50.失われた記憶
その夜、僕たちは長い時間話し合った。
ノートに書かれていた内容について。
失われた記憶について。
そして、繰り返されようとしている悲劇について。
「つまり」
奏が、整理するように言った。
「前の世界では、廻くんが能力を使いすぎて消えかけてた」
「うん」
「それを見ていた私が、苦しんでいた」
「そうみたいだね」
「そして、何かが起きて……私たちは記憶を失った」
奏が、俯く。
「2016年の夏に、もう一度出会い直した」
「でも、今度は逆になってる」
僕が言った。
「今度は、奏が消えかけている」
「……うん」
奏が、自分の手を見つめる。
その手が、またほんの少しだけ透けて見えた。
「なんで?」
奏の声が、震えている。
「なんで、また同じことになるの?」
「わからない」
僕も、答えられなかった。
ただ、胸が苦しかった。
「でも、今度は絶対に守る」
僕は、奏の手を握った。
「前の世界で、奏は僕を見守ってくれてた。今度は、僕が奏を守る番だ」
「……ありがとう」
奏が、涙を拭う。
「でも、どうやって?」
「……わからない」
僕は、正直に答えた。
「でも、絶対に方法を見つける」
奏が、僕に抱きついてきた。
「怖い。すごく怖い」
「大丈夫」
僕は、奏を強く抱きしめた。
その体が、いつもより軽く感じた。
本当に、消えかけている。
この温もりが、なくなってしまうかもしれない。
そんな未来は、絶対に受け入れられない。
◆
翌日、学校に行った。
いつも通りの朝。
いつも通りの教室。
でも、何もかもが違って見えた。
「おはよう、廻」
クラスメイトが、声をかけてくる。
「おはよう」
僕は、普通に返事をした。
でも、心の中では、ずっと奏のことを考えていた。
奏は、僕の隣の席に座っている。
いつもと変わらない笑顔。
でも、その輪郭が、少しだけ曖昧に見える。
授業中、奏がノートを取っている。
その手が、時々ぶれる。
まるで、存在が不安定になっているかのように。
「空乃さん、大丈夫?」
先生が、心配そうに聞いた。
「はい、大丈夫です」
奏が、笑顔で答える。
でも、その笑顔が、痛々しかった。
◆
昼休み、僕たちは屋上に行った。
誰もいない場所。
「ねえ、廻くん」
奏が、フェンスにもたれかかって言った。
「結衣ちゃんに、相談する?」
「……どうかな」
僕は、迷った。
結衣に話したら、心配させてしまう。
でも、一人で抱え込むのも限界だった。
「結衣ちゃんなら、何か知ってるかもしれない」
奏が言う。
「前の世界でも、私たちの友達だったはずだから」
「でも、結衣も記憶を失ってるんじゃない?」
「そうだけど……」
奏が、空を見上げる。
青い空に、白い雲。
「何か、手がかりがあるかもしれない」
「……そうだね」
僕も頷いた。
「今度会ったときに、話してみよう」
「うん」
奏が、微笑む。
でも、その笑顔の奥に、不安が見えた。
風が吹いて、奏の銀色の髪が揺れる。
その髪が、陽の光を浴びて輝いている。
美しい。
でも、儚い。
まるで、今にも消えてしまいそうな。
「奏」
「うん?」
「絶対に、離さないから」
「……うん」
奏が、僕の手を握った。
その手が、冷たかった。
いつもより、ずっと冷たい。
◆
放課後、僕たちは図書館に行った。
何か手がかりがないか、調べるために。
「時間を巻き戻す能力……」
僕は、パソコンで検索した。
でも、出てくるのは、SFやファンタジーの話ばかり。
現実に、そんな能力が存在するという記録はなかった。
「存在が薄くなる……」
奏も、別のキーワードで検索している。
でも、やはり答えは見つからない。
「……ダメだね」
奏が、諦めたように言った。
「ネットには、何もない」
「うん」
僕も頷いた。
当たり前だ。
こんな非科学的なこと、誰も信じない。
でも、現実に起きている。
奏の体は、確実に透けている。
「廻くん」
奏が、僕の手を握った。
「もし、私が消えちゃったら」
「消えないよ」
僕は、強く言った。
「絶対に、消えさせない」
「でも、もし」
「もし、なんてない」
僕は、奏の目を見た。
「奏は、ここにいる。これからも、ずっと」
「……ありがとう」
奏が、涙を浮かべて微笑んだ。
「廻くんがいてくれて、よかった」
「僕も、奏がいてくれてよかった」
二人で、手を繋いだまま、図書館を出た。
夕焼けの空が、オレンジ色に染まっている。
「綺麗だね」
「うん」
奏が、空を見上げる。
その横顔が、夕日を浴びて輝いている。
銀色の髪が、オレンジ色に染まって。
「……写真、撮ってもいい?」
僕が聞くと、奏は少し驚いた顔をした。
「今?」
「うん。今の奏が、すごく綺麗だから」
「……恥ずかしい」
奏が、頬を赤らめる。
でも、嫌そうじゃなかった。
僕は、スマホを取り出して、奏の写真を撮った。
夕焼けを背景に、微笑む奏。
銀色の髪が、風に揺れている。
「見せて」
奏が、スマホを覗き込む。
「わあ、綺麗」
「だろ?」
「廻くん、写真上手だね」
「奏が綺麗だから」
「もう……」
奏が、恥ずかしそうに笑う。
その笑顔を見ていると、胸が温かくなった。
(この笑顔を、守りたい)
心の底から、そう思った。
◆
家に帰ると、母さんが夕飯を作っていた。
「おかえりなさい」
「ただいま」
僕たちは、手を洗って、食卓に座った。
「今日、どうだった?」
母さんが聞く。
「普通だったよ」
僕は、嘘をついた。
奏のことは、言えなかった。
言ったら、心配させてしまう。
「そう。二人とも、ちゃんと食べなさいよ」
「はーい」
夕飯は、カレーライスだった。
母さんの得意料理。
でも、今日はあまり味がしなかった。
頭の中が、ノートのことでいっぱいだった。
過去の世界。
失われた記憶。
そして、繰り返される運命。
(どうすればいい?)
答えは、見つからなかった。
◆
その夜、また奏と話し合った。
「ねえ、廻くん」
奏が、不安そうに言った。
「もし、記憶が戻ったら……どうなるんだろう」
「記憶が戻る?」
「うん。ノートに書かれてた、前の世界のこと」
奏が、俯く。
「もし、思い出したら……私たち、どうなるの?」
「……わからない」
僕も、考えたことがなかった。
記憶が戻ったら、どうなるんだろう。
前の世界で、何があったのか。
それを思い出したら――
「怖い」
奏が、震える声で言った。
「思い出したくない気もする」
「うん」
「でも、思い出さなきゃ、解決できない気もする」
奏が、矛盾したことを言う。
でも、その気持ちはわかった。
真実を知りたい。
でも、怖い。
その狭間で、揺れ動いている。
「大丈夫」
僕は、奏を抱きしめた。
「どんな真実が出てきても、僕は奏の味方だから」
「……うん」
奏が、僕の胸に顔を埋める。
「ありがとう」
二人で、しばらく抱き合っていた。
窓の外には、星が瞬いている。
春の夜は、まだ少し冷える。
でも、奏の温もりが、僕を温めてくれた。
いや、違う。
奏の体は、いつも冷たい。
でも、その冷たさが、僕には心地よかった。
(絶対に、失いたくない)
僕は、心の中で誓った。
どんな真実が待っていても。
どんな運命が待っていても。
絶対に、奏を守る。
そう決めた、春の夜だった。




