……誰か、探してるでしょ」


結衣の目が、真剣になる。


「ここにいるのに、どこか遠くを見てる。ずっと、そんな感じ」


何も言えなかった。


彼女の洞察は、いつも鋭い。


「その人、帰ってくるの?」


「……わからない」


テーブルの上で、指を組む。


「でも、約束したから」


「約束?」


「また会えるって」


結衣がカップを持ち上げる。一口飲んで、窓の外に目をやった。


「私ね、最近変な感覚があるの」


「変な感覚?」


「何か大切なものを忘れてる気がする」


結衣の声が、少し震える。


「誰かの顔、声、名前。思い出せないのに、胸が苦しくなる」


「……」


「変だよね。知らない人なのに、会いたくなるなんて」


結衣の目に、薄っすらと涙が浮かんでいた。



8月31日がやってくる。


あの日から、丸3年。


早朝、電車に乗り込んだ。揺れる車内。景色が後ろへ流れていく。


神社の前で降りる。参道を抜け、裏山へ。


木々の間を進む。蝉が一斉に鳴き始めた。まるで僕を歓迎するかのように。


岩場。


見下ろせば、あの川。


変わらぬ流れ。変わらぬ色。


腰を下ろす。


「来たよ」


誰もいない空間に、声をかける。


「今年も」


雲が、ゆっくりと動いていく。


「待ってる。ちゃんと、ここで」


指先で、川面をなぞるように手を動かした。


触れない。届かない。


「いつか、って言ったよね」


青い空。白い雲。真夏の太陽。


「何年かかってもいい」


心の中で誓う。


「ずっと、ここにいる」


ふと、背後に気配を感じた。


振り向く。


樹木が揺れている。葉が擦れ合う音。


それだけ。


誰もいない。


「……そうか」


また川に目を戻す。


まだ、時じゃない。


もう少し。


もう少しだけ。


太陽が頂点を過ぎ、西へ傾き始める。


影が長くなる。


僕は夕暮れまで、ずっとそこにいた。


毎年、そうしているように。



部屋に戻る。


机の上、いつもの場所に銀色のノート。


手に取り、ページを開く。


奏の筆跡。細く、丁寧な文字。


何度読み返しても、新鮮だ。


最後のページ。


『――また、会えるから』


『待っていて』


『いつか、必ず』


「……ああ」


ノートを閉じる。胸に抱く。


「何年でも」


窓を開ける。夜風が入ってくる。


星が見える。無数の光。


「おやすみ」


いつものように、呟く。


「また明日ね」


ベッドに横になる。


目を閉じる。


夢の中で、会えるかもしれない。


銀色の髪の少女に。



翌朝、スマホが振動した。


結衣からのメッセージ。


『今日、時間ある? 見せたい絵があるんだけど』


『午後なら大丈夫』


『じゃあ2時、いつもの場所で』


約束の時間。カフェに入ると、結衣がすでに座っていた。


大きなスケッチブックを膝に抱えている。


「悪い、待たせた?」


「ううん、私も今来たところ」


席に座る。


結衣がスケッチブックを開いた。


「これ」


息を呑んだ。


川。


夏の川。


透明な水。岩。木漏れ日。


そして――


一人の少女。


銀色の長い髪。黒いワンピース。


水の中に立ち、こちらを見つめている。


「……奏」


声が漏れた。


「知ってるの?」


結衣が顔を上げる。


「この子」


「……ああ」


頷くしかなかった。


「空乃奏。そらの、かなで」


結衣がその名を繰り返す。


「そらの、かなで……」


「綺麗な響き」


スケッチブックを見つめ直す。


「夢に出てくるの。この子」


「……」


「誰だか、わからない。会ったこともないはずなのに」


結衣の指が、絵の上をなぞる。


「描かずにいられなかった」


「大切な人な気がして」


結衣の目から、一筋の涙が頬を伝った。


「今、どこにいるの?」


「……わからない。けど、絶対に近くにいる。そんな気がするんだ」


窓の外。夏の空。


「愛してた人なんだ」


「……そっか」


結衣が微笑む。涙を拭いながら。


「必ず会えるよ。約束したんでしょ?」


「……うん」


「じゃあ、私も一緒に待ってる。いつか、三人で会える日を」


「ありがとう、結衣ちゃん」

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