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さよならの陽炎を、追いかけて  作者: 七瀬 澪
第四章 「さよならの陽炎」

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38. 繰り返す夏

8月15日。


目が覚めた瞬間、胸騒ぎがした。


今日が、何か特別な日だという予感。


良いことなのか、悪いことなのかはわからない。


ただ、この日を迎えることが、運命だったような気がした。


「おはよう、廻くん」


リビングに行くと、奏がすでに席についていた。


銀色の髪が、朝日を浴びて輝いている。


「おはよう、奏」


彼女の顔を見ると、少し不安そうだった。


「どうしたの?」


「……なんでもない。ただ、今日が怖い気がして」


「僕もだよ」


二人、顔を見合わせる。


同じことを感じている。


この奇妙な共鳴が、僕たちを繋いでいる。


「でも、大丈夫」


僕は奏の手を握った。


「何があっても、一緒だから」


「……うん」


奏が、少しだけ安心したように微笑んだ。



朝食を済ませた後、僕たちは準備を始めた。


川へ行く準備。


リュックに、タオルと着替えと水筒を詰める。


母さんが心配そうに言った。


「気をつけてね。深いところには行かないで」


「大丈夫だよ」


僕は笑顔で答えた。


でも、心の奥では、何かが引っかかっていた。


なぜ母さんは、わざわざ「深いところ」と言ったんだろう。


まるで、何か危険なことを知っているみたいに。


玄関を出る前、奏が立ち止まった。


「ねえ、廻くん」


「うん?」


「もし、私が……」


彼女は言いかけて、口をつぐんだ。


「なんでもない。行こう」


僕は、彼女の手を握った。


冷たい。


いつもより、ずっと冷たい気がした。



途中、コンビニに寄った。


真夏の陽射しが、アスファルトを焼いている。


店内に入ると、冷房が心地よかった。


「お昼、何食べる?」


「おにぎりがいい」


奏が、おにぎりコーナーに向かう。


僕も後に続いた。


色とりどりのおにぎりが並んでいる。


梅、鮭、昆布、ツナマヨ、明太子。


どれも美味しそうだ。


僕が迷っていると、奏がすでに一つ手に取っていた。


「もう決めたの?」


「うん」


彼女の手には、ツナマヨのおにぎりがあった。


その選び方が、迷いなくて。


まるで、何百回も選んできたみたいに。


「……これがいいの。絶対に」


奏の声には、不思議な確信があった。


なぜそんなに強く言うのか、わからない。


でも、その真剣さに、僕は少し驚いた。


「そっか。じゃあ、僕もそれにしようかな」


「一緒?」


「うん」


奏が、嬉しそうに笑った。


僕たちは同じおにぎりを二つ買って、お茶も買った。


レジで会計を済ませて、外に出る。


真夏の熱気が、また僕たちを包み込んだ。


「暑いね」


「うん。でも、川に行けば涼しいよ」


「楽しみ」


奏が、少し不安そうだった顔から、笑顔に戻った。


それが嬉しかった。


僕は、彼女の笑顔を守りたい。


何があっても。



神社の裏山に入ると、蝉の声が激しくなった。


ミンミンミン。

ジリジリジリ。


耳が痛くなるほどの大合唱。


「うるさいね」


「夏、って感じだね」


僕たちは手を繋いで、獣道を進んだ。


木漏れ日が、二人の影を地面に落とす。


やがて、あの岩場が見えてきた。


初めて出会った場所。


奏が、立ち止まった。


「……ここ」


「うん。ここだね」


「私たち、ここで出会ったんだよね」


「そうだよ」


奏が、岩場をじっと見つめている。


その表情が、少し寂しそうだった。


「どうしたの?」


「……なんでもない。ただ、ここが大切な場所な気がして」


「大切な場所だよ。君と出会えた場所だから」


奏が、僕の方を向いた。


その瞳に、涙が浮かんでいた。


「ねえ、廻くん」


「うん」


「もし、私がいなくなっても……」


「またそれ?」


僕は、少し強い口調で言った。


「何度も言うけど、君はいなくならないよ」


「……でも」


「でも、じゃない」


僕は、奏の両肩を掴んだ。


「絶対に、離さない。何があっても」


奏が、泣きそうな顔で笑った。


「……ありがとう」


僕たちは、岩場を降りて、川のほとりに座った。


エメラルドグリーンの水面が、太陽の光を反射してキラキラと輝いている。


綺麗だ。


こんなに綺麗な場所で、こんなに大切な人と一緒にいる。


それだけで、幸せだった。


「おにぎり、食べよう」


「うん」


僕たちは、コンビニ袋からおにぎりを取り出した。


包装を開けて、一口齧る。


ツナマヨの味が、口いっぱいに広がる。


「……美味しい」


奏が、幸せそうに目を細めた。


「うん。美味しいね」


僕も頷く。


真夏の暑さの中で食べるおにぎりは、格別だった。


風が吹いて、奏の髪を揺らす。


その瞬間、僕はハッとした。


今、彼女の髪が――透けて見えた気がした。


「……?」


目をこすって、もう一度見る。


でも、もう普通に見える。


気のせいだったのかもしれない。


「どうしたの?」


「ううん、なんでもない」


僕は首を振った。


不安にさせたくなかった。


おにぎりを食べ終えて、僕たちは川に入った。


水が、冷たい。


足首まで浸かると、ヒヤリとした感触が全身に伝わる。


「冷たいね」


「うん。でも、気持ちいい」


奏が、水を手ですくって顔を洗う。


その仕草が、とても自然で、美しかった。


僕も真似をする。


冷たい水が、火照った顔を冷やしてくれる。


「ねえ、廻くん」


「うん?」


「もっと奥まで行ってみない?」


奥。


川の上流の方。


深くなっている場所。


僕の胸が、急に騒いだ。


「……危ないかもしれないよ」


「大丈夫。一緒だから」


奏が、僕の手を引く。


その手は、やっぱり冷たかった。


僕たちは、川の流れに沿って上流へと歩き始めた。


足元の石が滑りやすい。


気をつけて進む。


やがて、流れが速くなってきた。


水深も、膝くらいまで深くなっている。


「ここ、綺麗だね」


奏が、嬉しそうに言った。


確かに、水が澄んでいて、底の石がよく見える。


小さな魚が泳いでいるのも見えた。


「あ、魚!」


奏が指差す。


金色に光る、大きな魚。


それは、川の淵の奥深くを泳いでいた。


「あれ、『ぬし』かな」


「ぬし?」


「うん。願いを叶えてくれる、川の主」


奏が、目を輝かせた。


「本当に?」


「わからない。でも、そういう話を聞いたことがある気がする」


奏が、その魚を追いかけようと、さらに奥へ進もうとした。


「待って、奏!」


僕は慌てて彼女の腕を掴んだ。


「そっちは深い。危ないよ」


「でも……」


「願い事なら、ここからでもできるよ」


僕は、奏の手を握った。


「一緒に、願おう」


「……うん」


僕たちは、手を繋いだまま目を閉じた。


川のせせらぎが、耳に心地よく響く。


(お願いします)


僕は、心の中で祈った。


(奏と、ずっと一緒にいられますように)


目を開けると、奏も目を開けたところだった。


「何、願った?」


「秘密」


奏が、いたずらっぽく笑う。


「僕も秘密」


「じゃあ、言いっこなし?」


「うん」


でも、きっと同じことを願ったんだと思う。


ずっと一緒にいられますように、と。


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