≪光≫
疼く頭を押さえながら、阿諏訪は涙を流し続ける真火の頭に手を置いた。
塗り潰されていた記憶が鮮やかに蘇る。十年前、阿諏訪は確かにケンを守ろうとしたのだ。恐怖と悲しみに涙する彼を、白いシーツで包んで連れ出そうとした。
そして失敗し、ケンの能力でその記憶を消されてしまった。
「ケン」
「先生、阿諏訪先生! 大丈夫ですか!?」
真火の必死な声を受け流し、阿諏訪は真っ直ぐにケンを見る。琥珀色の瞳は少しの感情をも出さずに、ただじっと阿諏訪を見返している。
「思い出した? ヨウ先生。まあ……今となってはどうでもいい話だけれど」
「ケン、僕を恨んでいるのか」
君を助けられなかったことを。
阿諏訪の言葉にケンはふとひとつ息を吐く。
「まさか。確かに僕は先生に助けを求めた。けれど、成功しようと失敗しようとそんなの問題じゃあない。あの時、僕に手を差し伸べてくれた……それだけでよかった。醜い大人達の中で、貴方だけが綺麗な手をしていた。僕たちのヨウ先生は、僕たちの味方なんだ。それ以外は許さない」
「ああ……味方だよ」
「先生!?」
思わぬ肯定の言葉に、真火は震える手で阿諏訪の二の腕を掴む。やんわりとその腕を外し、阿諏訪はゆっくりとケンの前に歩み出た。
「分かってくれると信じていたよ、ヨウ先生」
ケンはほんの僅かに頬を緩ませ、阿諏訪の肩にぽすんと頭を預けた。
「ヨウ先生、僕たちのヨウ先生。一緒にあの腐った研究者たちに罰を下そう」
「っケン! 離れて!」
「ケン、自首しよう」
途端、阿諏訪は向かい合うケンの身体を反転させ、背後から羽交い締めにした。
ケンの背後に控えていた畑中とミスズは虚をつかれたようで、憎々しい視線を阿諏訪に送る。
「ヨウ先生どうして……」
ケンは背後の阿諏訪に弱々しく語りかける。阿諏訪はその様子に奥歯を噛み締め、しかし気丈に口を開いた。
「さあお前たち、長峰先生たちを解放するんだ」
「ケンを人質に取ったつもりか? 酷いことするなあヨウ先生。ケンの信頼を裏切るなんて」
「意味がないことよ。……マホ!」
呆然と成り行きを見守っていた真火に、ミスズの鋭い声が飛ぶ。
「こちらに来なさい」
「や、やだ」
「いい子だから来なさい」
真火が捕まれば、阿諏訪がケンを抑えた意味がなくなってしまう。ぶんぶん首を横に振り、真火は阿諏訪にぴたりと体を寄せた。
「酷いよヨウ先生」
ケンがぽつりとこぼす。
「もう僕たちのことはどうでもいいんだ」
「っ違う! これ以上君たちに罪をーー」
「なら仕方がない」
ケンはゆらりと腕を伸ばし、部屋の扉を指す。
それを合図にゆっくりと部屋に入ってきたのは、無表情の島田だった。ケンに導かれるようにふらふらと歩くその姿を見て阿諏訪は絶句する。
「ダイ君……!?」
「ケンに操られているの!」
真火の言葉に阿諏訪は心の中で舌打ちした。島田を盾にされたらケンを解放するしかない。
島田はその手に金属質な何かを持ち、それから延びるコードのようなものが床に引きずられている。
「ヨウ先生。手を放して。でないとダイにも『いい子』になってもらうよ」
虚ろな目をした島田は、その手に持ったーー『装置』を躊躇いなく頭に被った。
阿諏訪の脳裏に、先程見た長峰たちの異常な姿が過ぎる。『いい子』になるための洗脳装置。
それを付けられた長峰たちは意味不明な言葉を発し、もはやまともではなかった。
「やめろ!」
阿諏訪はケンの体を押し退けて島田に飛びかかり、『装置』をはたき落した。
ガシャンと大きな音を立てて『装置』が床を転がる。それと同時に、阿諏訪の両腕は島田に捕らえられていた。
「くっダイ君! 目を覚ますんだ」
「無駄だよ。ダイじゃあ僕の催眠を自力で解けない。……ヨウ先生、僕は貴方を諦めない。貴方は僕らの灯火だから」
ケンが装置をとり、阿諏訪に被せる。
「ヨウ先生も『いい子』になろうね」
「やめてーー!」
「マホ、下がっていて」
ミスズに抑えられながらマホは悲痛な叫びをあげる。
このままでは阿諏訪があのおかしな機械に洗脳されてしまう。
なんとか阻止しようともがくが、ミスズに抱きしめられるように拘束されている。
途端、マホの視界が突如ぶれた。
今まさに、阿諏訪に装置が取り付けられようとしているのに、マホの視界に映ったのは幼いケンの姿だった。
ケンが泣いている。大人たちに無理矢理装置を付けられるのを嫌がっている。
その隣で幼いミスズと畑中も泣いている。
マホはその場面に見覚えがあった。
「あ……」
塞ぎ込まれた記憶の扉が開く。幼いケンたちが研究者たちに連れて行かれる。そして次に、マホの目の前にあの装置が差し出されーー。
バチン。真火の視界が強烈な光に覆われる。至近距離でカメラのフラッシュを焚かれたような、酷い目眩とともに真火の記憶は急激に遡り始めた。
*
「どうしてみんな泣いているの」
小さな真火は自分を地下に連れてきたスタッフの服の裾を引っ張っている。
いつも優しいケンは壁に寄りかかったまま全身を脱力させ俯いていて、顔が見えない。
明るく頼り甲斐のあるコーザは、頭に大きな『装置』を被り、膝を抱えて肩を震わせていた。
更にはあの穏やかなミスズが声を上げて泣きじゃくっている。顔の半分はコーザと同じく『装置』で覆われていた。
見たことのない光景だった。そして、そのような状況で冷静にしている大人たちが一番奇妙だと、幼い真火にも分かった。
誰も子どもに手を差し伸べない、異様な空間。
「大丈夫だよ。さあ次は君の番だ」
スタッフのその言葉にケンの虚ろな目が真火を捉える。
「逃げて」
「ケン?」
「逃げるんだマホ」
友人の異常な様子に真火は後ずさるが、すぐにスタッフの手によって強引にケンの隣に引きずり出されてしまう。
「みんな一緒だから大丈夫だよ」
鈍色の『装置』が真火の前に現れる。
真火が怖気付いていると、ケンがいきなり立ち上がりスタッフに体当たりをした。
「マホ! 走れ!」
「あ、あ、」
「ケン! 何をする!」
あっという間にケンは集まってきたスタッフ達に拘束され、その細い体を床に押し付けられる。
「マホ! 逃げろ! 逃げるんだ! お前たちマホに触るな! マホに同じことをしたら絶対に許さない!」
「な、なに。ケン……? 一体なんなの」
「静かにしろ!」
ゴツンという硬い音に真火は思わず目を閉じた。ケンの頭が乱暴に掴まれ、床に沈む。
嫌だ、嫌だ!
怖い怖い怖い!!
真火の意識はケンに向いていた。合宿のスタッフたちは優しかった普段と打って変わってケンに無茶苦茶している。ケンを助けなければ。真火はすくむ足を必死に動かそうとするが、意に反して足はピクリとも動かない。
「マホ、」
ぐったりとしたケンが、真火を呼んで動かなくなった。
嫌だ。
何が起こっているの?
嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。
「やめてーーーっ!!」
真火の視界の隅で、何かが弾けた。
バチン、だかビシリ、だか。空間が切り裂かれるような音がして。
気が付くとケンにのしかかっていたスタッフの頭が壁にめり込んでいた。
血飛沫がケンの頰を汚す。
その場の誰もが息を飲み、突然巨大な質量に襲われ壁の飾りと化したスタッフは、しばらく体を跳ねさせた後動かなくなった。
フーフーと自分の呼吸音が地下に響くのを、真火は黙って聞いていた。生まれて初めて抱いた大きな恐怖と拒絶に、感情が追いついていなかった。
「マ、マホ」
「え……?」
数拍後、ケンの声に我に返った真火は尚も視界の片隅で主張する光に目を向ける。
そこでようやく、自分の左手が発光していることに気がついた。
ジリジリと熱を持ち、時に燐光を放つ己の手。
それを呆然と見下ろしていると、時間を取り戻したスタッフたちが騒ぎ始める。
「一人死んだぞ!」
「子どもがやった! 力を使った!」
「取り押さえろ!」
数多の大人の手が立ち尽くしている真火に迫る。一人死んだ、子どもがやった。その叫びを反芻する。
私がやった?
ビリビリと痛む左手は真火の利き手だった。
合宿所の死亡者の内一人は脳挫傷で死んでいる。
真火の中で全てが繋がった。
「私がやった」
(読んでるよ。続きはよ。だけでもいいので声を頂けたら頑張れそうです。)