美味いワイン
「すごく良いワインが手に入ったんだ。飲みに来ない?」
週末、ツレに誘われたオレは、冷蔵庫の中で干からびかけていたカマンベールチーズを持ちこんで飲み会に参加することにした。
「おっ、来た来た」
「うわ、シャレたもんツマミに持ってきててウケる!」
「来て早々だけど、亮くんってさあ、ちょっと良いワイン…開けたこと、ある?」
差し出されたのは、イタリアンファミレスで1000円で売っているような瓶ワイン。フタの部分がオシャレに針金だか金属だか木工用ボンドだかでガッツリ封をされている。なんでもこのワイン、ツレの親戚のおっさんが肝臓を壊してしまい飲めなくなったので、譲ってもらったものらしい…。
「ワインオープナーだったら使ったことがあるんだけど…ある?」
「カッちゃんが持ってるんだけど、めんどくさい客に捕まったとかで遅れてんだよね。いつ行けるかわかんないから、先に飲んどけってラインがきててさ」
「十徳ナイフならあるんだけど、この豚のしっぽみたいなやつで開けるの…難しそうなんだ」
リカーショップ勤めのツレの到着が遅れているので、知識のないメンバーでワインを開けることになりそうだ。…大丈夫かな?なんか、いいワインは開け方も難しいって聞いた事があるような気がするけど。
「あ、動画あるぞ。これでイケそうじゃね?」
動画を見ながら銀紙なんかを外すと、びっちり瓶にはまり込んだコルクがお目見えした。ここにクルクルとした部分をねじ込んで、引っこ抜くらしい。
「なあ…高いワインってコルクでフタがしてあるんだろ?」
「年代もののワイン?らしいぜ。これはミレニアム生まれのレア物なんだと。本物のワインの本気の熟成を堪能しろよって言われてさ…正直わりとビビってたりすんだよ」
「そんなもん俺らみたいなワインのド素人が飲んじまっていいのかよ…味なんかわかんねえぞ……?」
普段100円の安い発泡酒やショボい居酒屋のシャビシャビサワーしか飲んでいないこともあり、黒っぽい瓶のボテッとしたフォルムを見るとテンションが上がって来る。高いワインを飲める奇跡に遭遇できたありがたを感じる。
「つか、これどうやって開けるんだよ。動画通りに回してんのに入っていかね〜!」
「開けたことある奴がいねーのがキビシイな…多分この豚のしっぽみたいなやつを突き刺すはずなんだけど」
十徳ナイフのクルクルした針金は、回すたびにコルクを粉砕していく。ボロボロと崩れて、フローリングの上が屑だらけだ。
「もー!!これさあ、引っこ抜くんじゃなくて、穿って開ければいいんじゃね?!コルクの長さも半分くらいになったし!!」
「まあ…中身が出れば、飲めはするよね?」
「いったんクズを掃除しよう、瓶の中のも…うん、反対にして、よく振って…」
ちまちまとコルクを削り、最後はコルクを瓶の中に押し込む形でワインを開ける事に成功した。コルクカスが瓶の中に入ってしまったので、ざるとボウルを用意して中身をあける事にしたのだが。
「…うわっ、ちょ…なに、このにおい!!明らかに、やばくね?!」
「つか、ワインって…もっと葡萄っぽい匂いがするもんなんじゃねえの?なんか渋いような、酸っぱい匂いがする!!つかさ、なんか赤ワインってもっとこう、赤いんじゃねえの?!」
「でも…高いワインってわりとすごい匂いがするイメージだけどね。飲んだらおいしいのかも?」
「熟成するほどに素人には美味さがわからなくなるっておじさんは言ってたな。とりあえず…飲んでみるべ」
お玉ですくって紙コップに注ぎ、みんなでごくりと飲んでみる。
ツンとした酸味とホッペタの内側にこびり付くえぐみ、ざらつく舌の上、飲んでしまって大丈夫なのかという不安を覚える飲み慣れない風味。あまりの衝撃に、思わずじっと紙コップの中を睨み付け、周りを見回す…。
……全員、得も言われぬ顔をしている。
「飲めなくは…ない?でも、酸っぱいな。高いもんって、こんなもん?渋いけど、ドロドロしてないし…腐ってはいないと思う、ほら、ワインは腐らないってwikiにも書いてある」
「安いワインだと腐ることもあるみたいだ、コルクワインだし。でも、コルク自体は…開けた側しかボロボロになってないから、たぶん腐ってはいないはず?」
「ポテチと一緒に食えば、わりとうまいような気がしないでもない。高いワインだし、ありがたくいただいとこうぜ…」
「これが最高級ワインの味なんだよ、ある意味貴重な体験だ。今後はこういう味に遭遇しても、こういうもんなんだって思えるだろ?」
昔彼女と一緒に飲んだ高級ワインは、もっとこう…渋くて苦みのようなものはあったけど、アルコールっぽかったような気がする。のど越しはわりと柔らかで、飲んだ後に鼻に抜ける葡萄臭?がしたんだよ。このワインは、酸っぱさがやたらと悪目立ちしていて、なんだろう…口の中を攻撃されているような…喉の入り口に貼りついて往生際の悪いような?うーん、はっきり言って、おいしいと思えない。…本当に高級ワインなのかな。
「痛むこともあるみたいだから、専門家の意見が聞きたいね。まあ、つまみでも食べてカッちゃん待とうよ。俺、持ってきたチーズでつまみ作るわ、キッチン借りるね」
下手に痛んだものを飲んで腹を壊すのは宜しくない。それらしい理由を言って、ワインから距離を置くことにした。
「いいの?そんな事言って。俺ら先に高級ワイン飲んじまうぞ!」
「あ、余ってる食パン使っちゃっていいよ!」
「ポテチと一緒に食うと酸っぱさが誤魔化せるぞ!食ってみ!!」
酸っぱいワインを囲みながらああでもないこうでもないと盛り上がるツレ達の声を背に、カマンベールでカナッペを作っていると、遅れていたツレが到着した。両手にレジ袋を抱えているのは、いやな客にあたったから、今日はとことん飲む気らしい。
「遅くなってごめーん、あ、もう飲んでるんだね。それが例のワイン?…ほうほう、瓶の形はボルドー…ふうん、2000年ねえ。……って!ナニ、ボウルにあけちゃってんの?!ちょっと待って、どういう開け方…っていうかこのニオイは!?」
「カッちゃん遅いよ、もう半分飲んじゃった!」
「最高級ワインってさ、けっこう飲みづらいのな。今亮くんがこってりしたつまみ作ってるから、それで合わせればうまく飲める?いっちゃんがさあ、せっかくの高いワインをポテチで飲もうとしてて!!」
「はい、いっちゃんの分!!ありがたく飲めよ!!」
出来上がったつまみをトレイにのせて持って行くと、紙コップを受け取ったツレが渋い顔をしている。匂いを嗅いだあと口をつけ、瓶を手にし、じっくりとラベルを読み込んでいる…。
「これはレアなワインではないね。どこにでも売ってる普通のワインだよ。今2000円で売ってるやつの二代ぐらい前のやつじゃあないのかな?ちょっと待って…調べてみる……」
専門家の不穏な一言に、思わず顔を見合わせるツレ達。高級ワインだと信じて疑わず、無理をして飲んでいたダメージが、じわじわと心身をむしばんでくるような気がする…。
「あー、そうだね。これはミレニアムデザインのやつだよ。2000年に2000円で売り出されたんだ。 洒落た封がしてあったわりには、中身はいたって普通の赤ワインで…経年劣化で味が落ちすぎたんだね。しかも、ワインをボウルにあけるとか…酸化が進んでますますマズくなることしちゃったんだなあ。ワインだから腐ってはいないけど、これはそのまま飲むんじゃなくて料理に使った方が良いよ…ってもうほとんど残ってないか」
ワインについての無知が、悲劇を助長していたらしい。そもそも古いワインは極力振らないようにしてそっと開けないといけないのだそうだ。ひっくり返したせいで、下の方にたまっていたえぐみのようなものがばっちり混ざりこんでしまったのだとか。
「おじさんはレアだと言って渡してきたぞ?ワインは時間が経てば経つほど熟成されてうまくなるってさあ。くっそー、騙された…」
「熟成っていうのは、ちゃんと熟成できる状態で寝かさないとダメなんだよ。多分そのおじさんはあまりワインが得意じゃないんじゃないのかな。でも知識として熟成をするというようなことだけを知っていて、いい方は悪いけど恩に着せたんだね」
渡してきた人の方もワインの知識がなかったらしい。…あれかな、ミレニアムイヤーって事ではしゃいで、飲みなれないワインに手を出して、タイミングを逃して、レア感ばかりが蓄積されて行って、手に負えなくなって譲渡的な流れがあったのかもしれない。
「このワインはどう見ても…過酷な環境に置かれて放置されていたタイプのものだと思う。おそらくだけど、冷蔵庫で冷やして飲もうと思っていて、そのまま忘れて…邪魔になったから常温の場所に移動させて、そのまま保存されてみたいなことがあったんじゃないのかな。そもそも、2000年に飲まれることを考えて作られてるワインだよ、これ。熟成を意識して作られてないから、飲み頃はとっくの昔に過ぎ去ってて…これはもはやワインではなくビネガーになっているというか…。」
なんというか…知識がないというのは、わりと怖いものだな。
高級なレアもののワインだと言われて渡されて、おかしな味がしても飲んでしまうだとか。せっかくの美味いワインの飲み方を知らずに、おかしな劣化をさせてしまうだとか。時間が経てばレア度が増すと思い込んでしまうだとか。
「アルコールだからお腹は壊さないと思うけど、今後はワインや酒なんかはあんまりホイホイもらわない方が良いかもね…」
さっきまで『高級な酒は人体に試練を与えるんだ』『これが本当のレアものの味』『遠くにミレニアムイヤーのはしゃいだ空気を感じる』など言っていた人たちが黙り込んでいる。
「ま、今回はいい勉強になったと思ってさ!!!今日は思いっきり安い酒で飲もうぜ!!新作チューハイ、買い込んできたよん♡」
「お、おう…!!!あ、俺梨チューハイもらい!!」
「やっぱさ、ストロングが一番無難だよな!!」
「ワインより身近なチューハイだな、ハハハ!!!」
俺はツレの買ってきたリンゴチューハイに手を伸ばしつつ……、安い酒ばかり飲んでいないで、たまには高い酒も少し嗜むようにしようと思ったのだった。