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不器用者の恋  作者: Bun
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0、プロローグ


<0> プロローグ


あぁ、最悪だ。

なぜ、私がこんな目に遭わにゃぁならんのだ。

私、小渕円はチッと舌打ちをした。

社会人になったとき、下宿先を今の場所にしたのは、ほんの憧れからだった。

坂道を上った先にある、小高い丘の上の赤い屋根のアパート。部屋の窓を開けたとき、自分の街を一望できるその景色に、私は心を動かされた。築年数は古いし、駅から徒歩15分もかかるし、セキュリティーだって最新のものがついてはいなかったが、昔見た映画の一風景のような、その部屋を即決したのだった。

「でもさ!そん時は!こんなことになると!思ってないよね!」

私は、声を張り上げながら、汗をまき散らし、坂道を降りた。

それもそのはずだ。私の左足には重厚な包帯が巻かれ、左手には松葉杖が握られていたのだから。


「ぎゃぁぁぁ!!」

怪我をしたのは不運以外の何物でもなかった。

二年前から務めるその会社は小さな出版社だった。景気が低迷する中、小さいとはいえ、自分の希望職につけた私は幸運だったに違いない。

だがしかし、弱小だからこその悩みは尽きぬもので、あの日も上司に押し付けられた雑用を強いられていたのだった。何年も整理されていない資料室。雑多に置かれた書類の仕分けをしているとき、事件は起こる。

頭上に落ちてくる、書類入りの段ボールの山。

もともと、そんなに運動神経の良くない私は、クリーンヒットは免れたもの、飛び逃げるときに軸足になった左足が見事に下敷きになったのだった。

骨折はしなかったものの、全治一か月の怪我。固定はしなければならず、今に至る。

それでも、会社には出社しなければならない。それが資本主義の理だ。そして、場面は初めに戻るのだった。


「くそ…。なんで、こんなに駅から遠いところに住んでるんだよ!私!普段でも15分はかかるのに!今なら、もれなく30分はかかるじゃないか!!くそっ!くそっ!くそっ!!」

夏の日差しがまだまだ残っていて、私の頭を焦がす。

折角、塗りたくった化粧もこれじゃぁ台無しだ。

現在位置は、坂の中腹。道のりはまだまだこれからだった。

私は立ち止まり、息を整えた。

目の前に広がるのは、気に入った風景だ。

「でもさ、いい加減…私も大人にならなきゃね。」

私は独り言を言う。

そうなのだ。どんなに映画や小説の場面にあこがれたって、私が生きているのは現実だ。そんな出会いがあるわけない。

そんな出来事があるわけなんてないのだから。

私はため息をつく。そして、再び歩き出したのだった。


すーっ。


目の前を風が通り抜けた気がした。

私は目を見開く。

すると、一台の自転車が坂の下を通り抜けていった。

運転手である青年が私のほうをちらりと横目で確認する。一瞬、視線が合ったような気がした。

その時間は一瞬であり、刹那的なはずだ。

でも、私には時間が止まって見えたのを覚えている。


時が進む。

もちろん、自転車は瞬間的に通り過ぎた。

今の出来事は何だったのか?

私は我に返り、再び足を進めた。

それからほどなくして、坂の下に降り立った。相当な運動量だ。これで、行程の三分の一だ。たまったもんじゃなかった。

「はぁぁ…」

「ねぇ、怪我してんの?」

急にかけられた声に、私はびっくりして顔を上げる。

視線の先にいた声の主。私は再び目を見開いた。

「き…君はさっきの?」

そこにいたのは、先ほど走り抜けていった、自転車に乗った青年だ。よく見ると、だれもが知っている、この辺で一番の進学校の制服を身に着けていた。

青年ではなく、少年?か?

「あんた、そんなんでどこ行くの?まさか、駅にでも行く気?」

少年は興味なさげな様子で、自転車にまたがりながら話をつづけた。

「そう…だけど?」

「そんなスピードで、間に合うの?」

「しょうがないじゃない。いかなきゃいけないんだから。金稼がなきゃ生きていけないの。だから、必死に歩いてるの、見てわかるでしょ。」

なんだ、此奴。

仮にも年上だってわかるだろ?

私はなんだか腹が立ってきたので、きつめな口調で言ってのけた。

「じゃぁね。私、行くから。」

そういうと、荷物を持ち直し、松葉杖を前に出す。すると、持ち上げたかばんの中から、鍵がぽろりと落ちた。

なんなんだ、まったく!!

私ははぁぁとため息をつくと、たどたどしく、その場に座り込み、鍵を拾う。

その体制が悪かった。

次は、カバンごとひっくり返してしまった。


あーぁ、泣きそうだ。


私は涙目で空を見上げた。

カサリ。

隣に人の気配を感じる。

私が視線を戻すと、そこには先ほどの少年がしゃがみこんでいた。無表情で私のカバンの中身をかき集め、カバンの中に収納する。そして、自分の自転車のかごの中にぽいっと私のカバンを入れた。

「どんくさすぎない?」

そういうと、私に向かって手を差し伸べてきた。

「う…うるさいわね。」

「ほら。」

ん、っと手を伸ばす少年。私はしぶしぶ彼の手を取った。

思っている以上に、大きな手をしていた。

その場で立ち上がると、少年は私の松葉杖をつかみ、自転車の前かごにうまく入れる。

「何、してるの?」

「乗れば?」

質問に質問で返してきやがった。

「は?」

「だから、乗れば?遅れそうなんでしょ。ここから駅までなら五分もかかんないし。」

少年は親指で補助席を指さした。

「で…でも。」

「早くして。俺にも登校時間てやつがあるんだから。」

いちいちかわいくないやつ。

でも、まぁ。この好意は正直ありがたい。私は素直に受け取ることにした。

いつぶりだろうか?

私は少年の自転車にまたがった。

何も言わずに発車した自転車。

吹き抜ける風が気持ちよかった。

巻きつける腕。

思った以上に大きな背中。

少年は何も言わずに、ペダルを漕いだのだった。


駅前に車体が滑り込む。

少年は、私が下りるほうに自然と車体を傾けてくれた。

「あ…ありがとう。」

私が下りたあと、無言で車体を止め、荷物を手渡してくれた。

「ん。」

「あっ、ごめんなさい。ありがとう。」

「いいよ。明日からは、もっと計画的に家を出なよ。大人なんだからさ。」

「あなたねぇ…さっきから一言も二言も余計なのよ!!素直にお礼言ってるでしょうが!!」

私はきっと目を吊り上げて怒る。少年はそんなこと気にならないように涼しげな顔をしていた。

「じゃぁ、俺行くから。」

自転車にまたがった少年は、颯爽とロータリーを抜けていった。

私はあわてて少年に声をかける。

「おっ…送ってくれてありがとう!!助かった!!いってらしゃい!!」

ちらりとこちらを見る少年。右手を挙げて、小さく左右に振ったのだった。


「あーぁいっちゃった。なんだったんだろうね。」

私は一人小さくつぶやく。

そして、再び空を見上げた。

太陽がすがすがしいと思えたのだった。

「さて、働きますか。」

荷物を担ぎなおし、一歩を踏み出す。足取りが先ほどまでより軽いことに、私は単純だと内心笑っていたのだった。





不器用者の恋






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