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八話 毒舌と電気ベロ

 気を張らず、遠慮もせず、自分勝手に言葉を放てる。

 ——なんて、ありがたいことだろう。


 いや、言葉だけではない。

 身ぶりや仕草、思わず出てしまうため息のような振る舞いもそうだ。


 素のままでいられる時間。

 そういう相手が、年々少なくなってきた。


 今ではもう、数人……

 いや、子どもたちでさえ、どこか気を遣ってしまう。


 遠慮のいらないはずの家族にすら、

 言葉を選ぶ場面が増えた。


 ——言葉には、表と裏がある。


 やわらかな言葉の奥に、鋭い棘が潜んでいることもあれば、

 その棘の裏には、ふとしたぬくもりが隠れていたりもする。


 毒舌というのは、不思議なものだ。

 言葉の端にとげがあるはずなのに、

 なぜか、それが心に刺さらないときがある。


 むしろ、じんわりと、あとを引くようなぬくもりが残って、

 胸のどこかを、そっと撫でられたような気がする。


 あれはきっと、本音の裏返しなのだろう。


 まっすぐには言えない思いを、

 少しねじって、角をつけて、

 それでも届いてほしくて、つい投げてしまう。


「ばかだな」と笑いながら、

 本当は「よくやったな」と背中を叩いてやりたい。


「俺に会いたいんじゃなくて、肉が食いたいだけだろう」

 そう茶化してしまうのは、

「来てくれて嬉しい」が、どうしても口に出せないからだ。


 舌の先で、ちいさな火花が散る。


「そんな昔話、もういいよ。そんな自慢話なんて聞きたくない」

 なんて突き放しておきながら、

 ほんとうは——


「もう少し、その続きを聞かせてくれ」と、

 耳だけは、そっとそばに置いている。


 毒舌は、照れくささの仮面だ。


 それでも通じ合える相手がいることは、

 生きるうえで、しみじみとありがたいものだ。


 ときどき、思いが言葉になるよりも先に、

 舌のほうが動いてしまうことがある。


 その瞬間、舌先からピリッと、

 小さな電気が走る。


 私はそれを、「電気ベロ」と呼んでいる。


 ちくりとした一言が、

 相手の心に一瞬の静電気を生む。


 笑われるか、睨まれるか——

 そのどちらに転ぶかは紙一重。


 けれど、そこで通じることがあるのだ。


 若い頃は、それが遊びのようでもあった。

 じゃれ合うように言葉を投げ、

 笑い合う時間もあった。


 けれど年を重ねるにつれて、

 そうしたやり取りは減ってきた。


 毒舌はただの嫌味に聞こえ、

 電気ベロは、棘だけを残してしまうこともある。


「そんな言い方しなくてもいいじゃない」

「どうして素直に言えないの?」


 そんなふうに言われるたび、

 言葉を選ぶことが、どこか面倒に思えてくる。


 それでもなお、

 刺すようで撫でるような、不器用な言葉たちは、

 どこかでまだ、自分を支えている気がするのだ。


 毒舌は、信頼の証かもしれない。

 電気ベロは、遠回しな愛情のかけらかもしれない。


 まっすぐには届かない想いを、

 いびつな言葉のかたちにして渡すしかない不器用な人間が、

 それでも誰かに触れようとするとき、

 そこに宿るのが、きっと、その二つなのだ。


 だから私は今でも、

 ときどき火花を散らしながら、言葉を差し出してしまう。


 それを、くすっと笑って受け取ってくれる相手が、

 今もどこかにいてくれることを、

 願いながら。



 先週のことだ。

 十年、いや二十年か。

 通い慣れた喫茶店のマスターが、ひとり静かに逝った。


 貼り紙ひとつなく、知らせもなかった。

 ある日ふと立ち寄ると、店のシャッターは下ろされたままで、二度と上がることはなかった。


 あのカウンターの奥にいつも漂っていたコーヒーの香りも、

 ひび割れた声で毒づく彼の言葉も、もうこの街の空気にはない。


「おまえのコーヒーは三流だな」

 私が言うと、彼はすぐに返した。


「なら来るな。暇つぶしはいらねぇ」


「腕が悪いくせに、生意気だ」


「下手くそが何言ってんだ。迷惑なんだよ」


「顔も酸っぱいくせに」


「おまえこそ腐ってる」


 毒舌と嫌味の応酬。

 棘のある言葉のやり取りのなかに、互いの居場所がたしかにあった。

 彼の舌は、まるで電気ベロだった。


 ひと言聞いただけで、心のどこかがビリッと痺れる。

 まるで感情の急所を正確に突いてくるような毒。


 それでも不思議と、不快にはならなかった。

 むしろ、その鋭さが少し癖になっていた。


「おまえ、今日の顔、昨日より一段とまずいな」


「そっちこそ、声が錆びすぎてて耳が腐る」


「この豆、誰が焙煎したんだ? 拷問かと思った」


「文句言うくせに、毎週のように来るバカが一番タチ悪いんだよ」


 笑い声ひとつなく、睨み合いながら続く言葉の刃の応酬。

 だが、そのどれもが、ひとつひとつ、相手の輪郭を確かめるようなやり取りだった。


 そうやって確かめていたのだ。

 ——まだ、ここにいる。おまえも、俺も。


 彼が淹れる苦いコーヒーは、決して特別うまいわけじゃなかった。

 けれど、疲れた心には、あのカウンター越しの毒が一番よく沁みた。

 黒い液体の奥に、沈黙よりも雄弁なぬくもりが隠れていた。


 ある晩、閉店後にカウンターの照明だけを点けたまま、彼がポツリと漏らしたことがある。


「『対岸の火事は大き方がいい』なんて言葉があるけどよ、俺はあれが嫌いだ」


 いつもより静かな声だった。


「人の悲しみに涙を流すのは、案外たやすいんだ。

 酒でも飲めば、誰でもそれっぽい顔はできる。

 でもな……誰かの喜びを、自分のことみたいに喜べるかって言ったら、そうはいかねぇ。

 嫉妬が出ちまうからな。だから『人の不幸は蜜の味』なんて言葉があるんだ」


 彼が大切にしていたのは、ある歌の一節だった。


「君が憂いに我は泣き 我が喜びに君は舞う」


 あれは、ただの詩なんかじゃない。

 彼にとって、それは生き方そのものだったのかもしれない。


「君が憂いに我は泣き」

 それは、単なる共感ではない。


 人の悲しみを知るだけでなく、

 その痛みが、自分の体を通して現れるほどに引き受けるということ。


「可哀想だね」と、どこか安全な場所から見下ろすのではなく、

 その人の心の深みに、自分も身を沈めることだ。


 彼はそれを「心の強さ」と言った。


「自分の傷と重ねて泣くやつは多い。でもそれは、結局、自分の涙なんだ。

 本当に泣けるかどうかは、その人のためだけに、泣けるかどうかなんだよ」


 そして——「我が喜びに君は舞う」

 彼は、そこにこそ、人の器が試されると考えていた。


「『よかったな』と口にするのは、誰にでもできる。

 だが、本当に心から舞えるか。

 誰かの幸せに、自分の心が跳ねるように喜べるか。

 それができたら、きっと孤独にはならねぇよ」


 人は、他人の悲しみには寄り添えても、他人の幸せには素直になれない。

 そこに必ず入り込むのが、嫉妬や、焦燥や、見えない比較だ。


 彼は、それをよく知っていた。

 だからこそ、「我が喜びに君は舞う」を理想ではなく、“覚悟”として胸に刻んでいたのだろう。


 けれど、それは——

 最後まで彼が掴みきれなかった夢でもあったのかもしれない。


 彼は、自分に言い聞かせるように、その言葉を繰り返していた。

 まるで、生涯の悔いを、どこかに置いていくように。


 いまはもう、彼の声も、眼差しもない。

 静まり返った店の窓に映るのは、曇った空と、私の老いた顔だけだ。


 ぽつんと空いた席が、すべてを語っている。


 怒鳴り合った日々が、こんなにも懐かしい。

 ピリついた空気も、舌戦も、もう二度と戻らない。

 あの電気ベロのひと突きすら、恋しい。


 季節はゆっくりと移ろい、街路樹の葉が風に揺れている。

 ひと雨ごとに秋が深まり、彼の不在が胸を締めつける。


 ふと立ち止まるたび、遠くで名を呼ばれたような気がして、

 振り返っても、そこには風しかいない。


 毒舌も嫌味も、いまでは優しさの記憶となり、

 静かに、ひとりの午後を焦がしている。


 ——毒を吐いても壊れない関係。

 そんな関係は、いつの間にか、指で数えられるほどになっていた。


 どこか遠くへ旅立ってしまった彼の姿を、

 今日もまた、冷めたコーヒーの底に探してしまう。


 そして明日もまた、ふらりと立ち寄ってしまう気がしている。

 シャッターの閉まった、あの店の前に。



 夕暮れ時、窓の外の空がじんわりと赤く染まりはじめていた。

 私は新聞をめくりながら、隣にいた多江子に声をかける。


「玉露、飲みたくない?」


「いいわね。ちょうど、わたしもそう思ってた」


 そう言って、多江子はすっと立ち上がり、台所へ向かった。

 ポットのスイッチが入る音が、静かな部屋に小さく響く。


 玉露というのは、ちょっと特別なお茶だ。

 日光を避けて育てられ、渋みが抑えられている分、とろりとした旨味が口いっぱいに広がる。


 高温ではだめで、ぬるめのお湯で、じっくり、ゆっくり。

 淹れるというより、まるで「引き出す」ような感覚に近い。


 ……なのに、多江子は、何のためらいもなくポットの水をそのまま使っていた。


「ちょっと、多江子。フィルターの水、使ってって何度言ったらわかるんだ」


「うるさいわね。たかがお茶で、いちいち神経質すぎるのよ」


「だから多江子の舌は、いつまで経っても三流なんだ」


「はあ? 三流に淹れてもらえただけありがたいと思いなさいよ」


「“勘”で作るから、味が毎回バラバラなんだ」


「それを毎回ぜんぶ平らげてるのは誰? 文句言う資格なし」


「仕方なく食べてるだけだし」


「じゃあ明日から出さないわよ。水だけ飲んでなさい、水道水を」


「……それは困る」


 ぴりっと火花が散って、すぐに笑いが漏れる。

 口先の毒も、長年のあいだで角がとれ、どこかじゃれ合うようなぬくもりを帯びている。


「なによ、“困る”って……かわいく言えば許されると思ってる?」


「思ってない。ただ、正直なだけだ」


「ふーん。じゃあ正直に、わたしの淹れた玉露はどう?」


 急須から湯呑みに、淡い緑が注がれていく。

 一煎目。とろりとした旨味が、舌に絡む。


「……まあまあ、だな。惜しいのは水だ」


「まだ言うか、そのこと」


「いい玉露だったんだ。多江子に飲ませたくて、奮発したんだぞ」


「……へえ。言い方が十年遅れてるけど、気持ちは受け取っておくわね」


 二煎目。少し熱を帯びて、まろやかさが増す。

 言葉の棘も、電気ベロも、今ではふたりにしか通じない、あいさつみたいなものだ。


 ふと、あの日のことを思い出す。


 まだ付き合い始めて間もないころ、ふたりで出かけた温泉街。

 予報になかった雨に降られ、びしょ濡れで歩いた坂道。

 宿で出された玉露があまりにぬるくて驚いた私に、多江子は真顔で言った。


「こういうのは“冷めてる”んじゃなくて、“待たせてくれてる”のよ」


 意味がわからなかったけれど、

 湯呑みに唇を寄せると、たしかに、静かな旨味がじわっと広がった。

 あのとき私の中に、

 この女性とは長くやっていけそうだという、直感のようなものが芽生えた。


 ぶつかることも、すれ違うことも、たくさんあった。


 仕事を辞めてアメリカでレストランを始めたいと告げたとき、多江子は黙りこくった。

 反対されると思っていたけれど、意外にも、夜のベランダで缶ビールを差し出されただけだった。


「どうせやるなら、思いっきり転びましょう」


 それだけ言って、プシュッと音を鳴らして自分の缶を開けた。

 ずいぶんと不器用な励まし方だったけれど、私はあの夜のことを今でも覚えている。


 ただ、そんな多江子とも、心が離れかけた時期が一度だけあった。

 レストランが思うようにいかず、私が苛立ちをぶつけてばかりいた頃のことだ。

 言葉を交わすたび、どこか棘が混じった。

 ある夜、口論のあとに私は言った。


「そんなに文句があるなら、出ていけばいい」


 言ってすぐ、しまったと思った。けれど、多江子は一言も返さず、その夜は黙って布団に入った。


 翌朝、テーブルに置かれていた湯呑みから、湯気が上がっていた。

 ほんのりと緑がかった玉露だった。

 口に含んだ瞬間、胸の奥がじんと熱くなった。


「冷めてるんじゃなくて、待たせてくれてる」


 多江子のあの言葉が、ふいに胸をよぎった。

 彼女はその日、何も責めず、何も問わず、ただいつものように「行ってらっしゃい」と背を押してくれた。

 その一杯のぬるい玉露に、私は救われたのだ。


 三煎目。するりと喉を通っていくその味に、どこか懐かしい時間の香りがまじっていた。


 私たちは、お互いを変えようとはしなかった。

 理解しようと努力する代わりに、

 呆れたり、笑ったり、怒ったりしながら、ただ側にいることを選んできた。


 だからなのだろう。

 些細な一言のなかに、今ではちゃんと愛情が滲むようになった。

 ぬるめの玉露みたいに、じわっと効いてくる。


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