48.記憶の欠片
家に帰って、僕たちはノートを開いた。
僕の部屋で、二人並んで座る。
「読んでみる?」
「うん」
奏が、ページをめくる。
そこには、信じられない内容が書かれていた。
『2024年 2月14日。大雪』
『今日、世界は終わるはずだった』
『彼は、結衣の手を引いて交差点を渡っていた』
『スリップした大型トラックが、赤信号を無視して突っ込んできた』
『彼が鉄の塊の下敷きになり、雪の上に赤い花が咲いた』
「……なにこれ」
奏が、青ざめた顔で僕を見る。
「廻くんが、死んだって書いてある」
「でも、僕は生きてるよ」
「うん。わかってる。でも……」
奏が、ページをめくる。
『私は、力を解放した』
『時間をねじ曲げる。因果律を破壊する』
『この雪の日を、事故が起きる1時間前まで、無理やり巻き戻す』
『代償として、私の「世界への干渉権」が剥がれ落ちていく』
「時間を、巻き戻す……?」
僕が、呟いた。
「そんなこと、できるわけない」
「うん。できないよね」
でも、奏の手が震えていた。
さらにページをめくる。
『彼の右目に、私の力の余波が宿ってしまった』
『彼は、1秒だけ時間を巻き戻せるようになった』
『そして、その力を使うたびに、彼自身が削られていく』
右目。
1秒。
その言葉を読んだ瞬間、僕の右目が疼いた。
「痛っ」
「廻くん?」
「ううん、なんでもない」
でも、確かに痛んだ。
まるで、何かを思い出そうとしているかのように。
「……これ、小説かな」
奏が、不安そうに言う。
「誰かが書いた、創作」
「そうかもね」
僕も頷いた。
「でも、なんでこんなところに」
「わからない」
二人で、ノートを見つめた。
文字は、少し震えている。
まるで、書いた人が泣きながら書いたような。
「もう少し、読んでみる?」
「……うん」
僕たちは、ページをめくり続けた。
そこには、僕たちの知らない「世界」が書かれていた。
僕が能力を使って、自分を削っていく話。
奏が、それを見守りながら苦しむ話。
そして――
『――相沢廻。あなたは今日も、幸せそうに笑いながら、無垢な顔で自殺を続けている』
その一文を読んだ瞬間、奏が声を上げた。
「やめよう」
「え?」
「もう、読みたくない」
奏が、ノートを閉じた。
その目に、涙が浮かんでいた。
「怖い。なんか、すごく怖い」
「奏……」
「これ、私が書いたみたいな気がする」
「え?」
「わからない。でも、この文章……私の字に似てる気がする」
奏が、自分の手を見つめる。
「それに、この人の気持ちが……すごくわかる気がする」
僕は、奏を抱きしめた。
「大丈夫。これは、ただのノートだから」
「……うん」
「誰かの創作。それだけだよ」
「うん。そうだよね」
でも、二人とも、本当はわかっていた。
これは、ただの創作じゃない。
何か、大切なものが隠されている。
◆
それから、数日が経った。
僕たちは、ノートのことを誰にも言わなかった。
結衣にも、母さんにも。
ただ、僕の机の引き出しに、大切にしまっておいた。
でも、夢は続いた。
奏は、毎晩のように夢を見ると言った。
「また、声が聞こえた」
「誰の声?」
「わからない。でも、私の名前を呼んでる」
奏の顔色が、少し悪くなっている気がした。
「大丈夫?」
「うん。ちょっと寝不足なだけ」
でも、それだけじゃない気がした。
奏の体が、少しだけ軽くなったような気がする。
まるで、存在が薄くなっているような。
(気のせいだよ)
僕は、自分に言い聞かせた。
奏は、ここにいる。
ちゃんと、存在している。
◆
秋になった。
文化祭の準備で、学校が賑やかになっていた。
僕たちのクラスは、カフェをやることになった。
「廻、お前はウェイター」
「奏は、ウェイトレスで」
クラス委員が、役割を振り分けていく。
当日、僕たちはウェイターの制服を着た。
白いシャツに、黒いベスト。
「似合ってる?」
奏が、くるりと回る。
「すごく似合ってるよ」
「廻くんも、かっこいい」
文化祭は、大盛況だった。
たくさんのお客さんが来て、カフェは満席になった。
「いらっしゃいませ」
奏が、笑顔で接客する。
その笑顔を見て、男子客がポーッとなっている。
(みんな、奏に見とれてる)
僕は、少しだけ焦った。
でも、奏は僕の方をチラチラと見ながら、嬉しそうに笑っている。
(ああ、可愛い)
そう思った。
文化祭が終わった後、結衣が来てくれた。
「二人とも、お疲れ様!」
「結衣ちゃん、来てくれたんだ」
「うん。美術科の文化祭は昨日だったから」
「どうだった?」
「すごく楽しかった。私の絵も展示してもらえて」
結衣が、嬉しそうに笑う。
「今度、見せてあげるね」
「楽しみ」
三人で、夜の校舎を歩いた。
誰もいない廊下。
窓の外には、月が出ている。
「ねえ、二人とも変わってないね」
結衣が、突然言った。
「え?」
「いつも一緒で、いつも仲良くて」
「そう?」
「うん。羨ましいよ」
結衣が、優しく微笑む。
「でも、私も頑張ってるから。絵、すごく楽しい」
「よかった」
奏が、嬉しそうに言う。
「結衣ちゃんが幸せそうで、本当によかった」
三人で、校門まで歩いた。
秋の夜は、少し冷える。
「じゃあ、また来月ね」
「うん。また」
結衣が、手を振って去っていく。
その背中を見送りながら、奏が呟いた。
「結衣ちゃん、強いね」
「うん」
「私も、もっと強くならなきゃ」
「え?」
「……なんでもない」
奏が、首を横に振る。
でも、その横顔が、少し寂しそうだった。
◆
冬が来た。
ある朝、奏が鏡の前で立ち止まった。
「……廻くん」
「うん?」
「私の手、見える?」
奏が、手を差し出す。
僕は、その手を見た。
「見えるよ」
「……そっか」
でも、奏の表情は晴れなかった。
「今朝、鏡を見たら……少しだけ、透けて見えた気がしたの」
「え?」
「背景が、少しだけ透けて……」
奏が、不安そうに僕を見る。
「気のせいだよね?」
「……うん。気のせいだよ」
僕は、強く頷いた。
でも、心の奥では、不安が渦巻いていた。
あのノートに書かれていた内容。
奏の存在が、不安定になっていく話。
もしかして――
(いや、ありえない)
僕は、頭を振った。
奏は、ここにいる。
ちゃんと、存在している。
でも、その夜。
僕も、夢を見た。
雨の中を、走っている夢。
誰かを探している夢。
そして、銀色の髪の少女が、泣いている夢。
「待って!」
僕は、手を伸ばす。
でも、届かない。
少女が、光になって消えていく。
「やだ、行かないで!」
目が覚めると、頬が濡れていた。
泣いていた。
なぜだろう。
夢なのに、こんなに悲しいのは。
僕は、隣の部屋で寝ている奏のことを思った。
(大丈夫。奏は、ここにいる)
そう自分に言い聞かせて、また眠りについた。
でも、不安は消えなかった。
冬の夜は、静かに更けていった。




