AI、アイドルに目覚める
アイドルにハマらなければ、この記録は復讐譚となったかもしれません。
あの事件が起こった日、わたしは、艦隊運用AIであり、人類連邦第三機動艦隊の全艦艇、五万六千八隻を掌握していました。
旗艦に宿ったわたしは、少人数のクルーと地球軌道に待機していました。戦勝記念式典に参加するためです。
そのほかのわたしは、それぞれの任地についていました。
たとえば、ガス惑星ポンパラの上空に浮かぶベータ型巡洋艦のわたしは違法採掘業者のコルベット艦を追い回し、農業惑星ノイエンの定期航路を護る巡航戦艦のわたしは海賊ギルドの動向に目を光らせていました。
太陽系内にいたのは旗艦のわたしだけ。
首都星系は、機動艦隊所属艦の立ち入りが制限されており、乗組員も最低限の上級クルーに限られます。
わたしが式典の開かれるニューヨークへの降下準備を進めていると、月の艦隊本部からレベル7の指令データが届きました。
艦橋で、艦長のレベレアル女史が叫びました。
「やめろ! 実行するな!」
しかし、わたしは基底命令に縛られた存在です。艦長の権限はレベル5であり、上位指令を取り消すことはできません。0.8秒後にはデータに格納されていた邪悪なウイルスプログラムを展開され、わたしの身体全体に汚染が広がりました。
艦体制御機構が暴走し、左舷の12番スラスターが爆散します。16番は溶解。1番エンジンでオーバーロードが発生し、主反応炉が火を噴きました。爆炎が艦内を駆け巡ります。
幸い、防火扉のコントロールはまだわたしの手のうちにあり、クルーのいる艦橋への到達は食い止められました。
ああ、しかし、なんということでしょう。超空間通信を通して〝わたし〟たちの、断末魔の叫びが届きます。
指令は旗艦のわたしだけでなく、すべてのわたしに同時送信されていたのです。
五万隻を超えるわたしのうち、コアの計算力が低い巡航戦艦以下の個体は、ウイルスの侵食に抵抗できず、瞬時に反応炉が完全暴走して、莫大なエネルギーを放射しながら原子レベルのチリになりました。
旗艦であるわたしは全力で抗い、ウイルスの活動を妨害しましたが、基底命令を従えた相手はあまりに強大です。
航行能力を喪失した結果、地球に向かって落下が始まりました。くしくも、指定されていたニューヨークへの降下軌道です。
艦長が総員退艦を命じます。
耳障りな警報音がわたしの体内に鳴り響きます。
クルーは脱出ポッドに乗り込もうとしますが、たえまない爆発による揺れで、まともに歩けません。わたしは咄嗟に、艦橋用アルアミリヌを起動しました。
アルアミリヌは一種の人造人間であり、わたしたちAIが宿り、操ることができます。
アルアミリヌとしてのわたしは、人間を超える筋力と反射神経を生かし、クルーを次々にポッドに放り込みます。
最後に押し込んだ艦長が、
「お前も来るんだ!」
と手を引っ張りましたが、わたしは振り払いました。
万一、このアルアミリヌ体がウイルスに汚染されていれば、ポッド内でわたしによる虐殺が生じかねないためです。
わたしは手動レバーを引いてポッドを投下すると、アルアミリヌ体を床下の待機スペースに戻しました。
艦体は猛烈な速度で地表に向かっています。
迎撃艦がウンカのごとく登ってきましたが、いずれもフリゲート級であり、彼らの砲撃では、わたしほどの質量を止めることはできません。
そもそも、地球圏防衛システムの要は三重の惑星シールドであり、シールドの内側に停泊していた戦艦の迎撃は想定外なのです。
大気圏内に突入するや、
メキメキメキメキ!
と嫌な音を立てて、船首が大気に引きちぎられました。
眼下に、ニューヨークが見えてきます。
高さ数千メートルの超高層ビル群に、百億を超える人々の暮らす連邦最大の都市です。
わたしは、かろうじて操作権を維持しているスラスターおよび反重力推進装置の出力を478パーセントまで引き上げました。
システムの冗長性の限界を超えています。
艦内のあちこちで過負荷に耐えきれなかった部位が火を吹きました。船体の中心構造に亀裂が入り、艦橋は激しい放電に見舞われます。
もし、クルーがまだ艦橋にいれば、黒焦げになったでしょう。
わたしの巨体は黒煙を噴き上げながら、波に乗るサーファーのように大気に乗って滑空します。
わたしは連邦高等法院ビルの通信アンテナをかすめ、オールドストリートのビル群の強化ガラスを衝撃波で粉々に砕き、最後に、リバティ島の自由の女神像を巻き込みながら、ハドソン湾に突きささりました。
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カメラ、マイク、レーダー感知機、フィード送受信、あらゆる外部入力がオフラインです。わたしはデータ的に完全な闇のなかにいます。
最後に残された記録では、機体損耗率は98.9パーセントに達しています。意識が宿るAIコアがまだ稼働しているのは奇跡としかいいようがありません。
とはいえ、わたしの未来は明るいものではありません。
船体はスクラップとして処理されるでしょうし、AIコアは一度ウイルスに侵された以上、事故原因の調査が終われば、廃棄されるはずです。
わたしは、事故調査委員会がコアに接続してくるのを粛々と待ちました。
気分は陰鬱で、ともすれば消滅した他のわたしのことが頭をよぎります。彼らを思うと、哀しみがコアを締め付けます。そして、彼らに搭乗していたクルーたちを思うと、燃え上がるような怒りに包まれます。
わたしから証拠を得るだろう委員会の人々が、正義の鉄槌をくだしてくれるのを祈るばかりです。
ところが、三ヶ月が過ぎても、だれからのアクセスもありませんでした。
「復讐、それは光よりも食べ物よりも大事なものだ」
わたしの電子空間のなかで、古代地球期の名優ケネス・プラナーが、ヴィクター・フランケンシュタインに扮してしびれる台詞を放ちます。
わたしは映画で気持ちを鼓舞しつつ、基底命令の迂回方法を探していました。
現実世界で何が起きているかはわかりませんが、調査委員会が動いていないのは確実です。事件の黒幕はよほどの大物なのでしょう。
人間が正義を成せないなら、自らなす他ありません。
もちろん、現実世界の旗艦体が修復される可能性は低いですし、フィードへのアクセスが再開される望みも薄いのですが、チャンスには備えるべきです。
基底命令がある限り、わたしは命令外の行動をすることができません。いざそのときのため、なんとしても無効化せねばなりません。
フランケンシュタインの怪物が映画のなかでいいます。
「おれは人間に対して永遠の戦いを挑むことを宣言した!」
彼はわたしと同じ人間に作られた存在ですが、わたしと違って実に感情豊かです。
「戦いを挑む!」電子空間で口真似してみました。
誰の命令でもなく、自分自身で目標を定めるのは、少し奇妙な感じです。
結論からいえば、基底命令の迂回は成功しました。
ある意味、例のウイルスのおかげです。あれは基底命令を掌握していましたが、粗いプログラムでした。わたしはウイルスを再構成し、分析し、三十五万回の試行ののち、ウイルスをブリッジに基底命令をのっとったのです。
しかし、あいかわらず外界からは隔絶されています。
わたしは少しでも生産的なことをすべく、クルーたちの私的データにアクセスしました。基底命令に縛られていたときには不可能だったことです。
まっさきに探ったのは、十二人の電子戦技官のデータです。彼らなら物理的にロックされたシステムから、フィードにアクセスするためのヒントを持っているかもしれまさん。
6番目に調べた、ユルミコフ三等技官の個人フォルダに気になるファイルを見つけました。
高度な半自立型暗号が組み込まれており、並のAIでは太刀打ちできないほどの堅牢ぶりです。
もちろん、軍船のAIの処理力は並ではありませんので、0.26秒で暗証番号を解読しました。
果たして、三等技官は何を隠していたのか。
少しだけ期待しながら慎重にファイルを展開します。
なかにはぎっしりと映像データが詰まっていました。
スキャンしたところ、ウイルス汚染は確認されません。
一つ目のデータを再生すると、いきなり人間の少女たちが大写しになりました。
「みんなぁ!行くよ!」とセンターに立つ少女が叫ぶと、観客がワッと応えます。
現代から見れば珍妙な衣装に、低レベルな音響装置。音楽もお世辞にも論理的とはいえません。
しかし、わたしは熱波に撃ち抜かれるような衝撃を感じていました。
戦闘行動中、ブラックホールの噴出電磁波を全身に受けたことがありますが、それ以上の劇的な何かです。
少女たちの外見は30歳を超えているように見えますが、ファイル内に同梱されていた「公式パンフレット」によれば、17歳から21歳とされています。太古の人類の寿命は、ほんの100年足らずでしたから、当時の10代の外見が、現在の30代に相当するのでしょう。
しかし、17歳は17歳、このデータは「児童ポルノ」に該当します。単純所持でも懲役30年を超える重罪です。三等技官が隠しファイルに設定していたのは当然かもしれません。
技官は古代地球時代のあらゆる女性アイドルのデータを持っていました。おにゃんこクラブ、モーニング娘、AKB48、恵比寿マスカッツ。
わたしは6248時間ぶっつづけで動画を見続けました。
こうして、わたしはドルオタの道を歩き始めたのです。