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【完結】3部作第2部  たとえこの想い届かなくても、あなたへ三本の薔薇を贈りたい 〜口下手な私にできる、精一杯の花言葉〜  作者: 坂道 昇


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16 凱旋と、森の奥に潜む絶望

アッシュフォードでの、夢のように過ぎ去った数日間。その全てを胸いっぱいに抱えて、ミドリとノフーは、村へと続く長い、長い帰り道へと、歩みを進めていた。


新しく手に入れた荷馬車は、ロバの軽快な足取りに合わせて、石畳の道を心地よく揺らす。その荷台には、村の未来を豊かにする鉄の農具、上質な塩、色とりどりの糸、そして袋いっぱいの干し果物が、希望の重みとなってずっしりと積まれていた。


「すげえなあ、ミドリ姉ちゃん。俺たち、本当に村に帰れるんだな」


御者台に座るミドリの隣で、ノフーが感慨深げに呟いた。その顔には、ここへ来た時のような緊張や気後れはなく、都会の空気に少しだけ慣れた、少年らしい自信が満ちている。新しいシャツとズボンも、すっかり体に馴染んでいた。


「当たり前じゃない。村は、私たちの帰る場所なんだから」


ミドリは、優しく微笑んだ。彼女の心の中には、ユーユとの魂の邂逅、ノフーの目覚ましい成長、そして、レオからの胸を焦がすような甘い告白が、まだ鮮やかな熱を持って渦巻いている。


その全てが、彼女の世界を、一夜にして何倍も広く、そして複雑なものへと変えていた。



馬車が村の入り口に差し掛かった時、最初にその姿に気づいたのは、広場で遊んでいたリーナちゃんだった。


「あ! ノフー兄ちゃんだ! ミドリお姉ちゃんも!」


そのか細くも、喜びにはちきれんばかりの声が、合図だった。静かだった村が、一瞬にして、歓喜のるつぼと化す。


「おおっ! 帰ってきたぞ!」


「無事だったか!」


畑仕事をしていた大人たちが鍬を放り出し、家々から女たちが飛び出してくる。村人たちが総出で、まるで英雄の凱旋を迎えるかのように、二人の乗る馬車を取り囲んだ。


「ただいま、みんな!」


ノフーが、今まで出したことのないような、誇らしげな声で手を振る。その腰には、初めて手にした自分の剣が、確かな重みを持って輝いていた。


村人たちの視線は、すぐに馬車の荷台に積まれた、山のような物資に注がれた。


「なんだ、この荷物は!?」


「鉄の鍬先だ! しかも、こんなにたくさん!」


「この塩の袋を見てみろ! これだけあれば、冬も越せるぞ!」


ロイドを筆頭とした男たちが、子供のようにはしゃぎ、ミドリとノフーの肩を力強く叩く。女たちは、色とりどりの糸や、袋いっぱいの干し果物に、嬉しそうな悲鳴を上げた。


その歓喜の輪の中心で、カケルが一人、静かに立っていた。


彼は、弓を背負い、腕を組んで、少し離れた場所からその光景を眺めていた。その表情は、いつもと変わらない、ぶっきらぼうなものだったが、その瞳の奥には、二人の無事を心から喜ぶ、深い安堵の色が浮かんでいるのを、ミドリは見逃さなかった。


ミドリと、カケルの視線が、賑やかな喧騒を突き抜けて、まっすぐに交差する。


ミドリは、はにかむように微笑み、小さく頷いた。カケルもまた、ほんの一瞬だけ、その口元にかすかな笑みを浮かべ、そして、すぐにそっぽを向いてしまった。


その夜、村では再び、盛大な宴が開かれた。


アッシュフォードで仕入れてきた上質な塩で味付けされたボアの丸焼き。干し果物を浮かべた甘い果実酒。そして、ミドリが腕によりをかけて作った、都会の味を再現したじゃがいものポタージュ。


村人たちは、未来への希望を語り合い、笑い、歌った。その幸福な光景の中心に、ミドリとノフーはいた。



宴の熱気が冷め、村人たちがそれぞれの家路についた後。


村は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。カケルの家では、二人分の影が、暖炉のオレンジ色の光の中でゆっくりと揺れている。ぱちぱちと穏やかに薪が爆ぜる音だけが、心地よい静寂に響いていた。


「……みんな嬉しそうだったね。」


ミドリがほうっと息をつくと、カケルも「ああ」と短く応え、どかりと椅子に腰を下ろした。


「……カケル」


不意に、ミドリが真剣な声で彼を呼んだ。カケルが訝しげに顔を上げると、彼女は意を決したように、部屋の隅に立てかけてあった長い包みを手に取り、彼の前にそっと差し出した。それは、アッシュフォードでの買い物の後、ずっと大切に持っていた、あの雄々しい長剣だった。


「これ、あなたに」


「……は? 俺に?」


カケルは、戸惑ったように、ミドリの手の中にある、布に包まれた武骨な塊と、ミドリの顔を、交互に見比べた。


「アッシュフォードで、あなたのことを考えていたら、どうしても、これを贈りたいって思ったの。あなたは、いつも、この村を、みんなを、守ってくれているから。だから、あなた自身を守ってくれるものが、必要だって思った」


ミドリが、ゆっくりと布を解いていく。暖炉の光を浴びて、鈍い輝きを放つ、鋼の刃が姿を現した。華美な装飾はない。だが、その刀身に宿る、実用一辺倒の、揺るぎない強さと美しさは、まるでカケルそのもののようだった。


カケルは、言葉を失っていた。ただ、目の前の剣に、そして、それを差し出すミドリの、どこまでも真剣な瞳に、釘付けになっていた。


「……ばか、野郎」


ようやく絞り出した声は、ひどく、掠れていた。


「高かっただろ?そんな大金……村のために使えって言ったろ。なんで、俺なんかのために……」


「村のためよ」


ミドリは、きっぱりと言った。


「あなたが、無事でいてくれることが、この村にとって、一番大事なことだから。だから、受け取って。これは、私からだけじゃない。村のみんなからの、感謝の気持ちでもあるの」


カケルは、しばらく何も言えず、ただ、唇をきつく結んでいた。やがて、彼は、震える手で、その剣を受け取った。ずしりと重い。その重みは、ミドリの、そして村人たちの、想いの重さだった。


彼は、鞘から、ゆっくりと剣を抜いた。月光を反射した刃が、彼の顔を青白く照らし出す。その瞳には、今まで見たことのない、深い感動の色が浮かんでいた。


「……ありがとう、ミドリ」


ようやく、それだけを言うと、彼は、その剣を、まるで世界で一番の宝物のように、強く、強く、抱きしめた。


その、子供のように無防備な喜びように、ミドリの胸は、春の陽だまりのように、どこまでも温かくなっていった。



村に帰ってきてから、数週間が過ぎた。


ミドリがもたらした富と知識によって、村の生活は、目に見えて豊かになっていた。畑は青々と生い茂り、バラの生垣は村全体を美しく彩っている。村人たちの顔には、かつてないほどの明るい笑顔が溢れていた。


だが、ミドリ自身の心には、晴れない霧がかかったままだった。


彼女は、日中は村人たちと笑い、畑仕事に精を出し、完璧な笑顔を振りまいていた。しかし、一人になると、決まって、物思いに耽るようになったのだ。


レオからの、熱烈な告白。


そして、彼のくれた、銀細工の美しい髪飾り。それは、ミドリの部屋の、古い木のチェストの奥に、そっとしまわれたままだった。


カケルへの、日に日に大きくなっていく、温かい想い。


彼の、ぶっきらぼうな優しさに触れるたび、ミドリの心臓は、甘く、そして少しだけ切なく、きゅっと音を立てる。


太陽のように眩しいレオと、大地のように温かいカケル。二人の間で、彼女の心は、振り子のように、激しく揺れ動いていた。


そんなミドリの心の変化に、村の誰もが気づいていなかった。ただ一人、カケルを除いては。


彼は、気づいていた。ミドリが、時折見せる、遠い目。ふとした瞬間に浮かべる、悩ましげな表情。その原因が、あのアッシュフォードへの旅にあることも、そして、おそらくは、あの行商人レオにあるであろうことも、彼は、本能的に察していた。


だが、彼は、何も聞けなかった。不器用な彼には、どうやって彼女の心に踏み込めばいいのか、分からなかったのだ。


そんなある日の夕暮れ。


畑で一人、夕日に染まるバラを眺めながら、深いため息をつくミドリの元へ、カケルが、意を決したように、歩み寄ってきた。


「……ミドリ」


「あ、カケル……」


「悩み事か?」


その、あまりにも単刀直入な問いに、ミドリは、びくりと肩を震わせた。


「う、ううん! なんでもない!」


慌てて笑顔を作り、ぶんぶんと首を横に振る。だが、その笑顔が、ひどくぎこちないことを、カケルは見逃さなかった。


カケルは、それ以上、追及はしなかった。ただ、ふう、と一つ息をつくと、全く違う話題を口にした。


「気分転換に、いいものを見せてやる」


「え?」


「『歌う花』、覚えてるか?」


その言葉に、ミドリは、はっと顔を上げた。この世界に来たばかりの頃、彼が教えてくれた、あの不思議な花のことだ。


「うん、もちろん!」


「今が、一番綺麗に歌う頃なんだ。見に行かないか?」


その誘いは、あまりにも、唐突だった。


「普段は、人が寄り付かない場所だ。少し、危ない魔物も出る。だが、俺がついていれば、大丈夫だ」


カケルは、そう言うと、ミドリの目を、まっすぐに見つめた。その瞳には、有無を言わせぬ力強さと、彼女を心配する、不器用な優しさが満ちていた。


ミドリは、その誘いを、断ることなんてできなかった。悩みが晴れるわけではない。でも、カケルと、二人きりで出かける。その事実に、彼女の沈んでいた心は、久しぶりに、明るく高鳴っていた。


「……うん、行く! 連れて行って!」


「よし、決まりだな。明日の朝、準備して待ってろ」


そう言うと、カケルは、少しだけ満足そうな顔をして、踵を返した。


その夜、ミドリは、久しぶりに、胸のときめきで、なかなか寝付けなかった。そして、カケルもまた、自室で、ミドリから贈られたばかりの剣を、何度も、何度も、月明かりの下で磨き上げていた。明日、初めて、この剣で、彼女を守るのだ。そう思うと、彼の胸もまた、武者震いと、そして、甘い期待で、満たされていくのだった。



翌朝、二人は約束通り、『歌う花』を見に行くことにした。


カケルは、背中にいつもの弓を、そして、腰には、ミドリから贈られた真新しい剣を、誇らしげに差している。その姿は、いつにも増して、頼もしく見えた。


「行こうか」


「うん!」


二人は、村人たちの「お似合いの二人だねえ」とでも言いたげな、温かい視線を背中に感じながら、森の奥へと、足を踏み入れた。


道中の空気は、穏やかで、心地よかった。カケルは、時折足を止め、森の植物や、動物の足跡について、ミドリに教えてくれる。


「あれは、『眠り茸』だ。食べると三日三晩、目が覚めなくなる。気絶させたい相手がいるなら、おあつらえ向きだな」


「こわっ! 絶対に食べたくない……」


そんな、他愛のない会話を交わしながら歩く時間は、ミドリにとって、何物にも代えがたい、宝物のような時間だった。


どれくらい歩いただろうか。森の景色が、徐々に、神秘的な雰囲気を帯びてきた。木々の幹は白く輝き、地面には、光る苔が、まるで天の川のように、点々と広がっている。


やがて、カケルが、立ち止まった。


「……着いたぞ」


彼の視線の先を追って、ミドリは、息を呑んだ。


そこは、緩やかな谷間のようになっており、一面に、見たこともない、純白の花が咲き乱れていた。一つ一つの花が、まるで、小さな鈴のような形をしている。


その、幻想的な光景に、ミドリが心を奪われていた、その時。


谷を渡る、心地よい風が、ふわりと吹き抜けた。


チリン、チリン……リリ……ン……。


風に揺れた、無数の花々が、一斉に、歌い始めたのだ。それは、まるで、何千、何万もの、小さな風鈴が奏でるような、どこまでも清らかで、美しい音色だった。


「……すごい……」


ミドリは、その場に立ち尽くし、ただ、うっとりと、その天上の音楽に、聞き惚れていた。レオのことも、村のことも、自分の悩みも、全てが、この美しい音色の中に、溶けて消えていくようだった。


カケルも、そんなミドリの横顔を、言葉もなく、ただ、優しい目で見つめていた。彼女をここに連れてきて、よかった。心の底から、そう思った。


どれくらいの時間が、経っただろうか。日が、少しずつ西に傾き始め、森に、夕暮れの赤い光が差し込み始めた。


「……そろそろ、戻ろうか」


カケルが、名残惜しそうに、そう言った、その時だった。


風が、ぴたり、と止んだ。


あれほど美しく響き渡っていた、花の歌が、まるで、指揮者のタクトが振り下ろされたかのように、一斉に、鳴り止んだ。


不自然なほどの、静寂。


ぞわり、とミドリの背筋を、悪寒が走り抜けた。


「……カケル?」


カケルは、答えない。彼の全身から、今まで感じたことのない、鋭い緊張感が放たれていた。彼は、ミドリをかばうように、その前に立つと、静かに、腰の剣に、手をかけた。


「……何か、来る」


ガサリ、とすぐ近くの、巨大な岩陰の茂みが、大きく揺れた。


次の瞬間。


グルルルルルル……!


地の底から響くような、憎悪に満ちた唸り声と共に、一つの巨大な影が、その姿を現した。


それは、小山のように巨大な、漆黒の熊だった。その体躯は、並の家屋ほどもあり、鋭い爪は、一本一本が短剣のようにきらめいている。


そして、何より、その顔。


右目は、爛々と、獲物を捉える獣の光を宿している。だが、左目は、古傷によって、醜く潰されていた。


「……バドア……!」


カケルの口から、絞り出すような、憎悪に満ちた声が漏れた。


間違いない。


彼の両親の命を奪った、隻眼の魔熊。


この森の、最悪の絶望が、今、二人の目の前に、その巨大な牙を剥いて、立ちはだかっていた。

ご一読いただきありがとうございます!

思った以上に読んでくださる方がいて、とても嬉しいです。

もっと楽しんでもらえるように頑張りたいと思います。

今後の励みになりますので、ぜひページ下のいいねボタンで応援してください。

よろしくお願いします(^O^)/

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