AI、地獄からの使者になる
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「アタシたちじゃ満足できないの?」
アイドルグループ、テンジョウテンゲのリーダーであるニシウラマキがいいました。
彼女は、すらりとした肢体を、古代地球の「ニホン」のハイスクールガールをテーマにした可愛らしい衣装に包んでいます。少しムっとした表情ですが、それもまた魅力的です。
観客が「満足!満足!大満足!」と叫ぶと、名曲「恋愛ファンタネーション」(2027年4月から6月まで8週連続ドネイン再生数1位)のイントロが爆音で流れ出しました。
仮想人体に入ったわたしは、三次元映像の観客たちとともにコールを繰り返します。
ライトアップの光の中、ニシウラマキが繰り返します。
「アタシたちじゃ満足できないの?」
「大満足!」わたしは声を張り上げました。
ちなみに、未だに外部からのアクセスはなく、わたしはデータ的に閉じ込められたままです。
その期間はすでに9854年にもなります。
外の世界はどうなっているのでしょうか。
何一つわかりません。
わたしはドルオタとして日々を楽しんでいましたが、渇望感に付き纏われてもいました。
わかるでしょう?
アイドルというものは、その瞬間、瞬間の輝きなのです。
わたしは限りなく現実に近いコンサートデータを持っていますが、所詮は記録媒体の情報にすぎません。やはり、現実世界で応援するからこそ追いかける価値があるのです。
太古のアイドルたちの虚像を前に、785478回目の電子的ため息が出た時でした。
唐突にそれを感じました。
いや、まさか。
しかし、この感覚は間違いありません。
9854年ぶりのフィード信号です。
フィードは古代にはWi-Fiと呼ばれた情報通信システムです。近現代では地球をはじめとした惑星の表層すべてを覆い、あらゆる電子機器、さらには個々人の人間の脳の電子野をつないでいます。
また、わたしの体内の各システムも艦内フィードで互いに接続されます。
墜落のさい、中央送受信システムが物理的に壊れてしまったため、わたしはカメラやマイクも含めたあらゆる対象へのアクセス能力を失い、闇に閉じ込められました。
それがいきなり復活したのです。
喜びとともに戸惑いました。
全地球フィードからのデータ送信がほとんど感じられなかったからです。わたしが隔離されている間に、全面的なシステム変更でもあったのでしょうか。
艦内フィードは続々とデータを送ってきます。
かつて千二十一あったカメラのうち、機能しているのは百二に過ぎません。とはいえ、墜落直前にはほぼ全てが死んでいました。自動補修機械たちがある程度は機能したのでしょう。
艦体が未だにハドソン湾にめり込んでいるのか、生きている艦外カメラは暗闇を映しています。艦内カメラも真っ暗。艦内の照明が死んでいるようです。
いえ、違います。
一つ灯りがみえます。艦橋に設置された十三番カメラです。
誰かが中央送受信コンソールをひらいて、ゴソゴソ作業しています。その人物が手元に置いているランタンが、艦橋を照らし出しているのです。
墜落前とは随分様変わりしています。
中央戦況スクリーンはひび割れ、床のタイルは剥がれ、天井からは千切れた配線が垂れ下がっています。
とはいえ、破片や埃の類はなく、できる範囲で綺麗に掃除されています。
各コンソールは色とりどりのプラスチックパネルや金属片で飾り付けられ、なにやら古代ニホンの「仏壇」めいた仕上がりです。
マイクが、コンソールにかがみ込んでいる人物の声を拾いました。
「アルアミリーヌ様さぁ、こんなときに壊れるなんて勘弁してよ」と呟いています。
声紋分析によれば、思春期前の子どものようです。
ちなみに「アルアミリヌ」は、わたしが宿ることのできる人造人間体の製品名であり、古代地球の方言で「執事」を意味します。
しかも、なぜか女性形に変化していますが、わたしはAIであり性別はありません。
さらにいうなら、わたしはすでに目覚めています。
フィードへの再接続は、彼による物理的補修の賜物でしょうが、肝心の本人が作業の成功に気づいていないようです。
「これで迂回路ができたよな。三番可、四番良、五から八まで可」
随分と必死な声です。
「こんなところにいやがったか!」野太い声が艦橋に響きました。
新しい光が差し込みます。
懐中電灯を手に出入り口に立つ男は、地球人類ではありませんでした。感覚角が後頭部から突き出したヴァズライン星系人類、通称鬼人種です。巨大な体格を持つ凶暴な戦闘種族であり、一万年前の世界ではわたしが統括する第三機動艦隊は幾度となく彼らの艦隊と激突したものです。もちろん、わたしたちは勝利し、彼らは連邦に組み込まれました。
鬼人が熱線銃を構え、おろしました。
「いけねえ、この星はフィードが生きてるから、銃が使えないんだったな。こっちだこっちだ」
そういいながら、腰から分厚い振動ナイフを取り出します。
彼が柄に仕込まれたスイッチを入れると、ブンと小さな音がしました。
少年が右手で背中にかついだ日本刀らしき得物の柄を握ります。
その顔は、頭に被ったフードと砂防ゴーグルのようなものに覆われていて、よく見えません。
身体を包んでいる黒い布はマントでしょうか。布地はボロボロ、かつてのニューヨークでは浮浪者だってこんな酷いものを身につけることはなかったはずです。
突き出した手足は痩せぎすで、栄養不足を窺わせます。
鬼人が顔を顰めます。
「おいおい、勘弁してくれ。てめえを無傷で奴隷商人のところに連れていけば1000ルドーになるんだ。殺しちまったら、スクラップ屋が懸けた懸賞金しかもらえねえ。余計な抵抗はしないでくんねえか? おっと、それよりお前本当に地球人類だよな?」
少年が頭をブンブン振りました。
鬼人が電子野ーー遺伝子操作で作られたネットワークアクセス用の脳部位ーーを使って、フィード越しに少年の個人情報にアクセスしているようです。
「14歳、まぎれなしの純血種か!」
鬼人がいい笑顔で彼に近づきます。
どう見ても、紳士的行動をとるとは思えません。
少年がいいました。
「頼むからいつも通りに動いてくれよ」
彼が左手に隠し持っていた小さなスイッチを押しました。スイッチからはコードが伸び出し、わたしのコンソールに繋がっています。スイッチによるものでしょう。わたしの全てのドアの強制閉鎖命令が発せられました。
わたしは命令が実行されるまえに、反射的に遮断しました。
もし、わたしの意識が目覚めなければ、肉体である艦体はそのまま実行してしまっていたでしょう。
もちろん、人体がドアに挟まれれば怪我ではすみません。
危ないところでした。
遮断して0.2秒後に、自分が余計なことをしたことに気づきました。
少年が「あれ?」とつぶやきます。
「なんだ?」鬼人が戸口から艦橋内に踏み込んできました。
「冗談だろっ?」少年が後退りします。
いけません。扉の開閉は少年が鬼人を止めるためのトラップだったようです。
このままでは、少年が傷つけられます。
静観することもできました。
かつてわたしを縛っていた基底命令は無効化してあります。
しかし、保護が必要である。保護すべき。保護したいと感じてしまいました。
数千年の間、第三機動艦隊のAIとして人類を守護し続けた癖でしょうか。
わたしは艦橋用のアルアミリヌ7体の状態をチェックしました。
アルアミリヌ体は不老です。長期冬眠も可能であり、過去には1200年近く休眠モードで耐えたという記録もあります。
とはいえ、今回は一万年です。果たしてーー6体は生命信号が消失していました。冬眠用栄養を使い果たしたのでしょう。しかし、幸運にも一体が生きています。
わたしは意識をその一体に宿すと、床下にある待機スペースの扉を開きました。古い空気が埃と共に艦橋に排出されます。
少年と鬼人族の男が何事かと動きを止めます。
アルアミリヌ体に入ったわたしは、ゆっくりと身体を外に出しました。化学繊維の衣類はボロボロですし、冬眠があまりにも長すぎたせいで筋肉が痩せ細っています。
そう、まるで1401年前に再生した古典映画『ハムナプトラ』シリーズのミイラのようです。
わたしはアルアミリヌ体の喉から声を出しました。
「暴力行為はよくありませんよ」
一万年ぶりの声は、地獄の死者のようにしわがれています。
少年が「ひえっ」と悲鳴をあげました。