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8 奇跡の庭

行商人レオが残していった外界の風は、村の日常に溶け込むようにして、しかし確実に、小さな変化の種を蒔いていた。村人たちの間では、ミドリが育てた小松菜の瑞々しい味が語り草となり、食事の時間が以前よりもずっと楽しげなものへと変わっていった。

そして、レオが口にした「コロッケ」という日本語は、ミドリの心の中に、まだ見ぬ同郷人への淡い希望と、解き明かしたい謎として、静かに根を下ろしていた。



宴の熱気が冷めやらぬ数日が過ぎた、ある晴れた朝。


ミドリは、再び自身の戦場であり、聖域でもある畑の前に立っていた。目の前には、一ヶ月前の奮闘の証が広がっている。成功の象徴である青々とした小松菜の畝と、まだいくつか実を残したかぼちゃの蔓。そして、そのすぐ隣には、無残にも枯れ果ててしまったナスやきゅうりの残骸があった。


「やっぱり、間違いない……」


ミドリは、確信に満ちた声で呟いた。

この一ヶ月、彼女はただ収穫の喜びに浸っていたわけではない。なぜ、同じように世話をした野菜たちの間で、これほどまでに明確な差が生まれてしまったのか。その原因を、農業高校で培った知識と、この異世界の土が教えてくれる声に耳を澄ませながら、来る日も来る日も考え続けていたのだ。


答えは、すぐそこにあった。

畑の一番隅、彼女が「聖域」と定めた、あのバラの区画。

他の作物が病に倒れ、成長を止めていくのをまるで意に介さず、あのバラたちだけは、異常なまでの生命力で青々とした葉を茂らせ、その茎は子供の指ほどもある太さにまで成長していた。そして、そのバラのすぐ隣で育った小松菜とかぼちゃだけが、見事に生き残ったのだ。


(バラが、何か特殊な力を持っている。土の中の病原菌を抑えるとか、他の植物の成長を促すような、何かを……)


それは、科学的な根拠のない、ほとんどファンタジーのような仮説だった。だが、ここはファンタジーの世界だ。常識の方が、むしろ疑わしい。ミドリは、自分の直感を信じることにした。


「よし、第二回戦、開始よ!」


彼女は、きゅっと唇を引き結ぶと、カケルの家から古びた鍬を担ぎ出してきた。前回、カケルがいとも容易く耕してくれた場所を、今度は自分自身の力で、もう一度、大地へと挑むのだ。


「ミドリ姉ちゃん! 今日もやるのか!」


どこからともなく、元気な声と共にノフーが駆け寄ってくる。彼は、すっかりミドリの農業の虜になっており、今では一番の弟子であり、助手でもあった。


「うん! 今度は、もっとすごいことになるわよ!」


ミドリの瞳に宿る力強い光を見て、ノフーも「おう!」と力強く拳を突き上げた。


ミドリはまず、前回の失敗の残骸を全て丁寧に取り除き、堆肥を混ぜ込みながら、土を深く、深く掘り返していく。前回の手伝いでコツを掴んだのか、以前よりは様になっていたが、やはり非力な少女の腕ではすぐに限界が来た。


「……へたくそ。見てらんねえ」


いつの間にか背後に立っていたカケルが、呆れたようにため息をつき、ひょいとミドリの手から鍬を取り上げる。その光景は、もはやお決まりの儀式のようになっていた。彼の力強い腕によって、固い大地は再び柔らかなベッドへと姿を変えていく。その頼もしい背中を見ながら、ミドリは感謝と、ほんの少しの悔しさを感じていた。


土作りを終えたミドリは、カケルとノフーに向き直り、新しい計画を打ち明けた。


「今度はね、この畑全体を、バラで囲むの」


「は? バラで?」


カケルが怪訝そうに眉をひそめる。


「うん。バラには、他の植物を病気から守って、元気に育てる不思議な力があるみたいなの。だから、畑の周りをぐるっとバラの生垣で囲んで、野菜たちのための、特別な守り神になってもらうのよ」


ミドリが熱っぽく語るその計画は、この世界の常識からすれば、荒唐無稽な夢物語にしか聞こえなかっただろう。だが、カケルもノフーも、先日の小松菜とかぼちゃの奇跡を、その舌で、その目で、確かに体験していた。


「へえ、面白えじゃねえか! バラの砦だな!」


ノフーが目を輝かせる。カケルも、最初は半信半疑といった顔をしていたが、ミドリの真剣な瞳を見つめるうちに、やがて小さく頷いた。


「……お前の言うことには、もう、ちょっとやそっとじゃ驚かねえよ。好きにやってみろ」


その言葉は、ミドリへの全幅の信頼の証だった。


ミドリは、前回と同じように、各種の野菜の種を、前回と同じくらいの量だけ取り出して、丁寧に畝へと蒔いていく。小松菜、ナス、きゅうり、かぼちゃ、そしてじゃがいも。今度こそ、全ての芽が元気に育つようにと、一粒一粒に祈りを込めて。

そして、計画の要であるバラの種を、畑をぐるりと囲むように、等間隔に蒔いていった。


「よし、これで完璧……!」


全ての種まきを終え、ミドリが満足げに腰を上げた、その時だった。彼女は、ふと、空を見上げた。


「……ねえ、二人にお願いがあるんだけど」


「「なんだ?」」


カケルとノフーの声が、綺麗にハモった。


「ここにね、バラのアーチがあったら、素敵だと思わない?」


ミドリは、畑の入り口になる場所を指差しながら、少し照れたように言った。その瞳は、未来の美しい光景を夢見る、一人の少女のものだった。


「バラがトンネルみたいになってるの。そこをくぐって畑に入るのよ。絶対、毎日が楽しくなると思わない?」


「あーち……?」


聞き慣れない言葉に、二人の頭の上に、大きなクエスチョンマークが浮かんだ。ミドリは木の枝を拾うと、地面に簡単な絵を描いてみせた。二本の柱を立て、その上を弓なりに木で繋いだ、簡単な門の絵だ。


「この門に、バラの蔓を這わせるの。そうすれば、1年か2年後には、満開のバラのトンネルができるわ」


その、乙女チックで、どこか非現実的な提案に、カケルは一瞬呆気にとられたようだったが、隣で絵を覗き込んでいたノフーが、先に声を上げた。


「すっげえ! 花の門か! 面白そうじゃねえか! やろうぜ、カケル兄さん!」


「……お前は、本当に単純だな」


カケルはやれれやれと首を振りながらも、その口元は、かすかに笑みの形を描いていた。


「分かったよ。そんなに言うなら、作ってやる。ただし、簡単なもんだぞ」


「やったあ! ありがとう、カケル、ノフー!」


その日から、男たちのアーチ作りが始まった。カケルは、森から頑丈そうな丸太を二本切り出してくると、手斧一つで、面白いように加工していく。ノフーは、力仕事を一手に引き受ける。ミドリは、二人のために冷たい井戸の水を汲んできたりしながら、時折「そこ、もうちょっと右!」などと、小さな監督のように声を張り上げた。


数日後。畑の入り口には、不格好ながらも、心のこもった木のゲートが完成していた。



それから、一ヶ月。


畑は、ミドリの予想を、そして村人たちの想像を、遥かに超える光景へと変貌を遂げていた。


「……うそ、だろ……」


最初にその奇跡を目撃したノフーは、言葉を失い、その場に立ち尽くした。


畑を囲むように植えられたバラは、まるで緑の炎が燃え上がるかのように、力強く、青々とした葉を茂らせていた。そして、そのバラの守りに抱かれるようにして、全ての野菜たちが、前回とは比べ物にならないほど、生き生きと、瑞々しく育っていたのだ。


ひょろひょろと頼りなかったじゃがいもの茎は、地面が盛り上がるほどに太くたくましくなり、ナスの葉は、光を反射して艶々と輝く深い紫色をしている。きゅうりの蔓には、いくつもの小さな黄色い花が、今にも実をつけんと誇らしげに咲き誇っていた。


ミドリの仮説は、正しかったのだ。この世界のバラには、土地を浄化し、他の植物の生命力を引き出す、魔法のような力が秘められていた。


そして、奇跡は、それだけでは終わらなかった。


一番最初に植えた、畑の隅の「聖域」。そこに植えられた四株のバラが、まるで示し合わせたかのように、一斉に、その美しい花を咲かせていたのだ。噂を聞きつけた村人たちも、畑の周りに集まってきていた。


「……きれい……」


ミドリの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。

そこにあったのは、彼女がゲームの世界で、そして現実の世界で、焦がれるほどに夢見た光景だった。


燃えるような真紅の花弁を持つ『クリムゾン・グローリー』。

少女の頬のように、はにかむように咲く、可憐な『プリンセス・ドリーム』。

平和な微笑みを思わせる、優しいクリームイエローの『ピースフル・スマイル』。

そして、夜空の神秘を閉じ込めたかのような、深く、吸い込まれそうな紫色の『ミッドナイト・ブルー』。


「なんだ、この花は……」


「天国に咲いてる花みたいだ……」


村人たちは、その、今まで見たこともないような花の美しさに、ただ静かに息を呑んでいた。


トラックに轢かれた、あの日。終わってしまったはずの私の夢が、今、この異世界で、こんなにも美しく、花開いている。

孤独だった。何者にもなれないと、諦めていた。灰色の未来しか、描けなかった。


でも、今は違う。


私には、この美しい花がある。元気に育つ野菜たちがいる。そして、この奇跡を一緒に喜んでくれる、カケルや、ノフーや、村のみんながいる。


(ここが、私の、居場所なんだ)


異世界に来たばかりの時、何のチート能力もない自分に絶望しかけた。ステータス画面も、アイテムボックスも、魔法も、何もなかった。でも、違ったんだ。私には特別な力はなかったけれど、私が持ち込んだこの子たちが、このバラたちが、村のみんなを、そして私自身を幸せにしてくれる、最高のチートを持っていてくれたんだ。


込み上げてくる感情を、もう、抑えることはできなかった。ミドリは、その場にしゃがみ込み、子供のように、声を上げて泣いた。それは、悲しい涙ではない。生まれて初めて知った、心の底からの喜びと、感謝の涙だった。



ご一読いただきありがとうございます!

思った以上に読んでくださる方がいて、とても嬉しいです。

もっと楽しんでもらえるように頑張りたいと思います。

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よろしくお願いします(^O^)/

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