1/58
プロローグ:欠落の標本
たった1秒だけ、時間を巻き戻す。
それが、僕の右目に宿った力だった。
結衣が眉をひそめた。僕のせいだ。
だから——巻き戻す。
言葉を選び直す。笑顔が戻る。
なかったことになる。
僕はこの力で、幼馴染の日常から「不正解」を消し続けた。
彼女が泣かない世界。彼女が怒らない世界。
完璧な、嘘の日常。
でも、奇跡には値札がついていた。
使うたびに、僕の世界から色が消えた。
味が消えた。
記憶が消えた。
そして——僕自身が、世界から消え始めた。
母さんが僕の部屋を「物置」と呼んだ日。
結衣が、僕の名前を思い出せなくなった朝。
それでも僕は、やめられなかった。
彼女が笑っていてくれるなら、僕は何を失ってもいい。
本気で、そう思っていたんだ。
——でも、本当に何もかも失って初めて気づいた。
僕を守るために、全てを捨てた人がいたことを。
僕の知らない場所で、ずっと泣いていた人がいたことを。
もう「ありがとう」も「ごめん」も届かない。
『ねえ、相沢くん。その右目で、次は何を殺すつもり?』
銀色の髪の少女が、僕の前に立っていた。
僕が殺して、捨てて、なかったことにしてきた「汚れた時間」の全てを知る少女が。
——これは、その少女と僕の物語。




