58話前半 人間は互いを埋め合う!
「あああ……あああああ」
さっきまで魔王が立っていた場所には、一人の青年が立っていた。全身がボロボロで、夜のような色をしたローブが破けている。正体は簡単に予想できた。
「これで終わりだ……魔王!」
僕はアリシアさんから離れ、人間の姿になった魔王を見据えた。
彼は肩で息をすると、膝から崩れ落ちてしまった。
「な、なぜだ……完璧な人間である余が、貴様らゴミみたいな下等な人間に……!」
そのまま力なく両手両足を地面につけ、悔しそうに地面を叩く。変身が解けてしまったのがよほど悔しかったように見える。
だが、こうなって当然だ。この男は『わかっていない』。
「魔王。教えてやる。人間というのは、不完全なものなんだ」
「人間は不完全だと……? そうだ、そんなのは醜い生き物だ!」
「違う! 人間は欠けているからこそ、その欠点を埋め合わせて生きていくものなんだ!」
僕たちの中に、完璧な人間なんていない。
アリシアさんはスライムが苦手で、ドジで、謎に自信家で、ポンコツ。おまけに時々ストーカーなんかもする。
リサは馬鹿。うるさい。天才アピールをする割にはアホだ。
ダースは論外。
マツリさんだっていざというときに眠ってしまうし、ロゼさんはドジばっかり。
ギルバートさんは、自分の気持ちを伝えるのが得意ではないと思う。不器用だ。
僕とて、完璧な人間ではない。でも、そんな完璧ではない存在だからこそ、集まった時にあのパワーが生み出せたのだと思う。これまでも、ずっとそうだった。
「僕たちは何かが飛びぬけていたり、欠けていたり、パズルのピースみたいに決して綺麗な形をしていないんだ。だけど、それが寄り集まって、新しいものが生まれる。人間ってそういうものなんだ」
魔王はぜえぜえと息をしながら、僕の顔を真剣なまなざしで見つめた。
「……あの男のようなことを言うな、お前は」
そう言うと、地面に倒れる。力なく仰向けになって、空を見上げた。
「余は――私は、完成されたものこそが美しいと思っていた。一人でどんなことでも出来る人間こそが最も素晴らしいと考えていた。私は、間違っていたのかね?」
「間違ってなんかないさ。一人で何でもできる、完璧な人間がいたらそれは美しいと思う。でも……本当にお前は、完璧になりたかったのか?」
魔王はハッとした表情になる。少し唸って、空を見ながら何かを考え始めた。
「……私は、完璧になりたかったのだ。誰よりも強く、誰よりも知能を持ち、誰よりも才能に恵まれていれば……私は愛されるのではないかと思ったのだ。ワタナベカケルのようにな」
「……私のおじいさんのように?」
「ああ。あの男はいつも幸せそうだった。私より才能も力もないくせに、いつも誰かがそばにいて、全てを手に入れた私よりも満たされていて――」
魔王はマツリさんのおじいさんのことを羨ましそうに語った後、また静かにうつむいた、
「……私は、誰かに愛されたかっただけなのかもしれないな」
「誰かに?」
「そうだ。完璧な人間になりたかったわけではない。誰かに愛されて、満たされていればそれでよかったのかもしれぬ」
きっとこの男は、今までまともに他人から愛されたことがなかったんだろう。自分の能力あって、プライドが高くて、他人との距離を作ってきたならなおさらだ。
「『人間は欠けているからこそ、その欠点を埋め合わせて生きていく』か。面白いことを言うな。少し前の私なら戯言だと一笑に付していただろうが、今は違う。
私に足りなかったのは、きっと他人と向き合うことだったのだろうな。自分よりも能力の低い人間を見下さず、心を通じ合わせる。それを怠ってきた結果なんだろう」
『そして、それを一番に実行していたのは、他でもないあの男だったな』と付け加えて、魔王は少し愉快そうに笑って、また押し黙った。
「結婚とか、してなかったの?」
「ずっと前に一度だけしたことがある。娘もいた。だが……二人とも体が弱くてな。妻は娘を生んだ時に、娘は子供のころに私を置いて先に行ってしまった」
寂しそうに語る魔王を見ると、双眸からボロボロと滝のように涙がこぼれているのが見えた。あれだけ圧迫感があった魔王が、泣いているのだ。
「しかし――私に二人を愛しているという資格はない。昔はこんな感情、ただの熱病のようなものだと思っていたからな。家庭を省みず、自分勝手に生きてきてしまった。そして失った時に気付いたんだ。その時にはもう遅かった」
「遅くは、ないと思いますよ」
悲しそうに語る魔王に、アリシアさんが一歩前に出て言った。
「私も、失くしてからその大切さに気付いたことはある。そばにあると、なんとなく忘れてしまうような尊さに、失くした後で気付く。それって、誰でもあることだと思うんです」
僕もかつて、パーティメンバーを失くして、彼らと過ごした日々の尊さを思い出した。
「でも――失くしてしまってからが大切なんです。後からでも、大事に思っていた気持ちは大切にしてあげるべきなんです。抱きしめるみたいに、その感情と寄り添って生きていかなければいけないんだと、私は思います」
アリシアさんの言葉を聞いて、魔王は涙をぬぐった。怖かった魔王が嗚咽を漏らすのを見て、僕はなぜか心臓がドキドキするのを感じた。
「そうか。遅すぎることなど、ないのだな。……私は妻を、娘を愛していた。心の底から、大好きだった。私は完成された人間などではない。彼女たちに会うためならなんでもしたいと思えるほどの、過去にとらわれた一人の人間だったよ」
街を見下ろすほどの巨人は、等身大の一人の男に姿を変えて、一粒の涙で地面を濡らした。
そこには、かつての魔王の面影はなく、ただ一人の父親の姿があった。
彼の姿を見ていると、なんだか不思議な感情が湧き上がってくる。ある種の同情のような気持ちだ。僕はこの気持ちに名前を付けることができなかった。
「どうやら、そろそろ時間みたいですね」
その時、僕の体からぬっと魂が抜けて、カスミが姿を現した。




