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短めです。
「この森──足を踏み入れるべからず」
森へと続く街道の途中で足を止めて、赤毛のハーフエルフ──ロレッタが声をあげる。
「何を愚かなことを。この森を突っ切らねば、どれだけのまわり道になると思うておる」
「あたしが言ってんじゃないの。この看板にそう書いてあんの」
ドワーフの黒鉄が苦言を呈して──ロレッタは身体を避けて、その看板とやらを見せる。見れば、街道の脇、ちょうど森との境のあたりに、朽ちかけた看板が立っており──確かに、ロレッタの言うとおりのことが書いてある。
「──どうする?」
ロレッタは振り返り、私に問う。私たちの、この旅路において、最終的な決定権は──私にこそある。
「行く」
「だろうな」
私の短い答えに、苦笑でもって返すのは、北方の武人──絶影である。
「まあ、この四人でどうにもならんことなら、それは誰であってもどうにもならんことだろうからなあ」
絶影は、まさか世界の危機が待ち受けているわけでもあるまい、と笑うのであるが──実際のところ、ちょくちょく待ち受けられていたことのある身としては、あまり笑えない。ともあれ、私たち四人がそろっていれば、それなりの困難くらいなら乗り越えられようというのも、また事実。
「いざとなれば、私もおりますし」
私の胸もとで、五人目の同行者──旅具のフィーリが声をあげて、私は応えるように頷く。
「じゃあ、出発!」
私は宣言して──私たちは、足取りも軽く、森に足を踏み入れる。
「のどかな森じゃのう」
黒鉄が、森を見渡しながら、そうつぶやく。
確かに──魔物が出るか、獣が出るか、どれほどの脅威が待ち受けているものかと身構えていたのであるが、一見したところでは、普通の──しかも、どちらかといえば、のどかな森である。いったい、何に注意をうながす看板だったのであろう、と私は怪訝に思う。
「ずいぶんと古い看板だったし──撤去し忘れてるとか、そんなところかなあ」
ロレッタは、すでに警戒を解いているようで、頭の後ろに手を組んで、のんきにつぶやく。
「ま、油断はしないようにしよう」
私はそう言って──特にロレッタに──私たちは、街道に沿って、森の奥へと進む。
「今晩は、ここらで野営かな」
言って、私は足を止める。街道のそばに、木々の途切れた開けた場所があり、野営にはちょうどよい。
「確か料理の当番は──げ、黒鉄か」
ロレッタは歌うようにつぶやいて、一転、顔を曇らせる。
「げ、とは何じゃ、げ、とは」
失礼な、と黒鉄は憤慨もあらわに鼻を鳴らす。
「料理なんてもんはの、煮込んでしまえば、何とでもなるんじゃ」
「だから、げ、って言ったんじゃん」
黒鉄とロレッタがいつものように言い争いを始めて。
「新鮮なものでつくれば、黒鉄の煮込み料理でもおいしいでしょ」
いつものように私が仲裁に入る。
「ちょっと待ってて」
私は少し伸びをして、森の奥に足を踏み入れる。奇妙な看板が警告していた割には、穏やかで、豊かな森である。獲物にも、山菜の類にも困るまい。
野営地を中心にぐるりと森をまわって──私は遠くに兎をみつける。兎は小さく、そして素早い。本来であれば、弓ではなく、罠で捕えるべき獲物なのであるが──それは並の狩人であればの話。私は微量の殺気を込めて兎を狙い、その逃げる先を誘導して──逃げた先の兎の姿を思い浮かべて、その像を射る。
「ただいま──今晩は兎の煮込みかな」
私は野営地に戻り、処理した兎肉と、ついでに摘んだ香草を、黒鉄に渡す。
「おう、これは見事なもんじゃ。儂の腕でも、立派な煮込みがつくれようて」
言って、黒鉄は旅具たるフィーリから、野菜や茸の類を取り出して、飲み残しの葡萄酒とあわせて、一緒くたに鍋にぶち込む。何とも適当な手際であるが、食材がよいので、まずくなることもあるまい。
「これなら、酒も進みそうじゃわい」
しばし煮込んで──私が横から、いくらか香草を足す──香り立つ鍋に、黒鉄は満足そうに頷く。
「おお、確かにうまそうだ」
言って、隅で日課の鍛錬とやらに勤しんでいた絶影が、煮込みの匂いにつられたのであろう、焚火のそばまでやってくる。
「黒鉄の旦那、ちょっと一杯どうだい? 前の街で飲み残した酒があってよ」
絶影は、そのまま黒鉄の向かいに腰をおろして、自身の荷物から酒瓶を取り出す。見るからに安酒であるが、黒鉄にとって、値段の多寡は何の問題にもならない。
「儂が断るわけあるまい」
返して、黒鉄はフィーリから酒杯を取り出して、にんまりと笑う。
そうして、森の野営にしては豪勢な食事と──森ではありえぬほどの酒宴が始まる。上等な煮込みと安酒は、私たちの口をずいぶんと軽くして──これまでの旅路のこと、おもにロレッタの失敗談について、話が弾む。私は、何度かロレッタの口真似をして、そのたびに彼女に頭をはたかれる。
「ふう──ごちそうさま」
私は、煮込みのおかわりをたいらげたところで──あくびを噛み殺す。
「私は先に寝るからね」
狩りに出たこともあり、いくらか疲れもあったのであろう。これ以上、酒宴につきあう気にもなれず──大木を背にして、真祖の外套にくるまる。
ロレッタは、それからも少し酒宴につきあっていたようであるが、黒鉄と絶影の武術談義が始まると、さすがに辟易したようで──そそくさと私の隣に逃げてきて、外套にくるまって、すぐに寝息をたて始める。
私は、途中まで二人の武術談義を聞くともなしに聞いていたのであるが──いつのまにやら睡魔に負けて、眠りに落ちる。
朝──目覚めた私は、わずかに焚火が残っていることを確認して、薪を足す。フィーリから取り出した水で、身づくろいをして──それでも起きてこない連中に、朝を告げる。
「朝だよ! 起きて!」
私の声で、ロレッタが何やら謝りながら飛び起きる。大方、夢の中で何ぞ怒られるようなことでもしでかしたのであろう、と苦笑する。
「黒鉄! いつまで寝てんの!」
めずらしく起きてこない黒鉄に呼びかける──が、返事もなくいびきをかき続けている様を見るに、昨夜の深酒が過ぎたのやもしれぬ、と思う。
「絶影! 絶影ったら!」
一方で、目を覚ましたロレッタの方でも、絶影の肩をつかんで揺すっているのであるが。
「絶影も起きないの?」
絶影ほどの武人が、少しくらい酒が残っている程度で、肩を揺すられて目覚めないのというのは、不自然が過ぎる。
「よく考えたら、絶影の寝顔なんて、初めて見たかも」
ロレッタは、のんきなことを言いながら、絶影の寝顔をのぞき込んで、にやついているのであるが。
「いやいや──どう考えてもおかしいでしょ」
おそらく、そんなことをしている場合ではないほどの事態におちいっている、と気づく。
「──あのう」
と、胸もとで声をあげるのはフィーリである。
「これ──もしかしたら、呪いかもしれません」