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柳南市奇譚②幽霊と恋仲になる方法

作者: スーパーわたぶ~

「悪い高宮、今日は嫁さんの誕生日でな、これから食事に行くんだ」



20時までの定時稽古が終わったあと、先輩に居残りスパーリングの相手を頼んだところ、そう言って断られてしまった



「そうですか、了解です」



「…お前、いま何歳だっけ?」



急いで着替えながら、先輩が聞いてきた



「先月、28になりました」



「…彼女とか、いないのか?」



「いるように見えますか?」



自慢じゃないが、これまでの人生で浮いた話など1つもない。まあ、それを悲しいと思ったこともないのだが



「…空手一筋に生きるのもいいが、家族を持つのも、いいもんだぞ」



「…そうですね」



「それじゃ、お先!」



満面の笑みを浮かべながら、先輩は帰っていった。全身から幸せがあふれている、そんな感じだった



「…でも、先輩は、結婚する前の方が強かったですよ…」



誰にも聞こえないように、俺はつぶやいた







俺の名前は高宮衛(たかみやまもる)。修行歴20年の空手家だ



最高成績は全日本大会ベスト8が2回。けっして弱くはないつもりだが、最強にはほど遠い存在だ



俺は別に女嫌いという訳じゃないし、彼女が欲しい気持ちもないではないが、恋愛は修行の妨げになる、強さを下げる、としか思えなかった



「選手としての自分にはっきりと諦めがついたら、婚活するのもいいかもな…」



俺はそんなことを思いながら、サンドバッグ打ちを始めた







「なあ知ってるか?この近くで殺人事件があったんだ」



「ああ、東公園だろ?女子高生が刺されたんだってな、気の毒になあ…」



居残り練習を終えて着替えをしていると、他の道場生たちの会話が聞こえてきた



「まだ犯人は捕まってないんだろ?それで、今日は女子部と少年部の稽古は中止になったんだ」



「早く捕まえて欲しいもんだな、殺された女の子の家族の気持ちを思うと、気の毒でたまらんよ…」



「その女の子も、さぞかし無念だったろうなあ…可哀想に…」



その会話を聞くとはなしに聞きながら、俺は道場をあとにし、帰路についた







「…さぞかし無念だったろうな…か」



その言葉が、胸にひっかかって離れなかった



「…もしかしたら、もしかするかもな…」



俺は踵を返し、自宅とは違う方向へ歩きはじめた







…無念をもって、この世に未練を残して死んだ若者。もしかしたら、その女の子は…



「…確かめずには、帰れないな」



あのギャルは、あの世とやらで元気にやっているだろうか…俺はそんなことを考えながら、件の殺人事件の現場である、東公園の入り口に到着した



「…ま、予想通りだな」



公園の入り口は、keepoutの黄色いテープが何重にも貼り渡され、封鎖されていた



「…ご無礼…!」



俺はテープの下をくぐって、公園内に侵入した。もう中に警察関係者が居ないことを祈りながら



ここはそんなに広い公園じゃない。辺りを見回せば…



「…あそこだな」



公園の敷地のはしっこの方に、3つほどベンチが並んでいるところがあり、その真ん中のベンチの前の地面に、横たわった人間の形に貼られた白いテープがあった



そして、そのそばに…



「…やっぱり…」



当たって欲しくなかった予想が、当たってしまった







やはり、そこに、いた



人型のテープのかたわらに、



上下ピンク色のジャージを着た、



まだ幼さの残る顔つきの、



足元が半透明に透けた、



若い女の子の幽霊が…!







「よう、俺の声が…聞こえる、よな?」



俺はその少女に近づき、声をかけた



「え?!…は、はい…!」



その少女は、すごく驚いた様子で返事をした。どうやら、声をかけられるまで、俺がやってきたことに気づいていなかったらしい



「…その、自分がいま、どういう状況なのか…わかっているか?」



「…」



少女は、何と答えていいのかわからないという顔だ



「…その、気の毒だが、君は…死んだんだ。今朝、何者かに刺されたって話だ」



「…!」



「…その、俺は以前にも、君みたいな状況のやつと出会ったことがあってな…もしかしたら、こういうことになってるんじゃないかって思って…見にきた次第だ」



「…そう、です…か…」



少女は、やっとそれだけ、言葉を絞り出した



「…その、すまん、何て言ったらいいのか…その…」



俺も、気の利いた言葉なんて、出てはこなかった



「…あの時…わたし、思ったんです…」



少女の目から、大粒の涙がこぼれていた



「…まだ…死にたく…ない…って…」








「…そうか、誰にやられたのか…わからないのか」



「…はい…」



何か犯人の手がかりを、被害者本人から聞き出すことができれば、きっと犯人逮捕に貢献できる…そうすれば、この少女を成仏させることもできるかも知れない…と思ったのだが、あてが外れてしまった



「わたし…毎朝この公園でジョギングするのが日課で…今朝、そこのベンチで休憩していたら、いきなり後ろから誰かに抱きすくめられたんです」



「…」



「必死で声をあげて、暴れていたら、背中にすごい痛みが走って…すぐに目の前が真っ暗になって…」



「気がついたら、ここに立っていた…か」



「はい…」



あの幽霊ギャルこと、松下直子(まつしたなおこ)は、日の光の下では幽霊は存在できないと言っていた。この少女にしてみれば、刺されて意識がなくなったあと、気がついたらもう夜で、ここに立ったまま動けなくなっていた…ということになるのだろう



「そういえば、まだ名乗ってなかったな。俺は高宮衛。…君は?」



「わたし、松下直子っていいます」



「え?!」



「…?どうか、されましたか…?」



…驚いた。そりゃ、そんなに珍しい名前ではないが、まさかあいつと同姓同名とは…



「…こいつは、運命というか…強い因縁のようなものを感じずにはいられないな…!」







俺はひとり、拳を強く握りしめていた







スマホで時間を確認すると、もう22時ちかくになっていた。俺も仕事がある身だ。稽古後でもあるし、明日に備えて体を休めなくては…



「明日の夜、日が落ちてからまた来るよ。ニュースなどで得た情報なんかも、教えるからな」



「え…」



直子の表情が曇る



「その、ここで1人きりで居るのはつらいだろうが…朝までの辛抱だ。日が昇ったら、一瞬でまた夜になるような感覚で、君の時間は過ぎていくはずだ」



「…」



…泣きそうな顔になっている



なんだか、自分がとても冷たいことを言っているような気分になってきた…



「あー、…この年で、稽古した夜に徹夜するのはしんどいんだけどな…!」



あの幽霊ギャルも、幽霊になりたてのころは、この少女のように不安で仕方なかったのかも知れない。そう思うと、この場を立ち去ることができなくなってしまった



「…わかった、今夜は、朝までここにいてやるよ」



俺は覚悟を決めて、そう言った。そう、こういう時のための、空手で鍛えた体じゃないか!…と、自分に言い聞かせながら



俺のその言葉を聞いて、まるで花が咲いたように明るくなった直子の表情を見ると、多少の疲れは忘れられた…








「お父さん…どうしてるかな…」



ふと、直子が口にした



「…そりゃあ…大変だろうな…」



俺は直子のそばのベンチに腰かけて、直子の話し相手になっていた



「…わたしの母は、わたしを生んですぐに病気で亡くなって…父はずっと男手ひとつでわたしを育ててくれたんです…」



「…そうか…」



人生これからの愛娘を無残に殺されて、きっと気も狂わんばかりの状態に違いない。今はまだ、幽霊になった直子を父親に会わせるのはまずいかもな…



「あの…高宮さんは、警察の方なんですか?」



「いや、ただの一般人だよ」



「…どうして、こんなにわたしに親切にしてくれるんですか…?」



「え?…まあ、以前にも幽霊と出会ったことがあるから、かな」



「…その人は、今は…?」



「いろいろあって、無事に成仏したよ。だから、君のことも、きっと俺が成仏させてみせる。だから、いっしょに頑張ろう」



なんだか、これから試合に出る後輩を励ましているようだ



「…あ、ありがとう…ございます」



直子は、嬉しいような困ったような、複雑な表情になっていた



「どんな人だったんですか?その…幽霊さんは…」



「それが、何と君と同姓同名の…しかも、ド派手なギャルの、女子大生だった!」



「…そう、ですか」



…?、てっきり、ウケると思って言ったのだが…素っ気ないリアクションだった。…なんだか、不機嫌になったような…?








「…あ、」



直子の声で、東の空が明るくなってきたことに気がついた



「それじゃ、また今夜な」



「…はい!」







朝日に照らされて消えていく直子を見送って、俺は公園をあとにした…







徹夜明けでの仕事はキツかったが、そんなことを気にしている時間はなかった



俺はヒマさえあれば、ニュースやネットで事件の情報を収集した



が、一般人が触れられる情報など、たかが知れている



犯人につながる情報など、まったく無かった。まあ、仕方のない話だが…



代わりに、被害者や遺族に関する情報には、必要以上に触れることになってしまった



こういう時には、ネット上には心無い書き込みが、誹謗中傷を伴って出てくるのが常だ



やれ、きっと被害者の素行の悪さが原因だろうだの、きっと男遊びの果ての痴情のもつれからだろうだの…



「あの子は、そんな子じゃねえよ…」



俺は誰にもぶつけられないやるせなさを、つぶやきに乗せて吐き出すしかなかった







「…こうなったら、最後の手段だな…」



俺はスマホの電話帳を開き、目的の番号を探して発信した







「…先輩、いくら先輩の頼みでも、それだけは聞けないっす。自分らには守秘義務があるんすから」



17時30分。仕事終わりに近所のカフェに呼び出したのは、道場の後輩であり、警察官でもある、中田健治(なかたけんじ)だった。



「…ま、そうくるだろうとは思ってたよ」



俺はアイスティーをひと口飲んで、ため息をついた



「先輩、あの事件の被害者と、知り合いだったんすか?」



「まあ、ちょっとな…」



本当のことを言うわけにはいかないので、適当に誤魔化すしかなかった



「…自分も、実は被害者の父親とは顔見知りなんすよ…だから、しんどいっす…」



「…そうなのか?」



「ウチの署に、弁当の配達をしてくれてる会社の、副社長なんすよ…自分、事情聴取をしたんすけど、…もう見るに耐えない状態だったっす…」



中田は、そう言って顔をしかめた



「でも、もう一息っす。もう少しで、犯人の足取りが…あっ!」



問うに落ちず、語るに落ちるとは、このことか



「…警察は、もう犯人を特定している…ってことだな」



「…先輩!このことは、どうか他言無用でお願いします…!」



それだけ聞けたらもう充分だ。俺は中田と別れ、東公園へと向かった







ちょうど、日没の時間が迫っていた…







「日本の警察は優秀だ。犯人逮捕は時間の問題だよ」



「…はい」



俺は例によってベンチに腰かけ、直子と話していた



「俺の空手の後輩が、君のお父さんのことも気にしてくれている。‘’自分が、後追い自殺なんて絶対にさせないっす!‘’…って豪語してたから、…安心しな」



「…ありがとうございます…!」



直子は少し涙を流して、微笑んだ







「…あの…」



「どうした?」



「犯人が逮捕されたら…わたしは成仏できるんでしょうか…?」







そう、今回問題になるのはそこだ



ギャルの直子の時は、あいつの強い心残りだった、母親との再会と謝罪を叶えてやることであいつを成仏させることができたが、今回はちょっと事情が違う



犯人が逮捕されようとされまいと、この子の現世への未練を断ち切れるかどうかとは、じっさいにはあまり関係がないような気がしていた



「…だいじょうぶだ」



「…え?」



「言ったろ、俺が必ず君を成仏させてやるって…それまで、たとえ何年かかってでも、最後まで必ずやりとげてやるからな」



ここまで関わった以上、半端に投げ出すことはできない。もう俺の覚悟はきまっていた



「…」



直子は、涙を流しながら、頷いた



「さあ、もう泣くなって」



「だったら………ても……いいかも」



「え?」



ぼそっと小声でつぶやいた直子の言葉が、聞き取れなかった



「…あ、な、何でもないです」



「…?、そうか」







その日は直子と別れ、俺は昨日のぶんまで爆睡することになった







午前6時、目覚ましのアラームに叩き起こされた俺は、あくびをしながらテレビをつけた



「…!」



『…先日、玉串県(たまぐしけん)柳南市(りゅうなんし)の柳南東公園で起きた女子高生の刺殺事件について、玉串県警柳南署の捜査員が先ほど、容疑者を確保したとの一報が入りました』



俺は、反射的に中田に電話をかけていた







「ええ!やりましたよ先輩!これで、松下さんにいい報告ができます!」



中田の声は弾んでいた



「もうじき、容疑者がウチの署に護送されてくるはずで…」



中田の言葉が終わらないうちに俺は電話を切り、柳南署に向かって走り出していた







柳南署の前には、すでに報道陣が群がっていた。テレビカメラも数台あり、その前でキャスターが喋っているのが見えた



「あ!先輩!」



中田が俺を見つけ、近寄ってきた



「…犯人は、これからか?」



「ええ、間もなくです」



「…お前、どうしてここに?」



中田は黙って、そっと自分の後ろを指差した



「…被害者の、父親です」



中田の指差した先には、両目の下にくまをつくり、憔悴しきった様子の中年男性がいた。そうか、あれが直子の父親か…



「…目が離せないかな、と」



「…たしかにな…」



直子の父親は、右手に小さなセカンドバッグを持っていた。もしかしたら、その中には…







「…きたぞ!」



報道陣の方から声が上がった



黒塗りの大きなワンボックスカーが、柳南署の駐車場に滑り込んでくる。途端にあわただしくなる報道陣の面々



『ただいま、容疑者を乗せた車が、柳南警察署に到着しました!後部座席のあれが、容疑者の姿でしょうか…』



キャスターの声が、とても耳障りに感じる







柳南署の正面入り口前に、車が停車した



そして、ついに、容疑者が車を降りて…







「はなせぇっ!はなしてくれぇっ!」



突然上がった大声に、その場の人間みんながそちらを向いた



直子の父親が、右手に包丁を握り締めて容疑者に突撃しようとし、中田を含む3人の警官がそれを制止して、激しく揉み合いになっていた



「娘を!娘をかえせぇっ!」



「ダメだ松下さん!こんなことをして、娘さんが喜ぶと思うのか!」



「…!…う、うぅ…」



中田の一言に、直子の父親は、力なくくずおれた







突然の出来事に、まるで時間が止まったかのように、あたりは静まりかえっていた…







「お前…あの女の、父親なのか…?」



「え…?」



手首にかけられた手錠を上着で隠され、両脇を2名の制服警官に制されて立つ容疑者が、直子の父親に声をかけていた



「…そうだ!よくも…よくも娘をぉ!」



同じく、警官に制された状態の直子の父親が、声の限り叫んでいた



「…お前の…お前の娘のせいで、俺はこんな目に…!」



「な、なんだと…?!」



あまりに予想外の容疑者の言葉に、直子の父親は言葉を失った



「…俺は、ちょっとあの女をかわいがってやろうとしただけだったのに!あんなに喚きちらしやがって…!おかげで殺人犯になっちまってこのザマだ!ぜんぶお前の娘のせいだぁっ!」



その場にいる誰もが耳を疑う、自分勝手な暴言だった







「ふざけるなこの野郎!」







気がつくと、俺の右拳が、容疑者の顔面にめり込んでいた







そこからのことは、記憶が曖昧なのだが…



複数の警官に取り押さえられ、連行されてしまったのだが、その時、中田がそっと俺に近寄ってきて、







「…先輩、グッジョブ」







と耳打ちしてきたことは、覚えている







…何がグッジョブだ、馬鹿野郎







「…本当に、いいのか…?」



「ええ、書類上は、一晩留置所に泊まってもらったことになってますんで」



笑顔で中田は言う



相手が殺人犯とはいえ、公衆の面前で暴力行為に及んでしまったというのに、俺はその日の夕方には解放されてしまった



「大きな声じゃ言えませんけど、ウチの署の人間全員、先輩の行動を称賛してるってことですよ」



それでいいのか玉串県警…と思わなくもないが、前科者にならずにすんだのは、とてもありがたかった







「そんなことが…あったんですか」



俺は、その足で東公園に向かい、今日の出来事を直子に報告していた



「ああ、君のおやじさんも俺も、犯罪者にならずにすんだよ…」



「…良かった…」



直子はまた泣きながら、笑っていた







…さて、本題はここからだ



予想通りというか、犯人は逮捕されたものの、直子には成仏の気配はまるでない



どうすれば、直子を成仏させられるのか、改めて考えていかねば…






「…まあ、これからは、あせらずじっくりと、君の成仏への方法を探していこう!」



今のところ何のあてもないわけだが、俺は自分自身をも元気づけるように、そう言った



「…あの、」



「ん?どうした?」



「…わたし…別に…このままでも…」



「え?」



「高宮さんが…こうして会いにきてくれるんだったら…ムリに成仏しなくても…いいのかなって…」



…予想外の言葉だった



「え?ま、マジで言ってる?」



「…だって…」







「…成仏しちゃったら…もう会えなくなっちゃうんですよね…?」







顔を赤らめながら、直子は言った







俺の名前は高宮衛、修行歴20年の空手家だ



小学生から空手をはじめて、中学、高校、社会人と、空手一筋に生きてきた



自慢じゃないが、これまでの人生に女っ気などまるでなかった。なんなら、風俗以外で女の体に触れたこともない



…いや、女子部の選手とスパーリングした時に、拳サポやスネ当てごしに触ったことはあるのか…って、そんなことはどうでもいい!



そんな俺が、だ



どうやら、女子から、告白をされてしまっているらしい







…その相手は、もうこの世の住人ではないのだが







「わたしのために…親身になってくれる高宮さんのことが…好きになりました」



顔を真っ赤にしながら、直子は言った



「その…わたし、ここから動けないし…夜しか現れることができないし…その、お洒落も何にもできないですけど…」



「よ、よかったら、わたしと…つきあってください!」



…予想外の、展開だった



そもそもは、この子を成仏させるために、俺はいろいろとやってきたわけなのだが…いま、この子は成仏をしたくない、と言い出してしまった



しかし、考えてみれば、だ



まだあまりにも若いこの子にとっては、特定の出来事というよりも、あらゆるすべてのことが、この世への未練として残っている状態だろう



ならば、だ



幽霊となってしまった今からでも、現世でやり残したことを叶えていってあげられれば、もしかしたらそれで…







「…わかった…」



「…え?」







「…嬉しいよ、こんな俺でよかったら…喜んで」







俺の頭の中で、第2ラウンド開始のゴングが打ち鳴らされた瞬間だった







この子を成仏させるためならば、たとえ幽霊の彼氏にだってなってやる



そんな強い決意をもって臨んだことの、はずだったのだが…







「…あの、今日からは、‘’衛さん‘’って呼びますね…!」



満面の笑顔で、直子が言う



「あ、ああ…」



…この子、こういうキャラだったのか



「あの…だから、衛さんも…わたしのこと、‘’直子‘’って…呼んでください…!」



少し顔を赤くしながら、直子が言う



「あ、ああ、…わかった、…直子」



ますます笑顔になる、直子







年の差もあって、これまではまったくそういう目で見ていなかったが、この子…可愛いな…







…待て、待て待て、ちょっと待て俺



俺の目的は、あくまでもこの子を成仏させること…のはずだ



…なんだ、この感じ



何を、喜んでるんだ、俺



こんな、自分より10歳も若い女の子を相手に、こんなやりとりをして、



本気で嬉しがってどうするんだ…!



目的を見失うな、俺…!







俺は必死に自分に言い聞かせながら、直子といろんなことを話した







そしてその日は、22時ごろに直子と別れ、帰路についたのだった







「…まずいな…」



「早くケリをつけないと…」







「俺も、あの子を成仏させたくなくなってしまいそうだ…」







それだけは、あってはならない







…そう、それだけは…







…まずい



…非常に、まずい







「あの…衛さん、」



「…ん?何だ?」



「…わたし、その…こんなだから、その…こうして、会って話をすることしか、できないですけど…」



「…?、あ、ああ」



「そ、その、それでもわたし、衛さんの…彼女なわけですから、その…」



「…?」



「…衛さんが、他の女の人と、その…仲良くしたり…その、そ、それ以上のことをしたりするのは…イヤです!」



「…あ、ああ、わかってるさ」



…要するに、幽霊である自分とは、キスもエロスもできないが、それを他の女で満たされるのはイヤだ、…こう言っているのだろう







…顔を赤くしてそんなことを言う直子を、とても可愛らしいと思ってしまっている自分が、…まずい







正直なところ、俺は行き詰まっていた



あれから数日、毎晩直子と会って、2時間ほど話をして帰る日々



もちろん、そこに成仏へのきざしなど、ない



ただ、まるで中学生どうしのような清い恋愛模様が、あるだけだった



そしてそれを、とても心地よく感じてしまっている自分が…いた







このままじゃ…まずいんだけどなあ…







‘’人は、苦痛には耐えられるが、快楽には耐えられない‘’とは、誰の言葉だっただろうか







俺はまさにいま、快楽に溺れてしまいそうになっている自分に、危機感を覚えていた…







「先輩、今から、ちょっと会って話せませんか?」



中田から電話がかかってきたのは、そんな時だった



いつものおちゃらけた様子とは違う、とても真剣な声だったのが、少し気になった







「この間は、ありがとうな。それで、要件は…?」




いつものカフェで、俺は中田と会っていた



「…はい」



中田は、まるでこれから試合をするかのような表情だった



「…単刀直入に、言います」







「松下さんを、娘さんに会わせてやってもらえませんか?」







「…お前!…直子のことを…知って…」



「…はい、見てしまいました…」



「…そうか…」



ならば、もう隠す必要も意味もない…







「…最初は、先輩が東公園から出てくるところを偶然目撃したんです。…てっきり、被害者に花でも供えにいってたんだろう、と思っていました…」



「…」



「その後、あの練習の虫の先輩が、何日も道場に来ないんで、みんなが不思議がっているのを聞いて…」



「まさか、女でもできたんじゃないか…なんて言う人もいて…中田、お前、後をつけてみろよ…なんて言われまして…その、すいません…」



まあ、隠し事がバレる時なんて、こんなもんだろう…







「…実は昨晩、直子さんの父親の松下優治(まつしたゆうじ)さんが…自殺を図りました」



「…!」



「大量の睡眠薬を飲んで…発見が早かったので助かりましたが、いま中央病院に入院しています」



「…そうか…助かったんだな…」



俺は、ほっと胸を撫で下ろした



「犯人が逮捕されて、‘’これで娘も浮かばれます‘’と言っていたので…油断してしまいました…」



「…お前のせいじゃないさ…」



「…先輩!どうか、松下さんを、直子さんに…!」







あの中田が、涙を流すところを、はじめて見た







「な、直子!…直子ぉ!」



「お父さん!」



3日後、松下優治が退院した日の夜、中田は優治を東公園に連れてきたのだった







「直子…すまなかった…!…お父さん、お前を守ってやれなかった…!許してくれ…」



「ううん…お父さんのせいじゃないよ…わたしがいけなかったんだよ…」







2人だけにしてあげましょう…という中田の言葉にしたがって、俺たちは公園の反対側のベンチに腰かけていた







「これで、松下さんが立ち直ってくれたらいいっすね…」







涙を浮かべながら、そう言う中田のまなざしは、立派な警察官のそれだった…







「本当に、ありがとうございました…」



1時間ほど直子と話した優治が、俺たちのところにやってきた



「娘に言われましたよ…‘’あやうく、お父さんの方が先にあの世に行っちゃうところだったじゃないの‘’とか…‘’わたしのぶんまで、お父さんは生きてね‘’とか…」



「その、まだ夢を見ているような気分ですが…娘にそんなことを言われてしまっては…もう、あんなマネはできません…娘のぶんまで、強く生きていこうと思います」



とても晴れやかな表情で、優治は言った







「あの、高宮さん」



「は、はい」



「娘に聞きました。…その、娘と、おつきあいしてくれているそうで…」



「え、ええ、その、ご挨拶が遅れまして…高宮衛と申します、その…」



まさかこんな形で、‘’彼女の父親‘’に挨拶することになろうとは…



「…あなたの目を見ればわかります。察するに、あなたは娘のことを何とかしようと、娘とつきあってくれているんですよね…」



「え…?」



「あなたの娘を見る目は、男が女を見るそれじゃない…兄が妹を見るような、あるいは父が娘を見るような、そんな目です…私には、わかります」



さすがは年の功、というべきか…



「…娘にまた会えて、本当に嬉しかったですが…このままで、いいはずがない…」



「私には、とても娘を送ることはできません…どうか、どうか娘を…よろしくお願い致します…!」



優治はそう言って、俺に深々と頭を下げた







そして優治は、中田と共に、帰っていった…







優治の言葉を受けて、俺の覚悟は、きまった



今こそ、最後のケリを、つける時だ…







「…直子、」



俺は直子に近づき、声をかける



「衛さん…?」



俺の真剣な表情に、直子も気づいたようだった







「…俺たち、もう…別れよう…!」







俺の頭の中に、最終ラウンド開始のゴングが鳴り響いていた…!







「ど、どうして…!」



直子は強く狼狽していた



「…わたしのこと、イヤになったんですね…」



「…そうじゃない」



「ウソよ!…こんな、どこにも遊びに行けない、さわれもしない女なんて、もうイヤになっちゃったんでしょうっ!」



「ちがうんだっ!」







普段からは考えられないようなヒステリックな声を上げていた直子だったが、俺のさらに大きな叫び声に、ビクッと押し黙った



「俺も…君のことが好きだ…」



「…」



「最初は…君の成仏の助けになるかもと…君とつきあうことにした。でも、だんだん俺も…本気になってしまったんだ…」



「…だったら…」



「でも、このままだと、俺の存在は君の成仏の妨げにしかならない…それは、とても良くないことなんだ…」



「…」



「やはり君は、行くべきところに、行かねばならないんだよ…」



「でも…でも、わたし…」



直子は、泣いていた



俺も泣きわめきたい気分だが、ここで止まるわけにはいかない…!



なんとしても、この子の現世への未練を、ここで断ち切るんだ…!







「約束するよ」



「…え?」



「君があの世に行ったあとも、俺は誰ともつきあわない…誰とも結婚したりはしないよ…」



「…」



「そして…いつか俺も、君のところに行く時がきたら…必ず、あの世で君のことを探し出す…絶対に、会いに行くよ…」



「…本当に…?」



「…ああ、そしたら…」







「俺と、結婚してください…!」







俺の人生で、最初で最後のプロポーズの相手は、幽霊になってしまった少女だった







「…信じて、いいの…?」



「ああ、だから向こうで、気長に待っててくれ。だいじょうぶ、いつかは必ず、俺もあっちに行くんだからさ…」



「…はい…!」







直子の体が、光を放ちはじめた



そう、かつての、幽霊ギャルの時のように…







「もしウソだったら…」



「許さないんだからね…」



もう直子は、いつものように笑っていた



「ああ、わかってるさ…」



俺も、笑顔を返した



「…わたし、待ってます…でも、」



「ん?」



「なるべくゆっくり…来てくださいね…」



「ああ、そうするよ…」







「「それじゃ…また」」







最後のセリフは、きれいに重なった







そして直子の体は、ひときわ強い光と共に、かき消えていった…







直子が去ったあとの公園で、俺はひとり、立ちつくしていた



やっと…やりとげることが、できたな…



大きな喪失感と、さらに大きな達成感とが、俺の体を満たしていた







自宅に向かって歩きながら、俺は思った







幽霊と恋仲になる方法なんて…







あってはならない…ありはしないのだ、と…







~完~

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[良い点] 続編ってのが良かったです。 キャラクターがそのまま別世界で生きてるようで、このままその生活を追っていきたくなるような魅力あるキャラクターです。 [気になる点] 全くマイナス点無しです。 […
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