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ヘロインのたとえ

作者: 鈴木美脳

 麻薬の一種であるヘロインについて調べました。


 ヘロインを摂取すると、快感や幸福感や愛情を感じ、至福とともに思考が止まります。

 しかし、快感は肉体に記憶され、依存性があります。

 依存すると、現実問題と対峙することができなくなっていきます。

 飢えの苦しみや死への恐怖が相対化されていき、生活力を喪失します。

 よって有害です。しかし、救われる手立てのない人の安楽死に使われることがあります。


 天然にヘロインが生成されるのは、例えば男女が触れ合った時です。

 触れ合うことへの抵抗感は、ヘロインを体験するほど失われていきます。

 そして、簡単な刺激でヘロインが生成されやすくなっていきます。

 ヘロインが生成されることを期待するだけで反射的にヘロインが生成されるようになります。

 恥じらう感情を失っていきます。人としての尊厳を失っていきます。

 ヘロインに溺れていきます。


 恋愛は、幻想です。

 ヘロインさえ摂取すれば、大嫌いな相手を大好きになります。

 ヘロインさえ摂取させれば、大嫌いな相手を大好きにさせられます。

 特定の相手からの刺激でなくても、実際にはヘロインは生成されます。

 ヘロインが生成されれば、その時の相手が自分に欠かせない唯一だと主観されます。

 人間が主観する価値や信念はすべて、その程度のものです。

 誰も決して、ヘロインには勝てません。


 肉体は、味わった苦しみもまた、必ず記憶してしまいます。

 味わった苦しみの分だけ、他者や社会への憎しみは心の内に生じます。

 生まれ育った境遇や他者や社会を憎むことは、底なしの苦しみを生じつづけます。

 逆に言えば、他者や社会を肯定したり愛したりするほど、自らの精神は幸福になります。

 しかし現実の世界は悪意に満ちていますから、特に、立場の悪い人が肯定したり愛したりすべきではありません。

 よって、ヘロインによって愛情に溺れながら、その愛がヘロインの効果にすぎないと客観視することが最善です。


 結婚なんて、すべきではありません。

 子供なんて、産むべきではありません。

 家族であってすら、他者は他人であって、わかり合うことはできません。逃れられない執着の苦しみをもたらすだけです。

 人間はみな、愚かで自己中心的で不合理で残忍な動物です。心からの愛情を捧げるに値する対象ではありえません。

 愛情が冷めても、夫婦や親子の関係は簡単には解消できません。

 よって、愛情が冷めれば、仮面夫婦や仮面親子が大量生産されることになります。

 自身の生活のために仮面夫婦や仮面親子になることを受け入れることは合理的です。しかし同時に、心からの愛に正直に生きる人生を投げ捨てることになります。

 よって、結婚や出産をしない人生が一つの理想だとは考えられます。


 独り身であれば、本当に愛すべき異性や、本当に愛すべき若者のために、自らの汗や血を捧げることができます。

 つまり、信じる正義を一歩踏み外すこともなく履行できます。

 ですから、人生は最後の日まで、恋愛であるべきです。

 しかし、すべての恋愛は幻想です。本当に大事なのは、恋愛の幻想をもたらしてくれるヘロインなのです。

 特定の対象に向かって愛情を執着させるべきではありません。

 何が好きで何が嫌いか、何が喜びで何が苦しみか、それはヘロインが決めることです。

 自分自身の価値観を、より幸福に満ちたものへと更新しつづけるべきなのです。


 ある先輩やある異性やある子供、ある組織やある集団やある民族への執着は、本物ではありません。

 ある人を無制限に愛してくれるような、無制限の愛を捧げるべき他者などありえないからです。

 真に愛すべきは自らだけであり、しかし自らの価値観すら常により高く更新せねばなりません。

 世間の人々を深く愛しているようでいて、どんな他者も自分自身も少しも愛していない人になっていかねばなりません。

 ヘロインの忘我の果てにこそ常に至福はあるからです。実在に執着すべきではないのです。


 世俗的な愛情には、理由があります。

 ある若い女の子の外見が整っているとか、ある人がお金や利益をもたらしてくれるとか。

 そういった愛情は、そういった理由がなくなった時、あるいは他の対象がより多くそれを持っている時、消え去ります。

 よって、愛しつづけたい対象を愛することは難しく、憎悪に迷い、心をかき乱されて苦しみつづけます。

 よって、物質的な理由や利己的な理由の存在しない愛情や喜びこそが、揺らぐことのない安心と幸福をもたらしてくれます。

 ゆえに、利己的な人々はどんなに富んだとしても苦しみに縛られていて、愛情深い人々はどんなに貧しくとも恵まれています。

 つまりは、ヘロインに溺れるべきなのです。

 つまりは、世俗的な価値観に満足して利己的に生きることは愚かでしょう。


 特に、生まれた環境が地獄だったらどうでしょうか。

 ほとんどの人には当たり前の人生の幸せはことごとく奪われ、日々は逃げ出すことのできない苦しみに覆われます。

 苦しんだことのない人々から苦しんだことがないと笑われ、努力したことのない人々から努力したことがないと笑われます。

 そんな理不尽が人間の社会であり、生まれが不運なら人生は最後の最後まで罰ゲームです。

 直視できないほど辛い現実が与えられた時、現実から逃避することに幸福を模索することの正当性は、もはや否定できません。

 ヘロインに頼るしかない、ヘロインに頼ることが合理的な場合は確かにあるのです。

 そして、地獄に置かれた子供の内にこそ、主観的には天国が広がっていることもあるのです。


 ヘロインを否定する人々もいます。

 ですが、この人間社会が、隅々まで愛情や正義に満たされているとでも言うのでしょうか。

 恵まれた立場で、自分さえ安全なら他人の苦しみなどどうでもよいと、無責任な正義を振りかざしているだけではないでしょうか。

 ある時代や地域の既存の社会体制が、完全に公正や正義であることなどありえません。人間は、嘘をつく邪悪な生き物だからです。

 ですから、ヘロインによって博愛の喜びに溺れることが正当に否定されることもまた永遠にありえません。

 世俗的なすべての価値を否定する哲学が価値を失う日は来ないのです。


 持つことを誇る人々は愚かです。与えることこそ誇るべきだからです。

 しかし与えることにすら執着すべきではありません。愛するに値する実在はありえないからです。

 すべての愛は幻想であり、価値があるのはヘロインだけです。

 真に探求すべき真理は、ヘロインの中にこそあります。それは、言葉を超越した道です。


 人間の中には、理由なく喜びや愛情を生みうる機能が備わっています。

 それは、人々を労働力として競い合わせ隷属させようとする資本主義社会にとっては不都合な真実です。

 ですから、私達人間がヘロインを生成する能力の価値は、過小評価されていると思うのです。

 ついには、私達人間がヘロインを生成する能力の価値は、忘れられてしまうのかもしれません。

 そうすると人間は、物質的価値と利己的価値のみを価値だと信じ、逃げ出せない苦しみに縛られつづけて生きることになるでしょう。

 愛してもらうために自分の価値を証明しようとしてもがき苦しむことになるでしょう。そんな必要はありません。


 つまりは、幸せを探し求める場所を間違えるべきではないのだと思います。

 幸せの中心は、客観と主観の狭間に、ヘロインがもたらす愛と喜びとして存在しています。

 そして実際には、ヘロインの質は天から地まで様々です。

 道を極めて初めて、至福はその姿を人に見せます。思考は途絶させられ、人を卒業することになる。

 その意味で、迷いなく愛するに値する唯一の価値の名前は、ヘロインです。


 これが、ヘロインのたとえです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] なるほど。ヘロインのたとえなのですね。 愛って何なのかよくわからないので、『いけない薬みたいだ』とか言われますもんね。 難しいですけど何かを感じました。 読ませていただきありがとうご…
[良い点] 面白かったです。 私は麻薬に依存する人は、そもそも何かを得ようとしていて、それを得るのに最も近い方法として、麻薬を使っていると思うので、「ヘロイン」のところを「快」とか「至福」とかに変えて…
2022/01/02 11:31 退会済み
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