≪瞳≫
透き通るような青空。響く子どもたちの楽しげな笑い声。阿諏訪は足元にまとわりつく子どもたちを緩く咎めながら、リネン室にシーツを運んでいた。子どもたちの相手をすることも阿諏訪のアルバイトとしての仕事の一つ。一息ついたら低学年の子たちとレクリエーションでもしようかと考えていると、ふと進行方向に人影が見える。
数人のスタッフに一人の子どもが連れられていた。縦に並んで歩くその姿は焦燥しているように見える。阿諏訪は首を傾げてその姿を目で追った。具合でも悪いのだろうか。よく見るとその子どもは参加者最年長の天童ケンで、普段の様子と違い俯きながら足取り重く進んでいる。
何かおかしい。阿諏訪は洗い立てのシーツを抱えたままその後を追うことにした。施設のずっと奥、子どもたちは立ち入り禁止のはずのバックヤードに進む一団に阿諏訪の疑念はより深くなる。アルバイトの阿諏訪でさえ入らないように釘を刺された重い扉を越えて、ぽっかりと現れた階段を下りて行く。
「あ……」
階段を下りる前の、最後尾にいたケンと目が合った。ケンは琥珀色の瞳で阿諏訪の姿を捉えると、大きく目を開いてから前を行くスタッフに何かを言って、小走りで来た道を引き返す。すると後を付けていた阿諏訪の元に向かってくる訳であり、身を隠しきれていない阿諏訪の手を取り壁の影に押しやった。
「ヨウ先生何してるの?」
「あっいや、みんなどこに行くのかなと思って……」
「ついてきたら、怒られるよ」
「秘密なのか? 先生にも教えてくれよ」
「だめ。早くあっちいって。僕トイレ行くって言って来たから、すぐ戻らないと」
眉を下げて追い返そうとするケンの肩をやんわりと抱き、阿諏訪は膝を折ってケンの目を覗き込んだ。
「ケン、暗い顔をしてる。どうしたんだ? 何かあったのか?」
はっとした表情の後に、ケンの瞳にみるみる涙が溜まっていく。阿諏訪はぎょっとしてケンの頭をぐしゃぐしゃと撫でまわすが、ついに目の前の子どもは一筋の涙を流した。
「僕これから変な機械を頭に着けられるんだ」
「え?」
思いもしない言葉に口元を引きつらせる阿諏訪。てっきりいたずらをして叱られる程度のことだろうと思っていたのが、一気に別の問題に直面する。
「地下室にある部屋で、コーザとミスズと一緒に機械を被るんだ。そしたら頭がぼうっとして、何を考えてるのか分からなくなる。しばらくすると目が覚めるんだけど、自分が自分じゃない感覚がして――」
「え、え? 機械? ケン、一体どういう……」
「いやだって言っても合宿の先生たちはやめてくれないんだ。コーザもミスズもいやがってるのに、ひつような実験だからって」
本格的にしゃくりあげながら泣き出してしまったケンを抱き寄せながら、阿諏訪は混乱する頭を必死に整理する。子どもが泣いていて、その理由は頭に機械をつけられる、ひつような実験。
ぞわりと背筋が冷える感覚に、阿諏訪は身を固くする。
「ヨウ先生たすけて」
弱弱しく掠れた声が耳元に落とされた。阿諏訪の服をぎゅうと握りながら、ケンは声を押し殺して泣いている。
子どもを守らなければ。
その瞬間、阿諏訪の理性が急激に働き始めた。持っていたシーツをケンの頭から被せ、その体をひょいと抱える。何が起こっているのか詳細はさっぱり分かっていなかったが、ケンを守らなければならないことだけははっきりと分かっていた。年齢の割に落ち着いていると思っていたケンが泣いて助けを求めている。阿諏訪が動く理由はそれで十分だった。
「ケン、分かった。僕から先生たちに言っておくから、一度家に帰ろう」
「ヨウ先生だめだよ。やらないと怒られるんだ」
「大丈夫。君は体調を崩して僕が家まで送っていったと言うことにするから」
「でも、僕を勝手に帰らせたらヨウ先生が怒られてしまうよ!」
「いいんだよ。そんなことより、他の先生たちが地下室で君に何をしようとしていたのかちゃんと聞きださないと。これは大人の仕事だ。心配しないでケン」
堰を切ったように涙を流すケンを不安にさせないように笑顔を作る。しかしケンは悲痛な表情を浮かべたまま阿諏訪に縋り付いた。
「ヨウ先生……、明日はマホの番なんだ。そう言ってた!」
「え?」
「マホも家に帰そう!」
阿諏訪の脳裏に一人の少女の姿が浮かぶ。花が咲いたような笑顔が可愛らしい女の子、清水真火。ケンの必死の訴えに阿諏訪はその体を抱えてきた道を引き返そうとする。
「困るね阿諏訪くん」
ひやりとした声が後から響く。振り返る間もなく、阿諏訪は一瞬で進路を塞がれ背後から肩を掴まれ拘束されてしまった。ケンの体を下ろすと白衣の男性二人がかりで両手を抑え込まれる。
「……っどうされました先生方。僕はただ通りがかっただけで、」
「ここは関係者以外立ち入り禁止なんだ。ケン、ヨウ先生の記憶を消しなさい」
怯えきったケンは立ちすくんだまま拘束される阿諏訪の姿を見つめている。阿諏訪はがむしゃらに叫んだ。
「ケン、逃げて!」
「あ、あ……!」
「ケン? できないのならマホの実験の予定を早めようか。今晩にでも」
「う、うわあああ!!」
ケンの叫びと同時に、阿諏訪の視界が白く染まる。冷たい床に倒れる感触とともに、意識がゆっくりと遠ざかって行った。
意識の奥の奥にしまい込まれていた記憶が引きずり出される。阿諏訪はケンを助けようとして失敗した。そしてケンの能力でそれを忘れたままアルバイトを続け、あの火事の日を迎えたのだ。ガンガンと打たれるように痛む頭に顔を顰め、ゆっくりと目を開く。近くで誰かの泣き声が聞こえ、誰に向けるでもなく呟いた。
「もう泣かないでくれ」
第六章までお読み頂きありがとうございます!
続きは書いている途中です。ゆっくり更新になりますがどうぞよろしくお願いします。