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「──何も言わずに行くのかい?」
まだ明けやらぬうちに宿に戻れば、朝帰りとは気づかれぬやもしれぬ──そんな打算からベッドを這い出すと、先まで寝息を立てていたはずの女が責めるように問う。
「まさか──起こして、挨拶くらいする気だったさ」
そんな気などさらさらないというのに、こんなときばかり俺の口はよくまわる。
女は、俺を見送ろうというのであろう、部屋の薄明りを頼りに、薄布を羽織る。乳房が隠れるのを、もったいないなあ、と凝視して──女はその視線に気づいて苦笑する。
「ねえ、あんた──告死を抜けることなんて、できると思うかい?」
女は、部屋から出ようとする俺を呼びとめて、そう問いかける。
それは、女の本心からの願いであったのかもしれない。仕事の斡旋だけとはいえ、暗殺に関わるなんて、まともな人間のすることではない。告死の頭が死んだのならば、よい機会である。手足どもが何と言おうと知ったことではない、縁を切るなら今──そう考えるのも、無理からぬことであろう、と思う。
「頭が滅んだんだから──俺だったら、とっとと逃げ出すね」
俺は、女の願いを後押しするように、無責任に告げる。
「あたしも足抜けして、故郷にでも戻って──そこで、また娼婦でもやるかねえ」
俺の言にその気になったものか、女は夢見るように椿の花を見やる。逃げた先でも娼婦を続けるとは、よほどめぐまれぬ人生を送ってきたものとみえて──俺は女をあわれに思う。
「そんときは、縁があれば抱いてやるよ」
「──本当かい?」
俺の他愛のない約束に、女は童女のように幼い笑顔を見せる。女の年齢を当て推量で語る気はないが、それでも見た目より若い娘なのやもしれぬ、と思う。
「ああ、添い寝の礼だ。でかい胸の感触はよかった」
からかうようにそう告げる──と、女は恥じらうように胸を隠して、俺を叩くようなそぶりを見せる。娼婦だというのに、存外にかわいい女である。
「じゃあ──またな」
俺は、また会うことなどないかもしれぬというのに、そう告げて──娼館を後にする。
リムステッラへの帰還は、それほど先を急ぐ旅ではない。ゆえに、一つの街には、少なくとも二泊して、その地を楽しみたい──というのが、我らがマリオンのご意向である。
二日目──俺たちは四人そろって、酒場で街の名物とやらに舌鼓を打っている。ロレッタの不機嫌も、一日経って治まったようで、俺としては一安心である。
「酒の追加を頼む!」
酒豪の黒鉄は、何杯目になるかわからぬおかわりを注文する。それは、酒場の酒を飲みほさんばかりの勢いで、ついには給仕も、ひい、と悲鳴をあげるのであるが──まあ、店としてはありがたい悲鳴であろう。
マリオンは、フィーリから取り出した花の酒を舐めている。彼女は、この酒さえあればご機嫌で──そんなにうまいものか、と飲ませてもらったこともあるのだが、俺には甘ったるくて飲めたものではなかった。好みは人それぞれである。
ロレッタは、酒よりも食い気である。彼女が匙を伸ばす、街のそばの谷川で獲れたという鱒の煮込みは、酢と香草で川魚の生臭さがすっかり消えており、名物というだけのことはあるうまさである。
ロレッタは、ふうふう、と煮込みに息を吹きかけて、その熱を冷ましながら、満面の笑顔で匙を口に運ぶ。人間よりも長寿のハーフエルフでありながら、こういうところは誰よりも少女のようで、見ていて微笑ましくもある。
「──娼婦が死んだんだと」
と──不意に、隣のテーブルから飛び込んだ声に、俺は耳をそばだてる。
「俺、あの娘、ちょっと好きだったんだけどなあ」
「お前は胸のでかい女が好きだからなあ」
好色そうな男が二人、どちらも酩酊した様子で、娼婦の死について話している。その言いぶりに、俺は今朝方別れた女の乳房を思い起こして──まさかな、と首を振る。
俺は、隣のテーブルに椅子を寄せて──酒を二人にふるまって。
「なあ、あんたら──今の話、もうちょっと詳しく聞かせてくんねえか?」
ある娼婦の死について、じっくりと問い質す。
俺はその夜、再び娼館を訪ねる。昨日の昼とは異なり、娼館は客であふれている。どういつもこいつも、好色漢どもめ──俺は悪態をつきながら、女を探すのであるが、彼女の姿は──あの存在感のある乳房は、どこにも見当たらない。
俺は、女の代わりに、慌ただしく客に娼婦をあてがう館主をみつけて呼びとめる。
「館主、一番髪の黒い女を頼む」
「──旦那」
館主は、俺の顔を見るなり、その柔和な顔を、一瞬にして曇らせる。
「あの娘は、今朝方、死んじまいやして──」
「──誰が殺した?」
未明──俺が部屋を出る頃には、女は確かに生きていたのである。病の兆候もない女が急死する──しかも、それが告死に関わりのある女となれば、殺されたと考える方が自然であろう。
「めっそうもない! 病死か何かですよ!」
館主は、俺のその想像を、慌てて否定する。それは、真に他殺ではないと信じている顔である。
「最後の客は誰だ?」
館主は何も知らぬ、しかし誰かが殺した、となると──俺の次の客があやしい。
「──旦那でさあ」
館主の答えに、むう、とうなる。
何ということ──最有力の犯人は俺ではないか。館主が自然死で納得していることに安堵する。俺が殺したのではないかと疑われないだけ、ましというものである。
「女の亡骸はどうした?」
「医者の先生を呼んで──もうどうしようもないってことだったんで、墓地に葬りました」
「ずいぶんと手まわしがいいな」
俺は、その手まわしのよさをこそいぶかしむ。まるで、女の死体を見られたくないようではないか。
もしかすると、女は本当に足抜けしようとして、そして告死の誰かに殺されたのやもしれぬ、と考えて──もしもそうなら、俺に一声かければよかったものを、と悔いる。しかし──悔いても、女は戻ってはこない。俺は館主に、ずいと迫る。
「墓の場所を教えろ」




