第13話 第一王子
浴場を後にして、先ほども通った王宮内の廊下を並んで歩いていると、正面から何者かが一人こっちに向かって走ってくる。
「カラ兄ーー!」
前方から走ってきたのはサラサラの金髪の高校生くらいの男の子。
体格はやや細身でフリルのついた真っ白なブラウスを着ており全体的に王子様のような雰囲気が漂っている。
「よう、エヴァ」
カラは立ち止まると、目の前に走り来た『エヴァ』と呼ばれた金髪の男の子に優しい笑顔を向けた。
(弟、なのかな?)
二人の顔をそれとなく見比べるが、鋭い目つきのクール顔のカラと、まんまるお目目のアイドル顔のエヴァ君では『整った顔立ち』という部分こそ共通しているが、似ているとは言い難い。
年齢差も10歳はありそうだ。
「カラの弟?」
エヴァ君から視線を外し、カラの顔を見て尋ねた。
「違う。エヴァルド・レニ。この国の第一王子だ」
抑揚のないカラの言葉に、私は軽い驚き顔でエヴァ君を見た。
(服装が王子っぽいとは思ったが、正真正銘の王子様とは)
「初めまして神子様」
エヴァ君は頭を下げることはせず、アイドルがファンに向けるようなキラキラした笑顔を私に向けてきた。
(さすが、王子様。笑顔が眩しい)
「女神子様と聞いて、肖像画に描かれた若き日の母様のような方を想像していたのですが……残念です」
キラキラ笑顔のまま、小首を傾げ、少々落胆した表情をのぞかせる様はまるで小悪魔のようである。
(はぁ!? 何が「残念です」だ、このマザコン王子が!)
腹わたが煮えくり返るが、そんな姿はおくびにも出さず平静を装い、顔に笑顔を張り付かせた。
本心を隠し、無言で微笑み合う私とエヴァ君の間に見えない火花が散る。
「俺は気に入っている」
私とエヴァ君の無言の戦いを気に留めることなく、カラはフッと笑って私の方を向く。
「あんたは黙ってて!」
キッと睨んで、私は噛み付くように言い放った。
そんな私の姿を面白がってカラは「ハハハ」と笑う。
私たち二人のやりとりを見て、エヴァ君が驚いた顔をして
「カラ兄が、笑ってる__」
とポツリと呟いた。
「じゃあ、俺たちは屋敷に戻る。またなエヴァ」
カラは本当の弟に向けるような優しい笑顔を向け、軽く右手を上げた。
「え、俺たちって。神子様もカラ兄の屋敷に行くのですか!?」
まんまるな目を更にまんまるにして、エヴァ君が真剣な表情で前のめりに距離を詰めてくる。
「ああ。こいつが王宮に住むのが嫌だって言うからな。俺の屋敷に住むことになった」
カラはエヴァ君の真剣な表情など気にせず、私を親指で指し示し、笑顔を浮かべながら楽しそうに話す。
カラがこんなに楽しそうにするなんて。実の弟ではないけど、彼のことが可愛いんだろうな。
しかし、この国の第一王子がなぜカラを「兄」と呼ぶのか、不思議で仕方ない。
王子が従者である一騎士を兄として慕うこと、兄と呼ぶことに違和感を感じていた。
「エヴァ君はどうして、カラのことを『兄』って呼ぶの?」
優しく問いかけたのだが、エヴァ君は大きな瞳を鋭く細めてキッと私を睨み
「カラ兄が俺の実の兄になるべき人だからだ!」
と乱暴に言い放った。
(え、何! 思いっきり私に敵意が向けられてない!?)
あまりの変わりように一瞬たじろいでしまった。
「お前のような年増女にカラ兄は相応しくない! カラ兄にはフィオナ姉様が一番相応しいんだ!」
可愛い顔を怒りに歪めならが、突っかかってくる。
(こいつ、マザコンだけじゃなくシスコンでもあるのか!)
私が何も反論せずにいたところ、隣にいたカラが一歩前に進み出て
「エヴァ、俺は久しぶりに穢れ人と戦って疲れている。これ以上お前の相手はしていられない」
と先ほどとは打って変わり、冷たく突き放した言葉を投げた。
「チホ、行くぞ」
「え、でもエヴァ君」
「放っておけ」
エヴァ君の存在を無視して、カラは彼の横を素通りして進んで行く。
私は今にも飛び掛かってきそうなエヴァ君の横を恐る恐る通り、カラの背を追った。
チラリと振り返りエヴァ君に視線を向けると、憎々しげな顔をして私たち、いや、私を睨んでいる。
(シスコンとはいえ、なんでこれほどまでに敵意を向けられないといけないんだ?)
カラの背中を追いながらも、その疑問は私の中で渦を巻いていた。
角を曲がり、エヴァ君の姿が見えなくなったので
「フィオナ姉様って、エヴァ君のお姉さん?」
とカラに尋ねた。
「ああ。エヴァの実姉でこの国の第一王女だ」
カラの声はかすかに怒りが込められており、どことなく冷たい。
「王女様だったら決められた婚約者とかいないの?」
「いる。王女はフラネイル国の王子と婚約が成立しており、半年後に婚礼の儀が催される」
「それなのに何故?」
「姉と離れたくないからだ」
カラは歩みを止めることなく前だけを見て、平淡な声で言う。
(ガチのシスコンかよ!)
カラはさっきよりも足早に、まるで何かから逃げるように進んでいく。
慣れないヒールでついて行く私は「少しくらい配慮しろよ」と言いたいが、とても口に出来る雰囲気ではなかった。
言葉だけでなく、カラの背中からもピリピリとした怒りが感じられたからだ。
「お婿さんを貰えばよかったんじゃないの? もしくはこの国の上流貴族の息子に嫁ぐとか」
必死にカラの後を追いながら尋ねる。
「この国の者が王女を娶るには条件がある。その条件を満たす人物は一人しかいなかったが、そいつは王女との結婚を拒否した」
カラは足を止めることも振り返る事もせず、返事だけを私に寄越した。
前だけを見つめる瞳が何を映しているのか、どのような光が宿っているのか、彼の背を追うことに必死の私に確認することは出来ない。
「えー、勿体無いなぁ。国王になれたかもしれないのに。あ、でもエヴァ君がいるから国王は無理か」
「いや、王女を娶る者が王位継承第一位だ」
「じゃあ、やっぱり勿体無いなぁ。そうなると、次期国王は王女様の結婚相手のフラネイル国の王子なの?」
「違う。王女はこの国を出てフラネイル国の王家に嫁ぐ。フラネイルの王子がこの国に来るのではない」
「そうか、エヴァ君はお姉さんと離れたくないから、カラと一緒になってほしいんだもんね」
「何度も無理だと言っているが聞く耳を持たない。あと、この国では王女が臣下に嫁ぐことは出来ない」
「なるほどね」
「それに、俺は女には興味がない」
「え……まさか、男が好き……とか」
「あんたなぁ」
先を行くカラが足を止め振り返り、ものすごく呆れた表情を向けられた。
「俺は守られる事が当然だと思っている女が嫌いなんだ。あとはあんたと同じで肩書きに寄ってくる奴が大嫌いなだけだ」
カラはそれだけ言うと再び前を向いて歩き出した。
歩き出したカラはエントランスを前にして左に曲がり、白い壁に囲まれた簡素な廊下を進み始めた。
真っ白な廊下の左右に扉は一つもなく、窓も天井近くにあるため外の様子を窺うことは出来ない。
(ここは何処なんだろう?)と辺りを眺めながら進んでいると、前方に木製の片開扉が見えた。
カラが把手に手をかけ、扉を開ける。
扉の先は外で、またしても見たことのない場所だ。
足元は石畳の簡単な小道になっており、右手には私の身長の倍ほどの高さがある鉄製の柵がそびえ、その柵の向こうには表の庭園が広がっていた。
陽が落ちすっかり暗くなっていたが、庭園に設置された複数の松明の火が周囲を明るく照らしている。
石畳を進むカラの背中を追って行くと、城壁の一部に木製の扉が見えた。
扉の傍らには小さな詰所があり、兵士が一人立っている。
私たちが扉のそばに寄って行くと
「カラ様、おかえりなさいませ。本日もお疲れ様でした」
兵士が恭しく頭を下げた。
「ああ。変わったことはなかったか?」
「はい。何も異常はございません」
礼儀正しく兵士が告げる。
「そうか。俺から一つ連絡がある。今日からこいつがレイーニア家で暮らす事になった。ここを頻繁に使用するから全員に周知しておけ」
「は! かしこまりました」
兵士は直立不動の姿勢で返事をすると、すぐさま扉を開けた。
「ここを使用する者はレイーニア家の者とレイーニア家の使用人だけだ」
「お屋敷にはカラ以外にも誰かご家族がいるの?」
わずかな間を置いて、
「……両親がいる」
と静かな返答が返ってきた。
(何故、そんなに嫌そうな言い方をするんだ? いい年した男が両親と同居っていうのは恥ずかしいものなのか?)
不思議に思いながら、私はレイーニア家へと通じる扉をくぐり抜けた。