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深夜──俺は椅子に座ってる。灯りのない闇の中、その部屋の主が帰るのを、気配を殺して待っているのである。
やがて──灯りを手にした男が、部屋の扉を開く。往診の帰りなのであろう、医療用の鞄をテーブルに置いて、ふう、と息をつく。
「──あんた、医者の先生なんだってな」
俺は暗がりから呼びかける。
「──誰だ?」
男は、本来であれば脅えてしかるべきところであるというのに、平然と誰何する。
「それも、こんな小さな街にはめずらしいほどの腕利きらしい」
俺は、男の誰何には答えず──街のものから得た情報を淡々と告げる。
「近隣のもんは、蛇やら茸やら、毒にやられると先生のところに駆け込むんだってなあ」
毒の専門家──街のものは、医者を評して、そう言った。
「毒使い──告死の残党か」
俺の指摘に──男の空気が変わる。そこには、街のものから信頼される医者の姿はなく──今や薄汚い暗殺者が立っている。
「娼館の女──お前が殺したな?」
俺の指摘に、男は吹き出す。
「そんなことを問うためにきたのか」
男は、俺の問いを、問うに値しない些末なことであるかのように笑い飛ばす。
「──答えろ」
再度──相手を殺すという意を放ちながら、問い質す。
「ああ──殺したよ。愚かな女さ。告死を抜けるなどと──よりにもよって、僕に告白するのだから」
男はあっさりと殺しを認める。しかし──女がわざわざ男に足抜けを告げたということは──。
「お前と一緒に──告死を抜けたかったんじゃねえのか?」
男のことを好いていて、一緒に逃げたかったのではないか──そう思い至って、俺はやるせない心持ちになる。
「そうだとしたら──やはり、愚かな女だよ。何度か肌を重ねただけで、勝手に情を抱くのだからなあ」
男は嘲るように笑う。
俺のことを嘲るのはいい。だが──情に殉じた女を嘲るのは、許されることではない。
俺は椅子から立ちあがり、男の前に立つ。
「──覚悟はできているか?」
「僕は──運がよい」
怒気を発する俺に、男は変わらず嘲るように返す。
「告死の壊滅に加担した裏切りものの噂は、この街にまで届いている。裏切りものの武侠──いやさ、絶影」
驚いたことに、男は俺の正体に気づいている。
「お前を殺せば──僕こそが新たな告死の頭になれる」
告死の頭とは、大きく出たものである。寝言は寝て言え──お前ごとき、闇のグンダバルドどころか、俺にも敵わぬ下っ端であろうに。
「毒使い風情が、当代の武侠に敵うとでも?」
「毒使いには──毒使いなりの戦い方というものがある」
男にも、それなりの自負があるようで、武侠を前にしても退く気配はない。
「それに──ここは、僕の陣地だよ!」
言って、男は棚の薬瓶を手で払い、床に落とす。瓶が割れて、中の液体がもれ出して──それらが混ざりあって、何やら得体の知れぬ煙を発する。どうせろくなものではあるまい、と判断して、俺は息を止める。
「はっはぁ! いつまで息が続くか、見ものだなあ!」
男は、毒に耐性でもあるものか、平然と呼吸しながら、隠し持っていた短剣を抜く。短剣は、おそらく毒が塗ってあるのだろう、薄明りに照らされて、ぬらり、と光る。この部屋が奴の陣地であるというのも、はったりではあるまい。用意周到な男である。
男は、瞬く間に俺に迫り、短剣で突きを放つ。続けざまに三連──毒使いの動きではない。俺は突きをかわしながら──男は、もとは短剣の妙手で、毒も使うようになったということであろう、と当たりをつける。
男の攻撃は止まらない。かわすだけでなく、短剣の刀身を手で払うことができれば、反撃の隙も生まれるのであるが──刀身には毒が塗られており、触れることはできない。
俺は短剣をかわしざまに、腕を前に突き出して──短剣を構える男の右腕と、俺の右腕の外側同士を触れあわせて、はす向かいに位置取る。一触即発の距離である。男は、俺の心臓めがけて、必殺の突きを放つ──が、右腕から伝わる、相手のわずかな動きの起こりから、その狙いを察して、俺は突きをかわす。
「──小癪な」
男は、邪魔になっている俺の右腕を振り払わん、と短剣を振るって──わずかに大振りとなったその一振りをかいくぐって、俺は男の腹に手を伸ばす。
俺は勢いよく床を踏み込んで、その衝撃を、関節を連動させることで増幅して、身体をねじりながら手のひらにまで伝えて──男にそっと触れるような掌打を放つ。
男は、その想像を絶する衝撃に吹き飛んで、部屋の壁に叩きつけられる。
「──はぁ!」
同時に──俺は、ついに息が続かなくなり、呼吸を再開する。体内に、みるみるうちに毒が堆積して──俺はその場に膝をつく。
「は、はは!」
俺の、呼吸を止めての透しは、どうやら一撃必殺とはいかなかったようで──男は嘲るように笑って、よろめきながらも立ちあがる。
「死ね、死ね、毒を吸い込んで、死んでしまえ!」
男は、口から毒を吐きながら、俺に止めを刺さんと近寄る。
しかし──万全ではないとはいえ、俺の透しをくらっては、さすがに男も無傷ではない。その足取りは重く、一歩、また一歩と踏ん張りながら歩いて──ようやくたどりついた俺の前で、短剣を振りかぶる。
「僕の──勝ちだ!」
男が勝利を確信して、短剣を振りおろさんとした──その瞬間、俺は跳ね起きて、男の胸と背に手をあてて、心臓を挟み込む。俺は勢いよく床を踏み込んで、その衝撃を、関節を連動させることで増幅して、身体をねじりながら両の手のひらにまで伝えて──挟み込んだ心臓に衝撃を放つ。逃れる間もなく、男の心臓が破裂する。
「──なぜ?」
事切れる寸前──男がしぼりだしたのは、疑問であった。
「この程度の毒は──効かないんだなあ」
俺は、もはや男の耳には届かぬであろうと思いながらも、種明かしをする。
俺は──旅具フィーリを身に着けているのである。男が耐性を得られる程度の毒など、効こうはずもない。わざわざ毒を警戒してみせたのは、毒使いである男の油断を誘うため。男はそれなりの腕前ではあったが、戦いの巧者ではなかったということ──武侠を舐めると、こういう結末になる。
俺は、絶命した男の身体に、ベッドにあった毛布をかける。祈りは捧げない。地獄に落ちるのがふさわしかろう、と思う。
俺は男の家を後にして──皆の待つ宿に戻る。
「フィーリ、このことは──」
「──ロレッタには秘密なのでしょう」
人ならぬ旅具の身でありながら、心得たものである。快く貸してくれたマリオンに感謝しながら、俺は夜道を歩く。




