おまけ1 ノフーとエリーの恋の行方
本編から約1年経った頃のお話です。
出番の少ないキャラに光を当てたくて、書いてみました。
恥ずかしながら、この二人の名前は、作者と妻の名がモチーフとなっています(*´∀`)
アッシュフォードの町が、黄金色の奇跡『コロッケ』に熱狂し、そして『旅人の食卓』が領都一の名店へと駆け上がってから、季節は穏やかに三度巡っていた。町は活気に満ち、人々の食卓は豊かになり、かつてこの町を覆っていた貧しさの記憶は、美味しい料理の湯気と共に少しずつ過去のものになろうとしていた。
その変化の中心には、常に二つの場所があった。一つは、領都の胃袋と心を掴んで離さない『旅人の食卓』。そしてもう一つは、そこへ奇跡の恵みを届け続ける、西の果ての『バラのシルヴェストリ村』である。
ノフーは、今やその二つの場所を繋ぐ、最も重要な架け橋となっていた。十七歳になった彼は、かつてのそばかすの残る少年ではなく、日焼けした肌に精悍さを宿した、頼もしい青年に成長していた。村の若者たちを束ね、カケル・シルヴェストリ卿の右腕として、村の産物をアッシュフォードへ輸送する重要な任務を一手に担っている。彼が駆る頑丈な荷馬車と、その真面目で実直な仕事ぶりは、アッシュフォードの商人たちの間でも評判だった。
しかし、そんな彼にも悩みがあった。いや、悩みというよりは、月に一度、アッシュフォードを訪れるたびに繰り返される、甘くて苦しい胸の痛みと言った方が正しいかもしれない。その痛みの原因は、いつも『旅人の食卓』の裏庭にある、小さなハーブ園にあった。
エリーもまた、美しく成長していた。十七歳になった彼女は、いじめられていた頃の内気な少女の面影を残しながらも、その瞳には柔らかな自信の光が宿っていた。店のウェイトレスとして、ラーラの片腕となってホールを切り盛りし、その細やかな気配りは客たちからも愛されている。そして、彼女のもう一つの顔は、『旅人の食卓』の厨房に革命をもたらした、ハーブ園の若き責任者、ユーユが冗談めかして呼ぶところの「園長先生」だった。彼女が育てるハーブなくして、今の店の繊細な香りの料理は成り立たない。彼女は、ユーユにとって欠かせない、大切なパートナーだった。
そんな二人は、互いに淡い想いを寄せ合っていることを、店の誰もが、そしておそらく本人たちも、薄々感づいていた。しかし、その距離は、アッシュフォードとシルヴェストリ村の間にある物理的な距離よりも、ずっと遠く、もどかしいものだった。
月に一度の再会は、いつも同じことの繰り返しだ。
ノフーは店の裏口に荷馬車をつけ、汗を拭いながら荷物を降ろす。そこへ、エリーがはにかみながら現れ、受け渡しのためのリストを手に、小さな声で言う。
「ノフー君、ご苦労様。今月も、素晴らしい野菜をありがとう」
「おう、エリーちゃん。……頼まれてた、新しいハーブの苗も、持って来たぜ」
「まあ、嬉しいわ。すぐに植え替えないと」
会話は、いつもそこで途切れる。ノフーは、もっと何か気の利いたことを言いたいのに、彼女の透き通るような瞳に見つめられると、頭が真っ白になってしまう。エリーもまた、彼の朴訥な優しさに触れたくてたまらないのに、緊張で心臓が早鐘を打ち、当たり障りのない言葉しか出てこない。
ラーラや店のスタッフたちは、そんな二人をやきもきしながら見守り、ノフーが帰った後には決まって「もう、ノフーったら!」「エリーも、もっと積極的に!」とため息をつくのが常だった。二人の心は、互いを強く求め合っているのに、その想いを伝える言葉だけが見つからないまま、時間だけが虚しく過ぎていこうとしていた。
◇
その日も、ノフーは夜明けと共に目を覚ました。シルヴェストリ村の空気は、アッシュフォードのそれとは全く違う。バラの甘い香りと、湿った土の匂い、そして森の木々が放つ清浄な気が混じり合った、生命力そのもののような匂いだ。
彼は、村に新しく建てられた自身の小さな家を出ると、まずはカケルの家へと向かった。
「カケル兄さん、おはようございます! 今日のアッシュフォード行き、準備できました!」
「おう、ノフー。ご苦労」
カケルは、騎士爵となってからも、少しも変わらなかった。相変わらずぶっきらぼうだが、その眼差しは誰よりも温かい。彼は、ノフーが用意した出荷リストに目を通しながら、一つ一つの野菜の出来栄えを確かめていく。
「うん、今週のかぼちゃも上出来だな。ユーユ殿も喜ぶだろう。道中、気をつけて行けよ」
「はい!」
カケルとミドリは、ノフーにとって永遠の憧れであり、目標だった。カケルのような、強く頼もしい男に。ミドリ様のような、優しく芯のある女性を、生涯かけて守れるような男に。ノフーは、そう心に誓っていた。そして、彼の脳裏に浮かぶ「守りたい女性」の顔は、いつだって一人しかいなかった。亜麻色の髪を三つ編みにした、そばかすの可愛い、あの少女の顔だ。
荷馬車への積み込みを終えると、ノフーは自分の家に戻り、旅支度の最終確認をした。着替えと食料、そして、腰に差した剣。それは、あのアッシュフォードへの最初の旅で、レオが餞別として贈ってくれたものだった。今ではすっかり手になじみ、彼の自信の一部となっている。
そして、彼は、懐から一つの小さなお守り袋を取り出した。丁寧に編み込まれた革紐で口が結ばれた、手作りの袋。あの日、チンピラから助けたお礼にと、エリーがくれたものだ。中からは、今もふわりと、心を落ち着かせるようなハーブの香りがした。彼は、その香りをそっと吸い込むと、まるで彼女の温もりに触れたかのように、顔をほころばせた。そして、再び大切に懐へしまう。これが、彼にとって何よりの勇気の源だった。
「よし、行くか」
自分に気合を入れ、ノフーは荷馬車の御者台に乗り込んだ。村人たちの「いってらっしゃい!」という温かい声に見送られ、彼は愛馬に鞭を入れる。目指すは東、領都アッシュフォード。そして、彼の心を捉えて離さない、ハーブ園の園長先生が待つ場所へ。
道中、彼の頭の中は、エリーのことでいっぱいだった。
(今回は、何を話そうか……。村で、新しい花が咲いたって話でもするか? いや、そんなの、ミドリ姉ちゃんのバラに比べたら、ちっぽけな話だ。じゃあ、この間、森で仕留めた鹿の話は? いや、女の子が聞いても、面白くもなんともねえよな……)
ぐるぐると、同じ悩みが頭を巡る。彼は、魔物と対峙する時よりも、巨大な猪を狩る時よりも、好きな女の子との会話を考える方が、よほど難しく、恐ろしいことのように感じられた。
◇
同じ日の朝。アッシュフォードの『旅人の食卓』では、開店準備の喧騒が始まっていた。その中で、エリーは一人、店の裏庭にある聖域、ハーブ園にいた。
朝日を浴びて、様々な種類のハーブが、生き生きとした緑の葉を広げている。風が吹くたびに、ミントの清涼な香り、ローズマリーの力強い香り、カモミールの優しい香りが、心地よく鼻腔をくすぐった。
「みんな、おはよう。今日も元気ね」
エリーは、一つ一つの植物に優しく声をかけながら、枯れた葉を摘んだり、土の状態を確かめたりしていた。かつては、何の取り柄もない内気な少女だと思っていた。でも、ユーユと出会い、このハーブ園を任されてから、彼女は自分の中に、誰にも負けない特別な力があることを知った。植物を愛し、その声を聞き、育む力だ。
「あら、エリー。精が出るわね」
「ユーユさん、おはようございます!」
厨房から出てきたユーユが、優しい笑みを浮かべて言った。
「今日は、ノフー君が来る日でしょう? なんだか、いつもよりお花さんたちが嬉しそうに見えるのは、気のせいかしら?」
「も、もう! ユーユさんまで、からかわないでください!」
エリーは、顔を真っ赤にして俯いた。店の皆が、自分とノフーのことを温かく見守り、そして、少しだけからかっていることを、彼女は知っていた。それが、恥ずかしくもあり、くすぐったくもあった。
ユーユは、くすくすと笑いながら、エリーが育てたばかりのバジルを一枚摘み、その香りを確かめた。
「素晴らしい香り。今日の新作パスタは、最高の出来になりそうだわ。ありがとう、園長先生」
「とんでもないです!」
ユーユが厨房に戻った後も、エリーの心臓は、ドキドキと高鳴ったままだった。
(ノフー君……今日、来てくれるんだ)
その事実を再確認しただけで、頬が熱くなる。彼女は、慌ててハーブ園の隣にある小さな井戸へ行き、冷たい水で顔を洗った。水面に映る自分の顔を見る。そばかすだらけの、平凡な顔。でも、ほんの少しだけ、いつもより頬が上気して見えるのは、気のせいだろうか。
彼女は、自分の部屋に戻ると、クローゼットの中から、一番お気に入りの、水色のワンピースを取り出した。ユーユが、彼女の誕生日にプレゼントしてくれたものだ。そして、鏡の前で、いつもより少しだけ丁寧に、亜麻色の髪を三つ編みに結い直した。
彼女の宝物箱の中には、ノフーが作ってくれた、桜の木の髪飾りが大切にしまわれている。特別な日にしかつけないと決めている、彼女のとっておきだ。
(いつか、あの髪飾りをつけて、ノフー君に会える日が来るのかな……)
そんな淡い夢を抱きながら、彼女は再び仕事に戻った。その日一日、彼女の心は、どこか上の空だった。窓の外を通り過ぎる荷馬車の音がするたびに、びくりと肩を震わせ、そして、がっかりとため息をつく。その繰り返しだった。
やがて西の空が茜色に染まり始め、店のディナータイムの準備で厨房が活気づく頃には、エリーの心にも諦めの影が落ちていた。もう今日は来ないのかもしれない。また会えるのは、一月も先のこと。小さなため息が、ハーブの香りに混じって静かに消えていく。
まさに、その時だった。
店の裏口で、聞き慣れた荷馬車がゆっくりと車輪をきしませて止まる音がした。そして、「こんにちはー! シルヴェストリ村のノフーです! お野菜、お届けに上がりましたー!」という、少し緊張の滲んだ、けれど紛れもなく一番聞きたかった声が、彼女の耳に飛び込んできた。
その瞬間、エリーの世界から、他の全ての音が消えた。彼女は、はっと息を呑むと、弾かれたように動き出す。慌ててハーブ園の隅にある小さな水鏡で自分の顔を確認し、仕事で少し乱れた髪を手ぐしで必死に整えた。そして、いつもエプロンのポケットに、お守りのように大切に忍ばせていた、あの桜の木の髪飾りを取り出すと、震える手で、そっと三つ編みの結び目に挿した。
最後に、ふぅ、と一つ大きな深呼吸。まるで魔法の呪文のように「落ち着いて、いつも通り」と心の中で三回唱える。高鳴る心臓を無理やり落ち着かせ、あくまで「今、仕事の手を止めて出てきました」という何気ない風を装って、彼女は裏口の扉へと向かった。
その、健気で可愛らしい一連の早着替えを、厨房の窓から、総料理長のユーユが、口元に楽しげな笑みを浮かべて見つめていた。「やれやれ、恋する乙女は忙しいわね」そんな温かい呟きが、活気に満ちた厨房の喧騒に、優しく溶けていった。
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