19話後半 アリシアさんは看病が苦手!
アリシアさんが出て行った部屋は静寂に包まれていた。あの人がいないだけでこんなに静かなのかと感じるほどに。
さて、ここからが大変なところだぞ。さっきの数分間で、アリシアさんが家事が全くできないということが判明した。
しかし、馬鹿な僕はそんな彼女を悲しませたくないがために、看病をやる気にさせてしまった。
ここからはどんな恐ろしいことが起こるのかわからない。パワープレイが多い彼女のことだから、キッチンで包丁を扱っていたら手元が狂って部屋まで飛んでくることも考えられなくはない。
ベッドの上にいるのになんだか気持ちが休まらない。一瞬の油断も許されない。熱のせいなのか緊張のせいなのか、額から汗が流れている。
「ダメだ、落ち着かないから本でも読もう……」
僕はベッドから起き上がり、自分のバッグに入っていた小説を取り出した。ベッドに倒れ込み、ページを開く。
静かな部屋に、ページをめくる音だけが響く。パラリパラリと音がして物語が進んでいくが、なんだか僕の気持ちは落ち着かなかった。
これアレだ。風邪で休むべきなのに起きて本を読んでることからくる罪悪感だ。そう思うとなんだかいけないことをしているような気がしてくる。
僕は黙って本を閉じた。この良心の呵責を抱えながら物語を楽しむなんてできるわけがない。大人しく寝るか……。
「ユート君! おかゆ作ったよ!」
作ってしまったか……。
部屋を開けたのはニコニコと笑顔のアリシアさん。さっき褒められたのがよほど嬉しかったのか、屈託のない満面の笑みだ。
いや、待てよ。リンゴの皮を剥くのが苦手なアリシアさんでも、さすがにおかゆくらいは作れるかもしれない。もしかしたら彼女が持っている土鍋の蓋を開けたら中には美味しそうなおかゆが……。
「はじめて作ってみたけど、美味しくできてたらいいな!」
ああ駄目だ。初めてとか言ってる。僕のかすかな希望はあっさりと否定されてしまった。
「それっ! オープン!」
アリシアさんはミトンをはめて手で土鍋の蓋を開けた。僕は目の前の光景に唖然とした。
中に入っていたのは紫色のドロドロだった。はっきり言ってヘドロにしか見えない。何故かマグマのようにグツグツと沸騰し泡立っていて、毒ガスのような煙を放っている。
具材はというと、ハエトリグサのような奇妙な植物が少々、米にはもみ殻がついているままだ。そして極め付けに、小動物の骨のようなものが入っている。僕にはウサギの骨にしか見えない。これどこから取ってきた食材? 地獄?
……なんだろう。僕はもしかしたらアリシアさんに恨まれているんだろうか。なにか過去に悪いことをやってしまって、それの仕返しをされてるんじゃないだろうか。
「隠し味があるから、何を入れたか当ててみてね!」
アリシアさんは相変わらずニコニコとしている。悪意のようなものは感じないし、僕に対する仕返しではないのだろう。
僕は震える手でれんげを持ち、恐る恐るおかゆをすくう。ドロリという感触が手に伝わり、鳥肌が立つ。
ダースが前に言っていた。『看病イベントは最高だ。女の子が家にやってきておかゆを作ってくれるのとか最高だよな!』と。大嘘じゃないか。僕は強くダースを呪った。
「……もしかして、食欲ない?」
れんげに乗ったおかゆとにらめっこをしていると、アリシアさんが言った。
「……あ、いや、その……」
「食欲がないなら無理して食べなくても大丈夫だよ、ごめんね。なに張り切っちゃってるんだろ私……」
たじろぐ僕に、しょんぼりしたように言うアリシアさん。そんな悲しそうな顔をされたら食べるしかなくなるじゃないか!
ええい! ままよ!
僕は紫色のおかゆを口に放り込んだ。土鍋を掴み、一気に全部かきこむ!!
「!?!?」
電撃が流れるような感覚。僕はその場で気を失った。
*
それからどれくらい時間が経っただろう。僕が目を覚ますと。
「あ、ユート君……!」
僕の視線の先にいたのは涙目のアリシアさんだった。僕が起きたのを見て、スッと顔を近づけてきた。
あれ、なんでアリシアさんの顔が真上にあるんだ? それに、なんだかベッドの感触がおかしいような……。
花のようないい香り、柔らかい感触。そしてなぜか熱を持っている。この落ち着く感じはまさか……。
そこで気がついた。僕はアリシアさんに膝枕をされていると。
「うわ! なんで膝枕してるんですか!」
「ごめん! なんだか苦しそうだから私にできることはないかと思って……嫌だった?」
嫌じゃないけどさ……なんかドキドキしてしまう。僕は声を上げて起き上がってしまったので、もう一度吸い寄せられるように膝枕に頭を乗せた。
「……なんでもう一回寝たの?」
「なんとなく?」
決してやましい気持ちなんてないぞ。ただ、この膝枕は最高すぎる。体が吸い寄せられてしまったのだ。
「そうだ! 私が調子に乗って変な料理を作ったばっかりに……体調は大丈夫!?」
焦ったようにまくし立てるアリシアさん。幸い体調に問題はなさそうなので、大丈夫だと告げる。
「よかったあ……どうなるかと思ったよ」
僕の返答に、アリシアさんは一気にホッと胸を撫で下ろす。よほど心配だったらしい。
「ごめんね、ユート君。気を使わせちゃったよね。褒められて嬉しくって……美味しくもない料理を無理やり食べさせちゃった」
悔しそうに言うアリシアさん。双眸からは涙が溢れそうだ。
僕は膝枕から起き上がり、アリシアさんの目を見つめた。
「……たしかにアリシアさんの料理は殺人的で、材料になに使ってるんだろうとかどう調理したんだろうとか思いましたけど」
それは事実だ。でも、彼女の言っていることは半分間違っている。
「でも、アリシアさんの料理を食べたのは無理やりじゃなくて、僕のために作ってくれたのが嬉しかったからですよ」
「……本当に?」
「本当です。だからそんな悲しそうな顔をしないでください。僕も共犯みたいなものですから」
「……きっと私を慰めるための嘘じゃないんだよね。ありがとう」
瞳に涙を浮かべながらも、アリシアさんは頬を緩めた。
「ぐえっ……なんかまた体の調子がおかしく……!?」
「ユート君!?!?」
僕はこの後また気を失うというトラブルがあったが、不幸中の幸いで、そのおかげでぐっすり眠った僕はわずか数日で風邪を治したのだった。
アリシアさんのおかゆも捨てたものじゃないのかもしれないね。もう二度と食べないけど。




