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【完結】3部作第2部  たとえこの想い届かなくても、あなたへ三本の薔薇を贈りたい 〜口下手な私にできる、精一杯の花言葉〜  作者: 坂道 昇


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15 それぞれの帰り道、それぞれの想い

アッシュフォードでの、夢のように過ぎ去った数日間。その最後の日が、静かに明けようとしていた。


東の空が白み始め、石造りの街並みが、徐々にその輪郭を現していく。ミドリは、宿屋の窓からその光景を眺めていた。村で迎える朝とは違う、人々の生活の気配が混じり合った、都会の朝の匂い。昨日までの、胸の奥に巣食っていた漠然とした孤独感は、もうどこにもなかった。


この世界に、自分と同じ言葉を、同じ記憶を分かち合える人がいる。その事実が、ミドリの心を、夜明けの光のように、温かく照らしていた。


「ミドリ姉ちゃん、おはよう!」


隣の部屋から、元気な声と共にノフーが現れた。その顔には、ここへ来た時のような緊張や気後れはなく、都会の空気に少しだけ慣れた、少年らしい自信が満ちている。新しいシャツとズボンも、すっかり体に馴染んでいた。


「おはよう、ノフー。よく眠れた?」


「おう! ここのベッドはふかふかで、最高だったぜ!」


彼は、初めて自分のものになった剣を、誇らしげに腰に差している。その姿は、もうただの村の少年ではなく、一人の護衛役としての、確かな風格を漂わせていた。


「さあ、行きましょうか。出発の前に、もう一度、あの人のところへ」


ミドリは、荷馬車の隅に大切に置いてあった、試供用のずっしりと重いかぼちゃを三つ、腕に抱えた。これは、新しい友への、感謝の気持ち。そして、未来への約束の証だった。


開店前の『旅人の食卓』は、昨夜の喧騒が嘘のように静まり返っていた。しかし、厨房の中は、すでにプロフェッショナルな熱気に満ちている。総料理長のもと、熟練のコックさんが、手際よく仕込みを進める中、ユーユは司令塔として、凛とした空気をまとって指示を飛ばしていた。


「ユーユさん!」


ミドリが声をかけると、ユーユははっと顔を上げ、すぐに柔らかな笑みを浮かべた。


「ミドリちゃん! 来てくれたのね」


「はい。村へ帰る前に、どうしても、お礼を言いたくて。それと、これを」


ミドリは、腕に抱えていたかぼちゃを、ユーユに差し出した。ずっしりと重く、濃い緑色をした、美しいかぼちゃだ。


「まあ、立派なかぼちゃ……!」


ユーユは、その一つを手に取ると、料理人としての目で、じっくりと観察を始めた。彼女のスキル【鑑定】が、そのかぼちゃに秘められた、底知れないポテンシャルを映し出す。


【太陽かぼちゃ】:ミドリの育てた特殊なかぼちゃ。土壌の浄化作用を持つバラの近くで育ったため、通常のかぼちゃに比べて糖度と栄養価が極めて高い。特に、加熱した際の甘みとコクは、既存のどんな品種も凌駕する。お菓子作りに最適。


「……すごい」


ユーユは、感嘆の声を漏らした。


「この甘みとコク、そして滑らかな舌触り……! これなら、私がずっと作りたいと思っていた、究極のプリンが作れるわ! ミドリちゃん、ありがとう! 最高の贈り物よ!」


「喜んでもらえて、よかったです」


「もちろんよ! ねえ、ミドリちゃん。これからも、あなたの作る野菜を、私の店で使わせてもらえないかしら。このかぼちゃだけじゃない、あなたの小松菜、きゅうり……その全てが、私の料理を、もっともっと、高みへと連れて行ってくれる。私と、取引してほしいの」


「もちろんです! 喜んで!」


ミドリは、満面の笑みで頷いた。


「レオさんを介してなら、きっと、新鮮なまま、ここまで運べるはずです!」


二人の天才が、固い握手を交わす。それは、異世界の食文化に、新たな革命の光を灯す、歴史的な瞬間だった。


その時、厨房の入り口から、一人の少女がひょっこりと顔を出した。昨日、ノフーに助けられた、店のウェイトレス、エリーだった。


「あ……!」


彼女は、ノフーの姿を見つけると、少しだけ頬を赤らめ、おずおずと駆け寄ってきた。


「あの……昨日は、本当に、ありがとうございました! ノフーさんが助けてくれなかったら、私、どうなっていたか……」


「べ、別に、大したことじゃねえよ!」


ノフーは、エリーの真っ直ぐな瞳に見つめられ、照れくさそうに、ぶんぶんと手を振った。その耳まで、真っ赤に染まっている。


「でも、本当に、ありがとうございました。あの、これ、よかったら……」


エリーは、何かを差し出そうとして、しかし、恥ずかしそうに、また手を引っ込めてしまった。その初々しい二人の様子を、ユーユが、母親のような、それでいて、少しだけ悪戯っぽい笑みを浮かべて、見守っていた。


ユーユは、店の棚から、小さな革袋を取り出すと、エリーの耳元で、何かをそっと囁いた。そして、その革袋を、エリーの手に握らせる。エリーは、最初、驚いたように目を見開いたが、やがて、意を決したように、こくりと頷いた。


彼女は、再びノフーの前に立つと、今度は、迷いのない手つきで、その革袋を差し出した。


「あの、これ、昨日のお礼です。どうか、受け取ってください」


「え、いいのか?」


「はい。私……ううん、私たちのお店からの、感謝の気持ちです」


ノフーが、恐る恐る革袋を受け取る。それは、丁寧に編み込まれた革紐で口が結ばれた、手作りのお守り袋だった。中からは、ふわりと、爽やかで、心を落ち着かせるような、ハーブの香りがした。


「この中にはね、私が育てた『癒やしの葉』が入っているの」


と、エリーが小さな声で説明する。


「森での、狩りの無事を祈って……。その、気休め、ですけど……」


「……」


ノフーは、言葉を失っていた。ただ、手のひらの上にある、温かいお守りを、じっと見つめている。それは、彼が生まれて初めて、女の子からもらった、心のこもった贈り物だった。


「……あ、ありがと……。すっげえ、嬉しい。大事にする」


ようやく絞り出した声は、少しだけ、上ずっていた。彼は、そのお守りを、まるで世界で一番の宝物のように、自分の懐に、そっと仕舞い込んだ。





『旅人の食卓』に別れを告げ、二人が店の外へ出ると、レオが少しだけ、神妙な顔でミドリを待っていた。


「ミドリちゃん。出発の前に、少しだけ、二人で話せないかな」


その、いつもとは違う真剣な声に、ミドリの心臓が、きゅっと小さく音を立てる。


「ノフー君、悪いけど、先に馬車の最終チェックでもしていてくれるかい?」


「おう、分かったぜ、レオ兄ちゃん!」


ノフーは、何も気づかない様子で、元気よく馬車の待つ大通りへと駆けて行った。


レオは、ミドリを、店の前の喧騒から少し離れた、川沿いの静かな遊歩道へと導いた。せせらぎの音と、鳥のさえずりだけが聞こえる、穏やかな場所だった。二人は、並んで、古い木製のベンチに腰を下ろした。


しばらく、どちらからともなく、言葉はなかった。レオは、川面を眺めながら、何か、言葉を探しているようだった。その横顔は、いつもミドリが見ていた、陽気で抜け目のない商人の顔ではなく、一人の青年の、緊張した顔つきをしていた。


「……すごい旅だったね」


最初に沈黙を破ったのは、レオだった。


「まさか、君のバラが、あんなに高く売れるなんて。ギルドマスターの、あの驚いた顔は、傑作だったよ」


「うん……。レオさんが、うまく交渉してくれたおかげだよ。ありがとう」


「それに、ユーユさんとの出会いも、劇的だった。君たちが、ただの刺繍の話で、あんなに目を腫らして戻ってくるなんて、よっぽど、意気投合したんだろうね」


レオは、悪戯っぽく笑う。ミドリも、つられて、ふふっと笑みを漏らした。


「……うん。すごく、大切な人に、会えた」


「そうか。よかったな」


レオは、そう言うと、ふう、と一つ、息を吐いた。そして、今度は、ミドリの顔を、まっすぐに見つめた。その瞳の奥には、今まで見たことのない、どこまでも真剣で、そして、熱を帯びた光が宿っていた。


「ミドリちゃん」


その声の響きに、ミドリは、ごくりと喉を鳴らした。


「俺は、行商人として、この国中を旅して、本当に、色々な人や、物を見てきたつもりだ。美しい宝石も、珍しい織物も、腕利きの剣士も、賢い学者も。でもね、こんな気持ちになったのは、生まれて初めてなんだ」


彼は、言葉を選びながら、一つ一つ、丁寧に、想いを紡いでいく。


「君に、初めて会った時、ただ、綺麗な子だな、って思った。でも、違ったんだ。君は、ただ綺麗なだけじゃない。君の手は、何もない荒れ地を、宝石のような花々が咲き誇る、楽園に変えてしまう。

君の知識は、飢えに苦しんでいた村を、笑顔と、豊かな食卓で満たしてしまう。君は、ただそこにいるだけで、周りの世界を、もっともっと、美しくて、温かい場所へと変えてしまう力を持っているんだ」


レオの言葉が、魔法のように、ミドリの心に染み込んでいく。それは、彼女が、この世界に来てから、ずっと、誰かに認めてほしかった、彼女自身の、頑張りの証だった。

彼が、懐から一つの小さなベルベットの箱を取り出した。


「これは、そんな君への、俺からの気持ちのしるしだ」


レオは、ミドリの震える手のひらの上に、その箱をそっと置いた。ミドリが、おそるおそる蓋を開けると、中には、息をのむほど美しい、銀細工の髪飾りが鎮座していた。


それは、繊細な蔦の葉と、小さな野の花をかたどったデザインで、葉の部分には若草色のペリドットが、そして花の中心には、朝露のようにきらめく小さな水晶がはめ込まれている。


「行商の途中で立ち寄った、森の奥にあるとても美しい集落で手に入れたんだ。彼らの作る銀細工は、特別な魔力が宿るって言われている。君の咲かせた、あの美しいバラにも負けないくらい、君の黒髪に、きっと映えると思って」


「君の隣で、君がこれから創り出す、たくさんの奇跡を、一番近くで見ていたい。君が、これから歩むであろう、険しい道を、俺が、照らし、守りたいんだ」


彼は、ゆっくりと、ミドリの冷たい手を、その温かい両手で包み込んだ。


「君の夢を、俺に、手伝わせてはくれないだろうか。君が育てた、素晴らしい花や野菜を、俺の馬車で、この国の隅々まで届ける。君と俺、二人でなら、きっと、この世界の食卓を、もっと豊かに変えられる。そんな未来を、俺は、君と一緒につくりたい」


それは、単なる甘い愛の言葉ではなかった。ミドリの夢と、彼の夢を重ね合わせた、対等なパートナーとしての、魂からの申し出だった。


そして、彼は、最後に、祈るような瞳で、言った。


「ミドリちゃん。好きだ。俺と、一緒に、未来を歩いてほしい」


人生で、初めて受けた、告白だった。

そして、初めて贈られた、宝物だった。


驚きと、喜びと、そして、どうしようもないほどの、ときめきで、ミドリの頭の中は、真っ白になった。レオの、陽の光を吸い込んだような亜麻色の髪が、風に揺れている。自分を見つめる、真剣な瞳。都会的で、洗練されていて、いつも自信に満ち溢れている、彼。

そんな素敵な人が、私のことを。


(……嬉しい)


気づけば、ミドリの瞳から、ぽろり、と涙がこぼれ落ちていた。


「……ごめんなさい。……嬉しくて……」


「ミドリちゃん……」


「こんな、素敵な言葉を、誰かから言ってもらったのも、こんな綺麗な贈り物をいただいたのも、生まれて初めてだから……。本当に、嬉しい……」


レオは、そんなミドリの涙を、そっと、指先で拭ってくれた。その優しい仕草に、ミドリの心臓は、今にも、張り裂けてしまいそうだった。

彼の申し出を、受け入れたい。


手のひらの上の、美しい髪飾りを見つめながら、そう、思った瞬間。


ミドリの脳裏に、不意に、別の男の顔が、浮かび上がった。

ぶっきらぼうな、優しさ。少しだけ、照れたような、不器用な笑顔。村の畑で、黙って、私の作業を見守ってくれていた、あの、大きくて、頼もしい背中。


カケル。


そして、彼女の懐の奥、カケルがくれた、鳥の羽根で飾られた、武骨な矢じりのお守りが、かすかな温かみを持っているような気がした。


レオがくれたのは、私を美しく飾ってくれる「髪飾り」。

カケルがくれたのは、私を危険から守ってくれる「お守り」。


レオが、どこまでも輝く、太陽のような人なら、カケルは、全てを、黙って受け止めてくれる、大地のような人だ。


太陽の眩しさに、焦がれる気持ち。

大地の温かさに、帰りたくなる気持ち。


二つの、全く違う、けれど、どちらも、今のミドリにとって、かけがえのない想い。その間で、彼女の心は、激しく、揺れ動いていた。


「……レオさん」


ミドリは、涙を拭い、顔を上げた。


「……少しだけ、考えさせて、ください。あなたの気持ち、本当に、本当に、嬉しいです。でも、私……こんな、素敵な言葉をいただいたのが、本当に初めてで……。どうすればいいか、分からなくて。だから、すぐに、お返事が、できません」


「……」


「ごめんなさい……」


ミドリが、俯いて謝ると、レオは、ふっと、優しく微笑んだ。


「謝ることなんて、何もないさ。当たり前だよ。君にとって、すごく、すごく、大事なことなんだから」


その声には、失望の色など、微塵もなかった。


「急がせるつもりは、毛頭ないよ。次に君の村へ行くのは、たぶん、二月後くらいになるかな。その時に、君の答えを聞かせてほしい。それまで、俺も、楽しみに待ってるから」


その、どこまでも爽やかで、潔い優しさが、レオの魅力を、さらに、輝かせた。そして、それは、ミドリの胸の内の、宿題を、さらに重く、そして、切ないものへと変えていくのだった。手の中に残された、美しい髪飾りの入った小さな箱の重みが、そのまま、彼女の心の宿題の重さのように感じられた。



街の巨大な門の前まで戻ると、荷馬車の準備をすっかり終えたノフーが、手持ち無沙汰に二人を待っていた。


「ミドリ姉ちゃん、レオ兄ちゃん! 遅かったじゃねえか!」


「ああ、悪い悪い。少し、野暮用でね」


レオは、何事もなかったかのように、いつもの陽気な笑顔でノフーの肩を叩いた。

ミドリは、まだ少し、火照った頬のまま、何も言えずに、馬車の荷台へと乗り込む。


「それじゃあな、ミドリちゃん、ノフー君。道中、気をつけて。また、すぐに会おう!」


レオが、爽やかに手を振って、二人を見送ってくれる。


その彼の隣にいつの間にか、一人の少女が、はにかみながら立っていた。エリーだ。彼女は、レオのように大きな声は出せないけれど、両手で、一生懸命に、荷馬車に向かって手を振っている。その視線が、誰に向けられているのかは、誰の目にも、明らかだった。


「……!」


ノフーは、最初、きょとんとしていたが、すぐに状況を理解し、その顔を、茹でダコのように、真っ赤に染め上げた。そして、照れを隠すように、でも、今までで一番の、満面の笑みで、エリーに、大きく、大きく、手を振り返した。彼の、震える左手には、懐に仕舞い込んだ、あのお守りの、温かい感触が、確かに伝わってきていた。


馬車は、ゆっくりと、アッシュフォードの門をくぐり、村へと続く、長い、長い帰り道へと、歩みを進め始めた。



ミドリは、遠ざかっていく街並みを、静かに、見つめていた。


この数日間で起こった、あまりにも多くの、そして、あまりにも大きな出来事。ユーユとの、魂の邂逅。ノフーの、目覚ましい成長。そして、レオからの、胸を焦がすような、甘い告白。


その全てを、胸いっぱいに抱えて、彼女は、村への帰路につく。

アッシュフォードでの波乱万丈の旅は、ミドリの心に、一つの大きくて切ない宿題を残して、静かに幕を閉じたのだった。

ご一読いただきありがとうございます!

思った以上に読んでくださる方がいて、とても嬉しいです。

もっと楽しんでもらえるように頑張りたいと思います。

今後の励みになりますので、ぜひページ下のいいねボタンで応援してください。

よろしくお願いします(^O^)/

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