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≪優≫

「ちなみに火事の時の辻さんの様子を覚えているかい?」


 思い出したように顔を上げ口火を切る阿諏訪に、真火と島田は居住まいを正し記憶を探る。


「ええと、ミスズは上級生だったから、避難の指示を出してたよ。下級生の面倒見たり、怪我人の手当てをしていたと思う」


「そう! ダイちゃんのその顎の傷も、私とミスズで手当てしたんだ」


「そうか……」


 島田の古傷は口元から顎に一直線に走っている。縫合の跡があるそれは子どもが抱えるには大きすぎる痛みだっただろう。その手当てというのは、真火の記憶に残るほど大変な作業だったに違いない。


「マホちゃん、それは覚えてるのに合宿の間のことはさっぱり覚えてないんだ?」


「火事が印象強すぎて、他のことを思い出せないの」


「マホちゃんはいい子だったから、ショックで忘れちゃったのかもなあ」


 いい子、という言葉に真火はむっとした表情を島田に向けた。


「ダイちゃんそれ嫌味?」


「まさか。怒らないでよ」


 二人の言い合いをやんわりと止めるように、阿諏訪はパソコンを閉じた。


「今日はこれくらいにしよう。二人ともいろいろ教えてくれてありがとう。さっきも言ったように、これからはこの三人で情報を共有しようと思う」


「じゃあヨウ先生の連絡先教えて。俺のSNSアカウントも教えるから」


 そう言ってスマートフォンを弄りだす島田に真火が抗議の声を上げる。


「あっちょっとダイちゃんずるい! 先生、私のIDも登録しておいて下さい。今日みたいにまた校内を探し回られたら恥ずかしいので……」


「ぷっなんだそれ」


 真火は拗ねたような表情でそっぽを向く。阿諏訪が真火の連絡先を知らなかったせいで、あらゆる教室で真火が居ないか学生に訊ねて回ったことを根に持っているようだ。「ごめんごめん」と頭に手をやる阿諏訪に真火はさらにたたみかける。


「あの後友達にからかわれました! 彼氏かって。気を付けてくださいよ、もう」


「こんなおっさんがそんな誤解されるかな」


「されるんです! 先生童顔なんだから!」


「何それ超うけるんですけど」


 確かに、学生と肩を並べていると友人同士に間違われることが多々ある。阿諏訪は降参するようにそれ以上何も言わなくなった。



 店で島田と別れた後、阿諏訪と真火は大学に戻るため西日が射す煉瓦通りを歩いていた。二人の在籍する私立K大学は過去に貿易で栄えた港町の片隅にある。都会でもなく田舎でもない町に一年も暮らしてみると、その快適さに根を下ろしたくなってくる。阿諏訪はこの町が気に入っていた。


 真火は潮風に揺れる髪を片手で押さえながら阿諏訪に語りかけた。


「ねえ、先生。面倒事を持って来た私のこと恨んでます?」


「そんなことないよ」


 仮にそう思っていたとしてもその聞き方だと肯定できないだろう。阿諏訪は苦笑を浮かべ真火に向き直る。


「先生は昔から優しいですね」


「それはどうかな。優しさの感じ方は人によって違うからね」


 本当に優しかったら、あの火事のことを掘り返そうとしていない。御堂のように可能性のままで留めておく方がどんなに子どもたちにとって優しいか。


 死の予言。恩師の失踪。十年前の火事の原因。


 葬られた真実の小さな欠片を、阿諏訪はその手に血を滲ませながらも握りしめている。


「ミスズ……事件に関わってないよね? だってミスズはいつも優しくて穏やかで、大人になってもそのままだよね?」


 真火の祈るような独り言を聞いても、阿諏訪はうんとは言えなかった。人は変わってしまうものだ。いい方にも、悪い方にも――。


 阿諏訪は真火に気付かれないよう、そっとため息をつく。潮風がまるで煽り立てるようにはみ出したシャツの裾を靡かせていた。



 *



 轟音と熱風の隙間から、真火は目的の人物を見つけ出し声を上げる。


「ミスズ!」


 その声に振り向いた女子は煤けた頬を緩ませて笑う。炎の映る眼に涙が溜まっていき、可憐な顔に一筋の線を描いた。


「ああ、マホ! 無事で良かった。怪我はない? 気分はどう?」


 ミスズは駆け寄ってくる真火を抱き留め、無事を確かめるようにその体のあちこちを触る。真火は擽ったそうに身をよじりながら答えた。


「私は大丈夫。ケンにミスズを手伝うように言われ――」


「ううー」


 突然足元から響いた唸り声に真火は細い肩を跳ねさせ、その声の出処を確認した途端、まるで幽霊に遭遇したかのように絶叫した。


「ぎゃーっ! ダイちゃん! どうしたのその怪我!?」


「大斗くんね、転んじゃったのよ」


「おれ死ぬの? 死ぬんだ。うわーん!」


「しぬの!? うそ! しなないで!」


 慌てふためく真火の肩に手を置き、美鈴は宥めるように語りかけた。


「マホ、大斗くんの傷を押さえていてあげて。私は下級生の様子を見てくるから」


 そう言って美鈴は少し離れたところに集まり蹲っている子どもたちを見たあと、何かに耐えるように頭を押さえた。


「ミスズ、頭いたいの……?」


「ううん、大丈夫。みんなの不安が伝わってきただけ……。マホ、お願いね」


「わ、わかった!」


 遠ざかっていく美鈴は燃え盛る炎に照らされて、その足元から延びる影はふらふらと揺れている。真火はその姿を黙って見つめながら、言い知れぬ不安を覚えていた。


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